舞踏会と武闘会――始まりのとき。
 マスコは朝食を抜き、入念な柔軟をしてから出立。
 会場では朝に予選が行われ、前回王者のマスコはシード枠なので夜の決勝トーナメントからの出場ですが、自分の敵となりうる存在を研究するため予選から会場入りします。
 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすのです。
 いっさいの驕りを捨てた絶対王者に隙はありません。

 一方、夜の舞踏会にそなえ、モルボルとチレーヌも食事を抜きました。
 ほぼ人間をやめているモルボルですが、あれでも女性なのでしょう、みんなから少しでも美しく見られないという願望があるのです。
 チレーヌはデレラの指導もあって自信を取り戻し、緊張の面持ちで夕方を待ちます。
「バナナくらい食ったらどうだ? メシ抜きは体に悪いぜ?」
「よけいなお世話よ! 他のみんなだって今日にそなえて努力してるんだから!」
 胸元でふんすっと両手の拳を握るチレーヌ。
 ややツンですが、もう前にみたいにデレラに対するトゲはありません。  
「そういうのは日ごろからの節制でやるもんだ。急ごしらえはよくないぜ」
 そう言ってデレラは自分のバナナをチレーヌの口に押し込みました。
「もごもご……」
 驚いた顔をしたチレーヌですが、デレラの澄まし顔を見てあきらめたように目を伏せ、しかたなくバナナを食べ進めます。
 なんだか餌付けされているみたいでちょっと恥ずかしくなりますが、お化粧の一件からデレラに対する嫌な気持ちが薄れていたので、素直に従いました。
「あむあむ……」
 小さなお口でバナナを一生懸命ほおばるチレーヌ。
 それを静かに見ていたデレラは、
「ふうっ……」
 なぜだか満足した顔で息を吐きます。
「なに……?」
 自分より身長の高いデレラを上目遣いに見て、チレーヌは眉をひそめます。
 いつも変なデレラですが、バナナを食べているときに野獣のような眼光をしていたのが気になりました。
「こっちのことさ。俺は家で掃除してりゃあいいんだっけか?」
「そうよ。遅くなるから先に寝てていいわ」
「王子様とは踊れそうかい?」
「ふん……当然よ!」
 チレーヌはそう言って胸に手を当て、不敵に笑いました。

 夕方になり、チレーヌは馬車に乗ってお城へ。
 モルボルは大きすぎて馬車には乗れなかったので、馬車の上に腹ばいになってしがみついて行きました。
「うわあっ!? モルボルだぁー!!」
「馬車を襲っているぞーっ!?」
 ちがいます。
 ですが、モルボルを見た村人達は逃げ惑いました。
 モルボルの超重量で前輪をウイリー気味に浮き上がらせながら馬車は消えて行き、残されたデレラは家族の出立前に掃除を済ませてしまったので、退屈でした。
 広いお屋敷とはいえもう手順が完全に決まっているので、二時間もかからないのです。タイムアタックすれば一時間半を切ることも可能でした。

「さてと、チー姉がどうなるか見に行こうかな……」
 デレラはベットから起き上がり、知り合いの魔女に会いに行きます。
 この国には善良な魔女が存在し、恵まれない人々にときどき力を貸してくれました。
 不思議な力でカボチャを馬車に変えたり、ネズミを人間の従者に変えたりと、生命に対する冒涜の限りを尽くしてますが、全て善意からのことなので許されていました。

「武闘会に行くなとは言われたけど、舞踏会には行くなとは言われてねーしな」
 勘違いをまだ引きずって、デレラはエプロンと三角巾を外して外に出ます。
 
 この国の魔女はとても気まぐれで、特定の宿を持たず何者にも縛られないため、王族ですらなかなか出会うことができません。
 デレラは舞踏会に行けなかった自分を助けに来た魔女と、過去に一度会っていました。
 
 そのとき魔女は言いました。

「さあ、デレラさん! お城の舞踏会に参りましょう!」
「いや、べつにいいわ」
「なんでです!?」
 まるで小学生がコスプレしているみたいなチビっ子魔女は、ショックを受けて涙目になります。
 魔女っ子は濡れた烏羽のように美しい黒髪をお下げにしています。
 まん丸の大きな瞳はこの国では珍しい黒色で、黒いマントで黒いゴスロリで、もう全部黒ずくめです。
 三日月のシンボルが付いた小枝のような杖を持ち、森深くの大きな木の洞に住んでいて、住みやすいよう魔改造された洞の中には見たこともない摩訶不思議な道具でいっぱいです。

「不幸な人に幸せをお届けって言うけどさ、俺はべつに不幸じゃないぜ?」
 デレラは自分の境遇が決して不幸でないことと、王子はなんか生理的にダメなので行きたくないことを魔女っ子に丁寧に伝えました。
「でもでも、王子様と結ばれてハッピーになれるんですよ!」
「だから、その王子と結ばれるのが嫌なんだってば」
 デレラは過去に一度だけ見た、王子のさわかやな顔を思い浮かべて、うんざりしたような顔になります。
「え~! でもでもぉ~!」
「悪ィけど押し売りはやめてくれよな」
 腕をブンブン振って駄々をこねる魔女っ子。
 デレラは魔女っ子のかぶっている、大きな1つ目のついた三角帽子の先っぽを指でよじりながら説得します。
「むう……わかりました!」
 魔女っ娘は、よじられた帽子を手で一生懸命直しながら言います。
「じゃあ、何かお願い事があったらすぐに呼んでくださいね! デレラさん、約束ですよ!」
「わかったわかった……。でも、俺なんかよりほかの恵まれてない子を助けてやってくれよ」
「はい、わかってます。でも、そういう貴女だからこそ、わたしは力を貸したいのですよ」
 魔女っ子はそう言ってニカッと無邪気に笑い、魔女呼びの笛をデレラに押し付けました。
 この大きな虹色の巻貝のような笛を吹くと、魔女っ子が駆け付けてお願いを聞いてくれるのだそうです。

 そんな約束をしていたことを思い出し、デレラは魔女っ子の隠れ住む森まで来たのでした。
 辺りはすっかり暗くなり、訓練により夜目が利くようになったデレラでも少し緊張してしまいます。
 ここは夜になると凶悪な魔獣が徘徊する森なので、村人は誰も近づかない森なのです。
「この辺でいいかな……?」
 
 ぷお~!

 森の入り口まで来て笛を吹くと、ホラ貝みたいな野太い音が空に鳴り響きました。
 するとしばらくして、森の木々がガサガサし始めます。
「わたしが来ました!」
「ごふおっ!?」
 樹上から突撃して来た魔女っ子が、デレラのお腹に頭から突っ込みました。
 その勢いは凄まじく、デレラは地面を滑るようにズザァーッと後退しましたが、なんとか食い止めて魔女っ子を抱え上げます。
「ごほっ!? おい、なんて登場するんだよ!」
「ご、ごめんなさい! でも、嬉しくて……!」
 よほどデレラが待ち遠しかったのでしょう、魔女っ子は大粒の涙をこぼしながら満面の笑顔でデレラに謝りました。
 そんな顔をされては、デレラもそれ以上は怒る気になれません。
 まだ小さいのに、こんなさびしい森の中でひとりで暮らしているのです。
 きっと、デレラに会いたくて仕方がなかったのでしょう。
「わかったよ。次からは気を付けてくれよな!」
「はいっ!」
 基本、素直でいい子なのでしょう。
 魔女っ子はデレラの『次』という言葉に期待をふくらませ、元気いっぱいに手を挙げて約束しました。
「えへへ……」
 飛びついたときに落ちた帽子を拾って、頭を撫でてあげると、魔女っ子はくすぐったそうに肩をすくめました。
 抱っこすると少し驚いたように目を見開きましたが、デレラの肩に手を回して嬉しそうに体を寄せてきます。
 
(子供は体温高いなぁ。なんか小動物みたいだ……)。

「じゃあ、お願いしてもいいか?」
「うえへへヘ……なんでも言ってください……」
 デレラの抱っこですっかりとろけてしまった魔女っ子は、だらしない顔で禁断の言葉を口にします。
「じゃあ、金田のバイクと俺の体形に合わせた王子様風の服おくれよ」
「……はい?」
「男のカッコで舞踏会に行きたいんだ。あと、金田のバイクがほしい」
「なんでお姫様のドレスじゃないんですか!?」
「やだよ、女みてーなの似合わねーし」
「デレラさんは素敵な女の子ですよ!」
「やだよ、ヒラヒラしたの着るのなんて」
 デレラはかつてのお姫様のような自分を思い返し、吐き気を覚えました。
 あのときの恥ずかしい自分にツッコミを入れてあげたい気分です。
「むう……!」
「むくれてもダメだぞ。さあ、どうか俺の願いを叶えておくれよ……」
 デレラはそう言って慈しむような眼差しを向け、唇が触れてしまいそうな距離で魔女っ子を誘惑します。
 まばたきを忘れてしまったかのように目を見開いた魔女っ子は、柔らかそうなほっぺを少しだけ赤く染めましたが、すぐに不敵な笑みを返します。
「無駄ですよ、デレラさん! 魔女たるわたしにはイケメン耐性があるんです! 故郷の魔女はみんな美男美女ですからねっ! だから、いくらキレイなお顔を近づけても……! ち、近づけても……!」
「頼むよ……」
「はわわわっ!?」
 耳の近くで切ない声でささやかれ、魔女っ子は悦びに背筋をゾクゾクさせました。
「お、落ちませんからね! わたしは絶対に落ちたりなんかしませんからね!」
「ホントかな……?」
「はわわあっ!?」
 デレラにあごクイされて、魔女っ子は心臓がドキドキしてしまいました。
「そんな……!? お、落ちちゃう!? 落ちちゃうよ、わたしっ!?」
 目を回してもう陥落寸前の魔女っ子は、トマトのように真っ赤になって身をギュッと縮めます。
 数秒後、「落ちちゃった~~~~!」という大きな声が森中に響きました。