十七時ちょうどにふたり揃ってレジに立って、そろそろ七分。レジ周りの雑事も終わり手持無沙汰になったらしい瀬尾が、とうとうというふうに話しかけてきた。
「あー……、最近、どうなんすか、お友達」
会話が見つからず、気を使って話のネタを引っ張り出した結果、とんでもねぇもの出したな、みたいな第一声だったわけだが、「うん」と俺は頷いた。
「そうだな、えーっ……と」
あんな場面に遭遇させてしまった以上、気になる気持ちはよくわかる。だが、しかし。
――俺がなにも言ってないからさぁ、瀬尾に言えるような変化なんて、なにもないんだって。
はっきりと物を申した結果としての変化があれば、胸を張って言えるのだが。つまり、そういうことである。
日和見な自分にうんざりとしつつ、俺は辻くんに聞いた話を思い浮かべた。
――俺がサボったあと、野井と犀川がからかいすぎたかなって言ってたって聞いたけど。でも、それだけで、俺が直接なにか言われたわけでもないし。
よほど俺が情けなく見えたのか、文化祭の準備期間中以来、辻くんはたまに話しかけてくれるのだ。
陽キャのハッピーシーズンのおける、俺の唯一のプラスの成果。そんなことを考えながら、俺は苦笑まじりに言い足した。
「まぁ、べつに、ふつうっていうか。……うん、ふつう」
「ああ、……じゃあ、よかったっすね」
「うん」
笑ったものの、どうにも空気がぎこちない。
瀬尾がバイト先に入って五ヶ月以上は経つわけだけど、これだけぎこちないのは初日以来じゃないかな、と思う。
それで、あのときと決定的に違うのは、瀬尾も沈黙が落ち着かない様子であることだ。
いや、まぁ、落ち着かないのはわかるよ、うん。むしろ、あの当時のきみ、よく平然とした顔してたよね。内心でわざと茶化すようなことを言い、以前どおりを装って話題を振る。
「瀬尾はさ、日向のどういうとこが好きなの?」
「え、なんで?」
「いや、瀬尾と日向もべつにタイプは違うよなと思って」
「ああ、まぁ。……うん」
俺と野井たちをタイプを違うと評したことを思い出したのか、納得したように呟いて、「でも、わりと単純かも」と瀬尾は答えた。
「単純?」
調子を取り戻した雰囲気にほっとして、問い重ねる。
喧嘩もしていないようでなによりだ。まぁ、喧嘩になるようなことではないと思っていたけれど。
「うん。日向、多野以外に興味ないから。俺がどれだけモテても『やべ』って笑うだけで、なにも言わないんだよね。正直、すげぇ楽。マジ多野感謝」
らしいと言えばらしすぎる理由に、自然と笑い声がこぼれた。
瀬尾が懐く理由は、本当にけっこうわかりやすい。改めて、俺は思った。王子としてではなく、瀬尾個人として認識することができたら、それでオッケー。
たまたまできたから、俺は瀬尾と仲良くなった。でも、それも、日向の兄貴というオプションがあったからかもしれない。つまり、日向がつくっていた信頼におんぶにだっこだったってこと。
……いや、さすがに卑屈すぎない、これ。
思い浮かんだ自虐に、はは、誤魔化すように俺はもう一度笑った。
沈黙が嫌いだから適当に会話をすることは得意だし、愛想笑いだって得意なつもりだ。実際、ほら、ちょっと空気もゆるんだし。こんな感じで今日も適当にやり過ごせたらいいなぁと願っていると、瀬尾が口を開いた。
「あの、先輩」
「ん?」
「いや、このあいだ……」
瀬尾がそう言いかけた瞬間、紙袋を持ったおばあちゃんが、申し訳なさそうにレジの前にやってきた。
「お仕事中にごめんなさいね。コピー機の使い方を教えてほしいんだけど、お願いできるかしら」
「ああ、はい。いいっすよ」
どっちが行くというような目線のやりとりをすることもなく、瀬尾がレジカウンターの外に出る。
いや、本当、人が良いよ、こういうとこ。だから、日向にも怒ってくれたのだとわかるけど。ひとりになったレジで、俺はひっそりと息を吐いた。
――そもそもだけど、俺、「ありがとう」もなにも言ってないんだよな。
おまけに、変なところしか見せていない。瀬尾が気まずそうだった理由はわからないけれど、口を出しすぎたと思っているのかもしれない。
本当に人が良すぎやしないだろうか。店の奥のコピー機の前でおばあちゃんを手伝う瀬尾の背中から、俺はそっと目を外した。
人が良くて、面倒見も良い。だから、瀬尾は、偽装彼氏の役割として、あたりまえに俺と一緒に帰ってくれていた。
本屋で変な人に絡まれることがひさしぶりだと感じた理由。
「……甘えすぎだろ、俺」
もれたひとりごとに、はっとして口を噤む。恥ずかしさを取り繕うようにホットスナックを確認していると、同じ高校の制服の女の子が入ってきた。
校則違反ギリギリの明るい髪のショートカットに、また「あ」という声がこぼれそうになる。あの子じゃん。文化祭の準備中、よく瀬尾と一緒にいた女の子。
「あー……、最近、どうなんすか、お友達」
会話が見つからず、気を使って話のネタを引っ張り出した結果、とんでもねぇもの出したな、みたいな第一声だったわけだが、「うん」と俺は頷いた。
「そうだな、えーっ……と」
あんな場面に遭遇させてしまった以上、気になる気持ちはよくわかる。だが、しかし。
――俺がなにも言ってないからさぁ、瀬尾に言えるような変化なんて、なにもないんだって。
はっきりと物を申した結果としての変化があれば、胸を張って言えるのだが。つまり、そういうことである。
日和見な自分にうんざりとしつつ、俺は辻くんに聞いた話を思い浮かべた。
――俺がサボったあと、野井と犀川がからかいすぎたかなって言ってたって聞いたけど。でも、それだけで、俺が直接なにか言われたわけでもないし。
よほど俺が情けなく見えたのか、文化祭の準備期間中以来、辻くんはたまに話しかけてくれるのだ。
陽キャのハッピーシーズンのおける、俺の唯一のプラスの成果。そんなことを考えながら、俺は苦笑まじりに言い足した。
「まぁ、べつに、ふつうっていうか。……うん、ふつう」
「ああ、……じゃあ、よかったっすね」
「うん」
笑ったものの、どうにも空気がぎこちない。
瀬尾がバイト先に入って五ヶ月以上は経つわけだけど、これだけぎこちないのは初日以来じゃないかな、と思う。
それで、あのときと決定的に違うのは、瀬尾も沈黙が落ち着かない様子であることだ。
いや、まぁ、落ち着かないのはわかるよ、うん。むしろ、あの当時のきみ、よく平然とした顔してたよね。内心でわざと茶化すようなことを言い、以前どおりを装って話題を振る。
「瀬尾はさ、日向のどういうとこが好きなの?」
「え、なんで?」
「いや、瀬尾と日向もべつにタイプは違うよなと思って」
「ああ、まぁ。……うん」
俺と野井たちをタイプを違うと評したことを思い出したのか、納得したように呟いて、「でも、わりと単純かも」と瀬尾は答えた。
「単純?」
調子を取り戻した雰囲気にほっとして、問い重ねる。
喧嘩もしていないようでなによりだ。まぁ、喧嘩になるようなことではないと思っていたけれど。
「うん。日向、多野以外に興味ないから。俺がどれだけモテても『やべ』って笑うだけで、なにも言わないんだよね。正直、すげぇ楽。マジ多野感謝」
らしいと言えばらしすぎる理由に、自然と笑い声がこぼれた。
瀬尾が懐く理由は、本当にけっこうわかりやすい。改めて、俺は思った。王子としてではなく、瀬尾個人として認識することができたら、それでオッケー。
たまたまできたから、俺は瀬尾と仲良くなった。でも、それも、日向の兄貴というオプションがあったからかもしれない。つまり、日向がつくっていた信頼におんぶにだっこだったってこと。
……いや、さすがに卑屈すぎない、これ。
思い浮かんだ自虐に、はは、誤魔化すように俺はもう一度笑った。
沈黙が嫌いだから適当に会話をすることは得意だし、愛想笑いだって得意なつもりだ。実際、ほら、ちょっと空気もゆるんだし。こんな感じで今日も適当にやり過ごせたらいいなぁと願っていると、瀬尾が口を開いた。
「あの、先輩」
「ん?」
「いや、このあいだ……」
瀬尾がそう言いかけた瞬間、紙袋を持ったおばあちゃんが、申し訳なさそうにレジの前にやってきた。
「お仕事中にごめんなさいね。コピー機の使い方を教えてほしいんだけど、お願いできるかしら」
「ああ、はい。いいっすよ」
どっちが行くというような目線のやりとりをすることもなく、瀬尾がレジカウンターの外に出る。
いや、本当、人が良いよ、こういうとこ。だから、日向にも怒ってくれたのだとわかるけど。ひとりになったレジで、俺はひっそりと息を吐いた。
――そもそもだけど、俺、「ありがとう」もなにも言ってないんだよな。
おまけに、変なところしか見せていない。瀬尾が気まずそうだった理由はわからないけれど、口を出しすぎたと思っているのかもしれない。
本当に人が良すぎやしないだろうか。店の奥のコピー機の前でおばあちゃんを手伝う瀬尾の背中から、俺はそっと目を外した。
人が良くて、面倒見も良い。だから、瀬尾は、偽装彼氏の役割として、あたりまえに俺と一緒に帰ってくれていた。
本屋で変な人に絡まれることがひさしぶりだと感じた理由。
「……甘えすぎだろ、俺」
もれたひとりごとに、はっとして口を噤む。恥ずかしさを取り繕うようにホットスナックを確認していると、同じ高校の制服の女の子が入ってきた。
校則違反ギリギリの明るい髪のショートカットに、また「あ」という声がこぼれそうになる。あの子じゃん。文化祭の準備中、よく瀬尾と一緒にいた女の子。