“木永明日魅(きなが あすみ)”、“新東愛里沙(しんとう ありさ)”、“氷塔(ひとう)”ユイ。
この三人の行動には世界の命運がかかっている。
俺がみずからの信条を曲げ、彼女らの内面を含めたプライベートをちょっとだけのぞき見たとしても、それは滅亡を食い止めるための大儀ある行動なのだ。
かけがえのない世界のために、俺はあえて汚れ役を引き受ける。
世界のため、俺はみずからの手を汚す!
ということで、俺は百識を発動してリンクを再接続する。
さあ、見せておくれよ娘さん!
女子中学生達の赤裸々なプライベートを!
【“木永明日魅(きなが あすみ)”】
私には大好きな幼馴染が二人いる。
アリサちゃんはとっても可愛い女の子。
しっかり者で、がんばり屋さんで、まだ小さいのにテレビでお歌のお仕事をしている。
キラキラでまぶしくて、お姫様みたい。
ユイちゃんはカッコイイ女の子。
女の子みんなの王子様。
とっても優しくて、でも実は怖がりで、女優のお母さんとお仕事がしたくて児童劇団で演劇の練習をがんばっている。
私、特に何もない。
チビで頭が悪くて何もできない、ぜんぜん可愛くない子。
二人はこんな私にも優しくしてくれるけど、人気者の二人とくらべられて少し居心地が悪い。
アリサちゃんとユイちゃんはいつも一緒。
私は二人が仲良くしてるのを見るのが大好き。心が温かくなってフワフワする。とっても幸せ。
私は見ているだけでいい。
もし二人の幸せを邪魔する人がいるなら……私がやっつけないと。
小学校高学年になってから、これまでの分を取り戻す勢いで体がどんどん大きくなった。
最初は喜んだけど、まさか地区で一番大きくなるとは思わなかった。
身長のことで私が男子にからかわれると、アリサちゃんが“鷲(ワシ)”みたいな目で飛んできて注意してくれた。
最初は一方的に叱られていた男子達だけど、そのうちひとりが面倒くさそうにアリサちゃんを突き飛ばしたので、私は“男子(ソレ)”をおもいっきり殴った。
神様は、私に少しも『カワイイ』をくれなかった。
かわりに、誰にも負けない強い体をくれた。
殴った男子の顔面がひしゃげ、ロッカーが大きくへこむほどふっ飛んだ。
頭に血が昇ってやってしまったけど、まさか男子七人を一方的にやっつけられるとは思わなかった。
男子四人を入院させたけど、私は特に怒られなかった。
男子七人を私が一人でやっつけたという話を、大人は誰も信じなかったから。
教室の惨状を見た先生は事なかれ主義の人だったので、親からの苦情も上手く処理したらしい。
四日後、暴力事件で私の才能を見込んだ叔父さんが、自分の道場で格闘技をやらないかと勧めてきた。
私は二度と誰にもアリサちゃんをキズつけられないよう、効率的な力の使い方を学ぶことにした。
道場に通い出して八ヵ月後のこと。
休憩時間のほんのお遊びで始めた組手で、あろうことか私は叔父さんを倒してしまった。
余裕の笑顔だった叔父さんの表情はしだいに真剣味を帯び、隙がないと見るやステップを多用し、私の周りを軽快に移動しながらコンパクトに打撃を放ってきた。
私にはそれが止って見えたので、蠅を追い払うように拳打を手で打ち落とし、叔父さんが焦って踏み込むのに合わせて正拳を軽く放つと、ガードした叔父さんの右腕がへし折れ、続けて放った側頭部へのハイキックで気を失ってしまった。
救急車が来る大騒ぎになって、小学生に惨敗して失禁した館長という噂がご近所に広まり、失望した多くの道場生が離れて行ってしまった。
「おまえにもう教えることはない」
「ごめんなさい……」
「むしろこっちが教えてほしいくらいだ。このバケモノめ」
「ごめんなさい……」
病院にお見舞いに行ったけど、叔父さんはお見舞いに持ってきたフィナンシェ詰め合わせを投げ返してこちらを見てくれない。
「おまえには怒っていない。俺は不甲斐ない自分に怒っているんだ」
「それじゃあ、お見舞いを投げて返したのは……」
「それはただの八つ当たりだ。四十路になるまで友達も作らず結婚もせず、格闘一筋でやってきたあげく、格闘経験八ヵ月の小学生の女の子に負けて小便をもらした男ができる唯一の抵抗だ。それくらいは受け入れろ」
「……」
叔父さんはすっかりふれくされてしまい、退院後すぐに道場の看板を下ろした。
道場という社会との唯一の接点を失った叔父さんは再就職に手こずり、その後コンビニのレジに立っているしょぼくれた姿を遠目に何度か見たけど、私はそれを見ないふりをした。
私にはわからないけど、男の人には“面子(めんつ)”というものがあるらしい。投げ返された南戸屋のフィナンシェ詰め合わせが、幼い私にそれを教えてくれた。
街では一番強くなったようなので、私は鍛えることをやめた。
自然石を粉砕する力を身に着けた私がこれ以上鍛えるのは銃器を持つに等しい。
それに、そんなことにかまけている場合じゃなくなった。
体が大きくなってからというもの、アリサちゃんが抱きつく回数が増えた。
幼子が親に飛び込んでくるように無邪気に、満面の笑みで突撃して来るアリサちゃん。
綿のように軽くて柔らかい体を、私は決して傷つけないよう細心の注意をもって受け取める。
正直、近すぎて心臓がもたない。
ユイちゃんが壁際に追い詰めた私の髪を指で“梳(す)”き、イケメンムーブする回数が増えた。
美少年役に何度も抜擢されるほどカッコイイユイちゃん。
正直、耳元で囁かれると頭がクラクラします。
恋愛ゲームの主人公みたいな日々が続いた。
でも、私はただのファン。
推しアイドルとの距離感は守らないと。
二人の間には断じて割り込まない。
二人の愛を断じて邪魔しない。誰にも邪魔させない。
距離感は大事なんだ……。
私は自分を戒めるため、アリサちゃんを「新東さん」と呼ぶことにした。
推しとの距離感は大事……決して勘違いしてはいけない。
でもそう呼ぶことで、アリサちゃんがムスとなることが多くなった。
中学に上がってから二人とは疎遠になった。
二人とも芸能活動で本格的に忙しくなっていたから仕方ない。
住む世界が違うのはわかっていたことだけど、ひとりぼっちになった私はさみしくて、うつむくことが多くなった
毎日テレビで観るアリサちゃんは輝いて見えた。
二人はこのまま私から離れて行ってしまうのだろうか。
暗い部屋で独りヒザを抱えながら、そんなことを考えて鬱になる。
「ごめんなさい、ちょっとだけ許してね!」
そのときだった。
音楽番組のステージで新曲を歌い終えたアリサちゃんが、司会の向けたのマイクの前で言った。
「ねえ、アスミン、観てる~! 愛してるよ~!」
「アリサちゃん……?」
困惑して笑う司会の人などほっぽって、アリサちゃんは手を振り目に涙を浮かべて言った。
「ずっと会えなくてさびしいけど、いつも大好きだよ! 愛してる! お誕生日おめでとう!」
「はわわわわわっっっ!!?」
その瞬間、私の中で沈んでいた感情の全部が一瞬で歓喜にかわった。
全身が震えて、嬉しさで涙があふれ、真っ暗だった目の前が光に包まれる。
「アリサちゃん! アリサちゃん! 私も大好きだよ! 愛してるよ!」
私はテレビの前で叫んでいた。
生涯で最高の瞬間だった。
私は叫びながらようやく……自分の秘めていたこの感情を『恋心』だと認めた。
「ハァハァ!!」
私はもういても立ってもいられなくなって、雪の降る街をひたすらに走り回った。
全身が燃えるように熱い。
心の底から叫び出したくなる衝動を抑えながら走った。
「はぁはぁ……」
町内を一周して力尽きて立ち止まったところは、雪積もる公園。
街灯の灯りの下、夜空を見上げて、火照った頬に受ける雪が心地いい。
「よっ!」
「……新東さん?」
誕生日のサプライズは留まることを知らない。
黒塗りの高級車から降りて来た雪の妖精は、番組の衣装の上に毛皮のコートを羽織ってこっちに小走りに来る小さなアイドルは、私の大好きな子だった。
「ねえ、せっかく誕生日のお祝いに来たんだから、『新東さん』呼びはやめない?」
「ご、ごめんなさい! でも……」
私がしどろもどろになって言うと、腰に手を当てて頬を膨らませていたアリサちゃんは急にニカッと笑った。
「アリサちゃんって呼べー!」
「きゃあ!? 危ないよ、アリサちゃーん!?」
コートを放って飛びかかって来たアリサちゃん。
私は雪の上に押し倒され、アリサちゃんと額をコツンとぶつけた。
「ねえねえ、テレビ観た!? あれ……どう思った!」
「どうって……。その……すごく驚いた」
星屑を散りばめたみたいにキラキラした瞳がまっすぐ私を見てくる。
悪戯っ子の目が嬉しそうに煌めいている。
さっき好きだと自覚したばかりなのに……キレイなお顔が近い。心臓のドキドキが加速する。
「ねえ、そんだけ?」
「嬉しい……すっごく! 泣いちゃうくらい!」
「ふふ~ん、やっぱサプライズは有効なようね!」
「うん……」
とても誇らしそうに鼻を高くするアリサちゃん。
あれはもう会心の一撃だった。
「それで……?」
「えっ……?」
「私……がんばって告白したんだけど、アスミンはどう思った?」
顔を真っ赤にしたアリサちゃんが、恥ずかしそうに目を逸らしながら私に言った。
「告白……!?」
そう言われて初めて、私はあれが告白だったのだと理解した。
頭が一瞬で沸騰して、顔が赤くなっていくのを感じる。
「わ、私は……ユイ先輩と一緒にいる新東さんが好き……!」
「うん、私もユイのこと大好きだよ! アスミンと同じくらい! んでんで?」
うう……目のキラキラやめて!?
カワイイお顔を近づけないで!?
いつにも増して距離感のおかしいアリサちゃん。
私の腹筋の上に小さなお尻をのっけて、胸ぐらつかんで顔を近づけている。
「知らないの……新東さん。女の子の間に挟まることはね……許されざる大罪なんだよ!」
「いや、おまえも女や」
「あうっ」
私が真剣な顔で言ったのに額をチョップされた。
「だ、ダメだよ! それでも推しとの距離感は大事なの! アイドルと一般人は付き合っちゃダメなんだから!」
だってだって!! 心臓がもたない!!
「むう……アスミンはいろいろメンドクサイなぁ……」
自分に言い聞かせるように必死にかぶりを振って拒絶する私。
それを見たアリサちゃんは少し怒ったような顔を上げ、腕組みして考え込む。
「よし!」
そして何かを思いついたのか、またキラキラの瞳で私に迫る。
「し、新東さん!?」
一瞬、キスされるのかと思った。けどそうじゃない。
アリサちゃんは私の顔を両手で挟んで、力強く宣言した。
「じゃあさ、昔みたいに三人で一緒にいればいいじゃん!」
「え……?」
「告白したからってべつに関係を変える必要なんてないでしょ? いつも通り、三人で一緒にいればいい! 三人で付き合っちゃえばいいんだよ!」
「し、新東さん!? なんて大それたことを……!?」
「もうっ! 新東さんって言うなっ! もし次に言ったら一回ごとにチューするから!」
「ええっ!?」
「はい、言ってごらん! 『アリサちゃん』って!」
「……新東さ――あいたっ!?」
言ってすぐ、額にヘッドバッドされた。
そしてそのまま、唇を塞がれた。
「んんんん~~!!?」
ぶつけられた額がジンジンする。
でも唇はとっても柔らかくて……甘い吐息が混じり合う。
アリサちゃんの潤んだ瞳がすぐ目の前にあって……私は緊張のあまり背筋をピーンとのばして硬直した。
「ぷはっ! ど、どうだったっ!?」
「し、新東さん……」
「ふふ、なかなか欲しがりさんじゃないの……!」
アリサちゃんは不敵な笑みでそう言うと、両手でがっちり私の顔を固定して、食らいつく勢いでキスをした。
め……目が回る。
発熱で背中の雪が溶けてしまいそう。
私はひたすら息を止めて全身を硬直させた。
「ぷはぁっ!」
「ハァハァ……し、新東さん……」
「アスミン……ハァハァ……! あんた……なかなかしぶといわね……!」
私が息も絶えだえにおねだりすると、獲物を狙うように目を細めたアリサちゃんの顔が近づく。
恥ずかしくて貝のように閉じた私の唇を、アリサちゃんの舌先が強引に押し広げ、ついに舌が絡み合った。
とうとう頭の中が真っ白になる。
これだと……逆効果だ。
私はもうアリサちゃんを『新東さん』と呼ぶことしかできない生き物になってしまった。
1つ口にするたびに、とても甘いお菓子がもらえるのだから。
全部あなたのせいだよ、新東さん。
この三人の行動には世界の命運がかかっている。
俺がみずからの信条を曲げ、彼女らの内面を含めたプライベートをちょっとだけのぞき見たとしても、それは滅亡を食い止めるための大儀ある行動なのだ。
かけがえのない世界のために、俺はあえて汚れ役を引き受ける。
世界のため、俺はみずからの手を汚す!
ということで、俺は百識を発動してリンクを再接続する。
さあ、見せておくれよ娘さん!
女子中学生達の赤裸々なプライベートを!
【“木永明日魅(きなが あすみ)”】
私には大好きな幼馴染が二人いる。
アリサちゃんはとっても可愛い女の子。
しっかり者で、がんばり屋さんで、まだ小さいのにテレビでお歌のお仕事をしている。
キラキラでまぶしくて、お姫様みたい。
ユイちゃんはカッコイイ女の子。
女の子みんなの王子様。
とっても優しくて、でも実は怖がりで、女優のお母さんとお仕事がしたくて児童劇団で演劇の練習をがんばっている。
私、特に何もない。
チビで頭が悪くて何もできない、ぜんぜん可愛くない子。
二人はこんな私にも優しくしてくれるけど、人気者の二人とくらべられて少し居心地が悪い。
アリサちゃんとユイちゃんはいつも一緒。
私は二人が仲良くしてるのを見るのが大好き。心が温かくなってフワフワする。とっても幸せ。
私は見ているだけでいい。
もし二人の幸せを邪魔する人がいるなら……私がやっつけないと。
小学校高学年になってから、これまでの分を取り戻す勢いで体がどんどん大きくなった。
最初は喜んだけど、まさか地区で一番大きくなるとは思わなかった。
身長のことで私が男子にからかわれると、アリサちゃんが“鷲(ワシ)”みたいな目で飛んできて注意してくれた。
最初は一方的に叱られていた男子達だけど、そのうちひとりが面倒くさそうにアリサちゃんを突き飛ばしたので、私は“男子(ソレ)”をおもいっきり殴った。
神様は、私に少しも『カワイイ』をくれなかった。
かわりに、誰にも負けない強い体をくれた。
殴った男子の顔面がひしゃげ、ロッカーが大きくへこむほどふっ飛んだ。
頭に血が昇ってやってしまったけど、まさか男子七人を一方的にやっつけられるとは思わなかった。
男子四人を入院させたけど、私は特に怒られなかった。
男子七人を私が一人でやっつけたという話を、大人は誰も信じなかったから。
教室の惨状を見た先生は事なかれ主義の人だったので、親からの苦情も上手く処理したらしい。
四日後、暴力事件で私の才能を見込んだ叔父さんが、自分の道場で格闘技をやらないかと勧めてきた。
私は二度と誰にもアリサちゃんをキズつけられないよう、効率的な力の使い方を学ぶことにした。
道場に通い出して八ヵ月後のこと。
休憩時間のほんのお遊びで始めた組手で、あろうことか私は叔父さんを倒してしまった。
余裕の笑顔だった叔父さんの表情はしだいに真剣味を帯び、隙がないと見るやステップを多用し、私の周りを軽快に移動しながらコンパクトに打撃を放ってきた。
私にはそれが止って見えたので、蠅を追い払うように拳打を手で打ち落とし、叔父さんが焦って踏み込むのに合わせて正拳を軽く放つと、ガードした叔父さんの右腕がへし折れ、続けて放った側頭部へのハイキックで気を失ってしまった。
救急車が来る大騒ぎになって、小学生に惨敗して失禁した館長という噂がご近所に広まり、失望した多くの道場生が離れて行ってしまった。
「おまえにもう教えることはない」
「ごめんなさい……」
「むしろこっちが教えてほしいくらいだ。このバケモノめ」
「ごめんなさい……」
病院にお見舞いに行ったけど、叔父さんはお見舞いに持ってきたフィナンシェ詰め合わせを投げ返してこちらを見てくれない。
「おまえには怒っていない。俺は不甲斐ない自分に怒っているんだ」
「それじゃあ、お見舞いを投げて返したのは……」
「それはただの八つ当たりだ。四十路になるまで友達も作らず結婚もせず、格闘一筋でやってきたあげく、格闘経験八ヵ月の小学生の女の子に負けて小便をもらした男ができる唯一の抵抗だ。それくらいは受け入れろ」
「……」
叔父さんはすっかりふれくされてしまい、退院後すぐに道場の看板を下ろした。
道場という社会との唯一の接点を失った叔父さんは再就職に手こずり、その後コンビニのレジに立っているしょぼくれた姿を遠目に何度か見たけど、私はそれを見ないふりをした。
私にはわからないけど、男の人には“面子(めんつ)”というものがあるらしい。投げ返された南戸屋のフィナンシェ詰め合わせが、幼い私にそれを教えてくれた。
街では一番強くなったようなので、私は鍛えることをやめた。
自然石を粉砕する力を身に着けた私がこれ以上鍛えるのは銃器を持つに等しい。
それに、そんなことにかまけている場合じゃなくなった。
体が大きくなってからというもの、アリサちゃんが抱きつく回数が増えた。
幼子が親に飛び込んでくるように無邪気に、満面の笑みで突撃して来るアリサちゃん。
綿のように軽くて柔らかい体を、私は決して傷つけないよう細心の注意をもって受け取める。
正直、近すぎて心臓がもたない。
ユイちゃんが壁際に追い詰めた私の髪を指で“梳(す)”き、イケメンムーブする回数が増えた。
美少年役に何度も抜擢されるほどカッコイイユイちゃん。
正直、耳元で囁かれると頭がクラクラします。
恋愛ゲームの主人公みたいな日々が続いた。
でも、私はただのファン。
推しアイドルとの距離感は守らないと。
二人の間には断じて割り込まない。
二人の愛を断じて邪魔しない。誰にも邪魔させない。
距離感は大事なんだ……。
私は自分を戒めるため、アリサちゃんを「新東さん」と呼ぶことにした。
推しとの距離感は大事……決して勘違いしてはいけない。
でもそう呼ぶことで、アリサちゃんがムスとなることが多くなった。
中学に上がってから二人とは疎遠になった。
二人とも芸能活動で本格的に忙しくなっていたから仕方ない。
住む世界が違うのはわかっていたことだけど、ひとりぼっちになった私はさみしくて、うつむくことが多くなった
毎日テレビで観るアリサちゃんは輝いて見えた。
二人はこのまま私から離れて行ってしまうのだろうか。
暗い部屋で独りヒザを抱えながら、そんなことを考えて鬱になる。
「ごめんなさい、ちょっとだけ許してね!」
そのときだった。
音楽番組のステージで新曲を歌い終えたアリサちゃんが、司会の向けたのマイクの前で言った。
「ねえ、アスミン、観てる~! 愛してるよ~!」
「アリサちゃん……?」
困惑して笑う司会の人などほっぽって、アリサちゃんは手を振り目に涙を浮かべて言った。
「ずっと会えなくてさびしいけど、いつも大好きだよ! 愛してる! お誕生日おめでとう!」
「はわわわわわっっっ!!?」
その瞬間、私の中で沈んでいた感情の全部が一瞬で歓喜にかわった。
全身が震えて、嬉しさで涙があふれ、真っ暗だった目の前が光に包まれる。
「アリサちゃん! アリサちゃん! 私も大好きだよ! 愛してるよ!」
私はテレビの前で叫んでいた。
生涯で最高の瞬間だった。
私は叫びながらようやく……自分の秘めていたこの感情を『恋心』だと認めた。
「ハァハァ!!」
私はもういても立ってもいられなくなって、雪の降る街をひたすらに走り回った。
全身が燃えるように熱い。
心の底から叫び出したくなる衝動を抑えながら走った。
「はぁはぁ……」
町内を一周して力尽きて立ち止まったところは、雪積もる公園。
街灯の灯りの下、夜空を見上げて、火照った頬に受ける雪が心地いい。
「よっ!」
「……新東さん?」
誕生日のサプライズは留まることを知らない。
黒塗りの高級車から降りて来た雪の妖精は、番組の衣装の上に毛皮のコートを羽織ってこっちに小走りに来る小さなアイドルは、私の大好きな子だった。
「ねえ、せっかく誕生日のお祝いに来たんだから、『新東さん』呼びはやめない?」
「ご、ごめんなさい! でも……」
私がしどろもどろになって言うと、腰に手を当てて頬を膨らませていたアリサちゃんは急にニカッと笑った。
「アリサちゃんって呼べー!」
「きゃあ!? 危ないよ、アリサちゃーん!?」
コートを放って飛びかかって来たアリサちゃん。
私は雪の上に押し倒され、アリサちゃんと額をコツンとぶつけた。
「ねえねえ、テレビ観た!? あれ……どう思った!」
「どうって……。その……すごく驚いた」
星屑を散りばめたみたいにキラキラした瞳がまっすぐ私を見てくる。
悪戯っ子の目が嬉しそうに煌めいている。
さっき好きだと自覚したばかりなのに……キレイなお顔が近い。心臓のドキドキが加速する。
「ねえ、そんだけ?」
「嬉しい……すっごく! 泣いちゃうくらい!」
「ふふ~ん、やっぱサプライズは有効なようね!」
「うん……」
とても誇らしそうに鼻を高くするアリサちゃん。
あれはもう会心の一撃だった。
「それで……?」
「えっ……?」
「私……がんばって告白したんだけど、アスミンはどう思った?」
顔を真っ赤にしたアリサちゃんが、恥ずかしそうに目を逸らしながら私に言った。
「告白……!?」
そう言われて初めて、私はあれが告白だったのだと理解した。
頭が一瞬で沸騰して、顔が赤くなっていくのを感じる。
「わ、私は……ユイ先輩と一緒にいる新東さんが好き……!」
「うん、私もユイのこと大好きだよ! アスミンと同じくらい! んでんで?」
うう……目のキラキラやめて!?
カワイイお顔を近づけないで!?
いつにも増して距離感のおかしいアリサちゃん。
私の腹筋の上に小さなお尻をのっけて、胸ぐらつかんで顔を近づけている。
「知らないの……新東さん。女の子の間に挟まることはね……許されざる大罪なんだよ!」
「いや、おまえも女や」
「あうっ」
私が真剣な顔で言ったのに額をチョップされた。
「だ、ダメだよ! それでも推しとの距離感は大事なの! アイドルと一般人は付き合っちゃダメなんだから!」
だってだって!! 心臓がもたない!!
「むう……アスミンはいろいろメンドクサイなぁ……」
自分に言い聞かせるように必死にかぶりを振って拒絶する私。
それを見たアリサちゃんは少し怒ったような顔を上げ、腕組みして考え込む。
「よし!」
そして何かを思いついたのか、またキラキラの瞳で私に迫る。
「し、新東さん!?」
一瞬、キスされるのかと思った。けどそうじゃない。
アリサちゃんは私の顔を両手で挟んで、力強く宣言した。
「じゃあさ、昔みたいに三人で一緒にいればいいじゃん!」
「え……?」
「告白したからってべつに関係を変える必要なんてないでしょ? いつも通り、三人で一緒にいればいい! 三人で付き合っちゃえばいいんだよ!」
「し、新東さん!? なんて大それたことを……!?」
「もうっ! 新東さんって言うなっ! もし次に言ったら一回ごとにチューするから!」
「ええっ!?」
「はい、言ってごらん! 『アリサちゃん』って!」
「……新東さ――あいたっ!?」
言ってすぐ、額にヘッドバッドされた。
そしてそのまま、唇を塞がれた。
「んんんん~~!!?」
ぶつけられた額がジンジンする。
でも唇はとっても柔らかくて……甘い吐息が混じり合う。
アリサちゃんの潤んだ瞳がすぐ目の前にあって……私は緊張のあまり背筋をピーンとのばして硬直した。
「ぷはっ! ど、どうだったっ!?」
「し、新東さん……」
「ふふ、なかなか欲しがりさんじゃないの……!」
アリサちゃんは不敵な笑みでそう言うと、両手でがっちり私の顔を固定して、食らいつく勢いでキスをした。
め……目が回る。
発熱で背中の雪が溶けてしまいそう。
私はひたすら息を止めて全身を硬直させた。
「ぷはぁっ!」
「ハァハァ……し、新東さん……」
「アスミン……ハァハァ……! あんた……なかなかしぶといわね……!」
私が息も絶えだえにおねだりすると、獲物を狙うように目を細めたアリサちゃんの顔が近づく。
恥ずかしくて貝のように閉じた私の唇を、アリサちゃんの舌先が強引に押し広げ、ついに舌が絡み合った。
とうとう頭の中が真っ白になる。
これだと……逆効果だ。
私はもうアリサちゃんを『新東さん』と呼ぶことしかできない生き物になってしまった。
1つ口にするたびに、とても甘いお菓子がもらえるのだから。
全部あなたのせいだよ、新東さん。