「デレラ! デレラ、いるんでしょ!」
 いじわるな義姉、次女のチレーヌが地下室への階段を大股に歩いています。
 ここはシンデレラの世界……とは少しちがう『デレラ』の物語。
 
 デレラの祖父の祖父は地球から転移して来た異世界人です。
 100年以上も昔にひょんなことからやって来て、氷の山脈に閉ざされた陸の孤島であるこの国に叡智を授け、めざましい発展をもたらしました。 
 その功績で公爵の爵位を叙されたデレラのご先祖ですが、初代で知識チートは打ち止めになったので、子や孫はその身代を食いつぶし、現在では男爵にまで降格されています。

 それでも一般家庭とくらべれば裕福な実家。
 デレラは蝶よ花よと何不自由なく暮らしていました。
 ですが、そんな幸せも長くは続きません。
 デレラが8歳のときにお母さんが病気で亡くなってしまい、後妻として家に来た、小型のビッグマムのような継母と連れ子である義姉二人が一緒に暮らすことに。
 このさい父の趣味は問いませんが、見知らぬ家族が三人も増えてしまい、デレラはとても居心地の悪い幼少期を過ごしました。
 
 家族が増えて、6年の月日が過ぎました。
 そんなある日、平穏な日々に終止符を打たれてしまいます。
 父が地元のスポーツ・バーで乱闘の末、亡くなってしまうという悲劇が起こったのです。

 荒くれの鉱山労働者が集まる酒場で、大型テレビでスポーツ観戦をしながら安酒を酌み交わす父。
 一人だけ紳士服なので店ではかなり浮いていましたが、もうこの店には10年くらい通っていて、たまにパーッと奢ったりもしていたので、男達は父を普通に仲間だと受け入れています。
 その日はひいきのチームがサヨナラ負けしてみんなでヤケ酒していたところ、勝利チームのフーリガンが酒場に乗り込んで来て馬鹿にしたもんだから、さあたいへん。
 プライドの高い父は脱いだ上着を床に投げつけ、シャツをひきちぎって上半身裸になり、フーリガンの集団に飛びかかりました。
「うおおおッッ!!」
「やるか、この紳士野郎がっ!!」
 父が喰らわせた鉄拳を皮切りに、酒場はたちまち大乱闘スマッシュ・ブラザーズ。
 バリツを修めた父は徒手空拳でたちまちフーリガン73人を打倒しましたが、背後から「クソボケがーーーっ」と酒瓶で殴られ、倒れたところを囲まれてボコボコにされ、雪積もる寒空に放り出された結果、そのまま凍死してしまったのです。
 凍死……いえ、闘死でもあります。
 父は地元の名誉のために闘って死んだのです。
 
 父の葬儀が済んだあと、継母のモルボルが実家の実権を握ったことでデレラの苦渋の日々が始まりました。
 デレラはそれまで暮らしていた立派な部屋を追い出され、蜘蛛の巣の張った冷たく薄暗い地下室に追いやらてしまったのです。それどころか、使用人がやっていた家の仕事までかわりにやるよう言いつけられました。
 
 深層の令嬢として暮らしてきた苦労知らずのデレラ。
 運命は過酷にもデレラに次々と試練を与えます。
 炊事、洗濯、お掃除、お裁縫、格闘訓練と、デレラは休むヒマもありません。
 まるで世紀末覇者のように大きく屈強な体を持つ長女マスコは、お城で開催される武闘会にそなえスパーリング・パートナーにデレラを電撃指名。
 マスコと死闘を繰り広げるうちにデレラは裡に眠る闘争本能を呼び醒まし、壮絶なウエイト・トレーニングを自身に課した結果、餓狼のように研ぎ澄まされた心と身体を獲得したのでした。
 
 さらに2年の月日が流れ――。
 デレラ、16歳の春を迎えます。 

「デレラ!」
「なんだよチー姉、うっせえなぁ……」
 次女チレーヌが扉をバンと開けて怒鳴り込んで来たので、デレラは面倒くさそうに寝床で寝返りを打ちました。
「ちょっ、寝タバコ!? あ、危ないじゃないの!?」
「ちゃんと気を付けてるから大丈夫だって……」
 そう言って、くわえていたタバコを手に取って灰皿に押し付けるデレラ。
 あの優しくて穏やかで可愛らしかった少女デレラは、すっかりやさぐれて不良になっていました。
 学校指定の赤いジャージ姿で、ジッパーを下げて大きな胸元を大胆に開き、長く美しかった金色の髪を適当に襟元で結わえています。
 天使のようにあどけなかった眼差しは鋭く野性味を帯び、反抗的な態度にひるんでいるチレーヌをヤンキーのごとくにらみつけます。
「マスコ姉様から聞いたわ! 明後日に開催されるお城の『舞踏会』に、あなた行きたいんですってねぇ!」
「ああ、その話か。武闘会な。俺も前々から行きてぇと思ってたんだよ」
 『ぶとうかい』違いですが、二人は気付かないまま会話が進みます。

「はあっ!? あなた、ずいぶん大それたことを考えるのね! 汚いジャージ一丁しかないクセに、それで舞踏会に出席できるとでも思ってるの!?」
「失礼だな、ちゃんと毎日洗ってるぜ? それに、武闘会に出るのにカッコなんてどうでもいいだろ?」
 野盗や山賊みたいなカッコの奴も出るくらいだし、とデレラは思いました。
「そうはいかないわ! お城での舞踏会は王子様や貴族の方々が集う高貴な社交の場なの! うちの家名を汚すようなマネはさせないわ!」
 お城ではなぜか舞踏会と武闘会が毎回同時開催されています。
 お城の地下で開催される闇の武闘会は毎回凄惨を極めるため“公(おおやけ)”にはされず、武道に関わらない一般人がそれを知るよしはありませんでした。

「でもよ、マー姉はいつかの武闘会で、ボロボロの道着でお城に行ったぜ?」
「えっ!? お姉様が……? まさかそんなこと……」
 そんなこと絶対にありえない――とも言いきれない姉だったので、チレーヌは口ごもります。
 背中に赤字で『撃滅』と書かれた黒い道着をいつも纏っていて、食事のときは空気椅子で常に鍛えています。
 大木を抱えて根本から引き抜き、豪拳が大地を打つと周辺の積雪が残らず消し飛び、厚い氷の張った湖で氷砕船のごときバタフライをする姉です。
 会場では一度も見かけたことはありませんが、道着姿で舞踏会に行ってもおかしくないと思いました。

「と、とにかく! 行っちゃダメだから! これは命令よ! お姉ちゃん命令!」
「チッ……! わかったよ、面倒くせぇなあ……」
 デレラは面倒くさそうに爪先でふくらはぎをかきながら、しぶしぶ承諾しました。
 その態度が気に入らなかったのか、チレーヌはデレラの頬を打とうと手を振り上げました。
「おっと……」
「きゃっ!?」
 デレラはチレーヌの振り上げた手をつかんで、細い腰を抱き寄せました。
 二人はベッドに倒れ込み、見つめ合うような形で重なります。
「あぶねえなぁ……。俺を殴ったら、キレイな手が腫れ上がっちまうところだったぜ?」
「な、なにを言ってるのよ……!?」
 デレラの上でチレーヌは顔を真っ赤にしました。
 デレラの深く澄んだ碧眼がすぐ近くにあったからです。
 チレーヌはちょっと悪ぶった感じの美形が好きで、悔しいことに憎むべきデレラこそが最も理想のタイプだったのです。

「は、離れなさい!」
「はいはい……」
 チレーヌが枕を顔にグイグイ押し付けてきたので、デレラは両手をあげて降参します。
 ベットから離れたチレーヌは乱れた着衣をあわてて直し、そそくさと部屋から出て行きます。
 けれどすぐに顔だけ出して、
「あ、それと! お料理の塩加減が薄いってマスコ姉様が言ってたわ! 気を付けなさい!」
「塩分過多は高血圧や動脈硬化の元なんだぜ? 腎臓にも負担がかかるし、生活習慣病にかかりたくなきゃ注意しねえとな」
「いつもそれ! なに言ってるかわかんないわ! いいから言うとおりになさい!」
「はいはい……まあマスコ姉はいつも汗をたくさんかいてるから大丈夫か」
「わかればいいのよ。それと……自分の下着は自分で洗うから、あなたはさわらないで……」
 チレーヌはうつむいて恥ずかしそうにそう言うと、階段をさっさと上がって行きました。
「カワイイお姉様だねえ」
 デレラは笑いながら肩をすくめ、大事な家族の夕飯を用意をするために腕まくりするのでした。