出来上がったルーと炊けた白米をお皿に盛り、机の上に並べる。拓海くんが美味しいと言ってくれたお肉も皿に盛り付け、適当に作ったサラダと一緒に並べた。あとはふたりで並んで座れば完璧。
いただきますと手を合わせ、箸を持った。
拓海くんは「今まで食べたものの中で一番美味しい」なんてお世辞のようなことを言ってくれた。お世辞のようだと思いつつも、わたしも同じことを心の底から思っていた。
食べているものはいつもと変わらないものなのに、一緒に食べる人が変わるとこんなにも違う。
そんなことを噛みしめながら、口に残るほんのりとしたカレーの辛さを、お茶で流した。
2
人ひとり助けたところで、真っ当な人生を生きれるとは思っていない。
美味しい夜ご飯を食べて片付けをして、疲れ果ててソファで眠ってしまった璃恋の頭を撫でながら、そう思う。
なのに、俺はどうしてあの時璃恋に手を差し伸べたのだろうか。いつもだったら素通りしたはずだ。
よく見る家出少女だと割り切って、深入りしなかったはずなのに。
じゃあどうして、声をかけたのか。その理由を、俺は頭のどこかで分かっていた。
璃恋の叫びが、前進から伝わってくるような気がした。
誰も気づいていない、助けてと言う必死の叫び。言葉でそう伝えていたわけでもない、身体でそう表現していたわけでもない。でも、俺には見えた。
声をかけた瞬間の彼女は、ひどく怯えているようだった。こんな人がわたしを救ってくれるのか。そういった疑問の色が、瞳に入り交じっていた。
璃恋の唇に触れたとき、彼女の瞳が揺れた。今まで現れていなかった感情が少しだけ見えた気がして嬉しくなる。
――家出、しました。
きっと睨みあげられたその時――ロックオン、されちゃったよね。濁った光が俺を貫いて、絡め取った。背中がぞくっと粟立って、俺はいやらしい笑みを浮かべていたと思う。
――じゃあさ。
――俺と生きようよ。
なんでか分かんないけど、雨が降りしきる世界で、この言葉だけは真っ直ぐ届いた気がした。目的に真っ直ぐ向かっていく矢みたいに飛んで、きっと璃恋の心を抉った。
かすれた返事が返ってきて、璃恋に手を差し伸べる。傘を持たせて、腕を引いて歩いた。後ろからずっと、足音が聞こえてくる。
足音を隠す気がないところからするとどっかの下っ端――下見みたいなもんだろ。こんなもんの"処理"くらい簡単。
もう何年も住み着いているアパートまで歩いて、先に中に入らせた。俺の"仕事"を知られたくない、ってわけじゃないよ。ただ、見られたらちょっと厄介ってだけ。あとはまぁ、殺人現場を目の前で見るなんて、女子高生には酷でしょ。ましてやこれから一緒に生きる人が殺す側なんて。
大して残っていない善性が、少し働いただけ。
撹乱するように汚い路地裏に入り込む。下水道の匂いとかタバコの匂いとか、そういった汚いものが寄せ集められてできた場所。"こっち側"の人間じゃない限り、足を踏み入れたりはしない。
やっぱりそうだ。後ろからの足音は消えない。確実に俺をつけている。きっと俺の同類。
角を曲がり、一度身を潜める。腰につけたホルスターから銃を抜く。銃は肌身離さず持っている。死にたくないから、とかじゃない、ただ安心するってだけ。
丈の長いシャツで隠したナイフをいつでも抜ける体勢にしておく。
突拍子もなく走り出せば、後ろの足音も続けて走り出した。ちょっと反応が遅いんじゃないの、それじゃもうだめだよ、なんて思いながら。
全速力で走ったまま急カーブし、曲がる。「うぉっ」なんて間抜けな声。だからそんなんじゃだめだって。
――次の瞬間、目の前が紅く弾けた。
サプレッサーに抑えられた音が数発、銃口から放たれた弾丸は見事男の身体にめり込み、そのまま穴を作って飛んでいった。銃口から煙が吹き出していて、それを見るだけで少し高揚してしまう俺はもう屑だ。
角の向こうから、ぐしゃりと何かが潰れるような音がする。
銃を軽く構えながら、相手の様子を伺う。音ひとつしないし、もう終わったな、くらい分かるけど、それでもまぁ一応。
見知らぬ男は、真っ赤な血をまき散らして倒れていた。つん、と鼻を刺す鉄臭い匂い。感情が昂ぶり、次の瞬間には一気に下降する。
きっと脈はないだろうが、一応と言うことでもう二発ほど撃ち込んだ。銃をしまい、"それ"に背を向けて颯爽と歩く。
それがどこの誰かなんて気にならなかった。
もう殺した奴のことなんて、どうでもよかった。
*
コンビニで食べられそうなものをいくつか買い、あのボロアパートに戻る。金だってないわけじゃないし、いつだって引っ越そうと思えば引っ越せるのだけれど――なんか、離れられなくて。
ただいま~、なんて呑気な声を出してみれば、小さくおかえりなさい、って返事。職業柄誰かと一緒に暮らすなんてなかったし、どれだけただいま、って言っても返事はないわけで。ひとつの返事でこんなに嬉しくなっちゃうなんて、俺子供みたい。
手を念入りに洗ってからリビングに入れば、そこは俺の部屋じゃないみたいだった。散乱していた服やゴミはどこにもなく、璃恋が片付けてくれたみたいだ。
――そう言えば、名前聞いてなかった。君、名前は?
目の前の彼女が少し考え込む。いきなり名前を聞くのは流石にデリカシーがなかったか。
――ごめん、嫌なら言わなくて良いよ。
――いえ。
顔を上げた璃恋と視線がぶつかる。自分でもどうしたらいいのか迷っているような表情をしていた。
――萩乃璃恋、です。
綺麗な名前だな、と思った。音で聞いただけでどんな漢字か分からなかったけど、響きが好きだと思った。その中で懐かしいような奇妙な感覚がある。
漢字でどう書くかも教えてくれて、その漢字も璃恋に似合っていた。
どうしてこんなにも懐かしい雰囲気がするのだろう。もうずっと前から一緒にいたような、そんな感覚。
――聞かねえの?
ふわふわとした感覚を断ち切るように、鋭い声で言った。
――っえ、何をですか?
――名前。俺だけ聞くってのもあれだろ。
――いいんですか、聞いて。
――うん、別に減るもんでもないし。
――じゃあ、教えてください。名前。
普段なら、俺が仕事で利用する名を口に出しただろう。この業界で本当の名を口に出すことは命を目の前にぶら下げて差し出しているのと同じだ。本名から個人情報が割り出され、簡単に始末される。
適当に在り来たりな名前でも考えて言えば良い。
――黒瀬拓海。
何を思ったか、俺は本当の名を口にした。
言った瞬間、自分でも驚いた。つい数秒前まで、違う名前を言えば良いと思っていたのに。どうして。
今だから思うけど、俺はきっと、自分の名前を呼んで欲しかったんだと思う。在り来たりな名前でもない、偽物の名前でもない、自分の名前を。璃恋の口から発されるそれは、なんだか特別な響きをしていたから。
漢字を教えていれば、璃恋が笑った。なんだか愛おしい。
夜ご飯は璃恋が作ってくれた。
ふたり分の食事をいとも簡単に拵える、璃恋の慣れた手つきがやるせなかった。
料理は基本親がするものだと思う。少なくとも俺はそうだった。
将来のために料理を教えられている、ならまだ分かる。でも、限られた金の中で節約しつつ美味しいものを作る――これが得意な女子高生なんて、幸せだろうか。
いただきますと手を合わせ、箸を持った。
拓海くんは「今まで食べたものの中で一番美味しい」なんてお世辞のようなことを言ってくれた。お世辞のようだと思いつつも、わたしも同じことを心の底から思っていた。
食べているものはいつもと変わらないものなのに、一緒に食べる人が変わるとこんなにも違う。
そんなことを噛みしめながら、口に残るほんのりとしたカレーの辛さを、お茶で流した。
2
人ひとり助けたところで、真っ当な人生を生きれるとは思っていない。
美味しい夜ご飯を食べて片付けをして、疲れ果ててソファで眠ってしまった璃恋の頭を撫でながら、そう思う。
なのに、俺はどうしてあの時璃恋に手を差し伸べたのだろうか。いつもだったら素通りしたはずだ。
よく見る家出少女だと割り切って、深入りしなかったはずなのに。
じゃあどうして、声をかけたのか。その理由を、俺は頭のどこかで分かっていた。
璃恋の叫びが、前進から伝わってくるような気がした。
誰も気づいていない、助けてと言う必死の叫び。言葉でそう伝えていたわけでもない、身体でそう表現していたわけでもない。でも、俺には見えた。
声をかけた瞬間の彼女は、ひどく怯えているようだった。こんな人がわたしを救ってくれるのか。そういった疑問の色が、瞳に入り交じっていた。
璃恋の唇に触れたとき、彼女の瞳が揺れた。今まで現れていなかった感情が少しだけ見えた気がして嬉しくなる。
――家出、しました。
きっと睨みあげられたその時――ロックオン、されちゃったよね。濁った光が俺を貫いて、絡め取った。背中がぞくっと粟立って、俺はいやらしい笑みを浮かべていたと思う。
――じゃあさ。
――俺と生きようよ。
なんでか分かんないけど、雨が降りしきる世界で、この言葉だけは真っ直ぐ届いた気がした。目的に真っ直ぐ向かっていく矢みたいに飛んで、きっと璃恋の心を抉った。
かすれた返事が返ってきて、璃恋に手を差し伸べる。傘を持たせて、腕を引いて歩いた。後ろからずっと、足音が聞こえてくる。
足音を隠す気がないところからするとどっかの下っ端――下見みたいなもんだろ。こんなもんの"処理"くらい簡単。
もう何年も住み着いているアパートまで歩いて、先に中に入らせた。俺の"仕事"を知られたくない、ってわけじゃないよ。ただ、見られたらちょっと厄介ってだけ。あとはまぁ、殺人現場を目の前で見るなんて、女子高生には酷でしょ。ましてやこれから一緒に生きる人が殺す側なんて。
大して残っていない善性が、少し働いただけ。
撹乱するように汚い路地裏に入り込む。下水道の匂いとかタバコの匂いとか、そういった汚いものが寄せ集められてできた場所。"こっち側"の人間じゃない限り、足を踏み入れたりはしない。
やっぱりそうだ。後ろからの足音は消えない。確実に俺をつけている。きっと俺の同類。
角を曲がり、一度身を潜める。腰につけたホルスターから銃を抜く。銃は肌身離さず持っている。死にたくないから、とかじゃない、ただ安心するってだけ。
丈の長いシャツで隠したナイフをいつでも抜ける体勢にしておく。
突拍子もなく走り出せば、後ろの足音も続けて走り出した。ちょっと反応が遅いんじゃないの、それじゃもうだめだよ、なんて思いながら。
全速力で走ったまま急カーブし、曲がる。「うぉっ」なんて間抜けな声。だからそんなんじゃだめだって。
――次の瞬間、目の前が紅く弾けた。
サプレッサーに抑えられた音が数発、銃口から放たれた弾丸は見事男の身体にめり込み、そのまま穴を作って飛んでいった。銃口から煙が吹き出していて、それを見るだけで少し高揚してしまう俺はもう屑だ。
角の向こうから、ぐしゃりと何かが潰れるような音がする。
銃を軽く構えながら、相手の様子を伺う。音ひとつしないし、もう終わったな、くらい分かるけど、それでもまぁ一応。
見知らぬ男は、真っ赤な血をまき散らして倒れていた。つん、と鼻を刺す鉄臭い匂い。感情が昂ぶり、次の瞬間には一気に下降する。
きっと脈はないだろうが、一応と言うことでもう二発ほど撃ち込んだ。銃をしまい、"それ"に背を向けて颯爽と歩く。
それがどこの誰かなんて気にならなかった。
もう殺した奴のことなんて、どうでもよかった。
*
コンビニで食べられそうなものをいくつか買い、あのボロアパートに戻る。金だってないわけじゃないし、いつだって引っ越そうと思えば引っ越せるのだけれど――なんか、離れられなくて。
ただいま~、なんて呑気な声を出してみれば、小さくおかえりなさい、って返事。職業柄誰かと一緒に暮らすなんてなかったし、どれだけただいま、って言っても返事はないわけで。ひとつの返事でこんなに嬉しくなっちゃうなんて、俺子供みたい。
手を念入りに洗ってからリビングに入れば、そこは俺の部屋じゃないみたいだった。散乱していた服やゴミはどこにもなく、璃恋が片付けてくれたみたいだ。
――そう言えば、名前聞いてなかった。君、名前は?
目の前の彼女が少し考え込む。いきなり名前を聞くのは流石にデリカシーがなかったか。
――ごめん、嫌なら言わなくて良いよ。
――いえ。
顔を上げた璃恋と視線がぶつかる。自分でもどうしたらいいのか迷っているような表情をしていた。
――萩乃璃恋、です。
綺麗な名前だな、と思った。音で聞いただけでどんな漢字か分からなかったけど、響きが好きだと思った。その中で懐かしいような奇妙な感覚がある。
漢字でどう書くかも教えてくれて、その漢字も璃恋に似合っていた。
どうしてこんなにも懐かしい雰囲気がするのだろう。もうずっと前から一緒にいたような、そんな感覚。
――聞かねえの?
ふわふわとした感覚を断ち切るように、鋭い声で言った。
――っえ、何をですか?
――名前。俺だけ聞くってのもあれだろ。
――いいんですか、聞いて。
――うん、別に減るもんでもないし。
――じゃあ、教えてください。名前。
普段なら、俺が仕事で利用する名を口に出しただろう。この業界で本当の名を口に出すことは命を目の前にぶら下げて差し出しているのと同じだ。本名から個人情報が割り出され、簡単に始末される。
適当に在り来たりな名前でも考えて言えば良い。
――黒瀬拓海。
何を思ったか、俺は本当の名を口にした。
言った瞬間、自分でも驚いた。つい数秒前まで、違う名前を言えば良いと思っていたのに。どうして。
今だから思うけど、俺はきっと、自分の名前を呼んで欲しかったんだと思う。在り来たりな名前でもない、偽物の名前でもない、自分の名前を。璃恋の口から発されるそれは、なんだか特別な響きをしていたから。
漢字を教えていれば、璃恋が笑った。なんだか愛おしい。
夜ご飯は璃恋が作ってくれた。
ふたり分の食事をいとも簡単に拵える、璃恋の慣れた手つきがやるせなかった。
料理は基本親がするものだと思う。少なくとも俺はそうだった。
将来のために料理を教えられている、ならまだ分かる。でも、限られた金の中で節約しつつ美味しいものを作る――これが得意な女子高生なんて、幸せだろうか。