「ああ、それとな――」
 俺は馬車襲撃事件の一連の流れの話もして、ひょっとしたら危険かもしれんことを伝える。
「俺の追放を討議するため、あの場にいたお貴族達は全員、公開された俺のステータスを知っている。もしあそこにお嬢様の身内がいたとして、それをお嬢様かリミエラに話していたとしたら、とても細い糸だがつながる危険性がある」
「さすがに考えすぎでしょ。顔を見られてないなら大丈夫じゃないの?」
「いや、さっきメシ屋で見られたんだよ、そのリミエラに」
 確実に俺の方を見て会釈した。
 命の恩人だと気づいていたんだ。
 聡明なリミエラのこと。多くの人間を突如として消してしまう異質なスキルから、王宮を騒がせた俺の存在を連想してもおかしくない。
 王宮での俺の登場は……おそらく歴史上類をみないインパクトを与えただろう。
 あの場にいた連中は俺のことを生涯決して忘れない。
 だからリミエラが関係者と話をするうちに……「あれ? それってひょっとしてこいつじゃね? あのクソ漏らしじゃね?」ってなってもおかしくないんだ。ちきしょーめ。

「アンタもう顔売れちゃってるし、この島から出たほうがいいんじゃないの?」
「そうだな……それも考えてたが」
 図書室で多少の知識は得ているが、外の『最新の状況』まではわからんので見送ってた。
 この国は魔族の侵攻を受けているのに驚くほど豊かだ。
 魔王が休眠してからも各国からの支援が滞りなく続いているので、今や世界でも有数の富める国なのだ。
 よそに移住しても、泊まっていた普通の宿屋くらいの生活すらできない可能性がある。
 俺が決して妥協できない水やトイレやメシが最低限ある生活というのは、外国じゃ存外難しいのだ。
 命と天秤にかけるような話では全然ないが、現代っ子の俺としては生活水準のレベルはかなり重要だ。

「まあでも、今日はとにかく遊び倒そうぜ! そういう面倒くさいのは明日考ればいいからよ!」
 ひやかしで入ったおみやげ屋で、『あるむ=がるむ!』と書かれた魔王のコミカルなイラスト付きTシャツを眺めながら、俺は未来のことなど忘れて本日のプランについてのみ考えていた。
 まとまった金が入ったことだし、この際だからいろいろ買い漁ってやる。
 土地勘がないので行き当たりばったりになるが、まずは日常使いの服を買う。
 ファルン島は人類最北の地だが、『アルム=ガルム』や『“太陽の霊王(ヴァオス)”』が放つ熱波の影響で異様に温かい。
 かなり汗をかくので着替えはこまめにしたい。
 シャツにズボンに下着を何枚か……あれば厚手の靴下もほしい。
 履いて来た学校指定の革靴も少し歩きづらいので、もっと歩きやすい靴もほしい。
 あれもこれもほしいものばかりだ。
「なんだ……? これ、携帯扇風機か?」
 地球でよく見るような、羽のついた携帯グッズを手に取ってみる。
 地球の物より……かなり涼しい。
 説明を見ると、四枚羽のうち二枚に冷気の魔導陣が刻まれ、冷気が送風されることで簡易的なクーラーとして使えるようだ。興味を惹かれたので値札を見る。
「……げっ!?」
 高性能ミスリル電池を使用した氷風扇風機のお値段は……22万ボル。
「あほらし……」 
 あまりにお高いのであきらめた。扇風機を元あった場所に置く。
 ファンタジーではもはや定番のミスリルだが、こっちのミスリルはエネルギーを吸収し、最大になると放出する特性を持つ鉱物だった。吸収率、放出率、貯蓄率は純度や大きさによって異なり、熱も刃も通じない特殊な金属の加工法は国外の商業ギルドが秘匿しているので、ミスリルを使用したアイテムはとにかくお高かった。

「ねえ! わたし、ちょっと行ってくるわ!」
「アツシ!」
 店を出てブラついていると、エリサが女物の服屋を見つけた。
 女の買い物に付き合いたくないので財布から銀貨を適当な枚数渡すと、それを握りしめたエリサは嬉しそうに「ありがと!」と言って、アツシと一緒に小走りに服屋に向かう。
「俺はそこでアイス食ってるからなー!」
「わかったー! あとでねー!」
 アツシと一緒に手を振り返すエリサ。
 近くでは雪男のような白毛の獣人が露店でアイス売っていたので、ひんやりする冷気に誘われて列に並ぶ。
「……どうも」
 俺の前には白いイルカっぽい顔の獣人が並んでいて、なんか体ごとこっち向いて見てくる。
「あの……」
 無言の直視に耐えきれず声をかけたけど返事はない。
 ただジッと見てくる。
「クア~!」
 俺が目を泳がせているとイルカはいきなり大口を開け、小さなギザギザの歯を見せた。
「なに!? なんなの!?」
「クルルル!」
 イルカは空に向かって一度鳴くと、ヒレのような両手で俺のお腹に抱きついてくる。
「おい、急になんだよ!?」
 イルカは磯臭かった。
 敵意は無いようだけど……なんなのこの子!?

「おいハゲ、ふざけるなよ!」
 俺が謎のイルカに絡まれていると、列の前の方でキャンキャンと女の子の声。
 ハゲ言っていたので思わず自分の頭をさわってしまったが、どうやら矛先は違うよう。
「……なんだ?」
 イルカを引きはがして列から顔を出して見ると、若い女の子二人と眼帯にスキンヘッドのガラの悪そうな大男が揉めているではないか。

「わ、わざとじゃねえよ! 手の甲がちょっと尻にさわっただけじゃねえか!」
「ふざけるんじゃないわよ! いきなり女の子の体にさわっといて、つまらない言いわけね!」
 よく見たらあのハゲ、冒険者ギルドの登録時に揉めたヤツだ。
 長い黒髪のチビッ子に嚙みつかんばかりにまくし立てられ、たじろいでやがる。
 
 でも、あの女の子……どっかで見たような気が?

「ぎゃいぎゃい!」
「にゃいにゃい!」
 にしても白昼堂々痴漢行為とかなにやってんだ、あのハゲは。
「新東さん、私はもういいですから……」
「よくない! 泣き寝入りはよくないよ! アスミンもちゃんと言ってやんな!」
 アスミンと呼ばれた白衣を着た大柄の女は、みんなの好奇の視線を集めて泣きそうなくらいおどおどしている。
 新東さんと呼ばれた少女と同年代くらいだろうか……でかい。180センチ以上ある。
 体は大きいが気弱な感じで、どことなくアライグマを連想させる愛嬌ある顔立ち。
「まあまあ、あまり騒がしくしていると周りに迷惑だよチミたち」
 俺は争いを見かねて仲裁に入る。
 すると新東さんと呼ばれた少女はこちらをキッ睨んで、
「なにあんた? ハゲの仲間?」
 ハゲ仲間ではあるけど、ハゲの仲間ではないよ。
 睨まれちゃったけど、なんかこの子……ちょっと可愛すぎないか?
「このハゲと? いやいや、まさか! 失礼な!」
「なんだとこのハゲ!!」
「あんっ!? やんのかこのハゲ野郎!!」
「どっちもハゲでしょ!! こっち無視して勝手にケンカ始めるんじゃないわよ!」
 俺とハゲが頭つかんで取っ組み合いを始めると、新東さんが俺の尻をおもいっきり蹴っ飛ばした。
「いった!? きゅ、急に何を……」
 俺は涙目になって文句を言いかけたが、新東さんの顔をあらためて間近で見た瞬間――ハッとなった。
 目の前の少女の、雪の妖精のような神秘的な美しさに。
 その瞬間、俺はその女の子が何者か理解した。
 気の強そうなつり目で小柄な美少女は、中学生アイドルの“新東愛里沙(しんとうありさ)”だった。
 日に一度はお茶の間に顔を出す超人気アイドル。
 目上だろうが武闘派テロリストだろうが気に食わなければガンガン噛みつく狂犬。
 礼儀にうるさい年寄り連中や業界人からは嫌われているが、同年代の女子や『その手の界隈(ドM)』には非常に人気が高い。
 単に抜群に可愛いだけでなく、歌って踊ってケンカもレスバもできる超実戦実力派アイドル……それが『アリサ』だった。