「はぁ・・・」
「なに、お前またぼっち?」
「うっさいな」
数日前から莉桜が休み。どうしたんだろう。ラインをしても大丈夫の一点張りだし。今度、先生に聞いてみよう。
私は、誰もいない選択教室でお弁当を広げていた。クラスは賑やかでとても好きだけど、お昼ご飯を食べるときはなぜかここに来ちゃうんだよな。
「あれ、桜ちゃんお昼一人?」
「え? まぁ、うん」
「じゃあ一緒に」
「うーん、・・・今日は遠慮しとこうかな」
「そっか」
みんな優しいな。わざわざ誘ってくれたのに断っちゃって申し訳ない。でも、ここでみんなとお昼食べちゃったら莉桜とお弁当を食べていた時間が無くなっちゃいそうで怖かった。
友達に謝りつつ、一人で朝作ったお弁当を片手に教室に向かったのだ。そこにリョウが顔を出してきた。
「てかさ、リョウ。暇なの?」
「はぁ? また、莉桜ちゃんが休みだって聞いたから、わざわざ見に来てやったのに。可愛くねぇやつ」
「何言ってんの? 私ほどの美少女はそうそういな・・・」
 あ、いたわ。そういえば、だいぶ身近にいたんだった。
「桜? どうした、口開いてんぞ」
 それこそリョウのこと頼まれているし、私引き受けちゃったし。
いや、でもどうやって伝えたらいいのだろうか。今、自然な感じでさらっと言う? でも、ラインとかの方がいいのかな? あー、どうしたら
「おごっ、ほっと、はひふるんだお」
 なぜか、私の口には私特製の特大卵焼きが詰め込まれていた。
「はは、バカみたい」
 そうやって笑うリョウのみぞおちに一発お見舞いしてやった。卵焼きは、自分でもびっくりするくらい甘かった。
リョウは、優しい。昔から、ずっと。
「リョウ」
「あ?」
「一組の池井鈴ちゃんって知ってる?」

 それからは、我ながら素晴らしい日々だった。鈴ちゃんの連絡先をリョウに教えたり、放課後に買い物に行こうと二人を誘ってわざといなくなったり、リョウの好きなものや苦手なものを出来る限り鈴ちゃんに伝えた。
「あの本田さん、いきなり二人きりはちょっと」
「何言ってんの。これぐらいいかないと!」
そう言って、鈴ちゃんの背中を押す。慌てる鈴ちゃんに驚くリョウ。二人とも笑っている。なんか、映画のワンシーンみたい。
「鈴ちゃん。俺が持つよ」
「あ、ありがとうございます」
 そんな二人の会話を後ろから見ていた。楽しかった。
でも莉桜が急にいなくなって、莉桜がいない寂しさを気づかないうちに紛らわしていたのかもしれない。

「なぁ、お前最近おかしくない?」
 リョウは、私の目をまっすぐに見ながら言う。私の胸ポケットにはリョウから誕生日プレゼントとしてもらったヤナギバヒマワリ? という白いひまわりのピンバッチ。「桜」なのになぜにヒマワリ!? と突っ込んでしまったが、ヒマワリが好きなんだよ! と渡されてしまった。せっかく、くれたから付けてるのにそんなに気になるかな?
「そう? いつも通りじゃん。まぁ、莉桜がいなくって凄く寂しいけど」
 今日はたまたま二人で帰ることになった。せっかく、鈴ちゃんも誘ったのに生徒会? が忙しいらしく断られてしまった。
鈴ちゃんが生徒会に入っていたなんて知らなかったな。でもやっぱり、頭のいい子は生徒会って感じがする。勝手なイメージだけど。たぶん鈴ちゃんのことだから頼まれて断り切れなかったんだろうなぁ。リョウと二人で帰るのはだいぶ久しぶりな気がする。今日は、午後から雨の予報だったから相合傘をさせるチャンスだと思ったのに。
 雨は次第に強くなっていく。
「雨すごいことになってきちゃったね」
 リョウを見たが顔は傘で見えなかった。
すっかり梅雨の時期だ。
「お前さ」
「え? なに?」
 雨がパタパタと傘にはじかれる。
リョウは、何かを言っているようだけどはっきりと聞き取れない。
「ごめん、あんまり聞こえない」
 リョウは、私の表情を読み取ると自分で持っていた傘を手放して私の傘をぐっと引き寄せた。
「ちょっ、何して!?」
 いつの間にか越されてしまった身長。顔を上げると、二十センチくらいのところに顔があった。
「お前さ」
 近い。いつもなら何とも思わないのに、なんでこんなに緊張しているんだろう。あんなにうるさかった雨の音が、なぜか一つも聞こえてこない。
「俺が好きって言ったらどうする」
 リョウが、私を、好き?
「な、なんかのドッキリ?」
「・・・違うな」
「じゃ、じゃあ。何かの罰ゲーム? 男子同士で流行ってる遊びとか?」
「お前さぁ」
 リョウの肩は雨で黒くシミが出来ていた。バカ、慣れないことなんかするから濡れてんじゃん。
「リョウ」
「・・・なに?」
「風邪・・・ひくよ」
 リョウは、いつもみたいに笑うと傘を拾ってまた歩き出した。少し赤い私の耳には大粒の雨の音が、静かに聞こえてくる。
「ちょっと、待ってよ」
「ほんと、桜は安定の桜だよな」
「う、うるさいなぁ」
 雨の日のいつもと何ら変わりのない帰り道。
その日、家に帰るまでリョウの顔は傘に隠れたままだった。

「はぁ、もし今日が金曜でなければ」
 雨が降る校庭を眺めながら、そっと手の中にある紙に目を落とした。
〈生徒会なんて名前だけで、ほとんど先生たちに言われたことをする雑用係みたい〉
〈いいなぁ、生徒会は。行事でみんなが暑い中頑張ってるときに、テントの陰で座っとけばいいんだもんな〉
「目安箱はストレスの捌け口ではないのですけれど」
 目安箱。一つ上の先輩である生徒会長が今年から設置した、生徒の要望により応えるためのもの。なのに、設置してから書かれているのは特に根拠のない意見ばかり。
 生徒会も進学に役立つものの一つとして入ったのに、思っていたよりもずっと活気がなく、周りを見てもこの部屋にいるのは私だけ。
「・・・やる気のある人はいないのですかね」
 私は、小さなため息を一つつくとまた手元に目を向けた。どれもくだらない、どうして普通に意見を書けないのか不思議なくらいだ。
 そうやって一週間のうちに溜まった紙を金曜日に整理するのが仕事の一つなのだが。
「この様子だと恐らく誰も来ませんね」
 雨は少しずつ激しさを増していく。この雨なら校舎に残っているのもあと数人だろう。
「本田さんとリョウ君、大丈夫でしょうか」
 そんなことを考えながら、いそいそと資料を片付けていく。
本田さんは、私の想像していた人とは違って心の広い優しい人だった。リョウ君だって、思っていたよりもずっと優しくて温かい人。

『あの、鈴ちゃん? でいいのかな?』
 聞こえたのは少し低くて、でも安定した声。私が気になっている人が目の前にいる。
『あのバカ、俺らを連れ出しといてどっかいっちゃったね』
 週末に本田さんに誘われて買い物に来てしまった。友達とお出かけなんてめったにしたことなんてないから少し緊張していくと、そこには本田さんのほかにリョウ君までいたので緊張は最高潮に達していた。
 どうして先に言ってくれないんですか、本田さん。私の心臓は爆発寸前ですよ。しかも、どこかに行ってしまったし。
『鈴ちゃん、時間大丈夫?』
『あ、いえ、全然。私は』
 でも、優しく気遣ってくれるリョウ君。その優しい表情が知っている誰かと重なる。
《鈴。笑ってごらん》
『ほんとにごめんね。あのバカのせいで』
 私の気になる人。一目見て好きって思ってしまった人。
《じゃあ、俺がおっさんになっても好きって言えるか》
『これからどうしよっか』
 声の方を振り向くと、いるはずのリョウ君が昔から見知った人へと変わる。男の人の中でもだいぶ高い背に、少しのたばこのにおい、黒縁の四角い眼鏡。少し見える無精髭や白と黒のシンプルなコーディネート。
《鈴。俺、こいつと結婚するから》
そう言って私を見るその人は偽りのない顔で笑った。

「・・・い、おい。池井」
「・・・・・・え?」
「池井、とっくに下校時刻過ぎてるぞー」
 顔を上げると、壁にかかった時計が八時半を指していた。
「あっ! すみません」
 私は、机に散らばっている資料を集め全力で片付けを始める。
「池井が居眠りなんて珍しいな。お前、また一人で仕事してたのか。他の奴らにもやらせておけばいいのに。まぁ、今回はその頑張りに免じて大目に見ておくぞ」
「本当にすみませんでした。すぐ、帰りますので」
「あ、池井」
「はい?」
「今度の期末も、期待してるからな」
じゃあ、鍵置いていくな、見回りの先生はそう言ってどこかへ行ってしまった。あの先生はフランス語の・・・。選択授業でいつもお世話になっているし、テストの結果がよかったのでしょうか。
この高校は特に外国語に力を入れていて、英語はもちろん、フランス語や中国語、韓国語なんかも選べたりする進学校でもあるのだ。
それにしても、居眠りなんて私らしくないです。
鍵を手に暗い廊下を歩く。こんな時間に校舎に残っている生徒の姿はなく、真っ暗で音一つしない教室はなんだか特別に感じた。
この静かな空間を知っているのは、見回りの先生くらいしかいないのでしょうね。それにしても、疲れているのでしょうか。夢を見るほど眠ってしまうなんて。いつまでもこの暗い廊下が続いていくのではないかと少し不安がよぎる。
「・・・恭介兄さん」
 無意識のうちに発していたその音は、静かな空間に吸い込まれるほどに小さくかすれていて私の耳にすら届かなかった。

「おはよう」
「え、あ、おはよー」
 昨日、あんなことがあったのにもかかわらずリョウは意外にもいつもと変わらなかった。え? もしかして昨日の一件は私の夢・・・。でも、そんなはずは。
「本田さん? どうかしたのですか、そんなにリョウ君をにらんで」
「へ?」
 おはようございます、そう丁寧にお辞儀をする彼女は私に向かって話しかけている。
「えっと、どちら様でしょうか?」
「えぇ! 本田さんひどいです」
 そう言って下を向く。少し青みがかった子犬のような瞳、可愛らしい仕草にしっかりとした敬語口調。もしかして、
「す、鈴ちゃん?」
 そう問いかけると、彼女はぱぁっと顔をほころばせた。
「はい。池井鈴です! 改めて、おはようございます」
「あ、うん。おはよ、ってちょっと待って。その髪」
「あぁ、これですか?」
 彼女、いや鈴ちゃんは長く綺麗だった髪を肩までバッサリと切っていた。なぜこんな突然に? もしかして、昨日の見られていたんじゃ。
「どうして切っちゃったの? ロング似合ってたのに」
「やっぱり変ですかね?」
「いやいや、今もめちゃくちゃ似合ってはいるんだけど。どうしてかなって思って」
 昨日のことだったらどうしよう。なんて言えば。今の私は顔にスマイルを張り付けながら、心はパニック状態になっている。
でも、よくよく考えてみたら特に何も変わっていないのでは? 昨日の私の返事とか、朝のリョウの態度とか。これ、特に何も心配しなくていいのでは。きっと、昨日のことは夢だったんだ。うん、夢。
「実は昨日ですね」
 心なしか申し訳なさそうに鈴ちゃんは、下を向く。
え、やっぱり見られていた? これはすぐに否定せねば。
「あの、鈴ちゃん。ほんと申し訳ないんだけど、アレは」
「久しぶりに夢を見まして」
「アレは違うんだ、って夢?」
「アレ? アレって何ですか」
 これもしかして昨日の関係ない?
「・・・いや、なんでもない。それで夢を見たのがどうして髪を切ることに繋がるの?」
「それは・・・」
 私が不思議に思っていると、鈴ちゃんはなぜか何かを振り切った表情で私を見た。学校特有のざわざわとした教室前で鈴ちゃんは口を開く。すると、まるでそのタイミングを狙ったかのように予鈴が鳴った。
「本田さん。今日の放課後、少しいいですか」
「え、うん。大丈夫だけど」
「じゃあ、いつものカフェに。私、本田さんに言わなければならないことがあります」
 鈴ちゃんはそう言って、短くなった髪を揺らしながら教室に戻っていった。ねぇ、莉桜。早く学校に来てくれないかな。莉桜がいなくなってから私の周り、なんかぐちゃぐちゃなんだけど。
「本田、なに突っ立ってるんだー。チャイム聞こえなかったのか」
「いてっ」
 担任に頭を名簿で叩かれ我に返った。
教室に入っていなかった本田は、今日は遅刻と。聞こえる笑い声に慌てて先生、学校にもう着いているのでセーフですよ! と叫びながら教室へと入った。

夕暮れのカフェはいつにもましてお洒落に感じる。
平日のこの時間は意外と空いているらしく案外簡単に座ることができた。それに来ちゃったよ、しかも、鈴ちゃんより先に。いつもならどうしても終わらない一日が秒で終わった気がする。
「あ、あの、待ちましたか」
「いや、全然。でも、どうしてそんなに息があがってるの? 大丈夫?」
「はい、ちょっと生徒会の仕事を忘れていたので急いでで終わらせてきました」
「そ、そっか」
 大変そうだな。でも、そんなに急いでまで伝えたい話って何だろう。
私の目の前に座る鈴ちゃんは、いつもよりも落ち着いて見えた。
「私はまず、本田さんに謝らなければいけません」