クレイダーが廻る三百六十五箇所の街の面積は、みな同じです。

 線路に沿った横の長さは約百キロメートル。駅は、その中間地点に位置しています。
 しかし実際に『街』と呼べる人々の生活区域は、全体の面積の三分の一以下。その周囲には、手付かずの自然が残されています。

 クレイダーは時速三十キロメートルというゆったりとしたスピードで走ります。
 人々が住む区域を抜けると、左側の窓の景色は鬱蒼と生い茂る森に移り変わりました。右側の窓には、湖の向こうに沈みゆく夕日が見えます。

 そして、夜。
 クレイダーは、街と街の境目で一度停車します。

 街を隔てる分厚い壁の側面が、列車の充電ステーションになっているのです。
 運転手と乗客が寝ている間に充電をし、翌朝また出発するのが決まりになっています。

 今日も滞りなく作業を終え、クロルは車内の電気を消しました。空にはまあるい月が浮かんでいます。
 その月がゆっくりと、地平線の向こうに去り――

 オレンジ色の朝日と共に、新しい一日がやってきました。
 列車は再び、走り出します。



 * * * *



 ――揺れるカーテンの隙間から朝日が差し、少女の寝顔をいたずらにくすぐります。
 眩しさを感じた瞼が開き、青く澄んだ瞳が覗きました。

「…………」

 ここは、どこだっけ。
 知っているのと違う匂い。違う景色。

 そんなことを考えながらむくりと起き上がり、周囲をゆっくり見回します。
 ……そうだ。

「……私は、リリア」

 昨日の出来事が夢ではなかったことを確かめるように、目の前で手のひらを広げ、そして握ってみます。

 名前がある。
 それだけで何故か、昨日の朝よりもずっと、生きている実感がありました。
 そのことに彼女は、自然と頬が緩むのを感じ……

 ――ふと、その時。
 リリアの鼻を香ばしい匂いが掠めました。

 彼女はベッドから降り、列車の連結部分を抜け、一両目の扉をそっと開けます。
 すると昨日、彼女に名前をくれた少年がフライパンで卵を焼いていました。

 彼女の視線に気付いた少年は、フライパンを持ちながら笑顔を浮かべ、

「あ。おはよう、リリア。よく眠れた?」

 まるで普通の家族のように、親しい友人のように声をかけてくれるので、リリアは思わず嬉しくなって、

「うん、よく寝た……生まれ変わった気分」

 小さく笑いながら、そう答えました。




「――"麗しの街"?」

 クロルの焼いた目玉焼きと、少し焦げたトーストをかじりながら、リリアが首を傾げます。
 クロルは頷いて、

「うん。今日これから停まる街は、そう呼ばれているんだ。容姿がすごく綺麗な人だけが住んでいる街なんだって」
「ふーん。なんで?」
「確かに、なんでだろうね。きっと、そういう街があった方が生きやすいって思う人がたくさんいたんじゃないかな」
「そうなんだ。すぐ隣の街なのに、本当に全然違う考えの人たちが住んでいるんだね……何だか信じられないな」
「そうだよね。僕もいまだに『こんな街があるんだ』って、驚くことが多いもん」

 そう言ってクロルは、今まで見てきた中で特に印象に残った街の話をリリアに聞かせます。
 彼女もそれを興味津々に聞きます。

「――すごいね、本当にいろんな街があるんだ!」
「うん。だから、リリアが住みたいと思える街もきっと見つかるよ」
「そうだといいなぁ……今日停まるのは、綺麗な人だけが住む街なんだよね? 私が美人だったら……羽が生えてても、受け入れてもらえるのかなぁ」
「…………」

 リリアは可愛いから、大丈夫だよ。
 クロルは、そう言おうかとも思いましたが、なんだかそれは無責任な言葉のような気がして。

「……なんてね。一つ目の街でいきなりうまくいくわけないよね」

 黙り込んでいる内に、リリアが肩を竦めて言いました。
 クロルは、上手く言葉をかけられなかったことを後悔しながら彼女に言います。

「でもせっかくだから、降りて街を見てみようよ。リリアにとって、初めての他の街なんだし」
「住むことも決めていないのに、よその人間が他の街を見て回っても大丈夫なの?」
「もちろん。運転手である僕が案内すれば、移住を考えて見学している人だってわかるから、街の人たちがいろいろ教えてくれると思うよ」
「そうなんだ。初めての街……楽しみだなぁ」

 リリアの嬉しそうな顔を見て、クロルは少しほっとしました。腕時計を見ると、時刻は八時過ぎを指しています。

「九時には着く予定だから、それまでに降りる準備をしよう」
「こういう時の準備って、何をするのが普通なの?」
「うーんと……顔を洗ったり、髪を梳かしたり、服を着替えたり……とかかな」
「私、服はこれしかない」

 そう言って、リリアは身に付けている白いワンピースの裾を持ち上げます。昨日、生まれ育ったあの街を逃げ出した時に転んだりしたのか、所々汚れてしまっています。

「そっか……それじゃあ、一緒に服を買いに行こう。あ、リリアって『パス』は持っているの?」
「パス?」

 初めて聞いた、といった様子でリリアは首を傾げます。

『パス』というのは、三百六十五の街すべてを統括する"セントラル"が発行しているもので、生年月日や住所、ⅠD番号、健康状態などといった情報がすべて登録された個人カードのことです。
 二百年前の戦争以来、国ごとに異なっていた従来の通貨は廃止され、現在ではどこの街へ行ってもこのカードで料金の支払いをおこないます。
 本来であれば生まれてすぐに家族が申請をし、一人一枚持つはずのものなのですが……やはりリリアの場合は事情が違うようです。

 だからクロルは、彼女に不安を与えないよう、言葉を選んで説明します。

「物を買う時に必要なカードなんだ。十一歳以上なら自分で手続きして再発行ができるから、セントラルの出張所にも行こうか」
「……よくわからないけど、クロルついていく」

 言いながらトーストをかじるリリアに、クロルは優しく微笑みました。