「それではみなさん、お足下にご注意ください。行きますよ! 3.2.1――!」
ふっと会場中の明かりが一斉に消える。あれだけいた人々の歓声もピタッと止まり、ひんやりとした静寂が一帯を包み込む。
暗がりが、やけに落ち着く。
刹那、視界が瞬いた。小さな光の粒子が無数に点灯する。まるで魔法のように、指揮棒に煽られたように、会場の左端から右端へと光の波が通り抜けた。
一つ一つの小さな光球が連なって会場の隅々まで照らし出し、まるで星空の中を揺蕩うような幻想的な風景へと様変わりする。
やがて星々は一つの大きな天体となって、会場を優美に流れる。光が織りなす、まるでアニメーションのような躍動感ある輝きに会場が湧き立つ。
目の前の輝く模造木はよく見ると、様々な色の小さなLEDが枝に括り付けられていた。
そこかしこから水蒸気の煙が噴射し、それを光球の明かりが乱反射して輝く光のカーテンを創り出す。壁面に添えられた映画館のような大きなモニターには、光をテーマにした映像が流れ出し、その眼下で光線が四方を切り裂いていた。
歓声が会場をより明るく染め上げ、一人ぼんやりとそれを眺めて写真を撮るのは疎外感を覚える。もとより、こういった催しで騒ぐタイプでは無いから、そもそも俺がここにいることが場違いだ。
こんな似つかわしくない場所でも、彼女と来ることが出来たのなら、俺はもう少し心が躍ったのだろうか。
俺の袖を引っ張り、無邪気に声を上げてはしゃぐ彼女が目に浮かんだ。人工的な明かりなんかに負けやしない、太陽のような満面の笑みで俺を照らしてくれるのだろう。
しかし、そんな夢物語は訪れない。
生きているように明滅し、光り輝くイルミネーションは彼女には明るすぎる。
皮肉な話だ。彼女は太陽のように輝いているのに、こんな小さな電球にすら身体を蝕まれてしまう。
「それではみなさん、光の旅へといってらっしゃーい!」
アナウンスが弾む声で促す。さながらテーマパークのアトラクションのようだ。
立ち止まってるのも落ち着かなくて、会場を歩いてみた。
とにかく三百六十度が光の渦で照らされている。緑黄色に輝く光の草原の先にある、長い光のアーチを越えた先は、まるで異世界のような幻想的な光景だった。
見上げるほどの大きな剣が地面に突き立ち、炎や氷、雷がせめぎ合うように火花を散らす。それら全てが、もちろんイルミネーションで再現されていた。エリアを囲うように並んだ大きな宝石の群れは、コミカルに色や形を変え、人々の感情を揺さぶる。
会場中のどこを歩いても、まさに圧巻の光景だった。人生で経験したことのない鮮やかな光のパレードに俺は声も出せず、ただひたすら写真を撮り続けた。
会場脇に列が出来ていた。それを見て、俺は彼女との会話を思い出す。
「なあ、何かやりたいこととか無いのか……?」
一粒の小さな光球がうっすらと照らす病室で、俺は彼女に尋ねる。
彼女は手元でみかんを剥きながら、うーんと口をへの字にして唸る。
「そうですねえ、光合成でしょうか」
「何言ってんだ?」
「いやいや、真面目に考えた結果ですよ。私は光合成がしたいです。そして、青々と、瑞々しく輝いていたいものです」
うっとりと妄想に耽る彼女を揶揄する気にはなれなかった。日光浴ではなく、光合成と表現するところが彼女らしい。
「それは俺が叶えてやれそうも無いな」
「おや、ついに私に尽くしてくれる気になりましたか」
「今までだって、十分わがまま聞いて来ただろ」
彼女はぺろっと舌を出す。その仕草に俺が顔をしかめると、彼女は小さく笑みを零した。
「そうでしたね。いつもありがとうございます」
言葉に詰まった。そうやって突然、真正面から感謝を突きつけられると調子が狂う。というか、感謝されなければいけない謂れは無いのだ。俺が勝手に彼女に付き添っているだけなのだから。
「で、何か無いのかよ。見たいものとか、欲しいものとか」
「うーん、そうですねぇ……。では、花火かイルミネーションが見たいです」
そんなわけで、俺は独りで寂しくイルミネーションを見に来ている。
列に並び、順番を待つ。一人で並んでいる人間は俺以外にいなそうだった。そもそも、この会場に一人で来る人間は限りなく少ないだろう。どこを見てもカップルか家族連ればかりだ。男子高校生にこの好奇な視線は辛いものがある。
「ここのイルミネーションはですね、何と三年連続日本一位のイルミネーションらしいんですよ」
雑誌をバサッと開き、彼女が指を差す。見れば、すごく近場だった。バスで三十分も揺られれば着く距離だし、何よりその場所はここら辺じゃ結構有名なレジャー公園だ。
イルミネーションが有名なことは初耳だったけど。
「じゃあ、行って写真でもちゃちゃっと撮って来るか」
善は何とやら。今日はバイトも無いし、今病院を出れば着くころにはちょうど空が暗くなる時間帯だ。
「写真だけじゃなくて、ちゃんと感想も持って帰ってきてくださいね」
「あんま期待すんなよ。俺はロマンチストじゃねえんだ」
「では、アトラクションにでも乗ってきてください。これも気になっていたんですよね」
そう言い、彼女はびりっと雑誌からページを破って俺に手渡す。
わざわざ、破んなくてもいいだろ、という返しはチープに思えて口を閉ざした。
列が進み、受付が見えてくる。
「大人一人……お願いしゃす」
「はい、おひとり様ですね。それではこちらの用紙に記入をお願いします」
手渡された紙には、この手のアトラクションでよくあることが書かれていた。要するに、本アトラクションで起こった事故や怪我は責任を負いかねますよ、というやつだ。
注意事項を流し見して、ペンを走らせる。
「あの、確か滑走中にセルフィ―で動画撮れる機材を貸してもらえるって聞いたんすけど」
「はい、大丈夫ですよ。ご用意しますね」
聞けば、結構な頻度で貸し出されているらしい。所謂、SNS映えの映像や写真を求めて来客する人たちも多いようだ。
多分、俺もその一人と思われたのだろう。綺麗に映るポイントや露光設定などを説明されたが、よく分からなかった。
ヘルメットを被り、ハーネスをつける。どちらも人生において経験なんて滅多に無いから、割と落ち着かない。木造りの見晴らし台を登り、順番がやって来た。
前の人が明るい悲鳴と共に遠ざかっていくのを見送り、スタッフが俺の方を向き直る。
「それでは、滑走中の注意事項をご説明しますね」
彼女が体験してきてほしいと言っていたアトラクションは、空中に張られたワイヤーロープをプーリーと呼ばれる滑車で滑り降りるジップラインだ。
やぐらの先端に立ち、プーリーの手すりを掴む。小学生くらいの子供でも遊べるアトラクションだからと安易に考えていたけれど、いざ背中を押されるとかなり怖かった。
足が宙に放り出され、身体がずんっと沈む。滑車が滑らかな音を立てて徐々に速度を上げていく。地上九メートルの高さを最高三十五キロで滑走するのは、身体で受ける風の爽快感とほんの少しの竦む思いを感じた。
上空から見渡すイルミネーションは思ったよりも幻想的で、思わず目を奪われる。下を見れば色とりどりの眩い光の群れが。そして、上を見上げれば澄み切った冬空で力強く光る満点の星々が瞬いていた。
その光景に、俺は果てしない満足感を覚える。まさか、ここまで心が揺れ動くとは思わなかったし、何よりいつも退屈に見るだけだった光が、こんなにも美しいと感じたのは初めての事だった。
この感動を、きっとスマートフォンの小さなカメラでは映し切れていないだろう。そのことが、とても悔しい。
出来ることなら、彼女とこの想いを存分に共有したかった。
分かち合えない感動というのは、実に無味だ。だから、少しでも彼女に伝わるように必死に今の想いを噛みしめて、記憶した。言葉では語りつくせない感動を、出来る限り彼女に教えてあげたかったから。
ふっと会場中の明かりが一斉に消える。あれだけいた人々の歓声もピタッと止まり、ひんやりとした静寂が一帯を包み込む。
暗がりが、やけに落ち着く。
刹那、視界が瞬いた。小さな光の粒子が無数に点灯する。まるで魔法のように、指揮棒に煽られたように、会場の左端から右端へと光の波が通り抜けた。
一つ一つの小さな光球が連なって会場の隅々まで照らし出し、まるで星空の中を揺蕩うような幻想的な風景へと様変わりする。
やがて星々は一つの大きな天体となって、会場を優美に流れる。光が織りなす、まるでアニメーションのような躍動感ある輝きに会場が湧き立つ。
目の前の輝く模造木はよく見ると、様々な色の小さなLEDが枝に括り付けられていた。
そこかしこから水蒸気の煙が噴射し、それを光球の明かりが乱反射して輝く光のカーテンを創り出す。壁面に添えられた映画館のような大きなモニターには、光をテーマにした映像が流れ出し、その眼下で光線が四方を切り裂いていた。
歓声が会場をより明るく染め上げ、一人ぼんやりとそれを眺めて写真を撮るのは疎外感を覚える。もとより、こういった催しで騒ぐタイプでは無いから、そもそも俺がここにいることが場違いだ。
こんな似つかわしくない場所でも、彼女と来ることが出来たのなら、俺はもう少し心が躍ったのだろうか。
俺の袖を引っ張り、無邪気に声を上げてはしゃぐ彼女が目に浮かんだ。人工的な明かりなんかに負けやしない、太陽のような満面の笑みで俺を照らしてくれるのだろう。
しかし、そんな夢物語は訪れない。
生きているように明滅し、光り輝くイルミネーションは彼女には明るすぎる。
皮肉な話だ。彼女は太陽のように輝いているのに、こんな小さな電球にすら身体を蝕まれてしまう。
「それではみなさん、光の旅へといってらっしゃーい!」
アナウンスが弾む声で促す。さながらテーマパークのアトラクションのようだ。
立ち止まってるのも落ち着かなくて、会場を歩いてみた。
とにかく三百六十度が光の渦で照らされている。緑黄色に輝く光の草原の先にある、長い光のアーチを越えた先は、まるで異世界のような幻想的な光景だった。
見上げるほどの大きな剣が地面に突き立ち、炎や氷、雷がせめぎ合うように火花を散らす。それら全てが、もちろんイルミネーションで再現されていた。エリアを囲うように並んだ大きな宝石の群れは、コミカルに色や形を変え、人々の感情を揺さぶる。
会場中のどこを歩いても、まさに圧巻の光景だった。人生で経験したことのない鮮やかな光のパレードに俺は声も出せず、ただひたすら写真を撮り続けた。
会場脇に列が出来ていた。それを見て、俺は彼女との会話を思い出す。
「なあ、何かやりたいこととか無いのか……?」
一粒の小さな光球がうっすらと照らす病室で、俺は彼女に尋ねる。
彼女は手元でみかんを剥きながら、うーんと口をへの字にして唸る。
「そうですねえ、光合成でしょうか」
「何言ってんだ?」
「いやいや、真面目に考えた結果ですよ。私は光合成がしたいです。そして、青々と、瑞々しく輝いていたいものです」
うっとりと妄想に耽る彼女を揶揄する気にはなれなかった。日光浴ではなく、光合成と表現するところが彼女らしい。
「それは俺が叶えてやれそうも無いな」
「おや、ついに私に尽くしてくれる気になりましたか」
「今までだって、十分わがまま聞いて来ただろ」
彼女はぺろっと舌を出す。その仕草に俺が顔をしかめると、彼女は小さく笑みを零した。
「そうでしたね。いつもありがとうございます」
言葉に詰まった。そうやって突然、真正面から感謝を突きつけられると調子が狂う。というか、感謝されなければいけない謂れは無いのだ。俺が勝手に彼女に付き添っているだけなのだから。
「で、何か無いのかよ。見たいものとか、欲しいものとか」
「うーん、そうですねぇ……。では、花火かイルミネーションが見たいです」
そんなわけで、俺は独りで寂しくイルミネーションを見に来ている。
列に並び、順番を待つ。一人で並んでいる人間は俺以外にいなそうだった。そもそも、この会場に一人で来る人間は限りなく少ないだろう。どこを見てもカップルか家族連ればかりだ。男子高校生にこの好奇な視線は辛いものがある。
「ここのイルミネーションはですね、何と三年連続日本一位のイルミネーションらしいんですよ」
雑誌をバサッと開き、彼女が指を差す。見れば、すごく近場だった。バスで三十分も揺られれば着く距離だし、何よりその場所はここら辺じゃ結構有名なレジャー公園だ。
イルミネーションが有名なことは初耳だったけど。
「じゃあ、行って写真でもちゃちゃっと撮って来るか」
善は何とやら。今日はバイトも無いし、今病院を出れば着くころにはちょうど空が暗くなる時間帯だ。
「写真だけじゃなくて、ちゃんと感想も持って帰ってきてくださいね」
「あんま期待すんなよ。俺はロマンチストじゃねえんだ」
「では、アトラクションにでも乗ってきてください。これも気になっていたんですよね」
そう言い、彼女はびりっと雑誌からページを破って俺に手渡す。
わざわざ、破んなくてもいいだろ、という返しはチープに思えて口を閉ざした。
列が進み、受付が見えてくる。
「大人一人……お願いしゃす」
「はい、おひとり様ですね。それではこちらの用紙に記入をお願いします」
手渡された紙には、この手のアトラクションでよくあることが書かれていた。要するに、本アトラクションで起こった事故や怪我は責任を負いかねますよ、というやつだ。
注意事項を流し見して、ペンを走らせる。
「あの、確か滑走中にセルフィ―で動画撮れる機材を貸してもらえるって聞いたんすけど」
「はい、大丈夫ですよ。ご用意しますね」
聞けば、結構な頻度で貸し出されているらしい。所謂、SNS映えの映像や写真を求めて来客する人たちも多いようだ。
多分、俺もその一人と思われたのだろう。綺麗に映るポイントや露光設定などを説明されたが、よく分からなかった。
ヘルメットを被り、ハーネスをつける。どちらも人生において経験なんて滅多に無いから、割と落ち着かない。木造りの見晴らし台を登り、順番がやって来た。
前の人が明るい悲鳴と共に遠ざかっていくのを見送り、スタッフが俺の方を向き直る。
「それでは、滑走中の注意事項をご説明しますね」
彼女が体験してきてほしいと言っていたアトラクションは、空中に張られたワイヤーロープをプーリーと呼ばれる滑車で滑り降りるジップラインだ。
やぐらの先端に立ち、プーリーの手すりを掴む。小学生くらいの子供でも遊べるアトラクションだからと安易に考えていたけれど、いざ背中を押されるとかなり怖かった。
足が宙に放り出され、身体がずんっと沈む。滑車が滑らかな音を立てて徐々に速度を上げていく。地上九メートルの高さを最高三十五キロで滑走するのは、身体で受ける風の爽快感とほんの少しの竦む思いを感じた。
上空から見渡すイルミネーションは思ったよりも幻想的で、思わず目を奪われる。下を見れば色とりどりの眩い光の群れが。そして、上を見上げれば澄み切った冬空で力強く光る満点の星々が瞬いていた。
その光景に、俺は果てしない満足感を覚える。まさか、ここまで心が揺れ動くとは思わなかったし、何よりいつも退屈に見るだけだった光が、こんなにも美しいと感じたのは初めての事だった。
この感動を、きっとスマートフォンの小さなカメラでは映し切れていないだろう。そのことが、とても悔しい。
出来ることなら、彼女とこの想いを存分に共有したかった。
分かち合えない感動というのは、実に無味だ。だから、少しでも彼女に伝わるように必死に今の想いを噛みしめて、記憶した。言葉では語りつくせない感動を、出来る限り彼女に教えてあげたかったから。