二時間後――。

「アリサちゃん……」
「だまって……」
 私達の容姿は目立ってしまうようなので、人目のある大通りを避けてしばらく歩いた。
 でも薄暗い路地に入ってからすぐ、自分達を尾けてくる何者かの存在を感じて早歩きになる。
 黒衣の連中ではない。
 数はしだいに増えて来て、私は焦る気持ちを抑えて大通りに向かう。
「あっ!」
 光の差す大通りまであと少しというところで、白いタンクトップを着て頭にパンダナを巻いた長身痩躯の男に進路を塞がれる。
「ひっ!?」
 背中にしがみついたアスミンが短く悲鳴を上げたので後ろを見ると、あきらかにまっとうではない類のいかつい人間が数名、いやらしい笑みを浮かべて歩いて来る。
 
 前の1人ならいけるか……?

 そう思って身構えたけど、パンダナの男は刃物を出してきた。
 手慣れた様子で刃物を手元でクルクル回し、長い両手を広げて通せんぼ。
 通れるものなら通ってごらん、という余裕の表情。
「私が……!」
 私の危機に反応してアスミンが勇ましく拳を構える。
 人間相手ならまず負けないだろうけど、相手は刃物を扱いなれた危ないヤツだ。戦闘は避けたい。
 でも考えるヒマもなく後ろの連中は距離を詰めて来る。
 
 そこで――『何かが』落ちて来た。 

「待ていっ!」
「――!?」
 輩どもの背後から雄々しい声が響く――と同時に猛烈な衝撃波が土埃を立てた。
 粉塵が舞う中、何事かと振り返る連中の前には、蒼い竜鱗の鎧を纏う騎士が1人、腕組みして立っていた。
 竜を模したフルフェイスの兜をかぶった騎士が一歩踏み出すと、ズシンッという大きな振動が発生する。
「あそこから落ちて来たの!?」
 30メートルはありそうなビルの壁面を見上げ、私はアスミンと一緒に騎士の男から距離を取る。
「なんだテメエは急にッ!?」
「おい、よせっ! あいつダチカンだ!?」
「婦女子への乱暴狼藉見過ごせぬ! 脳を抜いて成敗いたす!」
「なぜ脳をっ!?」
 ダチカンと呼ばれた騎士は指差し宣言すると、手甲の内側に内蔵された短槍を引き抜く。
「駆除開始――!」
 逆手に握った短槍の穂先がギラリ輝き、恐怖に青ざめた輩どもが我先にと狭い路地を戻ろうとして詰まった。
「やめ――!?」
 背後から迫る短槍がズンッと頭頂に突き刺さり、輩はグルンと白目を剥いた。
 数秒のち、ダチカンは輩の肩を押さえ、脳天に刺さった槍をゆっくりと慎重に引き抜く。
「お、おごげァァァァッ!?」
 ペキベキッ……と頭蓋が割れる音がして目玉が飛び出し、石膏のように白くなった脳髄が……それに続いて脊椎までもが同時に引きずり出される。
「ひぃぃぃっ!!?」
「こら待て、まだ脳を抜いてない!」
 ダチカンが脳に突き刺さった槍を手で引っこ抜いて、次の獲物に追いすがる。
 恐怖のあまり泣き叫びながら逃げ惑う輩ども。
 必死のあまり仲間を押し退け、踏みつけ転び、迫るダチカンの手に捕まり、脳天を刺し貫かれる。
「あぎゃあああああっ!? あっ、あっ、あっ……」
「悪い子は脳を抜かれるのだ!」
「いひゃああああああああっ!?」
 地獄絵図というほかない状況が目の前で展開されている。

「……」
 壮絶な光景にアスミンはまばたきも忘れてガタガタ震えている。
 私も同じだ。怖くて動けない。
 地面にチョロチョロと水が流れたので発生源を見てみると、立ち尽くすパンダナが失禁していた。

「やあ、大丈夫だったかな?」
「……」
 私達は震えながら抱き合って声も出せない。
 わりと友好的な感じで近づいて来たダチカン。
 だが手にした槍には、パンダナの男から引きずり出した脳髄がいまだに垂れ下がり、半ばから折れた脊髄からはほつれた神経網が揺れ、そのたびに髄液がポタポタこぼれ落ちている。
 引きずり出される際に眼底にひっかかって千切れた目玉や、石膏化した脊髄付きの脳がそこら辺に転がっていて、まさに地獄のような光景。
「怖がらせてしまい申しわけなく思う。だがこれも我々の任務だ」
「――!」
 ダチカンの手が私の眼前にのびた瞬間、アスミンが瞬時にその手をはねのけた。
 アスミンは私を片手に抱きかかえ、タタンッと左右の壁面を蹴って頭上からダチカンの後ろに回り、無防備の背面をおもいっきり蹴った。
「おほっ」
 石畳を踏み砕く豪脚が直撃したにもかかわらず、ダチカンは微動だにしない。
「ひどいなあ――」
 ダチカンが振り返る刹那、踏み込んだアスミンが突き上げるような肘鉄を喉元に打ち込むが、それもまったく通用しない。
「くっ!?」
 アスミンは猫科肉食獣のごとき跳躍で後ろに二度跳んで距離を取る。
 
 効かないのはまだしも、衝撃音すらしないのは不可解だ。
 このまま戦っても勝ち目はないだろう。

「アスミン、逃げよ!」
「……ッ! うん!」
 目に殺意を宿らせ牙を剥いていたアスミンが私の言葉でハッと正気に戻り、素早く踵を返す。
 大通りからは遠ざかるが、このままあの怪物を相手にするよりは遥かにマシだ。