コンビニの前で自転車を停めると、大晴は「ちょっと待ってて」と、ひとりで店の中へと入っていった。それから数分も経たないうちに、ガリガリくんを三本持った大晴が店から出てくる。

「はい、これ」

 大晴はわたしと蒼月にガリガリくんをひとつずつ手渡すと、自分の分の袋を開けてかぶりと囓る。その様子を茫然と見ていると、大晴が「食わないの?」と不思議そうに聞いてきた。

「早くしないと、この暑さじゃすぐ溶けるよ」
「わかってるけど……。大晴が呼び出したのって、まさかみんなでアイスを食べるためじゃないよね……?」

 念のためにと思って尋ねると、「まさか」と大晴が笑った。
 
 大晴に呼び出された理由は、みんなでアイスを食べるためでもなければ、わたしから告白の返事を聞き出すためでもない。じゃあ、何のために――?

 袋を開けてガリガリくんの角を齧りながら考えていると、大晴がわたしと蒼月を交互に見て、悪戯っぽく目を細める。それから唐突に、

「夏休みに、なんか思い出残さない?」

 なんて青春ドラマみたいなセリフを吐くから、危うく手の中からガリガリくんを滑り落としそうになった。

「え、なに?」
「ん? だから、夏休みにおれたちでなんか思い出作りたいなーって思って」
「思い出……」

 突然妙なことを言い出した大晴に、理解が追いつかずにぽかんとなる。

 大晴とは長い付き合いだ。子どもの頃から、もう何回も彼のいる夏休みを過ごしてきているが、「思い出残さない?」なんて改まって誘われたことは一度もない。だからこそ、何を今さらと思ってしまう。

 ジージーと五月蠅い蝉の音に混じって、カリカリと氷の削る音が聞こえてくる。横を見ると、蒼月が無表情でガリガリくんを咀嚼していた。

 大晴の発言に少しも反応しないところを見ると、蒼月はここに来るまでに大晴から「夏休みの思い出作り」について、既になにか聞かされていたのかもしれない。

 でも、仮に大晴が本気で夏休みの思い出を作りたいと思っているのだとして……。どうして、わたしだけじゃなく蒼月まで誘ったのだろう。

 単純に高校時代の夏休みの思い出を作りたいだけなら、わたしとふたりだけでもよかったはずだ。わたしに告白してきたときだって、大晴は「夏休み中にデートしたい」と言っていた。大晴が真面目に告白をしてくれたから、わたしだって真剣に返事をしなければと悩んだのに……。あの告白は本気ではなかったのだろうか。よく、わからない。

 時間差でアイスクリーム頭痛がきて、頭がキーンとした。

「思い出って、たとえばなに? 海に行くとか、花火するとか?」

 片手でこみかめを押さえて聞くと、大晴がアイスを齧りつつ「うーん」と唸る。

「海とか花火も悪くないけど、そういうんじゃないんだよなー。ほら、おれらもう高二だし、来年は受験生じゃん? 高校はたまたま三人一緒のとこに行けたけど、大学はさすがに別々になるだろ。だから、なんか青春っぽい思い出残しときたいなーって。昨日の夜、寝る前にふっと思ったんだよね」
「海も花火も、青春っぽいじゃん」
「そうだけどさ……」

 わたしの言葉に、大晴が少し不満そうな顔でガリガリとアイスの氷を噛み砕く。

 わたしは、大晴の気まぐれで呼び出されたのか……。

 不満顔の大晴を見つめながら、わたしは複雑な気持ちになっていた。大晴は昔から、少し自由奔放なところがある。

 一緒に遊ぶ約束をしていても、ほかにおもしろいことが見つかればそっちに行ってしまうことなんてしょっちゅうだったし。好奇心が旺盛で気まぐれ。

 大晴の性格なんてよくわかっているつもりだったけど、さすがに……。告白の返事をするために昨日の夜から気を張り続けていたわたしは、自分がものすごくムダな時間を過ごしたような気持ちになってしまう。

 溶け始めてきたアイスの甘い水滴を舐めて、完全に溶け切る前にと、少し不貞腐れた気持ちで残りをサクサクと食べる。

 全員がアイスを食べ終わると、タイミングを待っていたように大晴が口を開いた。

「あのさ、夏休みにおれらで映画撮ってみない?」
「映画?」
「そう。映画撮って、十月の文化祭で上映すんの」
「なんで、急に?」

 また、唐突だな。

 眉をしかめるわたしに、大晴が大きく口を横に広げて笑ってみせる。

「実はさ、最近テレビで見たんだよ。なんかの映画祭で賞取った高校生のドキュメンタリー。その人、小学生くらいから映画撮ってたんだって。しかも、スマホ一本で。すげぇなって思って。それ見てたら、おれも、死ぬまでにひとつくらい、世に何かを残しておきたいなーって思っちゃったんだよね」

 なるほど。どうやら大晴は、そのドキュメンタリーに出てきた高校生に感化されたらしい。

「大晴、死ぬの?」

 世に何か残しておきたいなんて。いきなり中二病みたいなことを言い出した幼なじみに冷静につっこむと、大晴が子どもみたいに口を尖らせた。

「いや、死ぬとかじゃないけどさ」
「大晴、そんな熱い男だったっけ」
「大晴は熱いんじゃなくて、たまに、すごく暑苦しいだけだよ」

 それまでわたし達の話を黙って聞いていた蒼月が、横からぼそっと低い声で口を挟む。
 
 たまに、すごく暑苦しいだけ。そう言った蒼月が無表情のままだったから、わたしは思わず吹き出してしまった。

 幼稚園の頃からおとなしかった蒼月にしてみれば、持ち前の明るさと気まぐれに周囲を自然と巻き込んでいく大晴は、ときに暑苦しかったことだろう。

「暑苦しいってなんだよ」
「いい意味で、だよ」
「どのへんが?」
「全部」

 不貞腐れた大晴と冷静な蒼月との少しズレた会話に、ふふ、っとまた笑ってしまう。そうしているうちに、炎天下の中待たされた不満や期待はずれな展開にガッカリしていた気持ちが昇華されて消えていく。

 いつまでも笑いを収められずにいると、大晴が不貞腐れたような目でこちらを見てきた。

「笑いすぎ」
「ごめん。で、映画撮るのはいいけど、素人でも大丈夫なの? その高校生みたいにスマホで撮影するんだとして、脚本は? 監督は?」

 ドキュメンタリーの高校生に影響されて「映画を撮って文化祭で上映しよう」なんて具体的な提案をしてくるくらいだから、大晴の中でめくるめく構想でもあるのだろう。そう思って尋ねたら、大晴の顔が微妙に歪んだ。昔から何度も見たことがある。授業中、何も考えてないときに先生に当てられて、やべっと思ってるときの顔だ。

「それはほら、これからみんなで適当に考えてけばいいんじゃない?」
「適当なの?」

 わざわざこんなところまで呼び出しておいて、なんだそれは……。

 蝉の鳴き声がジージーと、それまでよりもいっそう大きく聞こえ始め。ガリガリくんのおかげでほんの一瞬クールダウンしていた体がまた、熱くなってくる。

 昨日の夜の電話も、今日の待ち合わせも、映画を撮ろうという提案も。全部適当な思いつきだというのなら、ほんとうに勘弁してほしい。

「わざわざ出てきて損した。具体的なプランがないなら、もう帰っていい?」

 わたしだって暇なわけじゃない。夏休みの課題にはまだ少しも手を付けられていないし、午後からは部活に行かなければいけない。ちなみに、わたしの所属はバドミントン部だ。うちの高校のバドミントン部は特別強いわけではないけれど、いちおう一週間後には地区の試合への出場が決まっている。

 コンビニの入り口前のゴミ箱に、食べ終えたガリガリくんの袋と棒をぽいっと投げ込む。

「アイス、ありがとう」

 暑い中長時間待たされて具体的なプランもない映画撮影の話をされた身としては、ソーダ味のアイスバーを一本奢ってもらったくらいではまったく割に合わないけれど……。いちおうお礼を言ってから帰ろうとすると、「いやいや、ちょっと待ってよ」と大晴に引き止められた。

「具体的なプランはまだないけど、おれ、本気で陽咲と蒼月といっしょに映画撮りたいって思ってるよ。記憶はいつか曖昧になるけど、記録は後にも残るだろ」

 マジメな顔で真剣に語る大晴が可笑しい。「何言ってんの」と呆れ顔でからかえば、映画を撮りたいという大晴の話は、いつかの未来で笑いのネタにでもなるのだろうか。

 だけど……。記憶はいつか曖昧になる。真剣な目でわたしを見つめる大晴の言葉が、どうしてか心に引っかかる。

「記録を残してどうするの」 
「どうもしない。ただ、残せたらいいんだ」

 大晴が、ふっとため息をこぼすように笑う。どこか翳りのある大晴の笑顔に、胸がドクンと鳴った。

「陽咲と蒼月は、暇なときにちょっと協力してくれればいいよ。夏休みのあいだ、おれのプロジェクトに付き合ってよ」

 大晴が、にかっと、少しいたずらっぽい笑顔をみせる。小さな頃から見慣れた笑顔に、今はもう翳りはない。大晴の笑う顔は、夏の太陽に似ている。

 暑くて、容赦なくて。ときにそのまま、飲み込まれる。

「僕は、べつにかまわないよ」

 大晴を見つめるわたしの耳に、ふと蒼月の声が届いた。

「大晴と陽咲がやるなら、やってもいい」

 食べ終えたアイスの棒を指先でクルクルと弄びながら、蒼月がどうでもよさそうな声で言う。蒼月のその言葉を聞くのは、小学生のとき以来かもしれない。

 生まれた頃からきょうだいのように過ごしてきたわたしと大晴は、基本的にお互いに対して遠慮がなかったし、意見が合わなくてケンカすることもあった。そんなとき、わたしと大晴を諫めてくれるのが蒼月の役割だった。

『大晴と陽咲がやるなら――』

 そんなふうに言われると、わたしと大晴のどちらかが折れないと仕方なくなる。今回折れなければいけないのはきっと……。

「蒼月はおれに付き合ってくれるみたいだけど、陽咲はどうする?」

 蒼月を味方につけた大晴が、笑顔で圧をかけてくる。

「……、わかった。わたしも付き合う」

 ため息をこぼしつつ頷くと、大晴が「じゃあ、決まり」と満足そうに口角を引き上げた。