結局、事の顛末を見届けた大森の話によれば、ひったくり犯がひったくった鞄は死んだ妻の鞄だったそうだ。
数年前、強盗が入り殺された奥さんに誕生日プレゼントとして渡したその鞄をたまたますれ違った女が使っていた。それを見た衝動でひったくりに及んだらしい。それが真昼間の犯行理由だった。

ブランドで、オーダーメイドも承っているそのショップで、寄り添ってくれる妻へのサプライズとしてオリジナルの革ストラップも付けてもらったらしい。
世界でひとつしかないはずの鞄。だからこそ、ひったくり犯はその女の鞄が妻のものだとわかった。

オーダーメイドということで、直ぐに確認が取れ、製造番号からもひったくり犯が購入した鞄だと判明した。

対して被害者女性は、知らない、中古ショップで買った、と繰り返していたが、このままだと強盗殺人の罪に問われる可能性がある、と告げれば、恋人と2人で強盗に入ったと自供したそうだ。
自分が欲しかったハイブランドのものだったこともあり、売るに売れず、自分で使っていたそうだ。
殺したのは彼だ、私は違う、と言っているが、真相はまだ調査中だ。

「……本当にあの少年が言った通りだったな。」
「証拠能力がないって言った少年ですよね?」
「ああ、このひったくり犯は捕まっても良かった。鞄さえ警察に押収されれば、奥さんを殺した犯人の証拠になる。……そう考えたんだろ。まあ、あの鞄が駄目でも今回は犯人の自供が取れたから他の証拠でなんとか起訴は出来んだろ。」

末恐ろしいガキが居たもんだ、といつもの缶コーヒーを一気に煽る。
結局あのガキに何故事件の全貌がわかったのか、俺にはわからなかった。

頭がいい、だけで済むような話ではない。
いっそ気持ちが悪いレベルだ。

(まぁ、もう会うことはねぇだろ。)

なんて、この時は思っていた。

「……え、鳥夢高校に潜入する?」
「潜入っつっても中ちょっと見て回るくらいだ。校長には話通してあるし、防火機器の点検職員として入り込む。」
「えぇ……それ、里田に気づかれたりしたら危ないんじゃ……」
「馬鹿野郎。刑事に危なくねぇ仕事なんざねぇよ。」

渋る大森にそう言えば「それはそうですけど……」と眉尻を下げる。

「……正直、俺は反対です。チャトランガという組織が本当に存在するかどうかを別としても、里田達の不良グループはただでさえ青龍が傘下に加わったことで規模を増しています。今、代田さんが無茶をする必要は……」
「バーカ。里田のグループがでかくなり、この辺りをシマにしてるヤクザの紅葉組が、ガキ共を邪魔に思ってる。ガキが犯罪に巻き込まれちまったら遅いだろうが。」

俺たち生活安全課は子供の未来を守るための部署だ。
だからこそ、ここで多少の無茶をしなくては。

(……とはいえ、1人で乗り込むのに刑事だってバレたら私刑(リンチ)食らうだろーな……)

だが、そんなことこのナヨナヨの新人である大森に言えば鼻水垂らして泣きわめくだろうから黙っておく。
ただ、同期にだけは何かあった時に頼む、とメールを打ってこう。


****

「……おいおい、さすが有名な進学校は違うな。」

ドーンとそびえ立つその校舎に、思わず目を剥いた。綺麗に整備されているその校舎は大きく、3棟も並び立っているのだから相当敷地も広いのだろう。

「……これは迷子になりそうだな。」

ただでさえ生徒の数も多いこの鳥夢高校。生徒の何人が里田のグループに所属しているかも調べなくては。

架空の会社のロゴが入ったキャップを被り直し、しっかりとしたその校門をくぐり抜けた。

こんにちはー、なんて声をかけてくれる生徒たちに挨拶を返しながら、点検しているフリをしつつ、各校舎、各教室をチェックしていく。
やはり、不良のたまり場となりつつある林懐高校とは違い、授業をサボって廊下に屯っても居なければ堂々と煙草を吹かすガキもいない。

授業が始まれば校舎内は静まりかえり、教鞭を取る教師の声だけが聞こえる。

(……同じガキでもここまで違うもんなんだな……)

なんて、よく警察に世話になっているやんちゃ坊主共を思い出しながら、次の校舎に向かおうとしたその時。

「おーい!里田!」
「あ?んだよ。」

(槍の里田……!)

今回の対象である里田大樹が、他の生徒に呼び止められているのが見えた。

「ほらよ、先生がこれ渡せってさ。」
「おー、サンキュー。」

そんな当たり障りのない会話。話しかけた生徒は深く仲がいいわけでもないようだが、里田に怯えている様子もない。

(……進学校に不良なんて、もう少し浮いてるかと思ったんだが……)

意外にも里田は授業態度もよく、ほとんどサボることもしない。まあ、他の生徒に比べれば多少サボることもあるようだが。

それに、担任からの話によれば、里田は常にテスト上位にいる成績優秀者らしい。
そのため、ピアスや染髪に関して教師も強く言えないという話だった。

(……ま、ピアス開けなくて髪染めなければ頭良くなんのかっつったら別の話だからな。)

元々日本はその辺の規制が厳しいが、学問に影響があるのか、といえばそれはまた別の問題だ。

(……だが、この里田に野々本が負けたとして、あれだけ血の気が多いと騒がれていた野々本が傘下に下るか?)

正直、人を引っ張るだけのリーダー性はあるのだろうが、人を惹きつけるカリスマ性が強いか、と言われるとそうは思えない。
交友関係が広く、人に好かれる質なのは見てればわかる。だが、何かがピンとこない。
微妙に噛み合わない歯車が、違和感を訴えている。

「あ、刑事さん。」
「……は?」

不意に後ろから聞こえたその声に身構える。

「お前は、確か……」

警戒しつつも振り返れば、そこに居たのは2日前のひったくり事件で出会ったあの少年が立っていた。
その少年はしっかりとここの制服を着こなしている。
学生だろうとは思っていたものの、まさかこの学校だとは思っていなかった。

「お前もこの学校の生徒だったのか。」
「はい。2年生の芝崎です。刑事さんはお仕事ですか?」
「……あー、まあ、似たようなもんだ。内密にな。」
「そうですか、お疲れ様です。」

まあ、あのひったくり事件の全貌を瞬時に理解した少年だ。あれほどの頭の回転の速さなら進学校にいても何も不思議じゃない。

「そういや、あのひったくり犯。お前の推測通り、あの鞄を証拠として盗もうとしたそうだ。」
「そうですか。推測なんて言うほどのものではないですが……」

そう謙遜する少年。
今、彼は推測なんて言うほどのものでもないと言った。それは彼の頭脳からしてみればわかって当然の事だったのかもしれない。

「なあ、お前どこまでわかってたんだ?」

会った日からずっと思っていたその疑問。
今回の調査には掠りもしない案件だが、せっかく少年と再会したのだ。
純粋に知りたかった。

「どこまで、と言われましても……あ、でも形見がひったくり犯さんに戻ったのは少なくとも嬉しく思いますよ。」

形見。当然かのように、この少年はそう言った。
あの鞄が犯人の奥さんのものであること。その奥さんが亡くなっているということ。それらも全てわかっていた、ということか。

(……本当に、末恐ろしいガキだ。)

そうか、なんて適当な相槌が口からこぼれる。いや、それしか口から出てくる言葉が無かった。

(……2年てことは17歳か。)

17歳でこれだけの観察眼と推察力。そして頭の回転の速さ。
むしろ、このガキの方が、里田よりはカリスマ性がありそうだ。

(……こいつと里田の繋がり、調べてみるか。)