青龍が声明を出してから迎えた初めての週末。
俺と大森は鳥夢高校の里田大樹を調べるために、聴き込みに回っていた。
「槍の里田……本当に鳥夢高校の生徒だったんですね。」
「ああ、そんだけ勉強できる癖になんで不良なんてやってんのかね。」
わかんねぇな、と手帳のページをボールペンで突く。
成績も常に上位らしく、素行に多少の問題はあるものの、学校生活は基本的に大人しいものだった。
だが、不良たちの中で里田大樹はかなり有名で、喧嘩の強さや不良グループの規模もかなりのものだ。
槍の里田という2つ名は中学生のころ、当時校内に飾られていた槍のレプリカを勝手に持ち出し、敵対していた不良達をそのレプリカでボコボコにした1件により付いたものらしい。
シヴァ様、とか言うやつとの繋がりは見つからなかった。
(……実際にチャトランガの幹部が何人いるのか、サーンプとかいう人物も本当にいるかどうかわからないのが現状だ。なら、槍が三叉槍のことかと結びつけるのは些か強引か……)
なんて、頭を悩ませていたその時、
「きゃー!ひったくりよー!」
という絹を裂いたような悲鳴が辺りに響いた。
その瞬間大森とともに、声のした方角へと走り出す。
幸い近くでの犯行だったため、犯人は直ぐに見つかった。「退け退けぇ!!」と通行人にぶつかるのもお構い無しに走る犯人。
そんな犯人の行先に、1人の少年が立っていた。
犯人がぶつかれば簡単に吹っ飛びそうな、細身の少年。
しかし、その少年はただ犯人を見やるだけで何もアクションを起こさない。
ただ、犯人を見ている。
「どけぇ!!」
と犯人が叫んだ。それでも、動かない。
まるで、道を塞ぐように。
「くそっ……!」
悪態をつきながらも、犯人目掛けて走れば、あまりにも堂々と立ち塞がる少年に、僅かに動揺したのか犯人の動きが一瞬、止まった。
「10時23分、現行犯逮捕!」
その一瞬を逃さず、犯人と少年の間に割り込み、拘束する。腰にある手錠を手探りに取り出して、カチッとひったくり犯の手首に手錠が嵌めれば、犯人は諦めたように大人しくなった。
そこで一息付き、少年の方を見遣れば、少年は変わらず何も映さない表情で犯人を見ていた。
突然の逮捕劇にも動揺した様子がない。
(……おいおい、まさかこの小僧。俺ら警察が近くにいるの分かってたのか?)
俺たちが追いつくために僅かに足りない時間を立ち塞がって稼ぎ、同時に犯人に隙を作った。
それをこんな高校生くらいのガキが考えて行ったのだとしたらとんでもないガキだ。
(……まあ、偶然だろうな。)
犯人が人を傷つけることを厭わない人間なら立ち塞がる少年に動揺なんてしなかっただろうし、偶然そうなっただけだろう。
なんて、この時の俺はそう思い、ひとまず少年に
「おい、坊主。怪我はねぇか?」
と、声をかけた。
しかし少年はそれには答えず、フッと微笑み、
「犯人さん。盗品に証拠能力はありませんよ。」
なんて、犯人に声を掛けたのだ。
「……は?」
この少年が違法収集証拠排除法則(※証拠の収集手続きが違法であった場合、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理)を知っていたことも驚きだが、それ以前に、何故今その事を犯人に教えたのか。
(いや、そもそもこいつは何故この時間帯にひったくりなんてしたんだ?)
ひったくり犯は人気の無い道、時間帯を選んで犯行に及ぶことが多い。
それに比べてここは人通りが多いし、真昼間だ。まるでこの鞄さえ取れれば、捕まっても良かったかのような犯行だ。
「……そ、うですか……そうか……盗品は、証拠にならないのか……」
(……おいおい、ただビビって動けねぇガキじゃねぇのかよ。)
地面に押さえつけられている犯人が、ボロボロ泣き始める。それはつまり、犯人はこの鞄が何かの証拠になると分かって盗んだ、ということだ。そして、それが証拠にならないと知って絶望するほどの重大な証拠。
ちらりと被害者女性に視線を向ければ、その顔色は酷く蒼白で、今にも逃げ出したいと訴えている。
だが、逃げないのはこの鞄を回収したいから、と言った所か。
どちらにせよ、この野次馬だらけの民衆の中、取り調べる訳にもいかない。
「おい、大森!こいつ連れてけ!被害者の方もな!」
「は、はい!」
既に応援は呼んであったので到着したパトカーに、犯人と被害者女性を連れていく。
まるでどちらも犯人かのような面持ちでそれぞれのパトカーに乗り込み、連行されていった。
「おい、改めて聞くが怪我はねぇな?坊主。」
そう、尋ねれば、今度は
「はい。刑事さんが助けてくれましたから。」
ちゃんと答えが返ってきた。
しかし、釣り上げた口角はどこかいたずらっ子のような笑み。偶然なんかじゃない。偶然なんかであるものか。
この少年は警察が近くにいることをわかった上で、あえて立ち塞がったのだろう。
それに、他にもこの少年には疑問が残る。
「はぁー……お前、なんであんなこと言ったんだ?」
「あんな事、ですか?」
わざとらしくキョトンとした顔を向ける少年。
「『盗品に証拠能力がない』ってやつだ。」
そう改めて言ってやれば、少年は笑みを浮かべたまま、何も言わない。俺はそのまま言葉を続ける。
「犯人の反応を見る限り犯人はあれを何かしらの証拠として盗もうとしたんだろ。なんでわかった?」
そう、俺は犯人の反応でそれが本当だとわかった。だが、犯人がひったくりを起こし、その犯人が自分の元へ走ってくるまでのあの数十秒で、どうしてそれがわかったのか。
それが俺にはどうしてもわからなかった。
「たまたまですよ。」
しかし、少年は微笑んだまま、そんなふざけた回答を投げてきやがった。
たまたまなものか。偶然でそんな的確なセリフが出てくるはずがない。
「ハッ。そういうことにしといてやるよ。」
まあ、悪いやつではなさそうだし、犯人逮捕に貢献したことは間違いない。
ここは見逃してやるか。
「……ま、犯人の前に立ちはだかるなんて無謀なこともうすんじゃねーぞ。」
それだけは注意して、じゃーな、なんて手を振ってその場を後にする。
そう、本来犯人の前に立ち塞がるなんて、子供がやっていいことでは無い。
仮に犯人が凶器を持っていたら。
警察が近くにいなかったら。
あの少年だって無事では済まなかった。
(……まあ、本人も分かっていたからあんなことしたんだろーがな。)
犯人が凶器を持っていない、と。
押しのけることはしても大きな危害は加えない、と。
「……変なガキだったな。」
俺は口に咥えた煙草にライターを近づけた。
俺と大森は鳥夢高校の里田大樹を調べるために、聴き込みに回っていた。
「槍の里田……本当に鳥夢高校の生徒だったんですね。」
「ああ、そんだけ勉強できる癖になんで不良なんてやってんのかね。」
わかんねぇな、と手帳のページをボールペンで突く。
成績も常に上位らしく、素行に多少の問題はあるものの、学校生活は基本的に大人しいものだった。
だが、不良たちの中で里田大樹はかなり有名で、喧嘩の強さや不良グループの規模もかなりのものだ。
槍の里田という2つ名は中学生のころ、当時校内に飾られていた槍のレプリカを勝手に持ち出し、敵対していた不良達をそのレプリカでボコボコにした1件により付いたものらしい。
シヴァ様、とか言うやつとの繋がりは見つからなかった。
(……実際にチャトランガの幹部が何人いるのか、サーンプとかいう人物も本当にいるかどうかわからないのが現状だ。なら、槍が三叉槍のことかと結びつけるのは些か強引か……)
なんて、頭を悩ませていたその時、
「きゃー!ひったくりよー!」
という絹を裂いたような悲鳴が辺りに響いた。
その瞬間大森とともに、声のした方角へと走り出す。
幸い近くでの犯行だったため、犯人は直ぐに見つかった。「退け退けぇ!!」と通行人にぶつかるのもお構い無しに走る犯人。
そんな犯人の行先に、1人の少年が立っていた。
犯人がぶつかれば簡単に吹っ飛びそうな、細身の少年。
しかし、その少年はただ犯人を見やるだけで何もアクションを起こさない。
ただ、犯人を見ている。
「どけぇ!!」
と犯人が叫んだ。それでも、動かない。
まるで、道を塞ぐように。
「くそっ……!」
悪態をつきながらも、犯人目掛けて走れば、あまりにも堂々と立ち塞がる少年に、僅かに動揺したのか犯人の動きが一瞬、止まった。
「10時23分、現行犯逮捕!」
その一瞬を逃さず、犯人と少年の間に割り込み、拘束する。腰にある手錠を手探りに取り出して、カチッとひったくり犯の手首に手錠が嵌めれば、犯人は諦めたように大人しくなった。
そこで一息付き、少年の方を見遣れば、少年は変わらず何も映さない表情で犯人を見ていた。
突然の逮捕劇にも動揺した様子がない。
(……おいおい、まさかこの小僧。俺ら警察が近くにいるの分かってたのか?)
俺たちが追いつくために僅かに足りない時間を立ち塞がって稼ぎ、同時に犯人に隙を作った。
それをこんな高校生くらいのガキが考えて行ったのだとしたらとんでもないガキだ。
(……まあ、偶然だろうな。)
犯人が人を傷つけることを厭わない人間なら立ち塞がる少年に動揺なんてしなかっただろうし、偶然そうなっただけだろう。
なんて、この時の俺はそう思い、ひとまず少年に
「おい、坊主。怪我はねぇか?」
と、声をかけた。
しかし少年はそれには答えず、フッと微笑み、
「犯人さん。盗品に証拠能力はありませんよ。」
なんて、犯人に声を掛けたのだ。
「……は?」
この少年が違法収集証拠排除法則(※証拠の収集手続きが違法であった場合、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理)を知っていたことも驚きだが、それ以前に、何故今その事を犯人に教えたのか。
(いや、そもそもこいつは何故この時間帯にひったくりなんてしたんだ?)
ひったくり犯は人気の無い道、時間帯を選んで犯行に及ぶことが多い。
それに比べてここは人通りが多いし、真昼間だ。まるでこの鞄さえ取れれば、捕まっても良かったかのような犯行だ。
「……そ、うですか……そうか……盗品は、証拠にならないのか……」
(……おいおい、ただビビって動けねぇガキじゃねぇのかよ。)
地面に押さえつけられている犯人が、ボロボロ泣き始める。それはつまり、犯人はこの鞄が何かの証拠になると分かって盗んだ、ということだ。そして、それが証拠にならないと知って絶望するほどの重大な証拠。
ちらりと被害者女性に視線を向ければ、その顔色は酷く蒼白で、今にも逃げ出したいと訴えている。
だが、逃げないのはこの鞄を回収したいから、と言った所か。
どちらにせよ、この野次馬だらけの民衆の中、取り調べる訳にもいかない。
「おい、大森!こいつ連れてけ!被害者の方もな!」
「は、はい!」
既に応援は呼んであったので到着したパトカーに、犯人と被害者女性を連れていく。
まるでどちらも犯人かのような面持ちでそれぞれのパトカーに乗り込み、連行されていった。
「おい、改めて聞くが怪我はねぇな?坊主。」
そう、尋ねれば、今度は
「はい。刑事さんが助けてくれましたから。」
ちゃんと答えが返ってきた。
しかし、釣り上げた口角はどこかいたずらっ子のような笑み。偶然なんかじゃない。偶然なんかであるものか。
この少年は警察が近くにいることをわかった上で、あえて立ち塞がったのだろう。
それに、他にもこの少年には疑問が残る。
「はぁー……お前、なんであんなこと言ったんだ?」
「あんな事、ですか?」
わざとらしくキョトンとした顔を向ける少年。
「『盗品に証拠能力がない』ってやつだ。」
そう改めて言ってやれば、少年は笑みを浮かべたまま、何も言わない。俺はそのまま言葉を続ける。
「犯人の反応を見る限り犯人はあれを何かしらの証拠として盗もうとしたんだろ。なんでわかった?」
そう、俺は犯人の反応でそれが本当だとわかった。だが、犯人がひったくりを起こし、その犯人が自分の元へ走ってくるまでのあの数十秒で、どうしてそれがわかったのか。
それが俺にはどうしてもわからなかった。
「たまたまですよ。」
しかし、少年は微笑んだまま、そんなふざけた回答を投げてきやがった。
たまたまなものか。偶然でそんな的確なセリフが出てくるはずがない。
「ハッ。そういうことにしといてやるよ。」
まあ、悪いやつではなさそうだし、犯人逮捕に貢献したことは間違いない。
ここは見逃してやるか。
「……ま、犯人の前に立ちはだかるなんて無謀なこともうすんじゃねーぞ。」
それだけは注意して、じゃーな、なんて手を振ってその場を後にする。
そう、本来犯人の前に立ち塞がるなんて、子供がやっていいことでは無い。
仮に犯人が凶器を持っていたら。
警察が近くにいなかったら。
あの少年だって無事では済まなかった。
(……まあ、本人も分かっていたからあんなことしたんだろーがな。)
犯人が凶器を持っていない、と。
押しのけることはしても大きな危害は加えない、と。
「……変なガキだったな。」
俺は口に咥えた煙草にライターを近づけた。