空腹と脱水で頭がボ~としてきたので読書を打ち切る。
 集中すると他のことにまで頭が回らなくなるのは悪いクセだ。
 さすがにそろそろまともな食事をとらないと死んでしまうので、帰り際にミレイさんに聞いた『人間オススメ』の店に足を運ぶ。
 
 この世界にはいろんな種族がいて、その多くは人間のよき隣人として生活している。
 けど、獣人と人間が同じ食卓を共にすることは少なかった。
 差別とかではなく、種族差のため自然とそうなってしまう。
 毒素や細菌や寄生虫を許容できる限度が、人間とはまるで違うからだ。

 人間が最初に獣人の料理店に入るとまず、衛生観念のなさに目を疑う。
 獣人の多くは高い免疫力や抗体を持つため、殺菌や保存に気を遣う必要がなく、店内では目も当てられぬ惨状が垣間見えるのだ。
 人間と暮らすようになってからは獣人の食性も大きく変化し、免疫力の低下や人との交流のため衛生に気を遣う獣人も増えてきてはいるが、安心して食事がしたいならやはり、人間がやっている店にかぎるのだ。

 人と人外が行き交う大通りから交差点を右折、歩くこと数分で目的のメシ屋に到着する。 
 その店は紹介されたとおり、見るからに和風の建築物だった。
 木造で瓦の屋根、白い玉砂利の敷き詰められた道を進むと、赤い提灯がぶら下がっている入口が見えた。
「らっしぇーい!」
 ガラガラと引き戸を開けると、カウンターで包丁をふるっていた割烹着姿の大将が威勢よく出迎える。
 かがり火のほのかな灯り照らされて、店内はどこか特別な雰囲気を漂わせ、俺は期待に胸ふくらませながらカウンター席に着く。
 
 百年以上前に一度だけ行われた召喚の儀で、日本から転移者が招かれた。
 転移者はこの国に帰化し、多くの素晴らしい文化を残していった。
 ありがたいことに、和食もその一つ。

「大将、オススメで!」
「アツシ!」
「あ、悪い。アツシは外で待っててくれ」
「アツシィ……」
 入口の前で無念の声を上げるアツシ。
 だがしかたがない。
 半裸で風呂にも入ってないおまえをお食事処に入れるわけにはいかんのだ。 
 あとでいっぱい食べさせてやるからな。
「はは、すまんな若いの!」
「いえ……大丈夫です。すみません、リザードマンの舌に合う料理ってあります?」
「魚のからあげがオススメだね! 今日はいい食材が入ってるよ!」 
「じゃあそれを一つ、お持ち帰り用に包んでもらえますか?」
「はいよ!」
 外で待たせているアツシのことを少し気にしつつも、俺はお座敷に出ている料理に気を取られていた。
 懐石料理っぽい料理のラインナップの中には、花形をしたおにぎりが。
 やった! これで勝つる!
 俺は内心、狂喜した。
 もはや永遠の別れかと思っていた主食が、白米がそこにある。
 ほんの数日前は毎日食べていたが、もう何年も食べていないかのような気持ちになる。
「……」 
 俺は壁にかかったメニューの追記にある、『時価』に注目する。
「大丈夫だよね……」
 さすがに手持ちで足りるとは思うが……絶対にお安くはないだろう。
 まあいいさ。
 明日のことは明日考えればいい。
 今は食うぞ……思う存分な!
 それから俺は、季節の魚のからあげ、お刺身、天ぷら、魚の煮つけなどの料理をこれでもかと堪能。
 大きな茶碗でご飯を三杯もおかわりして、シメに鮭茶漬けでフィニッシュ。
 そしてお会計で、俺は戦慄するのであった。

「……さてと」
 腹いっぱいになった俺は、昨日行った市場に足を向けていた。
 目的地である商業区の広場交差点にある奴隷商のところに着くと、例のワケありエルフっ娘の檻の前に汚いおっさんの姿が見えた。
 おっさんは檻の前で“蹲踞(そんきょ)”して、つまらなそうに天井を見ているエルフっ娘にいやらしい視線を向けている。

 あなたは……。

「よっ!」
 エルフっ娘が俺に気づいて視線を向ける。
 エルフっ娘は見た感じ八歳くらいの少女で、顔の左半分が包帯で覆われている。
 売り物なので洗髪くらいはさせてもらっているのだろう、短く切りそろえた白髪はそれなりに艶を保っているが、枝のように細い手足には痛々しく血のにじんだ包帯が巻かれ、薄いエメラルド色の瞳は冷めきって熱を失っている。

「なあおい、こいつ値引きできねーのか?」
「いきなり値引きとは無粋だねぇ……。まあ……こんなに“瑕疵(かし)”があったんじゃ売れないし、値段しだいってとこかねぇ」
 キセルの煙をくゆらせた鬼の角の女主人がそう言うと、エルフっ娘はギョッとした。
 まさか自分が買われるなど思ってもみなかったのだろう。
 こんなにボロボロで汚くて、『使い物にならない』状態なのに――と。
 
 あの汚いおっさんに買われるのは嫌だろうなぁ……。
 髪ボサボサで下っ腹が出て、爪が汚くて悪臭がするほど不潔極まりない上に、下卑たいやらしい目を向けて来るなんて最悪だ。
 人間ってあんな濁った眼ができるんだと、ちょっと感心してしまう。

 なにしに来たの……。

「またテレパシーかよ。ちょっと新しい仲間の調達にな」
 まだ強がりを言えるエルフっ娘。
 だが声に少々安堵の色が見えた。

 ふん、気がかわったわけね……。
 ま、わたしにはわかってたけど。

「5万ボル!」
「9万……」
「5万5千ボルだ! ガキのメシ代も馬鹿にならねえだろう!」
「そうだね。8万2千……これで嫌なら帰んな」
「クソ……ちょっと考えるから待ってろ!」
 これ以上の交渉は無理だと感じたか、汚いおっさんは壁の方を向いて考え込む。
 
 ねえ、ちょっと! ボサッとしてないで早く買いなさいよ!
 売り切れるわよ!

「なあ、空を飛べるタイプの獣人はいないかい?」

 え……?

「ああ、いらっしゃい! うちのリザードマンは気に入ってくれたみたいだね! サービスするよ!」

 ちょっと、ふざけてんじゃないわよ!?
 わたし、このキモイのに買われちゃうわよ!?

「べつにふざけちゃいないけどなぁ……」
「ん? なんだい?」
「いや、こっちの話だ。おお、フクロウの鳥人いいね。シュッとできる? シュッと!」
 大きなテントの梁に吊り下げられた、でっかい鳥籠に入っているヒグマサイズのフクロウの鳥人は、俺の方を見てシュッと細くなった。
 シュッが決め手となる。
 
 ちなみに『獣人』は、社会性を持つ動物の総称だ。
 知性のある鳥人や水棲人や虫人などをひっくるめて『獣人』と呼ぶ。

「この子にします」
「はい、毎度あり! お客さん、いい買い物したね! サービスして15万のところを13万5千ボルでいいよ!」
「ありがとう!」 
 俺が支払いを済ませようとしたとき、ずいぶん悩んでいた汚いオッサンも決断したようで立ち上がり、
「よおし! 8万……1500でどうだ!? そのかわり着ている服はいらねえ!」

 やだ……ちょっと!? 
 わたし絶対嫌だからね!?

「……ま、この娘の体じゃそんなもんか。待ってな。まだこちらのお客様の手続きが済んでないからね」
「おう! 早くしてくれよな!」
 汚いおっさんは待ちきれない様子でしきりに手をすり合わせ、エルフっ娘の檻にガシャンとしがみついて血走った眼を向ける。

 や、やだ! なんで……!? 
 ど、どうしてよ……!?

 俺を見ていたエルフっ娘の目が恨みがましいものから、涙目のすがるものに。
「お待たせしたね! じゃあ始めようか!」
 天体観測。
 女主人が大きなテントの中から、蔦ヒモで留めたスクロールを持って戻って来て、それをテーブルの上に広げて置いた。
 俺はアツシのときと同じように、歯車の形を持つ大小3つの魔導陣が刻まれた絵に手を置く。
「“隷属(イクトラ・アータ・ツシマタカキ)”!」
 魔導書を手にした女主人が呪文を唱えると魔導陣にそって光が走り、発生した青紫色の光の粒子がポワポワと浮かび始めると、絵の中で噛み合ったギアがゆっくり回転を始め、回転が急速に速度を増すと紙が一気に着火して燃え上がる。
 するとフクロウの額に刻まれた隷属の刻印が仄かに光り、俺との契約が完了する。
「よろしくな! えっと……ツヨシ!」
「ホ~」
 デブ鳥のフクロウ・ツヨシが仲間になった。
 アツシともどもコンゴトモヨロシクな。

 そんな……ウソでしょう……?

「よおし、今度は俺の契約だぁ! ここに金を置くぞ!」
「ああ、わかってるよ。そう急かしなさんなって。ああもう、小銭が多いねぇ……」
 テーブルに乱暴に置かれた袋から散乱する、汚れてくすんだ硬貨たくさん。
 女主人は面倒くさそうに指で小銭をより分け――俺はそこで、重ねた金貨をテーブルにトンと置いた。
「ついでだし、10万でその娘も売ってくれ」
 俺はエルフっ娘の檻を親指で差す。
「おい、ふざけんなっ!!」
 横入りされた汚いおっさんは当然文句を言ってくるが、アツシが睨みを利かせているので暴力には訴えてこない。
 女主人は俺の金貨をポケットに収めて、
「はい、どうもお買い上げありがとうございます!」
「おい、俺が先だろ!?」
「金が先だろ?」
 俺はしれっと言ってやる。
 値切って小銭出してくる汚いおっさんと、短い期間で3体の奴隷をお買い上げするお大尽。
 どっちを優先するか聞くまでもないだろう。
 商売上の道義や信用もあるだろうが、汚いおっさんは買おうが買うまいがたぶん二度と来ないタイプの客なので、SNSのない世界の流言などさほど気にする必要もない。
「あんたの支払はまだ済んでないからね。数えたけど、10ボル足りないね。こっちのお客が先に支払ったから、こっちがお客様だよ」
「悪いな」
「10ボルくらいあるぞ!? おい、なんだよてめえ!!」
 ポケットをまさぐる汚いおっさんはなおも食い下がるが、アツシの鉄槍の柄が地面をトンと強く叩いた。 
「ホ~……」
 ツヨシも金色の眼を妖しく輝かせ、大きな翼を羽ばたかせて風を起こす。
「ぐ……!? に、二度と来るかよ!! こんな店!!」
「はいはい。二度と来るんじゃないよ、こんなところ」  
 女主人は面倒な客の扱いになれているのか、相手にせず適当にあしらう。
 汚いおっさんはテーブルの小銭を急いでかき集め、転げるようにして逃げてしまった。
 俺よりは強いだろうが、汚いおっさんは女主人には到底勝てない。
 怪力の鬼族だから、腕力に訴えても軽くひねられていた。
「それじゃ、少々お待ちを」
 女主人はにこやかな笑みで頭を下げてから、テントの中に契約書を取りに行った。
 あの女主人、みんなの目がちょっと逸れている間に小指で弾いて硬貨一枚を床に落としやがった。音を立てないよう革靴の上に。
 騒動が過ぎ去り、放心状態から我に返った檻の中のエルフっ娘は……。

「あんた、どういうつもりよ……」 
「ようやく口でしゃべったか」
 まだ恐怖の抜けきっていない震えた声で、エルフッ娘は親の仇でも見る目。
「あのおっさんから横取りしたら……さぞ面白いなと思って」
「なにそれ……ふざけてんの」
「うん。それと――」
「それと……?」
「メスガキのリアルな『わからせ』がちょっと見たかった」
「こ、この……クソ野郎!? 死ねっ! バカッ!」 
「うん、よく言われるんだよね」
 こっちに来てからは特に。