あれほど誰かから敵意というか、憎しみがこめられた視線と言葉をぶつけられたのは初めてで、言われた直後はショックよりも驚きが大きかった。
これほど自分は、誰かにとって嫌な存在なのだ、と。
ただ、痛みと悲しみは、じわじわ襲ってくるらしい。
学校帰りに一人で電車に乗り込むと、全身の力が抜けて、動けなくなった。

私が学校に行かなくなったら、千枝は穏やかな気持ちで毎日を過ごせる?
私が学校に行き続けると、千枝は怒りで気が狂いそうになる?

行かなくて済むのなら、私だって行きたくない。
千枝と佳奈美にはすれ違うたびに悪口を言われ、目が合うだけで馬鹿にしたようにクスクス笑われる。
他の生徒は何も言ってこないけれど、それでも私と出来るだけ関わりは持たないでおこうとしていることはヒシヒシと伝わってくる。
何もないように振る舞っているけれど、本当はずっと辛い。

でも、学校に行かなければ、お父さんとお母さんが心配するだろう。

幼い頃、身体が弱くて、よく幼稚園や小学校を休んだ。中学生になって、身体も成長をしたのか自然と毎日通えるようになってから、特に心配性のお母さんはことあるごとに「毎日学校に行けるようになってよかったね」と嬉しそうに私に笑みをみせる。

やっぱり、言えない。
あのお母さんの笑顔を思い出すと、「学校に行かない」なんて、言えない。

相談したい気持ちは確かにあるはずなのに、相談できない。

気がつくと家の最寄り駅はとっくの前に過ぎていた。
重たい身体に鞭を打って停車した駅で降り、改札を出て反対のホームへ向かう。10分ほど経ってホームへ滑り込んできた電車に乗って少し揺られた後、次が九十壁の最寄駅だということに気がついた。

「九十壁」とは、家の最寄駅から電車で20分少しのところにある景勝地だ。
九十壁は、太平洋を見下ろすようにそそりたつ高さ50mの断壁がとても有名で、波が岩壁にぶつかる様子を間近で見ることが出来る。
子どもの頃はその迫力に感動して、頻繁に親に「連れて行って」と頼んだ。
波が高い日は水飛沫が飛んでくることもあり、岩の上は滑りやすい。その上柵もないものだから、お母さんには耳にタコができるほど「海の方まで行ったらダメよ」と言われたけれど、海が近くにある場所で育ったからか、海の迫力を感じられるこの場所が、私は昔から大好きだった。
特に嫌なことがあった日や疲れた日は、ここから海を見るだけで疲れが波に取り込まれていくような気がして、学校帰りにこっそり寄ることもあった。


もう一度、力を振り絞り、九十壁の最寄駅で降りる。何度も歩いたことのある道を歩いていると、なんだか家に帰ったかのような、安心感に包まれた。

平日だからか、全く人影がない。足元を少しだけ気にしながら崖まで行くと、ちょうど夕日が水平線に沈もうとしているところだった。

私も……私も沈みたい。

落ちたら痛いのかな。
高いところから落ちると、水面もコンクリートと同じ硬さに感じると聞いたことがあるけれど、あれは何メートルから落ちた時の話なんだろう。

でも、いいか。
たとえ痛くても、この世界から消えることが出来るのなら。

ふらふらと崖の先端へ向かう。

これでもうおしまい。きっと、全部、おしまい。