「だから、もう悩まないでください。わたしももう、弱気なこと言わないので。今までくよくよしてばっかでごめんなさい。どうせなら、最期は堂々としてた方がいいじゃないですか。もう気持ち悪いくらい」
「気持ち悪いくらい堂々としてんのはやだな」
璃恋が笑った。ぽろりと涙が一粒落ちていく。
「これ嬉し泣きですから。そういうことにしてください」
ああ、ほんと、強い人だ。
そんな璃恋だから好きになったんだっけ。
俺はハンドルに置いていた右手を離して、涙を拭った。
別に悲しくて泣いてるわけじゃない。
これは、嬉し泣き、だから。
2
久しぶりのドライブをふたりで楽しんでいるととき間はあっという間に過ぎて、車はアパートの近くまで来ていた。
「あ、あれじゃないですか。あのピンク色のアパート」
「ほんとだ。なんかめっちゃ派手じゃない?ピンクってお陰で目立ってるし」
「いいじゃないですか、可愛くて。モチベーション上がりますよモチベーション」
「それいつかも言ってたな」
駐車場に車を停めて、荷物をすべて持ってアパートに入る。隣に住んでいる人がいたらどうしようかと思ったが、生憎隣人はいないようだった。
「隣に住んでる人とかいないんですね。わりと綺麗なアパートなのに」
「ね。見て、ここも窓大きい」
家の中に入った拓海くんが声を上げる。リビングに入った瞬間大きな窓が視界に飛び込んできた。
拓海くんは窓で物件を選んでいるんじゃないかと思うほど、行く先行く先の家に大きな窓がある。この前の一軒家は少し先にビルがあってあまり景色が見えなかったけれど、今回はいい感じだ。
「すげー、あんな遠くまで見える」
楽しそうに声を上げる拓海くんを横目に、スーツケースを開いて荷物を出した。ここにいられるのはあとどれくらいだろうか。そう言えばここはあまり汚くない。
「ここはあんまり汚くないんですね。埃だらけかと思ってました」
「あぁ、前のアパートと近かったから、ちょくちょく掃除に来てたんだよ。だから綺麗なの」
そう言いながら拓海くんはソファに座り込んだ。数とき間車を運転していたから相当疲れたはずだ。それと心にかかる負担も少なからず拓海くんの身体にダメージを与えているだろう。
「寝ていいですよ、なんかあったら起こします」
「ほんと?もし警察来たらどうする?」
「……そのときはそのときです」
「うわそれ怖いわ」
とか何とか言っていたけれど、結局はすぐに眠っていた。最初のアパートと少し雰囲気が似ているせいもあるのだろう。
それが余計にわたしたちを落ち着かせて、ときに油断させる。
わたしは閉じられていたカーテンをこっそり開けて窓の外を見た。数週間前まで毎日見ていた景色だった。
あの頃は、こんなことになるなんて全く予想していなかった。わたしは拓海くんと、ずっと一緒にいるものだと思っていた。
近くに大きな公園が見える。そこは拓海くんと雪遊びをして遊んだ公園で、寒かったけど楽しかったことが印象に残っている。なんだっけ、お互いに照れてた気もするな。わたしが何か言ったんだっけ。
そう考えていると、拓海くんが後ろから抱きついてきた。寝ていると思っていたのに。相変わらずやることが子供みたいだなぁと思う。
「寝てなかったんですか?」
「うん、なんか寝れなくて。身体は疲れてるんだけどね」
じゃあ寝てください、と言って拓海くんをソファに戻らせた。わたしは離れようとしたけれど、拓海くんに腕を掴んで止められる。
「璃恋がいないと寝れない気がするから、いて」
とくん、と心臓が強く鳴って、口角がじわじわ上がっていく。顔が火照る。眠いのかとろんとしている顔と声が可愛くて、今すぐにでも可愛いと叫びたくなる。その衝動を必死に堪えながら拓海くんの隣に座った。
お互いの肩が触れ合い、直に体温が伝わる。ふわりと別世界に誘われるように、眠気がわたしを誘う。拓海くんも同じなようで、目を閉じてうつらうつらとしていた。
電気はつけていないし、バレないようにカーテンは閉めている。
その隙間から入ってくる一筋の光だけが、味方のように思えた。
目覚めるともう日は暮れていた。携帯の充電がないことに気づき、充電器はどこだろうとスーツケースを漁っていると、物音に反応したのか拓海くんが目を覚ます。
「ごめんなさい、起こしましたね」
「いいよ……今何とき?」
「七とき過ぎです。あ、充電器あった」
充電器をコンセントに挿して携帯につなげる。ポロンと音を立てて充電がされた。
夜ご飯を食べようと冷蔵庫を開けたものの中身は空っぽで、結局持ってきたパンを食べることになった。拓海くんは文句を言いつつもずっと楽しそうだ。楽しそうな拓海くんを見ているとわたしも自然に笑顔になる。
思っていた以上にお風呂は広くて、一日の疲れが溶けていくのを感じた。
お風呂から上がると拓海くんがテレビを見て笑っていた。いつもテレビはあまり見ていなかった。何より拓海くんのニュースが目に入ると嫌だし、面白いと思えるものがなかったから。
だからこそこうやってテレビを見て笑っている拓海くんを見るのは新鮮だった。
そのまま少しふたりでテレビを見て、沢山笑ってからベッドに入った。
寝室は二階にあって、大きなベッドがひとつだけ置かれていた。この家を買ったときはひとりだったからひとつのベッドでいいと思ったらしい。だとしても大きすぎると思う。だってふたりで並んでもまだまだ余白がある。
ベッドに乗ると音を立ててきしんだ。マットレスが心地よく反発して、また眠気を誘う。
隣に手を伸ばすと拓海くんの手に触れる。ぎゅっと手を繋いだ。
身体を蝕んでいた不安は、いつしか消え去っていた。
3
朝起きたら世界は変わっているんじゃないかって、毎日のように思う。
わたしたちが追われることもなくなって、平和に過ごせるんじゃないかって。もしかしたらこれはぜんぶ夢で、ただ都合の悪い悪夢を見ているだけなんじゃないかって。本当はわたしたちがいるのはあのぼろぼろのアパートで、そこでただ眠っているだけなんじゃないかって。
そう期待をしながら眠って、朝には現実を突きつけられる。
期待をしなきゃいいって分かっているけれど、やっぱりわたしは幸せに生きたい。じゃあ拓海くんの元から逃げ出せばよかったじゃないかって言われるかもだけど、わたしは拓海くんと一緒にいたいのだ。拓海くんと一緒にいることがわたしの幸せなのだ。
自己中だと笑われるだろう。でもそれでよかった。
もうこんな大罪を犯してしまっている以上、他人に笑われるのなんて痛くもかゆくもない。
今日もわたしは拓海くんの隣で目覚めた。
すべてを投げ出してしまいたくなるような世界で、唯一失いたくないものが隣にある。
もう生活リズムなんてどうでもよくなって、もう少しごろごろしていようと思った。一度は起こした身体をまた戻す。
拓海くんはわたしの手を握りながら眠っていた。幸せそうな笑みを浮かべて眠っている。
わたしもそれを見て微笑むと、拓海くんの唇にそっとキスを落とした。
拓海くんに背を向けて横になる。わたしは一度起きてしまうとなかなか眠れない。携帯を眺めていると、後ろから抱きしめられた。
「気持ち悪いくらい堂々としてんのはやだな」
璃恋が笑った。ぽろりと涙が一粒落ちていく。
「これ嬉し泣きですから。そういうことにしてください」
ああ、ほんと、強い人だ。
そんな璃恋だから好きになったんだっけ。
俺はハンドルに置いていた右手を離して、涙を拭った。
別に悲しくて泣いてるわけじゃない。
これは、嬉し泣き、だから。
2
久しぶりのドライブをふたりで楽しんでいるととき間はあっという間に過ぎて、車はアパートの近くまで来ていた。
「あ、あれじゃないですか。あのピンク色のアパート」
「ほんとだ。なんかめっちゃ派手じゃない?ピンクってお陰で目立ってるし」
「いいじゃないですか、可愛くて。モチベーション上がりますよモチベーション」
「それいつかも言ってたな」
駐車場に車を停めて、荷物をすべて持ってアパートに入る。隣に住んでいる人がいたらどうしようかと思ったが、生憎隣人はいないようだった。
「隣に住んでる人とかいないんですね。わりと綺麗なアパートなのに」
「ね。見て、ここも窓大きい」
家の中に入った拓海くんが声を上げる。リビングに入った瞬間大きな窓が視界に飛び込んできた。
拓海くんは窓で物件を選んでいるんじゃないかと思うほど、行く先行く先の家に大きな窓がある。この前の一軒家は少し先にビルがあってあまり景色が見えなかったけれど、今回はいい感じだ。
「すげー、あんな遠くまで見える」
楽しそうに声を上げる拓海くんを横目に、スーツケースを開いて荷物を出した。ここにいられるのはあとどれくらいだろうか。そう言えばここはあまり汚くない。
「ここはあんまり汚くないんですね。埃だらけかと思ってました」
「あぁ、前のアパートと近かったから、ちょくちょく掃除に来てたんだよ。だから綺麗なの」
そう言いながら拓海くんはソファに座り込んだ。数とき間車を運転していたから相当疲れたはずだ。それと心にかかる負担も少なからず拓海くんの身体にダメージを与えているだろう。
「寝ていいですよ、なんかあったら起こします」
「ほんと?もし警察来たらどうする?」
「……そのときはそのときです」
「うわそれ怖いわ」
とか何とか言っていたけれど、結局はすぐに眠っていた。最初のアパートと少し雰囲気が似ているせいもあるのだろう。
それが余計にわたしたちを落ち着かせて、ときに油断させる。
わたしは閉じられていたカーテンをこっそり開けて窓の外を見た。数週間前まで毎日見ていた景色だった。
あの頃は、こんなことになるなんて全く予想していなかった。わたしは拓海くんと、ずっと一緒にいるものだと思っていた。
近くに大きな公園が見える。そこは拓海くんと雪遊びをして遊んだ公園で、寒かったけど楽しかったことが印象に残っている。なんだっけ、お互いに照れてた気もするな。わたしが何か言ったんだっけ。
そう考えていると、拓海くんが後ろから抱きついてきた。寝ていると思っていたのに。相変わらずやることが子供みたいだなぁと思う。
「寝てなかったんですか?」
「うん、なんか寝れなくて。身体は疲れてるんだけどね」
じゃあ寝てください、と言って拓海くんをソファに戻らせた。わたしは離れようとしたけれど、拓海くんに腕を掴んで止められる。
「璃恋がいないと寝れない気がするから、いて」
とくん、と心臓が強く鳴って、口角がじわじわ上がっていく。顔が火照る。眠いのかとろんとしている顔と声が可愛くて、今すぐにでも可愛いと叫びたくなる。その衝動を必死に堪えながら拓海くんの隣に座った。
お互いの肩が触れ合い、直に体温が伝わる。ふわりと別世界に誘われるように、眠気がわたしを誘う。拓海くんも同じなようで、目を閉じてうつらうつらとしていた。
電気はつけていないし、バレないようにカーテンは閉めている。
その隙間から入ってくる一筋の光だけが、味方のように思えた。
目覚めるともう日は暮れていた。携帯の充電がないことに気づき、充電器はどこだろうとスーツケースを漁っていると、物音に反応したのか拓海くんが目を覚ます。
「ごめんなさい、起こしましたね」
「いいよ……今何とき?」
「七とき過ぎです。あ、充電器あった」
充電器をコンセントに挿して携帯につなげる。ポロンと音を立てて充電がされた。
夜ご飯を食べようと冷蔵庫を開けたものの中身は空っぽで、結局持ってきたパンを食べることになった。拓海くんは文句を言いつつもずっと楽しそうだ。楽しそうな拓海くんを見ているとわたしも自然に笑顔になる。
思っていた以上にお風呂は広くて、一日の疲れが溶けていくのを感じた。
お風呂から上がると拓海くんがテレビを見て笑っていた。いつもテレビはあまり見ていなかった。何より拓海くんのニュースが目に入ると嫌だし、面白いと思えるものがなかったから。
だからこそこうやってテレビを見て笑っている拓海くんを見るのは新鮮だった。
そのまま少しふたりでテレビを見て、沢山笑ってからベッドに入った。
寝室は二階にあって、大きなベッドがひとつだけ置かれていた。この家を買ったときはひとりだったからひとつのベッドでいいと思ったらしい。だとしても大きすぎると思う。だってふたりで並んでもまだまだ余白がある。
ベッドに乗ると音を立ててきしんだ。マットレスが心地よく反発して、また眠気を誘う。
隣に手を伸ばすと拓海くんの手に触れる。ぎゅっと手を繋いだ。
身体を蝕んでいた不安は、いつしか消え去っていた。
3
朝起きたら世界は変わっているんじゃないかって、毎日のように思う。
わたしたちが追われることもなくなって、平和に過ごせるんじゃないかって。もしかしたらこれはぜんぶ夢で、ただ都合の悪い悪夢を見ているだけなんじゃないかって。本当はわたしたちがいるのはあのぼろぼろのアパートで、そこでただ眠っているだけなんじゃないかって。
そう期待をしながら眠って、朝には現実を突きつけられる。
期待をしなきゃいいって分かっているけれど、やっぱりわたしは幸せに生きたい。じゃあ拓海くんの元から逃げ出せばよかったじゃないかって言われるかもだけど、わたしは拓海くんと一緒にいたいのだ。拓海くんと一緒にいることがわたしの幸せなのだ。
自己中だと笑われるだろう。でもそれでよかった。
もうこんな大罪を犯してしまっている以上、他人に笑われるのなんて痛くもかゆくもない。
今日もわたしは拓海くんの隣で目覚めた。
すべてを投げ出してしまいたくなるような世界で、唯一失いたくないものが隣にある。
もう生活リズムなんてどうでもよくなって、もう少しごろごろしていようと思った。一度は起こした身体をまた戻す。
拓海くんはわたしの手を握りながら眠っていた。幸せそうな笑みを浮かべて眠っている。
わたしもそれを見て微笑むと、拓海くんの唇にそっとキスを落とした。
拓海くんに背を向けて横になる。わたしは一度起きてしまうとなかなか眠れない。携帯を眺めていると、後ろから抱きしめられた。