「あの子は助からないわ。運命の収束がそうさせるの。それでもあなたはこの旅を続けるの?」
「可能性がゼロじゃない限り諦めきれない。諦めたら……きっとこの先、後悔し続けると思うから」
「わかった……じゃあ、あなたにその時間をあげよう」
 
 僕の心は深い霧に包まれ、思考の一つひとつが無くなるような世界を彷徨っていた。平野と空の境界線がどこまでも広がる光景がどこか非現実的で、まるで風のようにふわふわと夢の中にいるような感覚。誰もいない展望台で、この広大な景色をぼんやりと眺める。
 あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。時折、僕はふとその姿を思い出す。水が流れているような黒く長い髪、茶色と緑色が混じった宝石のような大きな瞳、キャンバスに向かう時の真剣な横顔、そして握れば折れてしまいそうな小さな手。
 それらは、薄雲の向こうに浮かぶ月のように、今となっては手を伸ばしても決して掴むことのできない存在だ。胸の奥に広がるのは深く、言いようのない寂しさだが、涙を誘うほどの悲しみは感じられない。
 丘を見下ろすと、坂道をゆっくり上ってくる女性の姿が目に入った。その胸の中には、赤ん坊が大事そうに抱きかかえられている。
 一人だけの静かなひとときを壊されたくなかった僕は、腰を上げ、立ち去ることにする。
 さて、次はどこへ向かおうか。広がる平野を背にしながら、僕は名残惜しげに展望台を後にした。