「あいつは相当狂ってる。いや、相当とかじゃねえな。狂いきってる。人を殺すことになんとも思ってない、最低なやつだよ」
「そんなことないです」
 拓海くんをひどく言われるのが許せなくて、大声を上げて言った。
 確かにこの男の言う通りかもしれない。端から見れば拓海くんは狂ってて、最低な人間なのかもしれない。でもわたしにとっては違う。
 生きる意味をくれた、大切な人なのだ。誰が拓海くんのことをなんと言おうと、わたしは拓海くんのそばにいたい。
 彼はタバコを手に持ったまま、わたしの目の前にしゃがんだ。
「そんなことない?じゃああいつは今殺しやめて真っ当に生きてんのか?違うだろ」
 男はむしゃくしゃしたのか近くにあった段ビールを蹴飛ばし、頭をかきむしると、タバコを吸った。さっきからタバコの匂いが鼻を刺す。タバコの匂いは得意ではない。窓際に立っているんだから窓を開けてくれればいいのに、わたしはそれを言う勇気がない。
「あいつは変わらず人を殺してる。それもずっとな」
 ひとつ、不思議なことがあった。
 どうして、この人は拓海くんのことを知っているんだろう。名前も、拓海くんのしていることも。仕事をしているときは黒瀬拓海という名前は使わずに、業界内だけの通り名を使っているはず。なのに、どうして。
 気になってしまえば止まらない。聞こう。普通こういう時にそんなことを聞いてはいけないのかもしれない。相手の逆鱗に触れて死ぬかもしれない。
 それでも、わたしはもう怖いものなんかない。
「あの」
「なんだよ」
「どうして、あなたは拓海くんのことを知ってるんですか?」
 彼の息の音とわたしの息の音、そしてわたしの鼓動の音と、彼が持つタバコがぱちぱちと爆ぜる音が聞こえる。彼はタバコに口をつけ、口から煙を吐き出すと、タバコを灰皿に捨てて口を開いた。
「……長くなるけど、聞いてくれるか」
 わたしは強く頷いた。
「もうすぐ、付き合って六年になる彼女がいたんだ」
 予想していなかった方向の話だ。これがどう拓海くんに繋がるのだろう。
「ある日、友達と飲みに行くっつって家を出てったんだ。俺も知ってるやつだって言ってたから、何も思わず行かせたんだけど」
 内容が掴みづらい。わたしの理解力が乏しいのだ。
「彼女は出てったきり、帰ってこなかった。朝には帰るって言ってたのに帰ってこなくて、連絡もつかなくて。どうしようって思った矢先、警察から連絡が来た」
 もしや。彼はわたしを見て軽く笑うと、話を続けた。
「死んだ、ってさ。路地裏で何者かに殺されてた。何度も何度も刺されて撃たれて、遺体はぐちゃぐちゃだったよ」
 彼の瞳に、後悔の色が浮かぶ。どうしてあの時、と何度も何度も後悔を繰り返しているのだろう。それと同時に――真っ赤な、憎しみの色が目に灯った。
「なんの前触れもなく、彼女は突然殺された。知らない誰かに。後々知ったけど、嘘つかれてたんだよ。友達とじゃなくて、マッチングアプリで知り合ったやつと飲み行こうとしてたらしい」
 頭の中で様々な考えが駆け巡る。わたしはひとつの答えとも言えそうな物にたどり着いた。
「それが、拓海くん」
 声が震える。今更何に怯えているんだ。
 彼はわたしの呟きを聞くなり、不穏な笑みを浮かべた。
「正解。名推理だな」
 彼の瞳を覆っていた前髪がはらりと落ちる。瞳は、あるべき輝きを失い、ただ憎しみだけが揺れていた。
「許せなくて許せなくて、沢山調べたよ。彼女を殺したのは誰なのか。それにたどり着くまで数年かかった。やっと見つけて、やっと殺せるって思った」
 冷たい視線に肌が粟立つ。わたしは手のひらをきつく握りしめた。
「俺はあいつを許さない。あいつは、俺の大事な人を殺したんだよ」
 唾を飛ばしながら、彼はそう言った。目は大きく見開かれ、首には血管が浮き上がり、額には汗が浮かんでいる。もう目の前の彼は人間ではなかった。大切な人を失い、復讐を果たそうと生きている。
――ケダモノ、だ。
 ケダモノにまで落ちてしまった彼のことは誰も止められない。強いて言うならばその亡くなった彼女さんなんだろうけど、死んだ人は生き返ることはできない。
 彼は本気で拓海くんを殺す気だ。
 それも拓海くんが一番傷つくであろうやり方で。明確な殺意がなきゃこんなことはしない。ただ拓海くんを殺せばいいだけ。それなのにわたしを攫ったのは、きっと自分と同じ苦しみを与えたいからなんだろう。
「だから、わたしを攫ったんですか」
「やっぱり察しがいいな。そうだよ。ただ殺すだけなんてつまらない。俺と同じ苦しみを与えてから殺すんだ」
 彼は床にぽつりと置かれていた鞄を取ると、その中から銃やナイフを取り出し、床に並べた。すべて綺麗な新品だ。この日のために用意したのだろうか。他にも爆薬や、見たことのない白色の粉――きっと麻薬だ――まで、様々な物が並べられている。
「なぁ、どれがいいと思う?」
「……どれで殺すか、ってことですか」
「物わかりがいいな。まさか、お前も殺しやってんのか?」
 そう言うなりわたしに寄ってきて、首筋に顔を埋めてくる。息がかかる。気持ちが悪い。
「やっぱそうか。取れねぇんだよ、染みついた血の匂いは。お前も共犯か」
「だとしたらどうするんです?」
 真下から彼を睨みあげる。彼は少し怯むと、銃をくるくると指で回す。
「どうもしねぇよ。お前を殺してからあいつを殺す。それだけだ」
「その後あなたは?」
「自分で死ぬさ」
 彼は銃を撫で、握った。銃でわたしを殺すことにしたらしい。
「銃にするんですか?」
「あぁ。嫌か?」
「いいえ。でももし、あなたが先に拓海くんに殺されたらどうするんですか?わたしのことも、拓海くんのことも殺せませんよ」
 彼は笑った。にやりとした、なにかを企んでいるような笑みだった。
「それでもいいんだ。お前らを潰す算段はもうできてる。その時が来れば、お前たちはもう笑ってられない。刻一刻とその時間は近づいてんだよ」
 よく意味が分からない。潰す算段?わたしたちを直接的に殺せないのであれば、間接的にわたしたちを殺そうという意味なのだろうか。
「そろそろあいつが来る時間だ。まずあいつに一発入れて、それからあいつの前でお前を殺してやる。せいぜい殺される準備でもしとけよ」
 彼は時計を見つめながら、首にかけていたネックレスを握っていた。ネックレスのトップには小瓶がついていて、その中に何か入っている。さらさらとした、白い粉のようなものだ。きっと彼女さんの遺骨か何かだろう。遺骨をネックレスにしてくれるサービスがあるとどこかで聞いたことがある。
 そのネックレスを握ったまま、彼は何かぶつぶつと呟いている。きっと、ここにはいないたったひとりの彼女さんに、何かを届けようとしているのだろう。これで終わるよ、もう大丈夫だよと――まるで何かの誓いでもするかのように、彼は呟きを繰り返している。
 わたしがその様子を見つめていると、どこからかドアを叩くような音が聞こえた。何回も何回も、強くドアを叩いている。きっと拓海くんが来てくれたのだ。
 彼が一瞬わたしを見て、ドアの方に向かう。その手には銃が握られ、いつでも引き金が引けるように指が添えられている。
 ドアが開いた。耳を塞ぎたくなるような銃声が聞こえる。誰かが倒れる音がする。
 倒れたのは誰だろう。拓海くん?それとも彼?
 身体を動かし、ドアの方に向かう。
 そこに、倒れていたのは――