それに、こうして誰かに愛されることを知ってしまったら、もうあの頃には戻れない。
拓海くんだって分かってくれていると思っていた。わたしは拓海くんと一緒にいなきゃだめなんだと、気づいた上で逃げようとしてくれているのかと思った。
もしかしてそれは、違った――
――一緒に死ぬ?
欲しかった言葉が、やっと届いた。
拓海くん、と名前を呼ぼうとした瞬間、彼の綺麗な唇が動く。
――なーんて。嘘だけど。
嘘になんかしないで。嘘にしなくていいから。一緒に死ねればどれだけいいか。
手を繋いで、キスをして、あわよくば抱き合ったまま死ねたなら――
「璃恋」
気づけば車は高速道路に乗り込んでいて、目的地へと最高速度で向かっている。
「大丈夫?そう言えばお昼食べてないから、パンでも食べなと思ったんだけど」
「あぁ……ありがとうございます」
持ってきたパンを取り出す。パンを見ると急に空腹が気になりだして、ぐうとお腹が鳴る。拓海くんはそれに気づかないふりをしてくれたけど、逆にそれが気まずさを生んだ。
誤魔化すようにパンを口に入れた。
「あ、拓海くんも食べます?栄養補給しなきゃですよ」
「俺はいいや。運転しなきゃだし、あんまお腹空いてないしね」
車が止まる。沈黙が流れる。わたしはただ黙って、パンを食べている。
「――そう言えば、今何考えてたの?」
言ったら、あなたはわたしの頼みを聞いてくれる?殺して欲しい、って願いを、叶えてくれる?
そんなわけはない。この願いは身勝手すぎる。
「殺して欲しい、って言ったらどうしますか」
ただ少しだけ――期待してみるのも、悪くはないよね。期待して裏切られたら傷つくって分かってはいるけれど、拓海くんならいいから。
パンを食べながら不貞腐れたように言ってやった。拓海くんは顎に手を当てて何かを考えるようなポーズを取る。
「何それ。そんなこと言うなよ」
やっぱりほら、上手くあしらわれた。
拓海くんのその言葉は、どんな思いから来ているのだろうか。単にわたしのことを殺したくないだけなのか、それともそんなことは面倒臭いと思っているのか。
どっちにしろわたしは嬉しくはない。
わたしは拓海くんがいない未来なんていらなくて、死ぬなら拓海くんに殺されたいのに。
そう言ったって拓海くんはわたしを殺すことはしないんだろう。
ほんと、どこまでも優しい人だ。
止まっていた車が動き出して、どんどんスピードを上げていく。
目が潤んで、なにかが溢れそうになる。わたしは窓を開けた。砂なのか何なのか分からないけれど、細かい何かが目に入ったような気がした。
もう堪えきれなくなって、涙が一筋、頬を伝う。
悲しいから、怖いから泣いてるわけじゃない。
何かが目に入って、目が痛いから泣いているんだ。
頬を伝う雫を拭いながら、わたしは窓の外の景色を見つめた。
*
「殺して欲しい、って言ったらどうしますか」
途端に頭を抱えたくなった。
この前――逃げることを決めたあの日から、璃恋にこんな内容のことを言われることが多くなった。
俺が死ぬことだけが動かせない事実になっている中、どうしたかいいか揺れ動いているんだろう。覚悟を決めて着いてきてくれているはずなのに、いざその事実に直面すると怖くなってしまうんだろう。
出会った頃ならきっと、璃恋の頼みを受け入れていたと思う。出会った頃なら。
――今は違う。
今は璃恋に生きて欲しくてたまらない。俺が奪ってしまった幸せの分まで、璃恋には生きて欲しい。
だから、俺は璃恋を殺さない。いや、殺せない。
「何それ。そんなこと言うなよ」
そう言うと璃恋は分かりやすくそっぽを向いた。ほんと分かりやすいな。昔から璃恋はそうだ、すぐ顔に出る。
不機嫌なときも、嬉しいときも、悲しいときも、怒ってるときも。
ふと駅前で璃恋の友達に会ったときのことを思いだした。その友達は表情豊かで、そんなところが羨ましいんです、なんて言っていたっけ。俺にとっては璃恋もかなり表情豊かな方だけど、と思ったのを覚えている。
ずび、と鼻を啜る音が聞こえた。
璃恋を見ればかゆいのか目を擦っている。その瞳に輝くものがあった。泣いているのか。そう気づいたけれど、見て見ぬふりをした。
俺は人の気持ちを理解することが苦手だ。
元々クズみたいな性格だったし、それは大して今も変わってないけれど、昔の方が人に歩み寄ろうとしていなかった気がする。
歩み寄るだけ無駄。いつしかきっと裏切られる。そう思って誰のことも信じてこなかった。
でも今は少しだけ、璃恋の気持ちが分かる気がした。
お互いがお互いのことを好きで、ただ幸せだけを求めて必死に生きているのに、逃げているのに、その先に一緒にいられる未来はない。だったら、好きな人に殺されてしまいたい。きっとそう思っているんだろう。
その気持ちを少し嬉しいと思ってしまった反面、申し訳なさでいっぱいになった。
きっと俺と出会わなければ、死にたいとか殺されたいとか、簡単に命を投げ捨てるようなことは言わなかったはずだ。
俺のせいでそんな風にしてしまった。俺が璃恋の人生を歪めてしまった。
そう思うと気持ち悪くてたまらない。一緒にいたいと思うのに、一緒にいてはいけないと頭のどこかが言う。
今更過ぎるかと思い、ため息をついた。きっと俺も怖がっているんだろうな。なんだかんだ言って死ぬのが怖いから、璃恋を失うのが怖いから、その前に繋いだ手を離そうとしている。心が揺れている。
「……ごめん」
咄嗟に口から出たのは感情も何一つこもっていなさそうな謝罪だった。璃恋は俺の方に顔を向けるとふるふると顔を横に振る。
俺は前を見ているから璃恋がどんな顔をしているか分からない。車は停まっているから、璃恋の方を向いたって構わないのだけれど。
「なんで謝るんですか」
「今更過ぎるけどさ、唐突に思っちゃって。俺たち、出会わない方がよかったのかな、なんて」
分かってる、分かってる。
誰も彼もそんなことは思っていない。一番そう思っていないのは俺と璃恋だ。
出会えてよかった、って何度口にしたか分からない。手を繋ぎながら、キスをしながら、抱き合いながら。何度も何度も口にした。璃恋からも、その台詞を何度も聞いた。
だからこそそう思ってなんかいないって、分かったはずなのに。
「……そんなこと、言わないでください」
璃恋の顔を見られないまま、前の車が進んでいく。そうなってしまったらもう停まっていることはできない。
俺は車を発進させ、言った。
「ごめん、急にこんなこと言って。今からでもまだ遅くないから、やっぱり璃恋は逃げて」
「わたしは」
久しぶりに聞いた、璃恋の強い声だった。
時に狂気なんじゃないかと思うほど鋭いその声は、窓を開けている影響でうるさすぎる風の音が聞こえる中でも、はっきりと俺の耳に届いた。
「わたしは、拓海くんとで会えて良かったって思ってます。何度言わせるんですか、わたしの幸せは拓海くんといることだって。そうやってくよくよして、何度も悩んでるところ、嫌いです」
璃恋に嫌いだなんて言われたのは初めてで、思わず苦笑を浮かべる。ただその言葉は俺にとっての強烈な一発となって、身体の中にずっとあった気持ち悪さがすぅっと抜けていった。
拓海くんだって分かってくれていると思っていた。わたしは拓海くんと一緒にいなきゃだめなんだと、気づいた上で逃げようとしてくれているのかと思った。
もしかしてそれは、違った――
――一緒に死ぬ?
欲しかった言葉が、やっと届いた。
拓海くん、と名前を呼ぼうとした瞬間、彼の綺麗な唇が動く。
――なーんて。嘘だけど。
嘘になんかしないで。嘘にしなくていいから。一緒に死ねればどれだけいいか。
手を繋いで、キスをして、あわよくば抱き合ったまま死ねたなら――
「璃恋」
気づけば車は高速道路に乗り込んでいて、目的地へと最高速度で向かっている。
「大丈夫?そう言えばお昼食べてないから、パンでも食べなと思ったんだけど」
「あぁ……ありがとうございます」
持ってきたパンを取り出す。パンを見ると急に空腹が気になりだして、ぐうとお腹が鳴る。拓海くんはそれに気づかないふりをしてくれたけど、逆にそれが気まずさを生んだ。
誤魔化すようにパンを口に入れた。
「あ、拓海くんも食べます?栄養補給しなきゃですよ」
「俺はいいや。運転しなきゃだし、あんまお腹空いてないしね」
車が止まる。沈黙が流れる。わたしはただ黙って、パンを食べている。
「――そう言えば、今何考えてたの?」
言ったら、あなたはわたしの頼みを聞いてくれる?殺して欲しい、って願いを、叶えてくれる?
そんなわけはない。この願いは身勝手すぎる。
「殺して欲しい、って言ったらどうしますか」
ただ少しだけ――期待してみるのも、悪くはないよね。期待して裏切られたら傷つくって分かってはいるけれど、拓海くんならいいから。
パンを食べながら不貞腐れたように言ってやった。拓海くんは顎に手を当てて何かを考えるようなポーズを取る。
「何それ。そんなこと言うなよ」
やっぱりほら、上手くあしらわれた。
拓海くんのその言葉は、どんな思いから来ているのだろうか。単にわたしのことを殺したくないだけなのか、それともそんなことは面倒臭いと思っているのか。
どっちにしろわたしは嬉しくはない。
わたしは拓海くんがいない未来なんていらなくて、死ぬなら拓海くんに殺されたいのに。
そう言ったって拓海くんはわたしを殺すことはしないんだろう。
ほんと、どこまでも優しい人だ。
止まっていた車が動き出して、どんどんスピードを上げていく。
目が潤んで、なにかが溢れそうになる。わたしは窓を開けた。砂なのか何なのか分からないけれど、細かい何かが目に入ったような気がした。
もう堪えきれなくなって、涙が一筋、頬を伝う。
悲しいから、怖いから泣いてるわけじゃない。
何かが目に入って、目が痛いから泣いているんだ。
頬を伝う雫を拭いながら、わたしは窓の外の景色を見つめた。
*
「殺して欲しい、って言ったらどうしますか」
途端に頭を抱えたくなった。
この前――逃げることを決めたあの日から、璃恋にこんな内容のことを言われることが多くなった。
俺が死ぬことだけが動かせない事実になっている中、どうしたかいいか揺れ動いているんだろう。覚悟を決めて着いてきてくれているはずなのに、いざその事実に直面すると怖くなってしまうんだろう。
出会った頃ならきっと、璃恋の頼みを受け入れていたと思う。出会った頃なら。
――今は違う。
今は璃恋に生きて欲しくてたまらない。俺が奪ってしまった幸せの分まで、璃恋には生きて欲しい。
だから、俺は璃恋を殺さない。いや、殺せない。
「何それ。そんなこと言うなよ」
そう言うと璃恋は分かりやすくそっぽを向いた。ほんと分かりやすいな。昔から璃恋はそうだ、すぐ顔に出る。
不機嫌なときも、嬉しいときも、悲しいときも、怒ってるときも。
ふと駅前で璃恋の友達に会ったときのことを思いだした。その友達は表情豊かで、そんなところが羨ましいんです、なんて言っていたっけ。俺にとっては璃恋もかなり表情豊かな方だけど、と思ったのを覚えている。
ずび、と鼻を啜る音が聞こえた。
璃恋を見ればかゆいのか目を擦っている。その瞳に輝くものがあった。泣いているのか。そう気づいたけれど、見て見ぬふりをした。
俺は人の気持ちを理解することが苦手だ。
元々クズみたいな性格だったし、それは大して今も変わってないけれど、昔の方が人に歩み寄ろうとしていなかった気がする。
歩み寄るだけ無駄。いつしかきっと裏切られる。そう思って誰のことも信じてこなかった。
でも今は少しだけ、璃恋の気持ちが分かる気がした。
お互いがお互いのことを好きで、ただ幸せだけを求めて必死に生きているのに、逃げているのに、その先に一緒にいられる未来はない。だったら、好きな人に殺されてしまいたい。きっとそう思っているんだろう。
その気持ちを少し嬉しいと思ってしまった反面、申し訳なさでいっぱいになった。
きっと俺と出会わなければ、死にたいとか殺されたいとか、簡単に命を投げ捨てるようなことは言わなかったはずだ。
俺のせいでそんな風にしてしまった。俺が璃恋の人生を歪めてしまった。
そう思うと気持ち悪くてたまらない。一緒にいたいと思うのに、一緒にいてはいけないと頭のどこかが言う。
今更過ぎるかと思い、ため息をついた。きっと俺も怖がっているんだろうな。なんだかんだ言って死ぬのが怖いから、璃恋を失うのが怖いから、その前に繋いだ手を離そうとしている。心が揺れている。
「……ごめん」
咄嗟に口から出たのは感情も何一つこもっていなさそうな謝罪だった。璃恋は俺の方に顔を向けるとふるふると顔を横に振る。
俺は前を見ているから璃恋がどんな顔をしているか分からない。車は停まっているから、璃恋の方を向いたって構わないのだけれど。
「なんで謝るんですか」
「今更過ぎるけどさ、唐突に思っちゃって。俺たち、出会わない方がよかったのかな、なんて」
分かってる、分かってる。
誰も彼もそんなことは思っていない。一番そう思っていないのは俺と璃恋だ。
出会えてよかった、って何度口にしたか分からない。手を繋ぎながら、キスをしながら、抱き合いながら。何度も何度も口にした。璃恋からも、その台詞を何度も聞いた。
だからこそそう思ってなんかいないって、分かったはずなのに。
「……そんなこと、言わないでください」
璃恋の顔を見られないまま、前の車が進んでいく。そうなってしまったらもう停まっていることはできない。
俺は車を発進させ、言った。
「ごめん、急にこんなこと言って。今からでもまだ遅くないから、やっぱり璃恋は逃げて」
「わたしは」
久しぶりに聞いた、璃恋の強い声だった。
時に狂気なんじゃないかと思うほど鋭いその声は、窓を開けている影響でうるさすぎる風の音が聞こえる中でも、はっきりと俺の耳に届いた。
「わたしは、拓海くんとで会えて良かったって思ってます。何度言わせるんですか、わたしの幸せは拓海くんといることだって。そうやってくよくよして、何度も悩んでるところ、嫌いです」
璃恋に嫌いだなんて言われたのは初めてで、思わず苦笑を浮かべる。ただその言葉は俺にとっての強烈な一発となって、身体の中にずっとあった気持ち悪さがすぅっと抜けていった。