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璃恋が出て行って数十分が経った。
俺がどことなくそわついていて落ち着かない。
本音を言うならば、母親と会わせることは少し心配だった。本当は会わせたくなかった。璃恋に傷ついて欲しくない。それでも璃恋がせっかく勇気を出したなら、それを応援してあげたい。
そう思って見送ったのに、どうにも心配で仕方がない。これじゃあまた璃恋に笑われる。
ズボンの後ろポケットに突っ込んでいた携帯が震えた。携帯を取り出し、画面を見ると璃恋からの着信だった。終わったら連絡をくれるとは言っていたけど、流石に早すぎやしないか。
「もしもし、どうした、もう終わった?」
『違うんです、店予約したって言ってたんですけど、そんな予約はないって。萩乃って名前のお客さんは来てないし、予約もなくて。どうしたらいいか分からなくて』
「ちょっと待って、どういうこと?」
電話の向こうの璃恋はひどく怯えて取り乱していた。一度は信頼した母親なだけに、裏切られるようなことをされたのが辛かったのだろう。
「分かった。取りあえず俺がそっち行くよ」
『え、でも』
「大丈夫だから。ちょっと時間かかっちゃうけど、いい?」
俺が行くのではなく、璃恋に戻ってきてもらう方がよかったのだろうか。分からない。俺も冷静ではなくて、どうすべきか正常な判断力を失っていた。
璃恋が何かを言いかけて、やめる。もごもごと口を押さえられているような音が聞こえる。
なんだ、何が起きてる。急いでビデオ通話に切り替えるけど、璃恋は応答しない。璃恋、璃恋、と名前を呼んでも、何も返ってこない。
ビデオ通話の画面に切り替わったと思ったら、知らない男が現れた。黒いパーカーのフードを被って顔を隠した男。顔を見せろ。お前は誰だ。
『黒瀬拓海。俺はお前を殺す。これから住所を言うから十二時ぴったりにそこに来い』
そう言いながら男がフードを取る。男の顔が露わになる。その顔に、見覚えがあった。
茶色の長い髪。目元に棲みつく色濃い影。最近路地裏で会った、あの男だ。
あっけにとられていると男が住所を言い始めた。急いでメモを取り出して、言われた住所を書き殴る。携帯に映し出された男の顔をスクリーンショットしておく。後でどんなやつか調べておこう。
「おい、璃恋は」
『安心しろ。眠らせただけだ』
届かないと頭では分かっているのに、口が勝手に璃恋の名前を呼ぶ。結果的にそれは誰にも届かず、電話が切られた。
舌打ちをし、近くに置いてあった銃を掴み、携帯を手に持ちながら家を出る。近くの駅まで走り、電車に飛び乗った。
座っている余裕はない。なるべくドアに近いところに立ち、他人の個人情報が見れるサイトに飛ぶ。闇サイトかって?そんなの当たり前だ。
先程スクリーンショットした画像を検索にかける。数人が候補として出てくる中、一番上に出てきた男の画像をタップする。
顔も身体も同じ。きっとこいつだ。
名前、生年月日、住所――様々なものを確認し、最後に備考欄を確認する。説明を見た瞬間、息をのんだ。そういうことだったのか。
どうして璃恋を攫ったのか、あの日俺に襲いかかってきたのか真意が掴めなかったけれど、きっとこれが理由だ。
〈備考〉
数年前に六年付き合った彼女を喪っている。遺体の状況から殺害かと思われており、犯人は未だ見つかっていない。犯人捜しと復讐のために生きている。
その彼女の写真もあった。数年前に俺が殺した人だ、間違いない。
男は彼女を俺に殺され、俺を恨み、俺を殺そうとしている。それと同時に、俺に自分と同じ苦痛を味わわせようとしているのだ。
愛する人を喪う悲しみと痛み。それを味わわせるため、璃恋を攫った。
次の駅を告げるアナウンスが入る。ここで降りるんだ。
電車が止まり、ドアが開いた瞬間、すぐに飛び出した。ホームで電車を待っていたスーツの男性に嫌そうな目で見られたけど、そんなことを気にしている場合じゃない。
階段を全速力で降り、駅の構内を出た。
男が言った住所はひとつのアパートの住所だった。この辺りに離れていないからどこなのか全く分からない。きっとタクシーを拾った方が早いだろうと思い、目の前に止まっているタクシーに声をかけた。
タクシーに乗り込み、住所を言う。パネルで住所を検索した運転手さんに不思議なことを言われた。
「そこに行ってどうするんです?そのアパート、数年前に誰も住まなくなって、今は廃墟と化してますけど」
運転手の問いかけには答えず、ただ出してくださいとだけ言った。俺の急いでいる様子を感じ取ったのか、運転手さんはすぐにタクシーを出してくれた。
少し走ればアパートが見えてきた。手前で止めてもらい、代金を払って車を降りる。
さて、どうしたものか。
迂闊に行動をして璃恋を殺させるわけにはいかない。取りあえずアパートの裏側に回ってみることにした。息を潜めて裏に回る。どこの部屋も電気はついていないようだ。
ただ、ひとつの部屋だけ、人影がうっすらと見えた。
カーテンに遮られているから、はっきりとは見えないけれど、きっと人がいる。立っている男と、座っている女の影。
立っている方がきっと璃恋を攫った男で、座っているのが璃恋だろう。この状況でただ座らされているとは考えにくいから、きっと手足を縛られていたりするんだろう。
はぁとため息をついて、服の下に隠した銃を取り出した。
侵入はできなさそうだ。窓ガラスを割って入ろうにも一発でバレておしまい。
仕方ない、真っ正面から挑んでやろう。
時間を確認すればもうすぐで十二時だった。男が指定してきた時間。
銃の速射速度には自信がある。どれだけ早く引き金を引けるか、または獲物が出てきたタイミングに合わせて撃てるか。もう何年も使っている銃だから引いたときの感覚も、出る弾の速度まで分かっている。大丈夫、負けることはない。
玄関の前に立ち、インターホンを探す。しかしインターホンは見当たらない。どうやらノックをするしかなさそうだ。それにしてもインターホンがないなんて、どれだけ古いんだ、この家。
俺は右手に銃を持ったまま、どんどんと扉を叩いた。扉の向こうにいる、男に届くように。俺が来たぞと、伝えるように。
ドアから手を離し、銃を構えた。鍵がかちゃりと開く音がして、ドアがゆっくりと開く。男の頭が見えた瞬間、俺は引き金を引いた。
ドアの向こうからも銃身が出てきて、引き金には指がかかっている。その指はゆっくりと引き金を引いて、放たれた弾丸は俺の頬を掠めた。
それきり指は動かなくなって、ばたんと身体の倒れる音がする。
銃を構えたまま様子を確認すると、扉の向こうに男が倒れていた。頭から血が噴き出し、口からも血があふれ出している。
「……拓海くん」
「まだ終わってないから」
怯えている様子で璃恋が俺を呼ぶ。本当なら今すぐ走って行って抱きしめてやりたいが、男はまだ生きている。小さい呻き声と、微かに息をする音がする。
男が持っていたはずの銃は床に落ちていた。取り落としたのだろうかと思ったが、そうではないようだ。引き金にかかっていた指は、首にかけたネックレスのペンダントトップを握っている。
頭に銃口を突きつけ、数発ほど撃ち込めば、呻き声と呼吸音はピタリと止んだ。
ただ、未だペンダントトップは握ったままだ。