「ねえねえ、ひなた。なにしてるの」
 昼食を終え、部屋で座卓にノートを広げる日向に小夜が尋ねた。陽向のへその高さまでの身長しかない彼は、そばに膝を折ってノートを覗き込んでいる。「記憶」という漢字が、彼にはまだ読めなかった。
 スミレがいなくなってから、陽向は妖たちのことを考えた。彼らを少しでも幸福にする方法として思いついたのが、記憶を取り戻すというものだった。
「小夜は、人間だった時のこと、思い出したい?」
 反対に問いかけると、彼は黒い耳をぴくぴく動かし、意味を考えている。
「この島に来る前、何をしてたとか、思い出してみたい?」
 うーんと声を出す小夜には、質問の意味がよくわからないらしい。まだミートソースがこびりついている口元を、陽向は指先で拭ってやった。
「何してるの。小夜くん困らせてたら許さないよ」
 暇を持て余した律が、ずかずかと縁側から部屋に入ってくる。ノートを覗き込み、「記憶」と言葉を口に出した。
「律はさ、人間だったころのこと、思い出したいとか思う」
「なに、いきなり」
「いや、もしかしたら思い出す方法がどこかにあるかもしれないと思って」
 はー、と律は大きなため息をついた。「また陽向は変なことやってるねえ」
「で、どうなんだよ」
「まあ思い出せたなら面白いかな。万が一出来たらの話だけど」
 隣にあぐらをかいて座り、小夜を抱き寄せてその中に入れた。彼女はすっかり彼が気に入ったらしい。彼も律の狐耳を「おそろい」と言って喜んでいる。
「もし、二人が実は姉弟とかだったら面白いのにな」
「あー、それいいかも! 年の離れた姉弟とか。そんな事実だったら大歓迎だわ」
 すっかり気をよくした律は、「ねー」と膝の中の小夜に呼びかけている。目をぱちくりさせながら、小夜も「ねー」と同じ風に言って笑顔を見せた。

「記憶の行き先、か」
 凪にも相談を持ち掛けたが、彼も心当たりがないようだった。
「考えたことがないわけじゃないが、ケガレに喰われてお終いだと思ってたからな。身体と一緒に消え去ってるんだと信じてたけど」
「本当に、記憶も消えたのかな。身体が消えても魂は残るんだろ。なんとなく、記憶は魂の方にくっついてるような気がする」
 店からの夕刻の帰り道、凪は隣を歩きながら腕を組んで考えていたが、結局は「わからない」と肩をすくめた。
「肉体と一緒に消えたのか。そうでなければ俺たちの中に残ってて、どうにかすれば戻せるのかもしれないな」
「もし戻せたら、みんなは喜ぶかな」
「どうかな……。俺は、人間の頃のことに興味はあるけど」
 妖として島で生きることを決めた島民に、記憶を取り戻させるのは却って迷惑なのではないか。陽向の悩みを聞き、彼は目を見張った後に微笑を浮かべた。
「思い出すことを良しとするかは、人によるとしか言えない。けど、選択肢が増えるのはいいことかもな」