きみがいる、この世界で。


【泉本さん、やっぱりピアノ弾くんだ】

高橋くんはスマートフォンから視線をあげると、しばしの間宙を見上げた。

【初めて会った時から、そんな感じがしてた。レッスン、受けていたの?】

【うん……でも週に一回だけだったし、本格的にやっていたわけじゃないよ】

本格的なコンクールに出場したことはないし、趣味でやっていただけだった。ただ、ピアノは好きだった。一つ一つ何気なく生まれた音がまとまり、一つの曲となる。そしてその曲は、奏者にも聴者にもさまざまな感情を与えてくれたり、時には新しい世界を見せてくれたりする。それが不思議で、楽しかった。

【どんな曲を弾くの?】

【色々な曲を弾くよ。邦楽も洋楽もクラシックも。強いて言えばクラシックを弾くことが多いかな。ノクターンの第二番が好きなんだ】

【ノクターン、良いよね。弾く人によって演奏がガラッと変わるから面白いよね】

高橋くんは私を見つめると、口元に手を当てて首をかすかに傾けた。
何も言わない彼が気になって、私も彼と同じように首を傾けると、高橋くんはハッと笑顔を取り繕った。

【泉本さんのノクターン、聞いてみたかったな……】

その文面を見た時、今までで感じたことがないくらい、胸が締め付けられた。

【耳が聞こえる間に、泉本さんに会いたかったな。泉本さんのピアノ、聞いてみたかった】

何も言えずにただ俯いていると、高橋くんは【なんだか変なこと言っちゃった。ごめんね】と眉尻をさげながら笑った。

それから彼は何事もなかったかのように、私が作った卵雑炊を勢いよく食べた。既に冷めきっていて、美味しくないはずなのに、何度も【美味しい、ありがとう】と言ってくれた。