「問題がある」
「何よ?」
 商業区の軽食屋の屋台で濃い塩味の麺料理をすすりながら、俺はエリサに切り出す。
 店は客の入りもいいし最低限の衛生管理ができてそうなので選んだが、味もまあまあでよかった。
 グアバっぽい……というか完全にグアバな果実をしぼったジュースもうまい。貴重なビタミン補給になる。
「実はさ、おまえが寝込んでるときに山賊と戦ったんだ」
「うん」
「そいつらが今、俺の“異空間収納(アイテムボックス)”に入ってる」
「なにを言ってるの? アンタまさか……死体を?」
 サイコ野郎を見るような目を向けるな。
 俺は落ち着いて説明する。
「いや、死体じゃなくて、そいつらは生きているんだ」
「ちょっと意味がわからない」
「そう思うだろうが実際そうなんだ。俺の“異空間収納(アイテムボックス)”は生物が収納できる」
 エリサは少し目を丸くして。
「……まあ、アンタならそのくらいのことはできるのかもね。で……それの何が問題なの?」
「これ、中に入れとくと死ぬ。いつ死ぬかはわからんが、酸素がないからな」
「ほっとけば?」
「そうなんだけど……たとえ犯罪者とはいえ、いきなり“七人殺し(セブン・キル)”は精神的にきつい」
 現代っ子の俺は殺人に対して当然だが忌避感がある。
 本当にどうしようもないときは覚悟を決めるが、せめて段階は踏ませてほしい。
「迷惑だからその辺の放り出すわけにもいかんし、役所に突き出したら、どうやって捕まえたとか訊かれていろいろ面倒になる。ひょっとしたら、山賊から助けたヤツらが俺を探しているかもしれんしな」
 顔は見られてないが、“女騎士(リミエラ)”が護っていたお嬢様はかなり力のある貴族の子女だろう。
 リミエラの威勢のいい口上から察するに間違いない。
 もし権力者なら俺を探す方法はいくらでもある。
 閉門ギリギリになって入場して来た奴にしぼって探せばいい。
 あの時間帯にうろつく奴はかなり少ないし、ゲートを通るときは身元を確認されるので、名簿を閲覧できれば俺にたどり着くことはそう難しくない。
 気まぐれで助けただけなのに、なんか面倒なことになりそうだ……。
 
 利に聡い貴族が強力なスキルを見逃すとは思えない。
 チートで命を救われたお貴族様なんてモンはな、ぜひお礼がしたいとか言って屋敷に呼びつけておいて実際は利用しようとしか考えてなくて、かなり多めの褒美を与えて断りづらい空気にしてから急に無茶なお願いをして、一度でも依頼を受けたら次々に無理難題をふっかけるようになって、命の恩人を骨の髄までしゃぶろうとする恥知らずの薄汚い連中のことだ。
 追われる馬車をうっかり助けたときの、異世界モノの定番の流れ。
 タカキ、そういうの本で見て知ってるもん。
 
「どうしたものか……」
 とか悩んでいると向かいの通りで、大勢の兵士を引き連れた“例の女騎士(リミエラ)”と目が合った。
 あまりに突然の邂逅に一瞬、思考が停止した。
 なんという偶然か。
 小型の竜みたいな騎乗用の動物が行き交う二十メートルくらいの通りを挟んで、がっつり目が合ってしまった。
 だが――。
 俺のわかりやすい反応を見て全てを察したか、リミエラは微笑みながら軽く会釈して、そのまま横切っていく。
「……誰?」
「いや……ちょっとな」 
 関わりたくない――というこちらの意向を汲んでくれたのだろう。
 表立っては礼を言わず、ただ感謝の意だけを視線で伝えて颯爽と去っていった。
 俺はゲスな勘繰りを恥じた。
 リミエラは騎士道の心得を体現する、心まで美しい女性だった。

「俺は恥ずかしい……周りが敵ばかりだったから人を信じる心を忘れていた」
「ようやくわかった?」
「ああ、これからはもっと人を信用してみるよ」
 俺の目の輝きを信じろ。
「盲信はよくないけど、アンタの場合はぜひそうするべきね。それで山賊の話だけど、アンタの“異空間収納(アイテムボックス)”がどの程度ヤバイのか把握してないとアドバイスしづらいわ。ステータス画面開いて見せてくれる?」
「ああ……」
 俺は椅子を浮かせてエリサの近くまで移動し、自分のステータスを披露した。
 エリサはしばらくそれを見ていたが眉をひそめ、しだいに険しい顔つきになる。 
「……アンタこれ、他の誰かに見せた?」
「いんや? こんなん見せるわけないじゃん」
 こんなの見せたら面倒極まりない。
 これ以上、厄介ごとに巻き込まれてたまるかってんだ。
「これさ、たとえ命が懸かってたとしても見せちゃダメよ」
「なんでよっ!?」
 さすがに命を懸けてまで隠す気はないぞ。
 人の命は地球より重いからな。
「アンタのスキルって『なんても』入れられるわけでしょ? 非生物から生命体までなんでも」
「ああ、『正しき名』を知ってさえいればな」
「容量に制限もない」
「たぶん……」
「ならアンタ、この世界滅ぼせるわ」
「は……?」
 エリサが真顔でとんでもないこと言った。
 だがその目には、冗談には感じられない真実味があった。
「この“惑星(ほし)”を丸ごと“異空間収納(アイテムボックス)”に入れちゃえばいいのよ」
「いやいや、無理でしょそれは」
「なんで?」
「いや、なんでって……いま立ってる場所はどこだよ? 仮に吸い込めても俺ら死ぬだろ?」
「そこに立ってなきゃいいじゃない」
 エリサが人差し指でテーブルをトンと叩いた。
「……どうやって?」
 俺がいぶかしげな顔で問うと、エリサはパラソルから顔を出してまぶしそうに空を見上げた。
 一緒になって見上げると遥か高くには、大気の揺らぎで霞んで見える、でっかい白い月が浮かんでいる。
「“崩月(あそこ)”に立てばいいのよ」
 エリサは、とんでもないことを言った。
「行けるの……?」
 そこそこ文明の発達は見せていたが、まさか宇宙にまで進出できる力があったとは。
 けどエリサは首を横に振り、
「昔はともかく今は無理ね」
「そうなんだ……」
 なんかホッとする。
 世界を滅ぼせる可能性が減ってくれることで、こんなにも気が休まるとは。
 力を極めし者の憂いとでもいうか……。
「あの月には放棄された月面都市があって、“豊月(ほうげつ)”が破壊されて“崩月(ほうげつ)”になるまでは地上とも交信できてたんだけど、今はリンクが途絶えて音信不通。あそこまで行くのは結構難しいわね」
「不可能ではないんだ……」
「実質不可能よ。あそこと連絡取れる唯一の場所は霊王が護ってるんだもの」
 エリサは肩をすくめながらそう言って、また空を見上げた。
 空ではときおり閃光が走り、それに続いて小規模な爆発が起きている。
「なあ、アレってなんなん? ときどきドッカンドッカンしてるけど、誰も気にしてないみたいだし?」
 図書室で調べたけどそれらについての記述は見られなかった。
「空中にある不可視の古代遺跡を“機甲の霊王(メフィオス)”が護ってるのよ。あの遺跡は都市機能を維持するためにエーテルを大量に吸収するシステムがあるから、それに釣られて飛行系の魔物がときどき寄って来るのよ。あの高度を飛べるくらいの魔物だと、たとえ見えなくてもエーテルの流れを感知できるからね。初めて見るならあの爆発に驚くかもだけど、それがずぅ~と続いてて街になんの被害もなければ、あんがい誰も気にしなくなるもんよ」
「そんなもんか……?」
 博識なエリサは回答をくれた後、手を合わせてごちそうさま。アツシもそれに続く。
 俺は空をもう一度見上げてから、手を合わせた。