「すずー、ちょっと待って」
 おじさんにはこの坂はしんどいって、なんて言いながら息を切らして恭介兄さんがついてくる。恭介兄さんにやっぱり花束は似合わないな、なんて思いながら、先ほど小さな花屋で買ったカスミソウを撫でる。
「恭介兄さん。もっと大事に花束持ってください」
「香奈ぁ、鈴が冷たいー」
 今日はねぇさんの命日だ。可愛らしいものが好きでよく集めていたから、毎年それぞれ好きな花を買ってはお供えしている。お墓に合わないし、不謹慎だという人もいるけれど、恭介兄さんがあいつはどんな花でも喜んでくれるからいいのだと毎回私に付き合ってくれている。
「いい天気でよかったな」
「はい。お出かけ日和です」
 傾斜のきつい坂を上がっていくと視野の開けた高台に出た。静かで町が一望できるこの場所が結構気に入っている。でも、そんなことを言ったらねぇさんに友達とカフェでも行きなさいと、怒られてしまいそうで思わず笑ってしまった。ねぇさんのお墓は他のお墓に比べて小さなお墓だけれど、定期的に手入れをするからか、どこか誇らしげに見えた。
「なぁ、鈴」
 隣で手を合わせながらスーツに身を包んだ恭介兄さんが呟く。相変わらずの無精ひげだけど、体形は細くてしっかりとした肩幅のちゃんとした男の人。いつからか、こんなにまっすぐにこの人を見ることができなくなっていた。
「俺、お前らの幼馴染でよかったわ」
「違います」
 私が目を閉じたままそう言うと、うそぉと声が遠ざかった。日中は暖かいが朝はまだどこか寒さの残る春先のすっとした空気が心地いい。いたずらに目を開けて私の大好きだった人を見る。
「恭介兄さんはもうお兄さんだから、家族でしょ」
 朝日に照らされるその横顔がどこか彼に似ていて、でも叶わないものだとわかっていて。私は本当に優しく誰かを想える人に惹かれるのだと少しだけ嬉しく思った。
「ラーメンでも食べて帰るか」
「え、朝からラーメン食べるんですか」
 そんなに食べるのに何で痩せているんだと思いながら坂を下りていると、小さな白い箱とレースフラワーの花束を持った女の子とすれ違った。小さな桜が刺繍されている日傘に見覚えがあった。
「本田さん?」
「あれ、鈴ちゃん」
 しばらく会えない間に少し痩せてしまっているけど、ぱっと明るく笑う姿が元気そうで安心した。
「高校の友達?」
 それなら先に降りてんねと恭介兄さんは行ってしまった。なんか、大人の魅力って感じだねっと桜につつかれて我に返った。
「残念ながらあれが姉の旦那さんです」
「あれが例のお兄さんか」
 リョウ君が飛び出していったあの日、本田さんには彼が必要だと思った。数か月ぶりに学校で会ったときは、元気そうなその姿に思わず泣いてしまったけれど、私は桜に出会えて本当によかったと心から思えた。
「大丈夫ですよ! あれは姉の旦那さんで、リョウ君は本田さんのものです」
「うん・・・いやいやいや」
「今日はお墓参りですか?」
「うん、おばあちゃんの」
 小さな白い箱を大事そうに抱えて、そう笑った。
「あ、よかったらこれ食べて」
 渡された箱を開けるとイチゴのショートケーキが二つ入っていた。
「え、でも」
「いいの、いいの。なんか、来る途中で見かけて衝動買いしちゃったからさ」
 もらってくれると助かる、そう言ってじゃあねと行ってしまった。顔を上げると手をひらひらと振りながら桜がこちらを振り向いた。
「鈴ちゃん、今度一緒に莉桜に会いに行ってくれる?」
「もちろんです」
 坂を下りると手持ち無沙汰にスマホをいじりながら恭介兄さんが待っていた。何も言わずに互いに歩き出す。
「そういえば、成績どうだったんだ?」
「ねぇさんの妹ですよ」
 ニコニコしながら話しかけてくるものだから思わず意地悪な言い方をしてしまった。朝の住宅街は静かで、誰ともすれ違わない。
「恭介兄さんこそ、採用試験は大丈夫ですか」
「うわ、痛いとこついてくるね」
 恭介兄さんや私だって、もしかしたらねぇさんにしがみついて生きているのかもしれない。前を向いて自分の好きなことをしなさいという大人も間違っていないとは思う。でも、たくさん考えて、色々な経験を経て、最終的に決断したなら、それが私の選んだ答えであると胸張って進めばいいのだと今ならいえる。
「私、英語の教師になろうと思っているんです」
「おー」
「言葉を通じて世界が広がることが素敵だと私も思えるようになったから」
 今はもうほとんど見かけなくなったスズメの声がどこからか聞こえてくる。忘れないように過去を大切に抱えて、前を向いて歩いていくその二つの影にようやく私も並ぶことができた気がする。