毎晩、夢を見る。莉桜のお母さんが現れて私を見る。それから、優しそうな表情で笑いかける。
『莉桜のお友達でいてあげて下さいね。お願いします』
 でも、気がつくと私の首を絞めながら『お前のせいだ』『お前があの時誘わなければ』『お前が莉桜に話しかけなければ』と、次第に絞める力が強くなっていく。逃げたくても苦しくても、首から手は離れない。謝っても、謝っても莉桜は生き返らない。莉桜のお母さんはママに変わる。もう息ができない。目を強くつぶって開けると私は、真っ白な世界に立っている。
 目の前には小さかった頃の私が縮こまって泣いている。声が出ないように泥だらけの浴衣で口元を抑えながら泣いている。
『大丈夫?』
 そう声をかけると、小さい私の周りにみんなが現れる。パパにママ、おばあちゃん、莉桜、みんなが何も言わずに私の周りで笑っている。でも、私はその光景に鍵をかける。見ないように、見えないようにそっと、でも、しっかりと鍵をかける。
 そうしたら、莉桜がこっちを見て言うのだ。
『信じてたのに』

 寒かった。
毛布や着ている下着がぐっしょりと汗で濡れていた。天井がどこまでも続いているように感じる暗闇。それを眺めながら、莉桜もこういう風に見えていたのかと、意味もなく思った。
 あの日から、それよりもずっと前から私の時間は止まっている。季節はめぐっていく、曜日の感覚もいつの間か狂ってしまった。
 もう、何を信じていいのかも分からない。
 もう、誰も信じられない。
 気がつくとまた眠っていた。夢を見なかったのは初めてだった。私は、ベッドから起き上がると電気をつける。
二本の針が重なって上を向いていた。
「お腹すいたな」
 何か食べようと扉を開くとなんだか一階で話声が聞こえた。おばさんの小さな少し困った声と同時に低くてでも優しい声がした。そっと扉を閉め、鍵をかける。どうして、平日のこんな昼間にリョウの声がするの?
 取りあえず、つけたばかりの照明を消してベッドに潜り込んだ。本物だったらどうしよう。もう、おばさん! 何がなんでも入れないでって言ってたのに! 毛布を頭までかぶってうだうだしていると、足音が聞こえてきた。一歩、また一歩。ゆっくりと近づいてくる。私は、毛布の中で息を殺す。
「桜? いるんだろ」
 何も言えない。どんな顔したらいいかわかんない。色々なことがあったけど、なんだかんだ顔を合わせていた。それなのに、半年近くも会ってないなんて逆にどうしたらいいか分かんないよ。

 桜がこの家に引っ越してから家に入るのは初めてだった。桜の部屋が分からなくて、あれだけのことを言った後におばさんに聞くのは顔から火が出そうだった。あー、今日の俺、とことんダセー。二階に上がると部屋が一つだけあった。ここでいいんだよな。
「桜? いるんだろ」
 返事はなかった。しばらく待ってみたが変化はなかった。
でも、いるってのはおばさんに確認済みだ。
「おい、いい加減にしろ。ここ開けろって」
 中で少し物音がした。だが、扉は開く気配がない。ほんと、こいつ。
「桜。ここ開けないと、壊すぞ」
 十、九、八、七・・・、そう数え始めるとバタバタと足音がして扉が開いた。なんだ、思っていたより素直に開いた。部屋の中は真っ暗だった。少し下を向くと、ずっと前に見た時よりもだいぶ長くなった髪を下した桜が立っていた。
「・・・久しぶり」
「お、おう」
 変わっていないように見えたが、少しだけ痩せているようだった。「入って」桜に促されるまま部屋に入る。あたりを見まわしても、桜の部屋だとすぐに分かる。引っ越してもこいつはこいつなんだなと、改めて思った。ベッドに寄りかかるように桜が座った。少し距離をとってその横に座る。
「学校、どうしたの?」
「サボった」
 桜は目を大きく見開いて、目をそらした。
「バカじゃないの」
 それからなんだか会話も続かなくなり、そのままただ黙っていると桜が口を開いた。
「・・・夢を見るの」
 一つ、また一つと夢の話を始める。その内容は、とても恐ろしいもので毎日もそんな夢を見たら俺は耐えられないと思った。でも、桜は笑っていた。
「もう、最悪だよね」
 まただ、またこの顔。何かを押さえつけて、無理やり張り付けたような笑顔。昔はもっと、思いっきり笑うやつだったのに。
 髪に隠れて表情が読み取りづらい。桜はクッションを抱えるようにして顔をうずめた。
「桜はさ、いつも笑ってて楽しい?」
「そんなん、楽しいに決まってんじゃん」
 そう言って、俺を見上げるその顔が苦しそうで、今にも泣きそうで。
「それならそんな顔すんなよ」
本当にこいつはバカだ。
「桜」
 ただ静かにしっかりと目を見てその名前を呼ぶ。
「俺は絶対にいなくなったりしねぇよ」
 そう言うと、桜はなぜか一瞬驚いた表情をした。それから、涙をぽろぽろと零しながら腕に顔をうずめてちょっとずつ話し始めた。
「みんな、私を置いてどっかいっちゃうんだ。私が大好きな人はみんな私から離れていくんだ。どうして? どうして、私からみんな遠くに行っちゃうの? 誰にも心配させたくないから笑ってた。みんなにそばにいて欲しいから、笑ってた。でも、気がついたら誰もいない。ぼっちでも、私は何とも思わない。けど、家にいても学校にいても誰といても、周りにはいっぱい友達がいるのに私だけ一人だって、そう感じちゃうんだよ。私が好きになった人は、大切に思ってしまった人は不幸になっちゃうんだよ」
 止まることもなく流れ続ける涙で顔を濡らしながら、桜はずっと自分のTシャツの袖を握り締めていた。こいつもまだガキなんだ。
頭と見た目だけでっかくなって、心はちっちゃいままの愛情を知らないガキだ。
「私、莉桜が大好き。このまま、しわしわのおばあちゃんになるまで、死んじゃうまで一緒に笑ってられると思ってた。でも、莉桜も・・・」
「莉桜ちゃんは、お前がいたから笑ってられたんだと思うぞ」
「・・・違う。私のせいで」
「病気のことは聞いた。葬式で親族の人たちが話してた」
 桜はまた驚いた表情をして、目をそらす。
昔から、こいつは感情を隠すわりに下手くそだ。時計がカチカチと静かな部屋で動いている。
「お前が莉桜ちゃんと一緒にいたから、あの子は前向きに生きられたんじゃないのか? 誰にも言えなくて、周りの目も怖くてそんな時にお前が導いてやったから、手を取って一緒に歩くことを選んだから、莉桜ちゃんはあの日も外に出られたんじゃないのか?」
 長い髪が邪魔をして桜の顔はよく見えなかった。薄暗い空には真っ白な雪もくすんで、意識しないと分からないほどだった。
「莉桜が、学校に来なくなってからもいつも会いに行ってた。そこで、色々なことを話してるうちに分かっちゃった」
 俺は、今何かを話しかけてしまえばもう話してくれないような気がして何も言えなかった。少しの間があったあと、桜はまた話を続ける。
「・・・病気のことを聞いてた。そしたら、莉桜がかかった病気の原因はパパの研究所だった。パパが責任者として働いていたあの研究所の爆発が原因で、莉桜は」
 桜がこんな風に泣くのを見たのはいつぶりだろうか。どこにもぶつけられない苦しさを、悲しさを、必死に閉じ込めようとして無理して、だから周りは気づいてやれない。
「私、莉桜と話してて気づいたのに・・・言え、なかった」
 子供みたいに泣きじゃくって、服がしわしわになるくらい握り締めて。
周りの大人はこいつを見て、この子は強いから、しっかりしているからと言う。他の奴らもこいつなら任せられると、大丈夫だと言う。
でも、俺の目の前にいるこいつはそんな出来のいいやつじゃない。周りの期待に応えようと必死になって、もがいて、苦しんで、ケガしても痛くないふりして、何でもないような顔して大丈夫だって笑っているガキだ。
 無意識のうちに桜の頭を引き寄せていた。服の薄い布を通して伝わってくる体温が、涙が、すべて愛おしかった。これだけの時間をかけてやっと分かった。何か優しい言葉をかけるでも、特別なことをしてやるでもない。俺もあの時みたいなガキじゃねぇ。
 こいつが泣き止むまで、ただ隣にいてやればいい。
ただ横でこうしてやればいい。
俺がそうしたいように、こいつの気が済むまで。

 どれくらいの時間がたっただろう。いつの間にか自分でも気づかなかったくらいの想いをぶちまけて、子供みたいに泣きじゃくって。多くのことが頭を駆け巡ったが、はっきりと思ったのは
「・・・こんな風に私も泣けるんだ」
 顔を上げると、数十センチのところにリョウがいた。肩のところが少し濡れていた。なんかデジャブ!
「・・・こっち見んな!」
 思わず反射でリョウを突き飛ばしてしまった。
「おい、急に叩くなよ」
「だって・・・」
 なんだか、気持ちがすっとしていた。特に何かが変わったわけではないけど、無意識に笑っていた。
「今、どすっぴんだし、ブス・・・だから」
 リョウから目をそらすと、思いっきり笑われた。
「バカじゃねぇの。変わらんだろ」
「うっさい、バカ」
 なんなの、こいつ。年頃の乙女の部屋にずかずか入っておいて、このやろう。私は、リョウの肩を押しながら、でも、このバカのぬくもりに涙が止まらなかった。
 しばらく、リョウの肩に身を預けながら気がつくと疲れて寝てしまった。

「こいつ・・・」
 思うところがあったとはいえ、普通この状態で寝るかよ。つい先ほどまで、ギャーギャーと文句を言っていたくせに今では寝息を立てている。ただそばに、隣にいてやりたいとは思ったけど、流石に幼馴染とはいえ無防備にもほどがあるんじゃないだろうか。
「動けねぇ」
 スマホを確認しようにも腕が動かせなければ時間すら見ることができない。だからといって、あれほど泣きじゃくっていたバカを起こすのも可哀そうで結局動けずにいた。どれくらい時間が経っただろうかとぼんやりと考えながら、腕もしびれてきたところで階段を上ってくる音が聞こえてきた。
 部屋のドアは開いたままだ。これはおばさんに見られるとだいぶ恥ずかしいのでは。足音は次第に近づいてくる。どうすることもできず、ドアの方へ顔を向けると心配そうにこちらをうかがうおばさんと目が合った。
 とりあえず、『大丈夫』と口パクをするとおばさんは親指を立てて『ありがとう』と口パクをして階段を下りて行った。
「・・・何してんの」
 下を向くと桜が目をぱっちりと開けてこちらを見ていた。
「起きたならなんか言えよ!」
 バカ! そう言って立ち上がると、クッションを叩きながら笑っている俺の大事な人がそこにいた。