〈さくら。 明日楽しみ〉
〈りお うん!〉
〈さくら。 目印は大きな照明があるとこだからね! 私、莉桜の浴衣見たい!〉
〈りお 分かったから、その確認この前もしたって笑 じゃあ、考えとく〉
〈さくら。 そうだっけ笑 楽しみにしとります笑笑〉
 「グッ」とポーズをとっているくまのスタンプ送ってスマホを充電器へと差し込んだ。浴衣か。うーん。ずっと着てないし、まず見えないからなぁ。
あの日からも私は、一度も高校に行くことはなかった。子供みたいに泣きじゃくって、桜の可愛らしい白いシャツを赤く汚して、でも、私のことを認めてくれて、私のことを好きだと言ってくれる人がそばにいる。それだけで救われた気がした。でも、私の視力は落ちていく一方でもうほとんど見えなかった。
暗い部屋でスマホを見続けていたからかもしれないし、最初からすぐに見えなくなるのが決まっていたのかもしれない。まぁ、元々限界に近かった視力をコンタクトで何とかしていたのだ。コンタクトをつけることができなくなった今、見えていなかった分が改めて心に重くのしかかる。
 すでに光の色がなんとなく感じられるくらいの視力だが、スマホの画面は明るさを最大にして文字などと背景の色をうまく組み合わせることで意外と見えたりする。でも、今の私にはもうあまり必要がないけど。
あの日から桜は毎日のように家に来るようになった。朝起きて、何かすることもなくぼーっと過ごして、夕方になると桜の声がする。そんな日々が続いた。

「莉桜―、聞いてよー」
「何? また、リョウ君?」
「え、莉桜はエスパーなの?」
 そうです、私がエスパーです、なんて冗談を言いながら笑い合う。一階からはお母さんがさっき起動したのであろう洗濯機の音がかすかに聞こえてくる。お母さんとは、まだ会話が続かない。
今までお母さんに反抗したこともなかったし、私が泣けなくなった分だけ涙を流しているのを知っていたから。桜が最近池井さんに教えてもらったという海外の曲を聴きながら、話に花が咲く。私の世界で桜が少しだけ揺れているのが分かる。
それにしても、桜が池井さんと仲良くなっているなんて意外だったなぁ。それに池井さんはリョウ君のことが好きらしい。うーん。池井さんもとってもいい子だけどやっぱり私は、桜を心の中では応援しておこう。
「あ!」
「莉桜、急にどうしたのだね?」
「そう言えば聞いたよ! 来週、期末考査なんでしょ?」
 あからさまに目を背けて桜が言う。
「・・・違うよ」
「嘘つけ!」
 勉強やだー、と嫌がる桜を家に帰したあの日から、結局夏休みに入るまで一度も会わずに今日まで来た。視力のこともあり、高校の試験は受けなくてもせめて形だけは上がれるようにと先生が手配してくれていた。
 そして、明日は夏祭り。気づけばこんなにも時間がたっていた。もう何日、高校のみんなに会っていないだろう。いつも行っていたカフェのパフェも新作が出る時期だろうか。
 夏祭り、本当は行くのをやめようかと思っていた。
桜は私を認めてくれる。でも、一緒に行くことになっているリョウ君や池井さんだって、その時に私を見て本当はどう思うかなんてわからない。
桜は許しても周りが許さないかもしれない。そう思えば思うほど足がすくんで行くと言えなくなっていた。

『バカ、見た目なんて関係ない。私は莉桜と一緒にいたいんだから』

 それでも、今の私は少し前の自分を犠牲にして忘れられるだけの子供じゃない。桜がいる。誰が私に何を言おうとも、優しい味方が今の私にはついている。だから、もう簡単に自分を殺したりなんかしない。私がしたいことを全部、これから叶えるんだから。
 だって、私の人生見えなくなってからが本番だよ! 目を閉じれば、幼い頃に見た屋台や提灯が鮮やかに揺れているのが黒い世界に映し出される。
明日、楽しいみだなぁ。見えなくったって花火の光なら私にもわかるはずだし、コンタクト無しで外に出るなんてほとんどしたこともないけど、外はきっと暗いしみんな気づかない。せっかくだから、浴衣着たいな。
「・・・その前に」
 先ほど充電器へと差し込んだスマホを手に取る。そして、その人の名前を探してそっと触れた。
《はい》
「・・・佐藤です」
 機械越しに少し慌てた声がする。
「今、大丈夫?」
《全然! 丁度俺もかけようと思ってたとこ》
数週間前から始まった私の日課。でも、我ながらに大胆だな。中学生の私ならこんなことしようとも思わない。
「うん」
 思っていたよりもずっと落ち着いて声が出た。夏休みに入ってから週末には電話でハルト君と話すようになった。初めはラインで。でも、夏休みに入ってからは、目のことも考えて電話に変えてもらった。病気のことはやっぱり言えなかった。
《・・・何かあった?》
「ううん、ないよ」
 電話越しに聞く彼の声は私の知っているものよりもずっと低くて、まるで違う人みたいだったけどしゃべり方とか言葉のチョイスとか微かに感じる面影が懐かしくて何でもない会話が楽しみだった。
《そっか。今週はどうだった?》
「うーん。あ、桜と女子会したよ! リモートだけど」
《お! また、桜ちゃんか。佐藤、本当にその子のこと大好きだよな》
「嘘、私そんなに桜のこと話してる?」
 スマホを置いてワイヤレスイヤホンへと繋ぐ。窓を開けると真夏に差し掛かっているこの時期には心地いい風が吹いてきた。夜空には紺色の空が永遠と続いている。
《話してる、それに》
「それに?」
 少しの間があったあと、電波越しにハルト君の息遣いが聞こえる。どこに住んでいるのかも知らないのにすぐそこで呼吸が上下する。
《・・・少しだけ、嫉妬するかな》
「・・・え?」
 思わず聞き返してしまった。敏感になったはずの耳は、しっかりとその言葉を受け取ったのに頭が職務放棄をしている。お互いにしばらくの沈黙があった後、先に口を開いたのはハルト君だった。
《あ、えっと。その》
 私が返答に困っていると、ハルト君がおろおろとしているのが伝わってきた。なんだか、あの頃とは全然違う。
昔はもっと、おおざっぱで周りなんて気にしないで突っ走っていくようなイメージだったのに、知らないうちに歳を重ねた彼はずっと大人に見えた。最先端のイヤホンから聞こえる声があまりにも焦っているのがまるわかりで、私はそっとスマホに顔を近づけた。
私なんかがと思っていたあの頃と違うところは、自分も一人の存在として生きてもいいのだと、そう隣で笑ってくれる人がいること。電話越しの彼と今の私なら、私でも隣で笑える気がしたこと。
「ハルト君」
《ん?》
「私ね、中学の時。ハルト君のこと好きだったよ」
 しばらくの沈黙。まぁ、だよね。
あの頃とは違う。
それぞれ別の高校に行って、新しい出会いをしてそうすればきっと長い人生花開くというものだろう。私がそうだったように。いつまでも、引きずっている私がバカなんだ。
「ごめん、やっぱ何でもない」
 思わず笑ってごまかす。何言ってんだ、私。言ってしまってから急に恥ずかしさが込み上げてきて、窓際で組んだ腕に顔をうずめる。
すると、耳元ではっきりと声が響いた。
《佐藤》
 ふいに名前を呼ばれてドキッとしてしまった。
《俺は今も・・・好き、だけど》
「・・・」
 再びの沈黙。
時間にしたらそこら数秒の流れが今の私達には、まるで終わりのない時間だった。ハルト君の言っていることは、つまりどういう・・・。脳みそをフル回転させてみたが、なかなか答えを導くことができない。
「ハルト君?」
 控えめに声をかけてみる。
すると返ってきた声は、思っていたものとは少しだけ違っていた。
《あー、もう! 佐藤が変なこと言うから!》
 聞こえる声は少しうわずっていて、また一つ私の知らない一面が知れたようで嬉しかった。思わず表情筋が緩んでしまう。このまま少しだけからかってやろうかと思ったが、《何でもないから! 今のなし!》と言われてしまった。
《じゃ、じゃあな!》
「うん。またね」
 通話を切るとあたりが一瞬で静けさに飲み込まれた。ハルト君のこと、もっとやんちゃだと思っていたけど、意外とかわいいところもあるんだな。ちょっと、子供っぽいところが昔と変わっていない。でも、
『・・・少しだけ、嫉妬するかな』
 なんだか今日のハルト君は、
『俺は今も・・・好き、だけど』
 まるで、私のことが・・・。
少しだけ青みがかった夜空を眺める。きっと、今私が見つめているこの夜空は綺麗なのだろう。いくら目を凝らして見ても私にはもう、星の光すら見えない空。でも、絵の具をベタ塗にしたみたいにしか見えない空もこの時ばかりは数え切れないほどの輝く星が見えた。
「・・・浴衣。着てみようかな」
 それで、明日、桜に話そう。私にも好きな人ができたことを。