璃恋の柔らかい指が俺の頬に触れた。俺もそこに手を伸ばすと、指先にほんのりと紅色がついた。きっと指先が掠ったのだろう、小さな切り傷だ。
「こんなん大したことないよ。ちょっと絡まれちゃって。ごめん、食材だめにしたかも」
「そんなのいいです、それより拓海くんは大丈夫ですか」
「だから大丈夫だって。てか豚肉がさ」
レジ袋を漁ろうとした瞬間、璃恋にふわりと抱きしめられた。璃恋に抱きしめられるのなんて片手で数えられるくらいしかなかったから、突然のことに心臓が大きく跳ねる。
変な男に絡まれて最悪だって思ってたけど、璃恋に抱きしめてもらえるなら、いいや。こんなハグひとつで喜ぶなんて、馬鹿だって言われるかもしれないけどさ。いいじゃん、馬鹿でも。好きなんだから。
どうすればいいか分からなくなって、腕を回そうとしてみたり、頭に触れようとしてみたり。結局ぎこちない動きで頭を撫でた。
「……帰ってくるの遅いなって、ちょっと心配してたんです。そしたらこんな傷つけて帰ってくるから」
「……ごめん、ほんと。ごめん」
身体が離れる。俺を見上げた璃恋は、泣いていた。涙を拭うと、また俺の頬に触れる。
「……もう、心配させないでください」
胸がきゅっと締め付けられるような感覚がした。
喉の奥から、絞り出されるようにして出された声。その声色は俺が初めて聞くもので、俺の心を強く締め付けた。
「ごめん。もう、心配かけないようにする」
「約束ですよ?」
「分かった、約束」
璃恋が小指を立てて、俺の前に出してくる。子供じみた指切りをしてから、璃恋は床に落とされていたレジ袋を手に取った。それから大声を上げる。
「ちょっと、おにくがひどいことになってるんですけど!」
「だから言ったじゃん、豚肉がって」
「もー、また買ってこなきゃじゃないですか。それとも今日のカレーはお肉抜きにしますか?」
「お、やっぱ今日カレーだったんだ。俺は別に肉抜きでもいいよ」
「やっぱってなんですか」
「予想してたの。あちょっと待って、肉抜きなのやっぱ嫌かも。カレーは肉あってのものでしょ」
「じゃあ今から買いに行きましょ。また出るの面倒臭いですか?」
「いや全然」
ふたりで靴を履いて、外に出て、ドアに鍵をかける。並んで、手を繋げば完璧だ。
夕焼けに伸びた俺たちの影が、寄り添うようにして並んでいた。
3
時計の針が午後六時を指し、空がすっかり暗くなった頃。
わたし達はふたり並んで、電車の座席に座っていた。
「次で降りるんでしたっけ」
「うん、次だね」
もう少しで目的地に着く。今日は前々から言っていたイルミネーションを見に行くのだ。イルミネーションはショッピングモールの近くで行われていて、今回は買い物も兼ねてやってきた。
隣の席で座っている拓海くんに頭を預ける。拓海くんは一瞬わたしを見た後、何も言わずに肩を貸してくれた。
乗り物酔いだろうか、さっきから頭がクラクラする。昔から電車やバスでは酔ってしまう体質だった。まだわたしが小さい頃、家族で旅行をしたときがあったが、電車に酔って旅行を台無しにしたこともあった。
家族は璃恋が大丈夫ならいいよ、と言ってくれていたけど、一日を無駄にしてしまったことはわたしの中で大きな罪悪感となった。その罪悪感は今も、わたしの中に残り続けている。
電車の動きが遅くなる。アナウンスが流れて、もうすぐ駅に止まることを告げる。拓海くんの肩に置いていた頭を戻し、身体に力を入れて立ち上がった。
先に拓海くんが電車から降りる。平日の夜といえど人は多い。はぐれないよう、ぴったりと後ろに着いていく。
手を繋げばいいじゃんって思われるだろうし思ったけど、拓海くんは人混みの中で手を繋ぐのが嫌いらしい。邪魔になるだろうし、転んだときとか危ないから、だって。
拓海くんは歩くのが速くて、すぐに見失いそうになってしまう。そのたびに拓海くんがわたしを振り返る。わたしだけを見て、微笑んでくれる。だからはぐれないで、一緒にいられる。
なんとかはぐれずに駅を出れば、色とりどりのライトで美しく彩られた木々たちがわたし達を出迎えた。
「わぁ……」
「こういうの久しぶりに見た、綺麗だな」
「わたしも久しぶりに見ました。綺麗」
イルミネーションによる美しい道はまだまだ続いているけれど、わたし達はそれをスルーして近くのショッピングモールへと入った。
「まずどうする?俺腹減ったんだけど」
「わたしもです。先ご飯にしますか」
適当に店に入り、向き合って座ってメニューを手に取る。イタリアの料理を扱っているお店のようで、メニューにはピザやパスタの写真が並んでいた。
せっかくならふたりで分けられるものにしようと思い、ふたりで相談してピザとパスタをひとつずつ頼んだ。どちらも大食いとかではないからそれぐらいで足りる。
お腹を満たしたあとはいろいろなお店を見て回った。
お目当ての洋服屋さんに行ったら、拓海くんが楽しくなったのか何着も服を買ってくれた。
買ってくれるのは嬉しかったけど、わたしだけだとなんだか申し訳ない。それを言ったら、「じゃあ俺の服選んでよ」と言われた。
気になった店に入って、拓海くんに似合いそうな服を何着か選ぶ。
ロングコートに細身のパンツ。ふわふわとして大きめのシルエットのニット。さらりと羽織れるような軽いシャツ。
拓海くんは白いコーデュロイのジャケットを手に取っていた。
「それにするんですか?」
「なんか可愛くない?璃恋もこんなの買ってたよね」
「買いましたけど。お揃いにでもするつもりですか?」
「嫌?」
「大歓迎ですけど」
「なんだよ」
わたしが選んだ洋服を渡して、拓海くんを試着室に押し込む。洋服選びのセンスが特にあるわけでもないから、ただわたしの好みでかつ拓海くんに似合いそうな服を選んでしまった。きっと今の流行りに敏感な女子高生なら、拓海くんに何が似合うとか分かるんだろう。
しゃっと滑車が滑る音がして試着室のカーテンが開く。
拓海くんはニットとパンツを着て、その上にロングコートを羽織っていた。
「どう?あんまこういう格好しないからよく分かんないんだけど」
どうやらその言葉は本当らしく、拓海くんはどこかそわそわとして落ち着かない様子だった。
「めちゃめちゃ似合ってます。かっこいいです」
「えーほんと?」
「ほんとですよ。この期に及んで嘘つかないですって」
他にも何着か試着して、結局わたしが選んだ服と、白いコーデュロイのジャケットを買うことにしたらしい。手にいっぱい服を持ってレジに向かっている。
いいお店なだけあって表示された金額はかなりのものだったけど、拓海くんは何も気にせずに会計をしていた。レジをしていた年配の女性は、こんな若造がどうしてこれだけの金を持っているんだろうと不思議そうな顔をしていた。
店員さんに見送られながら店を出て、また歩き出す。
「店員さん、めっちゃ驚いてましたよ」
「何に?」
「拓海くんがお金持ちなことに」
ははと拓海くんが声を上げて笑う。わたしの右手から洋服の入った紙袋を奪って、何かを言おうと口を開きかける。
言葉が見つからないのか、拓海くんは下唇を噛むと、少し考えた後に口を開いた。
「……まぁ、汚い金だけどね。ぜんぶ」
「こんなん大したことないよ。ちょっと絡まれちゃって。ごめん、食材だめにしたかも」
「そんなのいいです、それより拓海くんは大丈夫ですか」
「だから大丈夫だって。てか豚肉がさ」
レジ袋を漁ろうとした瞬間、璃恋にふわりと抱きしめられた。璃恋に抱きしめられるのなんて片手で数えられるくらいしかなかったから、突然のことに心臓が大きく跳ねる。
変な男に絡まれて最悪だって思ってたけど、璃恋に抱きしめてもらえるなら、いいや。こんなハグひとつで喜ぶなんて、馬鹿だって言われるかもしれないけどさ。いいじゃん、馬鹿でも。好きなんだから。
どうすればいいか分からなくなって、腕を回そうとしてみたり、頭に触れようとしてみたり。結局ぎこちない動きで頭を撫でた。
「……帰ってくるの遅いなって、ちょっと心配してたんです。そしたらこんな傷つけて帰ってくるから」
「……ごめん、ほんと。ごめん」
身体が離れる。俺を見上げた璃恋は、泣いていた。涙を拭うと、また俺の頬に触れる。
「……もう、心配させないでください」
胸がきゅっと締め付けられるような感覚がした。
喉の奥から、絞り出されるようにして出された声。その声色は俺が初めて聞くもので、俺の心を強く締め付けた。
「ごめん。もう、心配かけないようにする」
「約束ですよ?」
「分かった、約束」
璃恋が小指を立てて、俺の前に出してくる。子供じみた指切りをしてから、璃恋は床に落とされていたレジ袋を手に取った。それから大声を上げる。
「ちょっと、おにくがひどいことになってるんですけど!」
「だから言ったじゃん、豚肉がって」
「もー、また買ってこなきゃじゃないですか。それとも今日のカレーはお肉抜きにしますか?」
「お、やっぱ今日カレーだったんだ。俺は別に肉抜きでもいいよ」
「やっぱってなんですか」
「予想してたの。あちょっと待って、肉抜きなのやっぱ嫌かも。カレーは肉あってのものでしょ」
「じゃあ今から買いに行きましょ。また出るの面倒臭いですか?」
「いや全然」
ふたりで靴を履いて、外に出て、ドアに鍵をかける。並んで、手を繋げば完璧だ。
夕焼けに伸びた俺たちの影が、寄り添うようにして並んでいた。
3
時計の針が午後六時を指し、空がすっかり暗くなった頃。
わたし達はふたり並んで、電車の座席に座っていた。
「次で降りるんでしたっけ」
「うん、次だね」
もう少しで目的地に着く。今日は前々から言っていたイルミネーションを見に行くのだ。イルミネーションはショッピングモールの近くで行われていて、今回は買い物も兼ねてやってきた。
隣の席で座っている拓海くんに頭を預ける。拓海くんは一瞬わたしを見た後、何も言わずに肩を貸してくれた。
乗り物酔いだろうか、さっきから頭がクラクラする。昔から電車やバスでは酔ってしまう体質だった。まだわたしが小さい頃、家族で旅行をしたときがあったが、電車に酔って旅行を台無しにしたこともあった。
家族は璃恋が大丈夫ならいいよ、と言ってくれていたけど、一日を無駄にしてしまったことはわたしの中で大きな罪悪感となった。その罪悪感は今も、わたしの中に残り続けている。
電車の動きが遅くなる。アナウンスが流れて、もうすぐ駅に止まることを告げる。拓海くんの肩に置いていた頭を戻し、身体に力を入れて立ち上がった。
先に拓海くんが電車から降りる。平日の夜といえど人は多い。はぐれないよう、ぴったりと後ろに着いていく。
手を繋げばいいじゃんって思われるだろうし思ったけど、拓海くんは人混みの中で手を繋ぐのが嫌いらしい。邪魔になるだろうし、転んだときとか危ないから、だって。
拓海くんは歩くのが速くて、すぐに見失いそうになってしまう。そのたびに拓海くんがわたしを振り返る。わたしだけを見て、微笑んでくれる。だからはぐれないで、一緒にいられる。
なんとかはぐれずに駅を出れば、色とりどりのライトで美しく彩られた木々たちがわたし達を出迎えた。
「わぁ……」
「こういうの久しぶりに見た、綺麗だな」
「わたしも久しぶりに見ました。綺麗」
イルミネーションによる美しい道はまだまだ続いているけれど、わたし達はそれをスルーして近くのショッピングモールへと入った。
「まずどうする?俺腹減ったんだけど」
「わたしもです。先ご飯にしますか」
適当に店に入り、向き合って座ってメニューを手に取る。イタリアの料理を扱っているお店のようで、メニューにはピザやパスタの写真が並んでいた。
せっかくならふたりで分けられるものにしようと思い、ふたりで相談してピザとパスタをひとつずつ頼んだ。どちらも大食いとかではないからそれぐらいで足りる。
お腹を満たしたあとはいろいろなお店を見て回った。
お目当ての洋服屋さんに行ったら、拓海くんが楽しくなったのか何着も服を買ってくれた。
買ってくれるのは嬉しかったけど、わたしだけだとなんだか申し訳ない。それを言ったら、「じゃあ俺の服選んでよ」と言われた。
気になった店に入って、拓海くんに似合いそうな服を何着か選ぶ。
ロングコートに細身のパンツ。ふわふわとして大きめのシルエットのニット。さらりと羽織れるような軽いシャツ。
拓海くんは白いコーデュロイのジャケットを手に取っていた。
「それにするんですか?」
「なんか可愛くない?璃恋もこんなの買ってたよね」
「買いましたけど。お揃いにでもするつもりですか?」
「嫌?」
「大歓迎ですけど」
「なんだよ」
わたしが選んだ洋服を渡して、拓海くんを試着室に押し込む。洋服選びのセンスが特にあるわけでもないから、ただわたしの好みでかつ拓海くんに似合いそうな服を選んでしまった。きっと今の流行りに敏感な女子高生なら、拓海くんに何が似合うとか分かるんだろう。
しゃっと滑車が滑る音がして試着室のカーテンが開く。
拓海くんはニットとパンツを着て、その上にロングコートを羽織っていた。
「どう?あんまこういう格好しないからよく分かんないんだけど」
どうやらその言葉は本当らしく、拓海くんはどこかそわそわとして落ち着かない様子だった。
「めちゃめちゃ似合ってます。かっこいいです」
「えーほんと?」
「ほんとですよ。この期に及んで嘘つかないですって」
他にも何着か試着して、結局わたしが選んだ服と、白いコーデュロイのジャケットを買うことにしたらしい。手にいっぱい服を持ってレジに向かっている。
いいお店なだけあって表示された金額はかなりのものだったけど、拓海くんは何も気にせずに会計をしていた。レジをしていた年配の女性は、こんな若造がどうしてこれだけの金を持っているんだろうと不思議そうな顔をしていた。
店員さんに見送られながら店を出て、また歩き出す。
「店員さん、めっちゃ驚いてましたよ」
「何に?」
「拓海くんがお金持ちなことに」
ははと拓海くんが声を上げて笑う。わたしの右手から洋服の入った紙袋を奪って、何かを言おうと口を開きかける。
言葉が見つからないのか、拓海くんは下唇を噛むと、少し考えた後に口を開いた。
「……まぁ、汚い金だけどね。ぜんぶ」