キスをしたのは自分だというのに。
「すみません」
 女の人が声をかけてきた。"仕事"を依頼してきた奴から送られてきた画像と一致している。
 今日はこの人を殺すのか。
 甘い声を出して彼女を誘う。手を取り、恋人繋ぎをする。彼女は少し驚いたあと、照れたような表情で俺の手を握った。
 俺はこんなクソみたいな仕事しか知らない。生ぬるい紅にまみれて、その紅を嘘と欲で塗り固めてフタをしたみたいな、そんなクソみたいな仕事。
 だからこそ、璃恋との生活の落差が激しかった。
 昼は璃恋と幸せに過ごし、夜は銃とナイフを握る。その激しすぎる差に戸惑う。
 目の前の彼女の腕をぐいっと引き、服のポケットに突っ込んでいた手を出す。ポケットから出したその手にはナイフが握られている。
 なるべく痛い思いはさせたくない。一発で終わりになる場所を狙って刺す。身を捩られることもなく、小さな呻き声のあとにふわりと力が抜けていく。それを支えず、地面にばたりと倒れさせた。
 空を見つめる虚ろな瞳を見る。いつもなら少しの高揚感が得られるのに、最近はそれがない。それどころか少しの苦痛すら感じるほどだ。
 ずっと俺を使ってくれている"上司"は、最近珍しく電話をかけてきては、開口一番こう言った。
――お前、変わったなぁ。
 毎回電話をかけてくるときは文句だとか金が欲しいとかそういうものだったから、今日はなんだと思って口を開こうとした途端、そう言われたからひどく驚いた。
――変わった?何がですか。
――いやぁ、処理してて思うんだよ。お前最近、不必要に人をやらなくなった。なるべく傷つけずに終わらせてんだろ。違うか?
 違いますよ――と見栄を張ろうとしてやめた。見栄を張るのは最も無意味なことだ。どうせこの人のことだ、嘘をついたらすぐに見破ってくる。
――確かに、そうかもしれないですね。でも、それがどうしたんですか。
――え?いや、特になんもねぇよ。ただ、キモいくらいに殺ってた奴が丸くなっちまって、なんかつまんねぇなって。ぐっちゃぐっちゃの死体の処理させられてた頃が懐かしいわ。
 じゃあな、とその界隈に似つかわしくない軽やかな声で電話は切られ、俺はひとり取り残されたような気分になった。
 ふと、空を見上げる。星がひとつ瞬いていて、その近くの空は一段と暗いように思えた。
 光が生まれれば影が生まれる。それは必然的なことで、変えようにも変えられないもの。
 もし光と影、その片方が強すぎた場合、ふたつの関係はどうなるのだろうか。答えは簡単。
 どちらかが増えれば、それに順応するようにもう一方も増える。もしくは、片方がなくなる。
 璃恋との生活によって生み出された強すぎる光。それによって、俺が持ち合わせていた影は消えようとしている。
 その影を、もういっそのこと失ってしまえば楽なのだろう。
 その影と共に、自分も消える。もしくは、その影を切り離して、新しい自分として生きていく。罪を認めて死ぬか、偽りの身元を用意して生き直すか。
 どちらにしろ俺には無理だ。
 璃恋にすべてを打ち明けられたら、少しは楽になるのだろうか。今俺がひとりで背負っている影を半分こして、ふたりで背負って生きていけたら――
 いや、だめだ。璃恋にこんなものは背負わせてはいけない。それに、俺には打ち明ける勇気がない。
 そんじょそこらの軽い罪じゃない。
 もう何年生きたっけか。二十六?二十八?自分の年齢も分からない。
 その人生の中で軽く数十人――いや、数百人。毎日のように人を殺しているのだから、それくらいは行っているだろう。こんな重い罪を俺は打ち明けられない。
 すべてを言ったとき、きっと璃恋は俺から離れていく。
 だったら、せめて。
 この束の間の幸せを、存分に味わわせてくれ。