晴れの日の5月。
 体育の授業は5組と6組の合同で男女別習となっており、今日は女子は体育館でバレー、男子はグラウンドでサッカーをしていた。
 6組には久場と同じサッカー部の丸太朋和もいて2人してサッカーテクニックが他の男子とはレベルが違う。
 試合をしてもさほど本気にはならず、運動神経が悪い男子生徒を交代でチームに加えて和気あいあいとした授業をしていた。
 それでも由人は「皆んなの邪魔をしたくないので僕は応援をしています」と体育教師に伝えて、サッカーボールがフィールドから出ると拾いに行く役目をしている。
 由人があがり症で運動神経がまるっきり駄目で殆ど男子と話さないのは周知の事実なので、教師も生徒達も気にしていない。
 そうしてくれた方がありがたいのに、久場だけは「サッカー教えようか? ちょっとだけ蹴る?」と試合中だろうとフィールド内から時々大声で言ってくる。
 憧れがそうやって構ってくれれば嬉しいのに、同時に心臓が跳ね上がり由人は大きく首を振ることしか出来ない。
「やりたくなったら言えよー」久場はにっこり笑って試合に戻る。
 フィールド内の男子たちはサッカーボールを追いかけずっと走っている。自分なんて10分も走れば倒れそうなほど息が上がるのに。
 久場と朋和はボールに触れていないクラスメイトにわざとパスを回し、自分たちがゴールする事には拘らずに上手くパスを出す。
 試合というより授業を皆んなと楽しんでいた。
 立ったままぼんやりとその様子を眺める。
 日差しは強いが初夏の風は涼しくフィールドに吹く。クラスメイトは祝福されキラキラと輝いていた。
『綺麗だな』
 あの中に入る勇気はないが、雰囲気のいい今のクラスが好きだなと、心地よい風を浴びながら思う。

 誰かがロングパスを蹴るつもりが大きくコントロールを外してボールが由人の頭上も飛んでいった。
「伊勢川、頼むー」クラスメイトの声でぼんやりとしていた自分に気づき飛んでいったボールを追いかける。
 他のボールで試合はすぐに続行するので急ぐ必要はないのだが、これだけが自分の役割なので広いグラウンドを一生懸命走った。
 それでもやはりみんなに比べると走りが遅い。
『遅いし、すぐ疲れるし、本当に僕はダメだな』はぁはぁと息をしながらもう少しでボールに追いつく時、由人の運動靴の先が地面を擦る。
「あっ!」見事にこけてしまう。
 何もない所でこけたのが恥ずかしく、痛いより先にフィールドを振り返ると久場が1人こちらへ走って来ている。
 気付かなくていいのに、どうしてこっちに来るの、恥ずかしい、どうしよう早く立たなくちゃ。
「痛っ!」立とうとすると右の足首がズキンと痛む。
 焦る由人のところまで久場はあっという間に来てしまった。
「伊勢川くん、大丈夫? 手を擦りむいた?」
「あ、えっと、その……」どうしたらいいのか分からずパニックになりかけた由人の肩を久場が掴んで上半身を起こす。
「手、見せて、あ……少し擦りむいてる、他はどこか痛い?」
 由人は半袖体操服と下はジャージを着ていたので、久場は由人の細い腕を伸ばして怪我をしてないか見る。
 陽に焼けた逞しい手と腕に、自分の細い骨ばった腕が掴まれて伸ばされたりひっくり返されたりして眺めらる。
 居た堪れずどうにか返事をして一旦離れて欲しいと焦って声を出した。
「だ、大丈夫だったぁ!」
「ん、だったぁ……?」
 違う! 大丈夫ですって言おうとしたら間違えたっていうか変なことになって! 声も裏返って! もうダメだ、完全に変だと思われた、恥ずかしい、どうしよう!
「ご、ごめんなさい……僕、僕……」自己嫌悪で体中の力が抜けてしまい由人は項垂れて両方の瞳から涙が溢れてしまう。
 泣いたらダメだ、泣き虫だと思われる、久場くんに嫌われる。
 そう思うのに走った後で久場に触られ見られ、心拍数も体温もどんどん上がり全身が赤くなっていく。
 泣きたくないと思うほど恥ずかしさが募り、涙が溢れてしまう。
「わ! どうした⁈ どっか痛いんだな! 立てるか? 保健室に行こう、伊勢川」
 両脇に手を入れられ、力の入らない体を久場が無理に立ち上げるとまた右の足首がズキンと痛んだ。
「痛っ」
「どこが痛い? 足か、捻挫か? 捻ったか? 立てるか?」
 痛みはあるが泣くほどではない。
 自己嫌悪で泣いているのに久場は痛みで泣いていると勘違いしてくれている様で、心配して由人の顔を覗き込んで聞いてくる。
「分かんない……ヒックッ」これ以上心配させたくなくて、恥ずかしい気持ちを押し殺して懸命に声を出しているのに、喉からしゃっくりまで出てきた。
 顔を真っ赤にしながら瞼を閉じて涙としゃっくりを我慢する。
 必死になればなるほど感情の波は昂って治らない。
「ふぇ、うううっ、ぅっ、ひっ……ヒック」と子供の嗚咽のような状態になってしまう。
 そんな由人を久場は立ったまま抱きしめて背中をさすった。
「よしよし、痛くてびっくりしたんだな」
 人は慰められると更に涙が止まらなくものである。
「ふぇーん、ごめんなさーい」優しく背中をさすられ、頭が真っ白になり子供の様に泣いてただ謝ることしか出来なくなった。
「泣きたい時はいっぱい泣いていいんだぞ、よーし、おぶってやろうな、保健室に行こう」
「ふぇっ?」
「よいしょっと」
 言葉を理解する前に大きな背中に担がれてしまい、久場は軽々と走り出してしまった。
 広く筋肉質の背中の感触もさることながら、その走るスピードの躍動感、流れていく景色、由人は驚いてしまい固まる。
 浴びたことのない風をただ受けながら久場の背中で揺れた。
「せんせー、ちょっと保健室行ってくる」体育の先生に告げながらも久場はその場で足踏みをし、由人もゆさゆさと揺れる。
「伊勢川はどうした、大丈夫なのか?」
「分かんないけど、多分足捻ってるぽい、冷やしてあげないと」
「おう、頼んだ」
「了解、みんなー、保健室行ってくるー、よろしくー」言うがはやいか、くるりと向きを変えて久場はまた走り出す。背後でクラスメイトの声がするがスピードが早すぎて由人には聞こえない。
「は、早い……」
「ん、早い? 怖いか?」
「怖くない、すごい、早い……かっこいいです」
「そうか、ほら、もうすぐ着くぞ」
 保健室はグラウンドを突き抜けて階段を登ればすぐだった。グラウンドからでも入られるドアを勢いよく開け、久場は乱暴に運動靴を脱ぎ、保健室に入っていく。
「先生、いる? あれ、居ねーな、えーと、まず冷やさないとだから……」
「あ、あの、久場くん……もう降ろして」
「そうだな、ベッドがいい? 椅子がいい?」
「……椅子でいいです」
 久場は窓側に置いてあるキャスター付きで柔らかいクッションが敷かれた先生の椅子に由人をゆっくり降ろして座らせると、冷蔵庫を勝手に開けた。
 まるで自分の部屋の様に氷を取り、ビニール袋に入れていく。
 久場の傍若無人さと、丸椅子でもよかったのに先生の椅子に座らせられて、呆然としてしまう。
 氷入りのビニール袋の口をキュッと結んだ久場は幾つか置いてある丸椅子を適当に取り由人の前にドカッと座る。
「どっちの足が痛いんだ?」
「右の足首……あの、氷とか勝手に使っていいの?」
「そのための保健室だろう、俺なんかめちゃくちゃお世話になってるし……靴脱がすから足触るぞ」
 そう言われて自分がまだ運動靴を履いたままと気付く。
 久場は椅子に座ったまま大きな体を前に倒してまず左の靴を脱がせ、由人の右足を自分の膝上に乗せてから優しく靴紐を解いて脱がし床に置くとその足首に氷袋を当てる。
「この辺?」
「……ここです」
 憧れの対象である久場におんぶをさせたり、膝に裸足を置いたり、応急処置をさせたりして恐縮しながらも遠慮したら好意を無碍にしそうで、痛い外側のくるぶしを素直に指さす。
 久場は氷袋をそこに当ててから顔を上げ、にっこりと笑った。
「これで大丈夫だと思うよ」
 笑顔が眩しくて呆気に取られ、パチパチと瞬きをしてしまう。
 そんな由人を久場も真正面から見つめ返す。
「伊勢川の顔、正面で見るの初めてかもしんない、やっぱりかわいい顔してんな」
「あっ、ああ、ごめんなさい、いや、その、僕……うわ、どうしよう、えっと……」
「どうした、落ち着け」
 落ち着けと言われても家族や友達の早恵子達以外と親しい会話も、ましてや顔をまじまじと見られる事などしてこなかった由人のキャパシティの容量範囲を、この状況は軽く超えてしまっていた。
 そしてグラウンドで子供の様な泣き方を久場に見られた事を思い出す。
「ああ……ごめんなさい……」今まで色んなドジをしてきたけど、今日で記録更新。もうダメ、消えたいです。
 両手を静かに動かし真っ赤になった顔を覆う。
 久場に礼を言っていない事に気付いたけれどもう今更で、自分の存在が恥ずかしすぎた。
「どうしたどうした、伊勢川、ほんとお前かわいいな」
「もう、僕、のことは……ほっといてください」
「ちょっと無理だな、俺、ずっと伊勢川と話してみたかったんだよ、なのでそれは却下だ」

キーンコーンカーンコーン、次の授業が始まるチャイムの音が鳴る。
「久場くん! 早く戻って! ごめんなさい、僕全然気付いてなくて……」
「大丈夫だって、保健室行くってみんなには言ってるから適当にしてくれてるって、それから伊勢川はさっきから謝り過ぎだぞ、そんなに遠慮をするな、お前は何にも悪いことはしてないぞ」
「でも、でも、もう僕は1人でも大丈夫なので、久場くんは早く戻ってください」
「ちょっとくらい大丈夫だって、それにどうやって教室まで戻るんだ? お前を1人にしたらまたころびそうだろ、もうちょっとここで一緒にサボろう、な」
 何を言っても上手くはぐらかされる。
 しかも一緒にサボろうなんて言われたらもう何も言い返せない。
 久場は足首を冷やし過ぎない様に氷袋を当てては外し、無骨で皮の厚い手が優しく足首を撫で体温を確かめながらまたひんやりと氷袋を当てる。
「……ありがとう……」
「ん、いいって、伊勢川と話せて俺も嬉しいし」
「……なんか、いっぱい……ありがとう」僕みたいに小さな存在を気にしてくれる事が嬉しかった。
 なのにやっぱり恥ずかしくて顔を覆ったまま、やっと礼を言う。
「伊勢川は照れ屋さんなのか?」
「……うん」
「そうなんだな」
「すぐにドキドキしちゃって、すぐ顔が赤くなる……今も、そう……」
「そうか」
「赤くなったら……緊張して……」
「うん」
「本当は、朝も……ちゃんと……久場くんに挨拶したいのに、言えなくて……ごめんなさい」
「いいって、謝らなくて……俺さ、学校の皆んな好きだし普通に皆んなと挨拶するけどさ……伊勢川には特別、気持ち込めて言ってる」
「……え?」今とんでもなく嬉しい事を言われた様な気がする。追求してもいいのだろうか……
「……前から気になってたんだけど、どうしていつも頭撫でたり声をかけてくれるの?」
「んー、朝のあれな、なんかさ、弟の感じなんだよな、伊勢川って」
「弟?」
「俺ん家、大家族なんだよ、じいちゃんもばあちゃんもいて、きょうだいも俺入れて5人いてさ、すげぇだろう」
 話始めた久場の声が優しくて、顔を覆っていた手をそっと開いて頷いた。
「下が双子の弟と妹で、中1なんだけどなんか生意気になってきてさ、背もどんどん伸びやがって、ちょっと前まですげぇ素直で可愛かったのに、俺の弟妹を構いたい気持ちが行き場を無くしてて……」
「……」
「前からずっと伊勢川は小さいなぁ話してみたいなとは思ってて、でも伊勢川は女子と仲がいいし、こうなんかおとなしいし、接点もないし、無理に話して怖がらせるのも違うし……部活とかも忙しかったし……話せないのもしょうがないかって諦めてたんだ、でも3年になってやっと同じクラスなれたし部活は引退だろう」
「え? そうなの?」
「そうだよ、春の大会で引退、俺達受験生だもんな……サッカーは引退」
「でも朝練……」
「習慣で起きちゃうんだよ、それに俺達、体動かさないとエネルギーが余ちゃって勉強だけじゃ調子が悪くてさ、我儘言ってボール触らせてもらってる、話が逸れたぞ、お前の話」
「あ……僕の……」
「朝、教室の1番前にちょこんと座ってるのがなー、いいんだよ……撫でてーって思ったらつい手が頭、撫でて、そしたらお前顔小さいから頭も小さいし、初めの日、ひゃって言ってて驚かせたけど次の日からはじっとして俺が撫でるの待ってただろう、可愛くてな……嫌がったらやめようと思ってたけどごめんな、もうやめれん、でも嫌だったら言ってくれ、伊勢川が嫌なこと俺したくないから」
「……嫌じゃない……です、早恵子ちゃんが言ってた、ルーティンなんじゃないかって」
「ルーティンか、確かにご機嫌にはなるけどちょっと違うな」
「何?」
「今は接点もないし、伊勢川はちょっと……怖がりだろう、だから少しずつ俺に慣れてくれたらいいなと、そしたらはじめはやっぱり挨拶だろう、伊勢川の緊張が少しずつなくなっていくのも分かって俺嬉しかったし、本当は内川達みたいに仲良くなってもっと可愛がりたいけどそれは欲張り過ぎかなとか思ったり、俺は圧が強いから伊勢川を困らせたりしてないか……」
 なんだかすごい勢いで語り始めた久場を見ながら、ハマっているアニメの話をする時の雛子と誉にどこか似ているなと思う。
 こんなに色々考えて話しかけてくれていたんだと照れ臭く、嬉し恥ずかしってこういう事なんだろうなと、小首をかしげて聞いていた。
「弟達でなんとなく引き際は心得てるんだ、だからしつこくしない様に、嫌われない様に……」

 ガラガラ。突然保健室のドアが開く。
「あれ、久場くん、何してんの? 後、えーと……い、い、いせ、伊勢川くんだよね、どうしたの?」
「あーー、突然入って来んなよ泉先生、伊勢川がびっくりしてるだろう! チェッ、なんで戻ってくんだよ、せっかく話してたのになー、伊勢川ー」
 本来なら今は古文の授業で、初めて授業をサボっている由人はドアが開いた瞬間、確かに体をビクンと跳ねさせて驚いた。
 久場は焦る様子もなく、変わらない笑顔で話しかけてくる。
「伊勢川くん、足怪我したの?」
「ちょっと捻ったのかなー、なー伊勢川、今冷やしてんだよなー」
 久場の過保護な言い方が、姉達が自分を甘やかす様子と似ていて、どこのきょうだいもこんな感じになってしまうものかなと、おかしい気持ちになる。
「すぐ冷やしてくれたの?」
「うん、氷使わせてもらったから」
「はいはい、伊勢川くん、痛みはどう? 念の為明日病院行きなさいね」
「……もう大分治りました、病院行くほどでは……」
「ダメよ」
「ダメだよ!」
 先生と久場が同時に言うので由人はまたビクンと震えた。
「伊勢川、絶対病院は行けよ、何かあったら大変だろう」
「大袈裟だよ……」
「こういうのは大袈裟くらいで丁度いいんだぞ!」
「そうよ、今日はどうやって帰る? 保護者の方とは連絡取れる? あー、災害給付制度の書類出さなきゃね……伊勢川くん家どこだっけ?」
「お母さんは仕事中で……家は電車で帰ります……」2人に怒られてしまい由人は萎縮して答えた。
「まぁ、大変、お迎えは無理かしら?」
「それなら俺が送るよ」
「え⁈ 何言ってるの、そんなのダメだよ」
 言いながら、雑誌の編集の仕事をしている母は常に忙しく、職場も学校からかなり離れている。連絡出来たとしても迎えに来てもらえるとは思えなかった。
 だからと言って今日やっとどうにか話せる様になった久場にそこまでしてもらう訳にはいかない。
 急いで拒否をするけれど、久場は立ち上がって保健室の引き出しをまた勝手に開けてゴソゴソとしている。
「まぁ、とりあえず職員室で連絡してみるわ、お迎えが無理そうだったら、久場くんにお願いしちゃおう! 後、伊勢川くんにテーピングしてくれる」
「了解」引き出しからテーピングを取り出した久場がにこりと笑う。
「じゃ私は職員室に行くから、テーピングが終わったら2人とも教室に戻ってね、久場くんのテーピングは私より上手だから安心して任せていいよ、伊勢川くん」
 焦る由人をよそに2人は話をどんどん進めてしまい、また保健室で2人きりになってしまう。
「テーピングするから立とうか、伊勢川、ここに手をついて、そう、右足上げるぞ」
 久場に立たされ、先生の机に寄りかからせれる。それから右足の裏を丸椅子に乗せた。
 もうされるがまま、言われるがままだ。
「RICE(ライス)って知ってるか?」
「ライス?」米のことではないのだろうと、首を振る。
「Rest(安静)、Icing(冷却)、Compression(圧迫)、Elevation(挙上)の頭文字をとったやつで、こういう時の応急処置なんだ、だから本当は安静にして横になって足首を挙げていたほうがいいんだけどな、とりあえずテーピングはきちんとしとこうな」
「……うん」右足のジャージの裾をくるくると、捲られた。
「ゆるいのも、きつ過ぎるのもダメだから、ゆっくり巻くぞ、痛かったら言えよ」
 そう言って久場はテープを3本、かかとの下でクロスするように巻いていく。
 その上からテープを足首で1周させる。テープを3本切って少しずつ上にずらして巻いてくれた。
 運動をしない由人にとって久場の応急処置の知識、手際の良さ、テーピングの力加減、全てが新鮮で頼もしかった。
 窓から5月の西日が差し込む。
 スポーツ万能で体格もいい久場の屈んだ体にも西日は降り注ぎ、体操服の上からも筋肉の美しい陰影をつけていた。
 どんな場所にも、誰にでも注がれる太陽の光。
 それが分かっていても、目の前のアポロンの様な同級生に落ちてくる光は、神聖で選ばれた光の様な気がする。
 彫刻の様な筋肉を触ってみたい。
 口にすれば久場はきっと快く承諾するだろうけれど、由人は畏れ多くて気づかれない様に目を逸らした。

 そんな畏敬の念も久場はお構いなしに保健室から教室までまた軽々と由人を背負い運んだ。
 応急処置とテーピングのおかげでもうかなり痛みが治った、肩をかしてくれたら歩けると哀願しても「身長差があるからそれじゃ逆に歩きにくい」と言うことを聞いてくれない。
 授業中なので廊下は静かで誰もいない。
 無理矢理に背中に乗せられたけれどやはり久場の背中は大きく、肩甲挙筋、僧帽筋、三角筋、さっき遠慮した筈だった憧れの筋肉をしっかりと触り観察してしまっていた。
 古文の授業も終わりがけに教室に着き、久場はゆっくり椅子に降ろしてくれる。
 おんぶをされていた由人を何人かの生徒が揶揄ったが久場が「怪我人を揶揄うな」と叱ってくれた。