召使いのような生活をすることになって2年、デレラは充実していました。
 きつい仕事をこなすうちに、わかってきたのです。
 ただ与えられることを当たり前としていた自分に。
 デレラは無知で愚かだった自分を恥じ、自分を見つめ直しました。
 外では食べことにすらにこまっている人が大勢いて、寒空の下で凍死してしまう子供もいます。
 子供が家の手伝いをするなんて当然ですし、毎日食事が出て雨風をしのげる屋根があることがどれほど幸運なことか理解できました。

 仕事に慣れて余裕が出てくると、いろいろ工夫することが楽しくなってきました。
 お掃除の仕方を変えてみたり、パッチワークにこだわって見たり、図書室で料理本を読んで新しいレシピのアレンジにチャレンジしたり、毎日が充実しています。
 いつも「おいしくないわ!」と不平を言うチレーヌですが、なんだかんだでおかわりしてくれます。
 デレラは食の細いチレーヌが自分の料理をいっぱい食べてくれると、とても嬉しい気持ちになります。
 いじわるな姉ですが、デレラはチレーヌのそういう素直じゃないところがわりと好きでした。
 それどころか。
「押し倒してぇ……」
 などと不埒なことを考えていました。

 デレラはチレーヌのことがけっこう気に入っていました。
 一緒に長く暮らしていて愛着がわいたというか、懐かない猫を相手にするような感覚です。
 いじわるはするけどとてもひどいことはしないし、自分にコンプレックスを持っていて強がりを言うところとか、すぐ赤面してしまう恥ずかしがり屋なところとか、痩せていて非力で守ってやりたくなるところとか、悪っぽくふるまってもドジなところとかが好きでした。
 
 お城の舞踏会開催が近づき、家はあわただしくなります。
 継母のモルボルは入念にお化粧をします。
 めちゃくちゃな厚化粧で、すでに怪物のような顔に磨きをかけます。
 
 マスコは一週間前からトレーニングを中断し、試合前の調整に入っています。
 熾烈な闘いを何度も経験したマスコは落ちついたもので、自室に篭って精神統一をはかっています。
 八連覇に向け余念はありません。

 そしてチレーヌは、部屋の鏡の前でお化粧の練習をしていました。
「可愛くない……」
 ぜんぜん可愛くない。
 どんなに着飾ってもお化粧してもキレイになれない自分にいら立っていました。
 近くで見たデレラの顔は本当にキレイで……たいしたケアもしていないはずなのに瑞々しくきめ細かい肌をしていました。
 ああいう努力せずに持っている子だけが主人公になれるんだろうなと、チレーヌは自嘲してしまいます。
 
 前回、ドキドキしながら初めて行った舞踏会。
 みんなが楽しそうに踊る中、チレーヌはひとり壁際に立っていました。
 誰にも話しかけられないまま終盤のチークタイムに入り、家で付き合いのある男爵家の男の子が、父親に言われてたからという理由で、一度だけ相手をしてくれました。
 でも、それ以降は誰も声をかけてくれません。
 とてもみじめな気持ちになりました。
 王子様の心を射止めるだなんて大それたことを考えていた自分が恥ずかしくなり、しばらく自室にこもって泣きました。
 
 そしてまた……憂鬱な舞踏会。
 デレラがもし舞踏会に参加したら、とびきりの美しさに心奪われた男子からたくさん声をかけられるでしょう。
 そして誰からも声をかけられない自分は、妹とくらべられてみじめな思いをします。
 それが嫌でしかたがないので、デレラには来ないようにきつく当たりました。

「キレイに……キレイならないといけないのに……」
 嫌でしかたがなくても、お母様の命令で舞踏会を休むことはできません。
 怖くても、虚勢を張ってでも、参加するしかないのです。
 舞踏会で見た上流階級の女の子達はみんなキレイて……あそこにまた行くなんて考えるだけで足が震える。
 たまにこちらに向く男子達の微笑みが、嘲笑に見えて怖かった。

「なんでよ……なんで上手くいかないの!」
「お困りかい?」
「なっ!?」
 勝手に部屋に入って来たデレラに驚いて、チレーヌは口紅をはみだして描いてしまいました。
 戸口に背を預けて颯爽と腕組みして立つジャージ姿の男装麗人は、一つ年下の義妹デレラ。
 涼しげな笑みを浮かべてこちらを見ているのに気づき、チレーヌは思わず手で顔を隠してしまいます。
「なんであなたが……!」
「まあ、せっぱつまったチー姉を手助けしたくてな」
「近づかないでよ!」
 無遠慮に距離を詰めて来るデレラにチレーヌは拒絶の声をあげました。
 こんなみっともない姿、こんなみじめな姿、デレラにだけは見られたくなかった。
 ブスで、陰気で、根暗で、取柄なんて何ひとつない自分の必死な姿なんて見られたくなかった。

「ほら、いいから顔だしな」
「ちょ、やめ――」
 まつ毛の長い美しい顔がすぐ間近に来て、チレーヌは思わず息を止めて硬直します。
 力強い手が自分の腕をつかみ、逃げられない。
「化粧は科学だ。それを理解していれば、万人向けのカワイイは作れる」
「な、なにを……わけのわからないことを……」
 美しい顔がすぐ近くにあって、頭がボ~となってしまいます。
 抵抗する気力が完全になくなったチレーヌは、そのままデレラに身をゆだねました。
 化粧水と乳液で肌を整え、優しく丹念にフェイスパウダーをまぶし、リップグロス、アイシャドウと、魔法使いのように道具を次々に換え、デレラの繊細な手先がチレーヌを美しく変貌させます。

 デレラの真剣な顔を薄目で見ていると、チレーヌはしだいに心地よくなってきました。
 温かくてふわふわしたような、えも言えぬ良い心地です。
「ほら、終わったぜ!」
「あ……ありがとう」
 鏡を見て、チレーヌは自分の姿に驚きました。
 これが本当に自分なのかと疑ってしまいほどキレイになっていたからです。
 驚いてついお礼を言ってしまいましたが、チレーヌはハッとなって顔をそむけます。
「ふ、ふん! 素直にお礼が言ってもらえるとか思わないで!」
「いま言ったじゃん」
 腕組みしてそっぽを向くチレーヌの姿が可愛くて、デレラは苦笑いしました。