放送で清掃が終わったことが告げられ、廊下にたむろしていた貴族達がホールに戻り始めている。
 聞き耳を立て、恰幅のいい男がそのまま帰宅するような話をしていたので、私達はその背中を追う。
 長く広い廊下のアーチ状の天井には、西洋風のダイナミックで緻密に描かれた宗教画がずっと続いている。
 崩壊する大地を舞台に、灰色の雲間から射す光と共に現れた、黄金の鎧纏う白き天使の軍勢と、大小無数の腕によって構成された黒く巨大な悪魔との終末戦争が物語形式で描かれている。
 それは圧巻のスケールで、素人にすら強烈に凄みを伝えてくる超大作だった。
 近代的で高度な建築物、豪華な調度品、文化圏の違いを感じさせるオリエンタルな刀剣類や甲冑がライトアップされてガラスケースに展示され、危機的状況にもかかわらず目を奪われる。

「うわ……」 
 階段を下りた先にある一階エントランスでは、思わず目を疑った。
 吹き抜けの天井一面のステンドグラスから差す光に照らされ、体長40メートルはある黒いドラゴンと緑色の巨人の剥製が『ロックアップ(がっちり組み合う)』した状態で展示されていた。
「ドラゴンと……巨人?」
 あんなに大きな生物が、この宮殿の外では当たり前に棲息しているのだろうか。
 怒りの形相で立ち向かう巨人と、上から覆いかぶさるようにしてそれを圧し潰そうとするドラゴン。
 ドラゴンの鱗は濡れたように美しく金属質の光沢を放ち、細い瞳孔をした紅い眼が左右に二つずつ並んでいた。
 巨人の両肩は瘤のように大きく盛り上がり、その長く太い怪腕はショベルカーを想起させた。
 脆弱な人間なんて相手にもならないだろう二大生物が、国家というさらに巨大な怪物によって狩り殺されている現実。
「……」
 握りしめたアスミンの手が汗ばんで震えている。 
 状況に絶望する。
 もう女の子二人がどうにかできる問題じゃない。
「行くよ……」
「……」
 それでも、今は前に進むしかない。
 足が前へ動くうちに進むしかないんだ。

 宮殿を出ると、遥か先の城門まで続く広大な植物園が見えた。
 中央には超高層ビルほどもある白い大樹が枝葉をのばし、その周辺にはチューリップのお化けみたいに大きな花がたくさん咲いている。
 三十車線くらいはありそうな広いモザイク模様の石畳の車道には、綺麗に飾り立てられた大型の馬車が小型の竜に牽引されて行き交い、申し訳程度に設けられた側道を歩く人間は誰もいない。

 この先は馬車がないと目立つな……。
 
 兵士の数がそれなりに多い。
 貴族が長い距離を自分の足で歩くというのは不自然。
 こうなると、この目立つドレスがむしろ足かせになってくる。
「新東さん……」
 立ち止まって悩ましい顔で思案する私に、不安そうな顔を向けるアスミン。
 でもアスミンが私を「新東さん」と呼ぶときは、それなりに冷静なとき。
 エッチな希望を抱いているとき。
 アスミンの心が落ち着いているなら、私だって大丈夫だ。
 
「よし、なんとか馬車に同乗させてもらおう」
「ど、どうやって……?」
「どうって……私、アイドルだよ?」
 芸能歴13年、赤子のころから世間様に媚びを売って生きて来た。
 まあ媚びの方は5歳くらいで打ち止めだったけど、それでも私は万人が認めるアイドル。
 馬車の一つや二つ、簡単に手に入れてみせる!

「そんな風に思っていた時期が……私にもありました」
「どうしたんです、新東さん?」
 馬車に揺られながら私は天井を見上げてひとりごちる。
 
 20分前――。
 初老の上品そうな紳士が馬車に向かうのを見計らい、私オンステージが始まった。
「へい、そこの紳士のおじさま!」
「――!?」 
 私は花壇の段差を利用して軽やかに空中で伸身二回転ひねりして着地。
 飛び込みの側転からバク転に移行して、最後に空中でとんぼを切ってシュタッと着地。
 ヒーローが登場したときのような腰を低くした体勢からエアマイクを構え、顔を上げておじさまをキッと睨みつける。
「あの……」
「さあ、始めるわよ!」
 まずは代表曲『クール』で場をあたため、続けてヒットチャート常連の『サンキュー火星人』で盛り上げる。
「きゃー! アリサちゃーん!!」
 アスミンは狂喜しているけど、今はそっちがターゲットじゃない。
 激しいダンスの最中に一瞬見たおじさまの表情は――なんか微妙ッ! 
 戸惑っていて、いまいち理解が追い付いていない感じ。
 けど、まだだよ!
 とどめに未発表新曲、特撮主題歌『マグマンGO!』で心を一気に鷲づかみに!
 アイドルは歌で殺す!

「最高だよアリサちゃん!」
「ハァハァ……どうっ!?」
 
 今の15分に私の全てを注ぎ込んだ。
 ダメだなんて言わせやしない!

「あ……ああ。お嬢ちゃん、とっても上手だねぇ……?」
 幼い孫の奇行をとりあえず褒めるおじいちゃんの対応!?
 おじさまは困惑した表情で微笑み、私の頭を優しくなでてくれた。
 アイドルとしての矜持が崩れ去る。敗北感がとてつもない。
「あの……連れが先に馬車で帰ってしまって困っているんですが、もしよろしければ同乗させていただけないでしょうか」
「そんなことならお安い御用だよ。さあどうぞ、乗ってください」
「……」
 アスミンがお願いしたらあっさり快諾してくれた。
 別に歌はいらなかった。
 おじさまは普通にいい人で、普通に乗っけてくれた。
 でもなんだろう……この敗北感。