舞鶴という街を、ご存知でしょうか。
旧海軍の鎮守府がおかれていた街で、海沿いの市役所の周辺には、明治や大正の時代に建てられた赤煉瓦倉庫が当時の姿そのままに立ち並んでいます。
この倉庫は海軍の兵器廠として、武器や弾薬の倉庫として造られたものなのだそうです。二十年ほど前に国の重要文化財に指定されて、いまでは一部の倉庫が博物館やイベントホール、カフェなどに整備され街興しに一役買っています。
今からお聞かせするのは、舞鶴で会った男から聞いた『ロシア病院』と『二重倉庫』の話です。あまり気持ちの良い話ではありませんが、少しだけお付き合いください。
そのとき私は盆休みを利用して、舞鶴でソロ・キャンプを楽しんでいました。この時期を青葉山の麓に在るキャンプ場で過ごすことは、もはや私の恒例行事となっていたのです。
日が落ちる前に夕食を済ませ、備え付けのベンチに腰を下ろして涼を取っていました。山からの風は思いのほか涼やかで、八月とは思えない冷気に思わず上着を出そうかと考えたほどです。
その男が現れたのは、そんな黄昏時のことでした。
人懐っこい笑顔で、男は隣りに座ってよいかと訊いてきました。歳の頃は四十……いや五十歳くらいでしょうか。初対面だというのに、やけに親しげに話しかけてきます。
私の他にも何組かの客が居たはずなので、その中の誰かが話し相手を求めてやって来たのだろうと思いました。
何処から来たのかと問う男に、警戒心の解けぬ私は言葉を濁して応じました。しかし会話を重ねているうちに緊張も和らぎ、悪い奴ではないだろうと考え直して他愛もない世間話に興じていたのです。
やがて男は突如として、声を潜めて言いました。
「あんた、ロシア病院って知ってるかい?」
すっかり夜の帳が降り、闇に包まれようとしている時分のことです。街灯の心もとない明かりの中、その耳慣れぬ名前を聞いて背筋に怖気が走りました。
聞いたことがないと告げれば、男は口の端を歪めて笑います。
「行ってみるかい? すぐ近くなんだ」
思わず、首を激しく横に振りました。
なんでも心霊スポットとして有名な、廃墟の名前なのだそうです。
べつに心霊スポットが怖い訳ではありません。決してそんなものに怯えている訳ではないのです。ただ、信用に足るか疑わしい男と、二人きりで山道を行くことに抵抗があっただけなのです。
「話を聞いてくれるかい? 行くか行かないかは、その後に決めてくれりゃいい」
残念そうな面もちでそう言うと、男はロシア病院にまつわる話を語り始めました。
◇
舞鶴ってのは海軍の軍港だった街でな、あんたも海軍の赤煉瓦倉庫くらいは知ってるだろう。そう、いまは公園になってる倉庫のことだ。
現存してる海軍施設は、なにも赤煉瓦倉庫だけじゃない。この辺り一帯は、第三火薬廠っていう火薬工場があった場所だ。
砲弾や魚雷なんかを作ってた所でな、本当か嘘か知らないが、戦艦大和の砲弾や回天の弾頭もここで作ってたって話だ。学徒動員って言うんだっけな。五千人ほどの若者が働いてたらしい。
戦争が終わって火薬廠は解体されたんだけどな、この辺りにいくつかの施設ががそのまま残ってる。赤煉瓦倉庫と違ってこっちは放置されたから、すっかり廃墟になっているけどな。その廃墟が何故か『ロシア病院』って名前で呼ばれて、心霊スポット扱いされてるって訳だ。
病院でもないのに、どうして病院って呼ばれてるかって?
そいつは俺にも判らねぇんだ。見た感じ廃病院みたいな面構えだからかな。昔はそんな名前で呼んでなかったと思うんだけどな。三つ倉庫だったか、四つ倉庫だったか……そんな名前で呼んでたはずだ。それなのにいつの頃からか、ロシア病院なんて名前で呼ばれるようになっちまったんだよ。
あんた、このキャンプ場の隣に、学校があるの知ってるかい?
その学校には寮があってな、半数以上の学生が寮生活を送ってるんだ。心霊スポットの目と鼻の先でだぜ?
そりゃ、やるだろうよ……。
何をって?
肝試しに決まってんだろうが、そんなもん。
学生なんてもんは、馬鹿やりたがるからな。
上級生の奴らが無理矢理、ビビりまくる一年坊主を一人でロシア病院に行かせる訳よ。
そりゃもちろん、日が落ちてからだよ。懐中電灯一本だけ持たせてな。一番奥の建物にノートをぶら下げといて、「名前書いて帰ってこい!」ってなもんだ。
縦の関係が厳しい校風だからな。しかも逃げ場のない寮生活だ。一年生は断ることもできずに、夏になるとロシア病院の洗礼を受けることになるって訳さ。
それともう一箇所、輪をかけて不気味な場所が近くにあるんだよ。
二重倉庫っていってな、倉庫の中に倉庫が建ってるんだわ。確か覆土式弾薬庫っていうんだったかな。空爆に備えて建物自体も土で覆っちまって、弾薬に引火しないよう強固な構造にしたって訳だ。
ここもまた、恰好の肝試しスポットになんだわ。ロシア病院と二重倉庫、どちらのコースが良い? お前らに選ばせてやるよ……なんてな。
ロシア病院はなんて言うかこう、物陰から何か出てきやしないかと怯える怖さなんだな。暗い山道を行くんだからそれだけでも怖いってのに、頼りない懐中電灯の明かりの中に不気味な廃墟が立ち現れるんだからたまったもんじゃない。
倉庫の中に何が在ったか、企画した上級生に報告しなきゃならんから、おっかなびっくり朽ちた倉庫の中を覗き込む訳よ。
大抵は割れたガラスだの瓦礫が散乱してるだけなんだけどな、一番奥の倉庫が、水没してるんだ。ここを覗き込んだ時は肝を冷やしたね。水の中から、人の下半身が突き出してるんだからよ。
スケキヨかよ! 犬神家かよ!
そんな風にツッコむ余裕もなかったな。まぁ、誰かの悪戯だろうな。マネキンの下半身が突き立ててあっただけなんだけどよ。それでも闇の中でいきなり懐中電灯の光に浮びあがりゃ、腰が抜けそうなほど驚くってもんでな。
そんなことより問題は、二重倉庫の方よ。
二重になった内側と外側の建物の間に隙間があるんだけどな、これがまた狭くて人がやっと通れるくらいの幅しかねぇんだわ。この隙間を通って外周をグルリと周れるようになってるんだ。
通路の一番奥にノートが置いてあってな、行った証に名前を書かなきゃならのだが……これがまた狭っ苦しくて怖いんだ。走って逃げ出したいと思っても、狭くてまともに走れやしない……そういう怖さが在ったな。
そしてもう一箇所。内側の倉庫の中は体育館みたいにだだっ広い空間なんだけど、やっぱりここでも、最深部にノートを置いて名前を書かせるんだな。持たされてる懐中電灯が暗いもんだから、だだっ広い空間で何処を歩いてるのかすら解らない。月の光もない、星明りさえもない正真正銘の真っ暗闇だからな。ここで懐中電灯が切れちまったらどうなるのかと、気が気じゃなかったよ。
どうした。顔色が悪いけど大丈夫か?
こんな気味の悪い話を聞いてりゃ、具合も悪くなるか。
悪かった、悪かった。長々と邪魔しちまったな。そろそろ行くわ。
興味があったら、ロシア病院に行ってみてくれや。
ただし二重倉庫はやめとけ。あそこは行かない方がいい。
いいな。二重倉庫には行くなよ。
◇
心地良いとは言えない目覚めでした。
どうにも寝苦しく、うなされていたようにも思います。
昨夜、あの男の話を聞いていると気分が悪くなってしまいましたが、しばらく休んでいたら気分も晴れていました。あの男は、興味があればロシア病院に行ってみろと言っていましたが、もちろんそんな所へは行きませんでした。
けれどもその夜、不思議な夢を見ました。
きっとあの男が語った話の影響でしょう。私が夜のロシア病院を、おっかなびっくり巡っている夢でした。しかも手にしているのは、今にも消えそうな蝋燭一本だけなのです。
ロシア病院を巡った私は、夢の中でそのまま二重倉庫へと向かいます。二重倉庫の狭い外周を回っていると、風もないのに蝋燭の炎が掻き消えてしまいました。パニックになった私は、来た道を戻ろうとして真っ暗闇の中で藻掻いている……そんなところで目が醒めました。
悲鳴ともつかぬ大声をあげていたやも知れません。喉がカラカラに乾いており、息も荒れておりました。
朝になり、落ち着きを取り戻した今、意外なことにロシア病院のことがが気になって仕方がありません。話を聞いただけで、嫌な心持ちになったというのに……。
一度見てみたいとは思えども、気味の悪い肝試しの話なんか聞かされて、更に変な夢まで見た日には、そんな場所を訪れる気にはなれません。
けれども後になって見ておけばよかったと後悔するのも嫌なので、歴史的な価値もある場所だから、明るい昼間なのだからと自らを奮い立たせて、ロシア病院に向かうことにしたのです。
男に教えられた通りに学校の側道を進み、学生寮の向こうにテニスコートが見えてきたあたりで左に折れました。しばらく進むと、その廃墟は姿をあらわしたのです。
それはなんと、夢で見たものと全く同じ建物でした。夜と昼との差こそあれ、驚いたことに夢で見た建物が、そのままそこに在ったのです。
気味が悪くなってしまい、慌てて引き返しました。
しかし学校の側道まで帰り着いたその時、ふと思い出してしまったのです。
男が言い残した最後の言葉を。
「いいな。二重倉庫には行くなよ」
恐怖で可怪しくなっていたのでしょうか。それとも、恐怖よりも好奇心の方が勝ってしまったのでしょうか。行くなという心の叫びとは裏腹に、気がつけば山の奥へと歩みを進めておりました。
男に教えられた通り獣道のような細い道を右に逸れ、鬱蒼とした下草をかき分けながら歩いた先にその威容は姿を現したのです。
コンクリートで塗り固められた体育館……とでも言えばいいのでしょうか。長年風雨にさらされた外壁は風化の跡が見て取れ、また緑の木々や竹林が巨大な建物を覆い隠すように茂っています。こんな山中に巨大な建造物が在るというミスマッチ。まさに奇っ怪としか言いようがないでしょう。
けれども私が言葉を失っているのは、その威容に慄いているからではありません。恐ろしいことに、私はこの建物のことも知っていたのです。そう、見覚えのある建物なのです。外見だけではありません。中の構造がどうなっているのかまで知っています。
入口のドアは固く閉ざされ、どうやら入ることができそうにありません。以前は開け放たれて、自由に出入りが出来たはずなのに……。
しかし入り口の様子を見て、安堵する私がいました。初めて訪れる地の風景を知っているという、奇々怪々な状況……。これ以上おかしな事が起これば、私自信どうなってしまうか解りませんから。
けれども安心する私をあざ笑うかのように、それは起こりました。
安堵のため息と共に入口に触れた瞬間、まるで走馬灯でも観るかのように甦ったのです。
そう、私の記憶が。
固く閉ざされていた記憶の蓋が開いた……いや、置き去りにしていた記憶が流れ込んできたと表現する方が、きっと相応しいのでしょう。頭の中が、あの日の記憶で一杯になってしまいました。
それは三十年前、私が此処に置いてきた記憶でした。
蝋燭一本持っての来訪。もちろん上級生に強要されてのものでした。
気の弱い私はロシア病院だけでも気が狂わんがばかりに怯えていたというのに、加えて二重倉庫の狭苦しい外周をまわらなければならないだなんて……。あまつさえ、頼みの綱の蝋燭が掻き消えてしまうだなんて……。
右も左も解らない狭い真っ暗闇を、コンクリートの壁に肩や手や頭を擦りながら、必死に走りました。走っていれば、そう止まりさえしなければ、きっと出口に着くはずです。そう信じて、纏わりつく重い空気を掻き分けるようにして全力で走りました。
そして激突してしまったのです。眼前に張り出していた何物かに。後になって、それが梯子だと知りました。
明かりがあれば、避けて通ることも充分に叶いましょう。しかし丁度頭の位置に張り出している梯子に気づくことなく、私は全力で激突してしまったのです。
頭だけその場に留めおき、脚だけが先走り跳ね上がるような感覚がありました。宙に浮き天地がひっくり返ったと思った次の瞬間、身体が砕けてしまうかと思うほど強くコンクリートの床に打ち付けられていました。
目を開けているのか瞑っているのかも判らないような暗闇の中、私は横たわったまま闇を見つめていました。頭から生暖かいものが流れ出す感覚に、思わず手を当てて確かめようとしました。けれども手どころか、指先一つ動かすことすら叶いませんでした。
そう、三十年前のあの日、私はこの場所で命を終えたのです。
今年もまた、この場所に返ってくることが出来ました。
あの男が導いてくれたおかげでしょうか。そうなのかも知れませんし、そうでないのかも知れません。あの男は誰だったのか……思い当たる節もありますが、今となってはもうどうでも良い話です。
私は入口の扉をすり抜け、光の届かない二重倉庫の中へと進みます。
真っ暗闇の中に身体を横たえると、闇の中に身体が溶け出していくような錯覚に陥りました。
一年経てばまた、私は此処へ帰ってくるのでしょうか。
何十回も繰り返している夏の恒例行事。いつまで続くのでしょうか。
来年もまた、あの男がロシア病院と二重倉庫の話を聞かせてくれたら良いのに……。
そんなことを考えながら、私は闇の中でそっと目を閉じたのです。
(了)
旧海軍の鎮守府がおかれていた街で、海沿いの市役所の周辺には、明治や大正の時代に建てられた赤煉瓦倉庫が当時の姿そのままに立ち並んでいます。
この倉庫は海軍の兵器廠として、武器や弾薬の倉庫として造られたものなのだそうです。二十年ほど前に国の重要文化財に指定されて、いまでは一部の倉庫が博物館やイベントホール、カフェなどに整備され街興しに一役買っています。
今からお聞かせするのは、舞鶴で会った男から聞いた『ロシア病院』と『二重倉庫』の話です。あまり気持ちの良い話ではありませんが、少しだけお付き合いください。
そのとき私は盆休みを利用して、舞鶴でソロ・キャンプを楽しんでいました。この時期を青葉山の麓に在るキャンプ場で過ごすことは、もはや私の恒例行事となっていたのです。
日が落ちる前に夕食を済ませ、備え付けのベンチに腰を下ろして涼を取っていました。山からの風は思いのほか涼やかで、八月とは思えない冷気に思わず上着を出そうかと考えたほどです。
その男が現れたのは、そんな黄昏時のことでした。
人懐っこい笑顔で、男は隣りに座ってよいかと訊いてきました。歳の頃は四十……いや五十歳くらいでしょうか。初対面だというのに、やけに親しげに話しかけてきます。
私の他にも何組かの客が居たはずなので、その中の誰かが話し相手を求めてやって来たのだろうと思いました。
何処から来たのかと問う男に、警戒心の解けぬ私は言葉を濁して応じました。しかし会話を重ねているうちに緊張も和らぎ、悪い奴ではないだろうと考え直して他愛もない世間話に興じていたのです。
やがて男は突如として、声を潜めて言いました。
「あんた、ロシア病院って知ってるかい?」
すっかり夜の帳が降り、闇に包まれようとしている時分のことです。街灯の心もとない明かりの中、その耳慣れぬ名前を聞いて背筋に怖気が走りました。
聞いたことがないと告げれば、男は口の端を歪めて笑います。
「行ってみるかい? すぐ近くなんだ」
思わず、首を激しく横に振りました。
なんでも心霊スポットとして有名な、廃墟の名前なのだそうです。
べつに心霊スポットが怖い訳ではありません。決してそんなものに怯えている訳ではないのです。ただ、信用に足るか疑わしい男と、二人きりで山道を行くことに抵抗があっただけなのです。
「話を聞いてくれるかい? 行くか行かないかは、その後に決めてくれりゃいい」
残念そうな面もちでそう言うと、男はロシア病院にまつわる話を語り始めました。
◇
舞鶴ってのは海軍の軍港だった街でな、あんたも海軍の赤煉瓦倉庫くらいは知ってるだろう。そう、いまは公園になってる倉庫のことだ。
現存してる海軍施設は、なにも赤煉瓦倉庫だけじゃない。この辺り一帯は、第三火薬廠っていう火薬工場があった場所だ。
砲弾や魚雷なんかを作ってた所でな、本当か嘘か知らないが、戦艦大和の砲弾や回天の弾頭もここで作ってたって話だ。学徒動員って言うんだっけな。五千人ほどの若者が働いてたらしい。
戦争が終わって火薬廠は解体されたんだけどな、この辺りにいくつかの施設ががそのまま残ってる。赤煉瓦倉庫と違ってこっちは放置されたから、すっかり廃墟になっているけどな。その廃墟が何故か『ロシア病院』って名前で呼ばれて、心霊スポット扱いされてるって訳だ。
病院でもないのに、どうして病院って呼ばれてるかって?
そいつは俺にも判らねぇんだ。見た感じ廃病院みたいな面構えだからかな。昔はそんな名前で呼んでなかったと思うんだけどな。三つ倉庫だったか、四つ倉庫だったか……そんな名前で呼んでたはずだ。それなのにいつの頃からか、ロシア病院なんて名前で呼ばれるようになっちまったんだよ。
あんた、このキャンプ場の隣に、学校があるの知ってるかい?
その学校には寮があってな、半数以上の学生が寮生活を送ってるんだ。心霊スポットの目と鼻の先でだぜ?
そりゃ、やるだろうよ……。
何をって?
肝試しに決まってんだろうが、そんなもん。
学生なんてもんは、馬鹿やりたがるからな。
上級生の奴らが無理矢理、ビビりまくる一年坊主を一人でロシア病院に行かせる訳よ。
そりゃもちろん、日が落ちてからだよ。懐中電灯一本だけ持たせてな。一番奥の建物にノートをぶら下げといて、「名前書いて帰ってこい!」ってなもんだ。
縦の関係が厳しい校風だからな。しかも逃げ場のない寮生活だ。一年生は断ることもできずに、夏になるとロシア病院の洗礼を受けることになるって訳さ。
それともう一箇所、輪をかけて不気味な場所が近くにあるんだよ。
二重倉庫っていってな、倉庫の中に倉庫が建ってるんだわ。確か覆土式弾薬庫っていうんだったかな。空爆に備えて建物自体も土で覆っちまって、弾薬に引火しないよう強固な構造にしたって訳だ。
ここもまた、恰好の肝試しスポットになんだわ。ロシア病院と二重倉庫、どちらのコースが良い? お前らに選ばせてやるよ……なんてな。
ロシア病院はなんて言うかこう、物陰から何か出てきやしないかと怯える怖さなんだな。暗い山道を行くんだからそれだけでも怖いってのに、頼りない懐中電灯の明かりの中に不気味な廃墟が立ち現れるんだからたまったもんじゃない。
倉庫の中に何が在ったか、企画した上級生に報告しなきゃならんから、おっかなびっくり朽ちた倉庫の中を覗き込む訳よ。
大抵は割れたガラスだの瓦礫が散乱してるだけなんだけどな、一番奥の倉庫が、水没してるんだ。ここを覗き込んだ時は肝を冷やしたね。水の中から、人の下半身が突き出してるんだからよ。
スケキヨかよ! 犬神家かよ!
そんな風にツッコむ余裕もなかったな。まぁ、誰かの悪戯だろうな。マネキンの下半身が突き立ててあっただけなんだけどよ。それでも闇の中でいきなり懐中電灯の光に浮びあがりゃ、腰が抜けそうなほど驚くってもんでな。
そんなことより問題は、二重倉庫の方よ。
二重になった内側と外側の建物の間に隙間があるんだけどな、これがまた狭くて人がやっと通れるくらいの幅しかねぇんだわ。この隙間を通って外周をグルリと周れるようになってるんだ。
通路の一番奥にノートが置いてあってな、行った証に名前を書かなきゃならのだが……これがまた狭っ苦しくて怖いんだ。走って逃げ出したいと思っても、狭くてまともに走れやしない……そういう怖さが在ったな。
そしてもう一箇所。内側の倉庫の中は体育館みたいにだだっ広い空間なんだけど、やっぱりここでも、最深部にノートを置いて名前を書かせるんだな。持たされてる懐中電灯が暗いもんだから、だだっ広い空間で何処を歩いてるのかすら解らない。月の光もない、星明りさえもない正真正銘の真っ暗闇だからな。ここで懐中電灯が切れちまったらどうなるのかと、気が気じゃなかったよ。
どうした。顔色が悪いけど大丈夫か?
こんな気味の悪い話を聞いてりゃ、具合も悪くなるか。
悪かった、悪かった。長々と邪魔しちまったな。そろそろ行くわ。
興味があったら、ロシア病院に行ってみてくれや。
ただし二重倉庫はやめとけ。あそこは行かない方がいい。
いいな。二重倉庫には行くなよ。
◇
心地良いとは言えない目覚めでした。
どうにも寝苦しく、うなされていたようにも思います。
昨夜、あの男の話を聞いていると気分が悪くなってしまいましたが、しばらく休んでいたら気分も晴れていました。あの男は、興味があればロシア病院に行ってみろと言っていましたが、もちろんそんな所へは行きませんでした。
けれどもその夜、不思議な夢を見ました。
きっとあの男が語った話の影響でしょう。私が夜のロシア病院を、おっかなびっくり巡っている夢でした。しかも手にしているのは、今にも消えそうな蝋燭一本だけなのです。
ロシア病院を巡った私は、夢の中でそのまま二重倉庫へと向かいます。二重倉庫の狭い外周を回っていると、風もないのに蝋燭の炎が掻き消えてしまいました。パニックになった私は、来た道を戻ろうとして真っ暗闇の中で藻掻いている……そんなところで目が醒めました。
悲鳴ともつかぬ大声をあげていたやも知れません。喉がカラカラに乾いており、息も荒れておりました。
朝になり、落ち着きを取り戻した今、意外なことにロシア病院のことがが気になって仕方がありません。話を聞いただけで、嫌な心持ちになったというのに……。
一度見てみたいとは思えども、気味の悪い肝試しの話なんか聞かされて、更に変な夢まで見た日には、そんな場所を訪れる気にはなれません。
けれども後になって見ておけばよかったと後悔するのも嫌なので、歴史的な価値もある場所だから、明るい昼間なのだからと自らを奮い立たせて、ロシア病院に向かうことにしたのです。
男に教えられた通りに学校の側道を進み、学生寮の向こうにテニスコートが見えてきたあたりで左に折れました。しばらく進むと、その廃墟は姿をあらわしたのです。
それはなんと、夢で見たものと全く同じ建物でした。夜と昼との差こそあれ、驚いたことに夢で見た建物が、そのままそこに在ったのです。
気味が悪くなってしまい、慌てて引き返しました。
しかし学校の側道まで帰り着いたその時、ふと思い出してしまったのです。
男が言い残した最後の言葉を。
「いいな。二重倉庫には行くなよ」
恐怖で可怪しくなっていたのでしょうか。それとも、恐怖よりも好奇心の方が勝ってしまったのでしょうか。行くなという心の叫びとは裏腹に、気がつけば山の奥へと歩みを進めておりました。
男に教えられた通り獣道のような細い道を右に逸れ、鬱蒼とした下草をかき分けながら歩いた先にその威容は姿を現したのです。
コンクリートで塗り固められた体育館……とでも言えばいいのでしょうか。長年風雨にさらされた外壁は風化の跡が見て取れ、また緑の木々や竹林が巨大な建物を覆い隠すように茂っています。こんな山中に巨大な建造物が在るというミスマッチ。まさに奇っ怪としか言いようがないでしょう。
けれども私が言葉を失っているのは、その威容に慄いているからではありません。恐ろしいことに、私はこの建物のことも知っていたのです。そう、見覚えのある建物なのです。外見だけではありません。中の構造がどうなっているのかまで知っています。
入口のドアは固く閉ざされ、どうやら入ることができそうにありません。以前は開け放たれて、自由に出入りが出来たはずなのに……。
しかし入り口の様子を見て、安堵する私がいました。初めて訪れる地の風景を知っているという、奇々怪々な状況……。これ以上おかしな事が起これば、私自信どうなってしまうか解りませんから。
けれども安心する私をあざ笑うかのように、それは起こりました。
安堵のため息と共に入口に触れた瞬間、まるで走馬灯でも観るかのように甦ったのです。
そう、私の記憶が。
固く閉ざされていた記憶の蓋が開いた……いや、置き去りにしていた記憶が流れ込んできたと表現する方が、きっと相応しいのでしょう。頭の中が、あの日の記憶で一杯になってしまいました。
それは三十年前、私が此処に置いてきた記憶でした。
蝋燭一本持っての来訪。もちろん上級生に強要されてのものでした。
気の弱い私はロシア病院だけでも気が狂わんがばかりに怯えていたというのに、加えて二重倉庫の狭苦しい外周をまわらなければならないだなんて……。あまつさえ、頼みの綱の蝋燭が掻き消えてしまうだなんて……。
右も左も解らない狭い真っ暗闇を、コンクリートの壁に肩や手や頭を擦りながら、必死に走りました。走っていれば、そう止まりさえしなければ、きっと出口に着くはずです。そう信じて、纏わりつく重い空気を掻き分けるようにして全力で走りました。
そして激突してしまったのです。眼前に張り出していた何物かに。後になって、それが梯子だと知りました。
明かりがあれば、避けて通ることも充分に叶いましょう。しかし丁度頭の位置に張り出している梯子に気づくことなく、私は全力で激突してしまったのです。
頭だけその場に留めおき、脚だけが先走り跳ね上がるような感覚がありました。宙に浮き天地がひっくり返ったと思った次の瞬間、身体が砕けてしまうかと思うほど強くコンクリートの床に打ち付けられていました。
目を開けているのか瞑っているのかも判らないような暗闇の中、私は横たわったまま闇を見つめていました。頭から生暖かいものが流れ出す感覚に、思わず手を当てて確かめようとしました。けれども手どころか、指先一つ動かすことすら叶いませんでした。
そう、三十年前のあの日、私はこの場所で命を終えたのです。
今年もまた、この場所に返ってくることが出来ました。
あの男が導いてくれたおかげでしょうか。そうなのかも知れませんし、そうでないのかも知れません。あの男は誰だったのか……思い当たる節もありますが、今となってはもうどうでも良い話です。
私は入口の扉をすり抜け、光の届かない二重倉庫の中へと進みます。
真っ暗闇の中に身体を横たえると、闇の中に身体が溶け出していくような錯覚に陥りました。
一年経てばまた、私は此処へ帰ってくるのでしょうか。
何十回も繰り返している夏の恒例行事。いつまで続くのでしょうか。
来年もまた、あの男がロシア病院と二重倉庫の話を聞かせてくれたら良いのに……。
そんなことを考えながら、私は闇の中でそっと目を閉じたのです。
(了)