銃声を聞いて出てきた璃恋の手を握って走る。一度撃ってしまった以上、正々堂々やり合うしかなさそうだ。
 警察官の声が聞こえる。声が飛び交っていてうるさい。耳を塞ぎたくなる。
――いたぞ!
――そっちだ!
 ちっと舌を鳴らし、路地裏をくねくねと曲がる。
 一瞬警察官に姿を見られた。まずいと思ったが奴らはこの辺りに慣れていない。俺たちのことを見失ったらしく、「どこだ!」と探しているような声が聞こえた。
 パァンと銃声が響いた。
 走りながら、後ろの璃恋を振り返る。璃恋も銃声に驚いているようだった。俺が撃ったわけではない。璃恋も引き金を引いた素振りはない。となると警察か?誰を撃った?
 男の叫び声と、女が慌てふためく声が聞こえた。もしや一般人と俺を間違えて撃ったのか。
 警察も落ちるところまで落ちたな、と思いながら走る。向かう先には誰もいない。
「――後ろから誰か来てます」
 璃恋の言葉を聞ききる前に角を曲がった。どれだけの人が俺たちを追いかけ回しているんだ。それが全く掴めない。声的には五人――いやもっとか?分からない。もう殺しはしていないから、逃がしてくれたっていい気がするのに。
 繋いだ手に、璃恋が弱い力を込めてきた。後ろを見ると璃恋が苦しそうに息をしている。
「ごめん、苦しい?」
「大丈夫です」
 璃恋はそう言っているけど、このペースじゃきっと持たない。影になるようなところに身を潜め、休憩を取らせた。その時も銃を握ったまま。
 少ししたら回復したのか、璃恋が立ち上がった。
「ごめんなさい、もう行けます」
 そう言って俺を見て、力強く頷いた。俺との生活で璃恋は本当に強くなった。その強さが璃恋に必要かと問われれば答えるのが難しいけど。
 周りに注意しながら歩いて行く。今俺たちは道と道が交差する十字路のような場所にいる。
 耳を澄まして誰かいないか確かめる。大丈夫だ、何も聞こえない。声はずっと遠くで聞こえるし、多分撃たれた男の治療とかで忙しいんだろう。
 手を握って道から飛び出す。ほら、誰もいない。
 大丈夫だと思ったのも束の間、左の角から警察官が飛び出してきた。
 ひゅっと息を吸って右に走り出す。ばっちり姿を見られたし、きっと後ろから着いてきている。こっちはもう数十分走り回っているのに、追いかけてくるなんて容赦がない。どこを取っても今俺たちは不利だ。
 前、右、左、後ろ。ぜんぶの方向から追いかけられているような気がする。
 鳥かごの中に入れられた鳥のような、何をしても逃げられないような――
 その瞬間、俺の右から弾丸が飛んでいった。
 後ろから撃たれた?いや、違う。どこも撃たれていないし血は出ていない。璃恋だって撃たれていない。
 璃恋の手に握られたものを見てはっと息をのんだ。璃恋が手に持った銃からは煙が出ていて、弾丸を放ったことを告げている。右の方から男が倒れるような音とうめき声が聞こえる。
「璃恋、なんで」
「今は黙ってください」
 そう言うと後ろを振り返り、追ってきていた警察官に向かって引き金を引いた。その男にはもう見向きもせず、次の標的に狙いを定めている。
 璃恋は今まで、あまり手を汚してこなかった。というより、俺が汚させなかった。殺しをしているときも、一発二発は撃ったとしても最後はやらせない。とどめを刺すのは俺。璃恋に罪を着せたくなかった。
 俺がこの道に引きずり込んだのに手は汚させたくないだなんて、自分勝手すぎるかと思ったけれど、璃恋は何も言ってこないからいいかと思った。
 それに、璃恋は最初引き金を引くことすら躊躇っていた。誰かから恨みを買って殺しを依頼されたとはいえ、目の前に現れる人間は善人のように見える。そんな人を撃つことが、殺すことが辛かったのだろう。最初は遺体を見ることすら嫌だったみたいで、なるべく見ないよう目を背けていた。
 そんな璃恋が、ためらいもなく人を撃つようになった。命がかかっているから――と分かるけれど、成長したとでもいうべきなのか、はたまた人として壊れてしまったとでもいうべきなのか。どちらにしろもう後戻りはできない。
 左側から歩いてきていた警察官の頭を狙って弾丸を放った。紅い華がひとつ咲いて散る。薄汚い路地裏に花開く、目を奪われてしまいそうなほどの紅。その相対性がまた俺を沸き立たせる。
 前から一人走ってきた。標的が揺れて焦点が定めづらい。璃恋の手を離し、右手でナイフを取り、投げた。運良く心臓の辺りに突き刺さって、男が倒れる。
 俺は前に走りながらナイフを回収した。刃先をさらさらとした血が垂れていく。
 右にいる璃恋もどんどん銃を撃っている。さっきから絶え間なく銃声と叫び声が聞こえている。もう十人ほど始末したはずだが、あと何人いるのだろう。このままじわじわと体力を消耗していけば、負けるのは俺たちだ。
 近寄ってきた警察官を腕で沈めながら、璃恋の方をちらりと見た。走り回っているせいで長い黒髪が暴れて、上手く顔が見えない。その瞬間、ふわりと風が吹いて、髪を揺らす。髪と髪の隙間から、璃恋の顔が見えた。
 璃恋の顔は、これまでに見たことがないほど、美しく妖艶だった。
 場が場なら俺はきっと、立ち尽くして見惚れていたように思う。いや、今だって撃ちながら、璃恋から視線をそらせずにいる。
 きらきらと輝く瞳――だけれどその瞳は少し翳りを帯びていて、見る人をより引き込ませる。艶やかな笑みを浮かべ、引き金を引く。頬を伝う紅い液体が真っ白な璃恋の肌を紅く汚す。それすら美しい。
 俺は気を失った警察を地面に投げ飛ばし、璃恋の元に駆け寄った。手をぎゅっと掴む。璃恋が璃恋ではないような気がしたのだ。
 俺の生暖かい手の感触に気づくと、いつもの柔らかい表情で俺の方を見た。妖艶な笑みを浮かべた璃恋も美しいけれど――俺はやっぱり、優しい笑みを浮かべて、俺を真っ直ぐ見つめてくれる璃恋の方が好きだ。
 どれだけ走っただろう。走っても走っても、撃っても撃っても警察が出てくる。走り続けている影響で俺の体力はそろそろ限界だ。璃恋もきっと同じで、俺の耳には銃声と、俺の呼吸音と、璃恋の呼吸音しか入ってこない。
 前方からふたり飛び出してきた。璃恋と目を合わせ、同時に引き金を引く。
 その瞬間、後ろから気配を感じた。今までとは違う、明らかな殺意。
――間に合わない。
 後ろを向いて銃を撃とうとする。息が上がっている俺より璃恋の方が素早くて、璃恋は後ろを向くと素早く引き金を引いた。後ろにいた警察官に当たる。
 俺も振り向き、焦点を合わせ、引き金を引こうとした瞬間――璃恋が放った弾丸を喰らった警察官が、地面に倒れながら引き金を引いた。俺が引き金を引ききるよりも向こうの方が早くて、俺のとも璃恋のとも違う銃声が轟く。
 体力が十分にある状態なら避けられただろうけど、もうほぼ使い果たしているから身体が重い。
 弾丸が俺の足にめり込み、血が足を伝っていく。
 痛い。痛い。激痛に耐えきれなくなり、叫び声を上げた。久しぶりに喰らった弾丸はやっぱり痛い。
「拓海くん!」
 片足が使い物にならず、さっきと同じ速度で走れなくなった俺を璃恋が抱えるようにして走らせてくれる。必死に走ってくれているが、自分より十センチ以上背が高い男の身体を抱えて走るのは大変だろう。