「これからどうする?俺の家ゲームとかないんだけど」
「別に大丈夫ですよ。そうだ、夜ご飯どうします?もう今日から早速作りましょうか」
 "夜"というワードに、拓海くんが反応した――ように見えた。
「ごめん、夜は俺今日仕事があって。いやいつもじゃないんだけど。ご飯は一緒に食べられると思う」
「わかりました。何時くらいになるか分かりますかね?」
「いやぁ、分かんないな。量多ければ時間かかるし。なるべく早く帰ってくるよ」
 拓海くんは手に持っていた携帯を机に投げ、ふわぁと欠伸をした。ソファに背中を預け、瞼を閉じる。
 ただでさえ綺麗な顔をしているのに、瞳を閉じて動かないでいると、彫刻のようでより綺麗だと思った。
「ちょっと寝るわ、夜眠くなると大変だから」
「了解です。じゃあわたし、ご飯の買い出しでも行ってきます」
「え、大丈夫?行って帰ってこれる?」
 拓海くんの瞳がぎゅんと開く。大きい瞳が急に開いたもんだから、わたしはそれに吸い込まれそうになってしまう。
「……なんとかします」
 そういったものの、実際は何とかならないだろうな。
 拓海くんに引っ張られまくったお陰で大して道は覚えていないし、この地域になじみがあるわけでもない。ここに来るまでにスーパーが会ったと言うことしか覚えていないし。
 それでも彼の眠りの邪魔はしたくない。
「なんとかならないって、俺も行くから」
「でも寝るって」
「別にいい」
 拓海くんは身体を起こし、もう上着を羽織って出かける準備をしている。
「今は璃恋の方が大事だから。ほら行くよ」
 部屋の電気を消し、ふたり並んで靴を履く。並ぶと余計に足の大きさの差が目立つ。
「足ちっちゃ、何センチ?」
「わたしが小さいんじゃないです、そっちがでかいんです」
 ドアを押して開けてくれる。鍵を閉め、談笑をしながら近くのスーパーへと向かった。
 店内に入り、わたしはカートを押す。その後ろから拓海くんが着いてくる。
「てか俺、来る意味あった?」
「だから寝てていいって言ったのに」
 拓海くんはスーパー自体久しぶりらしく、少し心配になる。さっき食べたばかりなのにお腹が空いているのか、並んでいるものひとつひとつが美味しそうに見えると言った。
「もう何作るか決めてんの?」
「んー、折角なら明日も食べれるものにしようかなと。スープとかカレーとか」
「何それ俺のため?できる女だ」
「どういうことですかそれ」
 笑いながら野菜コーナーを見て回っていく。じゃがいもと玉ねぎが安い。カレーにでもしようか。
「拓海くん、カレーでもいいですか?」
「いいよ。俺カレー好きだし」
 なら決定だ。じゃがいも、玉ねぎ、人参。人参を手に取ったとき、拓海くんは顔をしかめた。
「……ねぇ、人参入れるの?」
「嫌ですか?」
「嫌です」
 考えた末に人参をカートに入れた。たらたらと後ろから文句が聞こえてくるけれど、「拓海くんのには盛りませんから」と言ったら収まった。なんだか子供みたい。
 豚肉とカレールーもカートに入れる。拓海くんは辛いのがあまり得意ではないとのことなので、甘口と中辛のルーをひとつずつ買った。ふたつを混ぜて作るとコクが出て美味しくなる。
「いつのか分からないお米ならあるよ」とのことなのでお米コーナーは通り過ぎた。いつのか分からないのはちょっと怖いけど、わりと最近のものだよと言っていたからよしとしよう。
 お菓子コーナーにも寄り道し、駄菓子を何個かカートに入れる。パッケージを見た拓海くんに「それ美味しい?」と聞かれた。昔食べてから過ぎたらしい。やっぱり子供だ。
 安かったから鶏肉と、必要な調味料と、ちょっと高いけど卵も買った。最後に今日飲むエナジードリンク。
「そんなもん飲むと寝れなくなるよ?」と言われたけど、聞かないことにしておこう。家に帰ったとき、出迎えがあった方が嬉しいだろう。
 セルフレジで手早く会計を済ます。スーパーでバイトをしていた経験もあり、慣れた手つきに拓海くんは驚いていた。
 店を出て、ふたり並んで歩く。大して多くない荷物なのでわたしが持ちます、と言っても拓海くんは聞く耳を持たない。手に持っていたレジ袋を奪うようにして取られた。
 仕方がないから買ったばかりの駄菓子をポケットから取り出す。封を開けて何個か口に入れた。ピリリとした辛みが舌の上で暴れる。
「そうだ、食べます?美味しいですよ」
 どうぞと言って駄菓子を差し出す。
 拓海くんは眉根が寄ったひどい顔をしている。恐る恐る一枚掴み、ゆっくりと口に入れている。その仕草に思わず吹き出した。
「……あ、意外と美味しい。俺も大人になったわ。てか、なんで笑ってんの」
「いやー、めちゃくちゃビビってるなって」
「ビビってないし。そんなこと言うと置いてくよ」
 ビビり散らかしてましたよ、本当――そう言い返す間もなく、彼は急に走り出す。突っ立って彼を見ているわけにも行かず、わたしも走り出した。時々後ろを振り返っては、止まると思いきや止まらない。
 こちとら封の開いた駄菓子を持っているのに、全く気遣う素振りがない。足が特別速いわけでもないんだから、少しくらい気を遣って欲しい。
 アパートに着いた頃は、ふたりともヘロヘロだった。
「なんで走るんですか、わたし体力ないのに」
「そっちこそ、追いついてくれれば止まったのに」
 ふたりしてよく分からない言い訳だ。古びて少し錆びたドアの前で、顔を見合わせて笑った。
――普通の子みたいだ、わたし。
 ずっと"普通"にはなれないと思っていた。生まれた環境というたったひとつのことが、すべてを左右する。
 どれだけ善い行動をしようが、努力しようが、わたしは"普通"にはなれない。そう思っていたのに。
――この人といるときだけ、わたしは"普通"になれる。
 馬鹿みたいに走って、息が苦しくなって。苦しいはずなのに、なぜか全く苦しくなくて。
 まるで昔から知っているような懐かしさが、そこにあった。




「ふんふん、ふんふんふん……」
 鼻歌を歌いながらカレーを混ぜる。辺りに食欲をそそる匂いが立ちこめ、拓海くんが興味津々な様子でこちらにやってきた。
「うわ、うまそ。これに肉もつくわけでしょ?最高じゃん」
「はいはい、危ないので向こうにいてください」
 手で彼をあしらうと不貞腐れた様子で戻っていった。ほんと表情がころころ変わる人だ。そういう所も含めて子供みたい。
 そろそろいいかなと思い、かき混ぜる手を止めて火を消した。冷蔵庫からジップロックを取り出す。タレと一緒に肉も入れて、味をつけておいたものだ。
 フライパンを用意し油を敷いて、肉を並べる。
 香ばしい香りと音。ソファの方に戻ったはずの拓海くんがもう一度隣に来る。
「危ないから向こうにいてって言ったじゃないですか、なんで来たんですか」
「気になるじゃん。言ったでしょ、俺料理しないって」
 火が通ったのを確認し、フライパンから皿に移す。爪楊枝でひとつ取って口に入れた。うん、悪くない。
「わたし的には悪くない味だと思いますけど……拓海くんも味見します?」
「する」
 また爪楊枝でひとつ刺して拓海くんの方に向けた。所謂"あーん"という形。拓海くんがぱくりと肉を食べ、美味しいと笑顔で言った。照れている様子もどこにもない。
 こんなに意識をしているのは自分だけなのだろうか。