「有栖ごめんっ! 俺、カバン忘れた! 先に帰ってて!」

 有栖と下校しようとしていたのに、学校最寄りのバス停まで来て、バスに乗ろうとしたときに定期入れどころかカバンごと忘れたことに気がついて俺は慌てて学校に戻る。
 いやこれ結構恥ずかしい。
 カバンごと忘れるなんてどうかしてるよ。自分が情けなくなる。




 教室に入ろうとしたとき、これ絶対入っちゃ駄目だろの雰囲気を察して俺は躊躇した。

 だって教室には男女ふたりきり。しかもなんか深刻な雰囲気だ。
 浅宮と、瀬野(せの)はるか。瀬野は顔もスタイルも良くて素人ながらインスタでなかなかのフォロワーを獲得している校内でも有名な美人だ。

「どうしても駄目なの?」
「ごめん……俺好きな人いるから……」

 申し訳ないけど気になりすぎて、廊下に潜んでふたりの会話に聞き耳を立てた。
 話の内容から察するに、瀬野が浅宮に告白して、浅宮が断ったという感じだ。

「浅宮くんが好きな人って誰なの? 私その人みたいになるから。教えてほしい……」

 瀬野って案外健気なんだ。

「そんなことしなくていいし、俺の好きな人を教える気もないよ」

 たしかにそうだな。浅宮が好きなのは有栖だ。まさかここで男が好きだなんてカムアウトするわけがないだろう。

「そう……。わかった。諦めるね……。浅宮くんは好きな人とうまくいくといいね……」

 瀬野は声が震えている。泣いてるのかもしれない。

「うん……俺はいま、頑張ってるとこ。いつまでもこんな気持ちじゃいられないからさ、俺ももうすぐ告白、してみるわ」

 浅宮は有栖に告白することを決めたのか。もうすぐっていつなんだろう。

「瀬野。俺が振られたら笑ってくれよ」
「浅宮くんが振られるわけないよ」
「そうならいいけど、すげぇ自信ない。多分振られるんだ。怖くて仕方がなくて、だからずっと言えずにいる……」

 自信がないから、俺にアドバイスを求めたり、デートの練習してるんだもんな。
 でもきっと浅宮なら——。

「いいなぁ、その人。浅宮くんに想われて。あ! 浅宮くんがその人に振られたらあたしと付き合ってよっ。あたし、もう一回浅宮くんに告白するから」
「おい、さっきは『うまくいくといいね』とか言っといて急に俺が振られたあとの話をすんじゃねぇよ!」
「ごめん。冗談だよっ」

 ふたりは和やかな雰囲気だ。俺には全然縁のない高校生アオハル。


 あ! ヤバい! ふたりが教室を出ようとしてる!
 俺はいったん隣の教室に逃げ込んで、ほとぼりが冷めてから再び教室に戻った。



「えっ! 三倉?! お前有栖と帰ったのかと思ってた!」

 昇降口で、ばったり浅宮と出会った。

「そのはずだったんだけど、カバン忘れてさ……」
「カバン?! 教室に?!」
「うん、まるごと全部……。バスで定期出そうとしたときに気がついてさ……」
「そっか。そうだったんだ……」

 神妙な顔つきになったと思ったら、
「三倉っ! ありえねー! えっ、お前、カバンごととか、普通気づくだろ!」

 浅宮はデカい声で笑ってる。

「うるさいっ」
「いやっ、マジウケる。三倉って本当おっもしろいなー!」

 浅宮はすごく楽しそうだ。

「はぁ、笑った笑った」

 浅宮め! 人をネタにして大笑いしやがって!


「で、三倉はこれから帰るとこ?」
「うん、そうだけど」
「じゃ、一緒に帰ろうぜ。俺、チャリなんだけど、駅まで乗ってけよ」

 駅まで徒歩三十分。だからいつも駅からバスを使って学校に行くけど、浅宮はチャリ通学なのか。




「浅宮って、家どこなの?」

 駐輪場へと向かいながら浅宮に質問してみる。まだ浅宮と友達になって日が浅いからこいつの知らないこともいっぱいある。浅宮のこと色々知りたい。もっと聞いてみたい。

「ここからチャリで二十分くらいかな。駅の反対側なんだ」

 学校へのバスは駅の南口から出ているから、浅宮は北口のほうに住んでいるってことだよな。

「近いんだな。いいなー」
「まぁな。だからみんなよく遊びに来るんだ。……よっ……と」

 浅宮は駐輪場から自転車をとり出し、それにまたがる。

「後ろ。三倉乗って」
「うん」

 浅宮の自転車の後ろに乗る。どこにつかまろうかとちょっと戸惑う。

「俺の脇以外、どこでもいいから掴まって」

 浅宮が急に自転車を走らせるからびっくりして、慌てて浅宮にしがみついた。抱き締めるような真似はできないから、浅宮のブレザーをちょっとだけ掴んで。



「三倉、お前軽いなぁ!」

 浅宮は自転車をビュンと飛ばしてる。慣れた通学路だろうから道はしっかり頭に入ってるんだろうけど。
 さっきから俺の視界は浅宮の背中だ。広くてどこか頼りがいのある背中。

 ちょっとだけ、浅宮に不審に思われない程度にそっと背中に頭を寄せてみる。
 スンと匂いを嗅いでみる。ほんの一瞬だけど、特別な香りがした。

 ——浅宮にもっと近づきたい。浅宮に触れてみたい。

 浅宮と恋人同士だったら、こんな時ぎゅっと浅宮に抱きつけるのにな。

 俺は目の前の浅宮にそっと手を伸ばす——。

 ヤバいヤバい! そんなの駄目だ! あんまりこんなことしてると浅宮に変に思われると俺はまた姿勢を直す。

「三倉、ちょっと寄り道していい?」

 俺の心の葛藤なんて全く気がついていない浅宮は、振り返って呑気に話しかけてきた。

「いいけど、どこ行くの?」
「あー、決めてない」
「は?」

 なんだよ寄りたいところがないのに寄り道したいって……。

「だって三倉ともう少しだけ一緒がいいからさ。あ! そうだ! 川見よ、川。俺の中学の近くの川。で、あっそうそう有栖の話、聞かせてくれよ」

 お前の中学の近くの川に行ってなんになるんだと思ったが、浅宮はただ有栖の話が聞きたかっただけなんだな。


 浅宮は口をひらけばいつも有栖、有栖。こいつにはきっと俺なんか見えてない。俺と話しながらも頭の中は有栖のことでいっぱいなんだろうな。

「うん、わかった。有栖の話をするよ」

 それでもいい。浅宮とふたりでいられるなら。こんな時間だって、浅宮が告白したら終わりになっちゃうんだから。