その扉は、街で唯一の病院の地下室に繋がっていました。
 声を聞きつけ、扉を開けてくれた看護師さんに梯子を下ろしてもらい、三人と一匹は無事、穴の底から脱出することができました。

 それとほぼ同時に、ジーナ先生と、漫画本を落とした張本人であるウドルフが、血相を変えてその部屋に飛び込んできました。
 なんでも、ウドルフが様子を見に森へ戻ったらキリクたちの姿がなく、代わりに千切れたロープが残されていたため、穴の中へ落ちたのではないかと思い、慌ててジーナ先生に助けを求めたのだそうです。

「呼びかけても返事がないから、落っこちて気を失っているんじゃないかと思って……こっちの出入り口から入ってみようと駆けつけたところだったのよ。まったく、心配かけて」

 胸をなで下ろすジーナ先生に、キリクたちは「ごめんなさぁい」と頭を下げました。

「私に謝るよりも……キリク、ウドルフ。あなたたちは、お互いに謝りましょう」

 先生のその言葉に、当人たちはお互いをちらりと横目で見ます。
 ウドルフは口を尖らせていますが、キリクはそんな彼の正面に立ち、

「……ごめん、ウドルフ。盗んだなんて言って」

 そう、頭を下げました。
 ウドルフもぐっと唇を噛みしめて、

「……悪かったよ。お前のもの勝手に取って、穴に落としたりして。ただ……」

 ふいっ、と少し照れ臭そうに視線を逸らし、

「……お前らがいつもコソコソ作ってた秘密基地、いいなぁって思ってたんだ。だから、その……」

 と、珍しく歯切れの悪い言い方をするので、キリクは明るい表情を浮かべ、

「なんだ。だったら明日からおいでよ! まだまだ改造したいんだ、秘密基地!」

 そう言いました。キリクの返答に、ウドルフも「へへっ」と笑って鼻の下を擦ります。
 その様子を、クロルとリリア、ジーナ先生が笑顔で見守りました。

 そしてふと、リリアが、

「でも、クロル。どうして天井に出入り口があるってわかったの?」

 隣に立つクロルに尋ねます。
 彼は「ああ」と言って、

「位置的に、病院の真下辺りだろうなって思ったんだ。この街の地図は頭に入っていたから、だいたいどこを歩いているのかわかったんだよ。これは憶測だけど……あの地下道は、戦争の時に使われていた防空壕か、避難するための隠し通路だったんじゃないかな。だから、その時の名残で病院っていう大事な施設に繋がっているんじゃないか、って思って」
「その通りよ」

 と、クロルの台詞をジーナ先生が肯定します。

「この地下道は、戦争時代の名残り。悲しい記憶を後世に伝えるため、あえてそのまま残してあるの。子どもたちには今度、授業で教えるつもりだったんだけど……こんなことがあったんじゃ、その予定を早めた方が良さそうね」

 ため息をつく先生に、キリクとウドルフは再び「ごめんなさぁい」と声を揃えました。

「ふふ、冗談よ。さ、お家の方も心配しているわ。早く帰りましょう」

 ジーナ先生に促され、子どもたちとポックルは一つ上のフロアにある病院の玄関口へと向かいました。
 子どもたちはジーナ先生と、見送りに来てくれた看護師さんたちに別れを告げ、各々の家路につこうとします。
 ……が。

「――あ、待って。あなたたち……」

 ジーナ先生が、何か思い出したように彼らを呼び止めます。
 そして、心優しい先生の笑みを浮かべ、

「……あの地下道で、何か変なものは見なかった?」

 問いかけるその後ろで、病院の看護師さんたちも不自然なほどにこやかな表情を浮かべ、こちらを見つめてきます。

 クロルとポックルに、緊張が走ります。
 しかし、すぐにキリクが、

「変なもの? いいや、見ていないよ。どこを見ても茶色い土壁だったからね。もうこりごりさ」

 あっけらかんと答えてくれたので、ジーナ先生も看護師さんたちも本当の笑顔に戻り、

「……そう。ならいいけど。危ないからもう二度と、あそこへは降りないでね」

 最後にそう忠告し、こちらに手を振りました。



「はぁー。外の空気がこんなにおいしいだなんて、知らなかったなぁー」

 病院を離れ、家へと向かう道すがら。キリクは深呼吸して言います。
 それから、リリアの側に駆け寄り、こう尋ねます。

「リリア、この街に住むかどうか決めた? 怖い思いをさせちゃって悪かったけど……僕はこの街が大好きなんだ。平和で退屈だけど、たまにはこんな冒険があったり……みんなもとても親切で、街全体が家族みたいなんだよ。もちろん、時々喧嘩もするけどね」

 言ってキリクは、ウドルフと目を合わせて笑います。

「ここにいれば、人目を気にしたり、周りとの違いに悩んだりすることもなくなると思う。だから……どうかな?」

 キリクの問いに、リリアは俯いたままじっと考え込みます。
 クロルとポックルは何も言わずに、彼女の言葉を待ちました。

 その沈黙を破るように、ふとウドルフが口を開きます。

「クロルは、どうするんだ?」
「え?」

 突然、話の矛先を向けられ、クロルは思わず聞き返します。

「クレイダーの運転手ってことは、お前も住む街を探しているんだろう? それとも、もう降りる街を決めているのか?」

 続くウドルフの問いかけに、今度はリリアが「え?」と声を上げます。

「クロルも……住む街を、探しているの……?」

 そうクロルに尋ねますが、代わりにウドルフが、

「お前、そんなことも知らないのか? 移住希望者が新しく住む街を目指しながらついでに働く、それがクレイダーの運転手だろ? 常識じゃねぇか」

 キリクが「ウドルフ、言い方が意地悪だよ」と注意しますが、リリアはそれどころではなく……

(移住を希望している人がなる職業。それが、クレイダーの運転手……?)

 クロルは、ずっと運転手でい続けることが当たり前のような口ぶりでリリアに接してきました。
 しかし今思えば、これまで「住む街を探しているの?」と声をかけてくれた人たちは、いずれもリリアにだけではなく、二人に向けて尋ねてきていました。

 クロルも、自分と同じように、住む街を探している。
 だったら彼は……どうして元の街を離れ、そして、何処を目指しているのだろう。

 答えを探るように、リリアはクロルを見つめますが……彼は何も言わずに下を向いています。


 ――結局、リリアへの問いも、クロルへの問いも答えは出ないまま、二人と一匹は、キリクとウドルフと別れました。



 * * * *



 ――クロルとリリアとポックルは、クレイダーに戻ってきました。
 そして無言のまま、クロルが一両目の自分の部屋へと向かうので、

「待って!」

 リリアは追いかけて、その腕を掴みます。

「ねぇ、クロル……教えて。あなたは、どこから来たの? どうしてクレイダーに乗っているの? そして……これからどこへ向かうつもりなの?」

 ずっと聞きたかった。けど、はぐらされて教えてもらえなかったことを、彼女はついに尋ねました。

 少しの沈黙の後……クロルは背を向けたまま、こう聞き返します。

「……どうだった?」
「え?」
「この街。リリアが住みたいと思える街だった?」

 リリアが答えに迷っていると、クロルが続けて、

「すごく、いい街だったよね。子どもたちはみんな楽しそうで、先生や大人たちも親切だった。普通に学校に通って、普通に友だちと遊んで、時には喧嘩して。みんな同じ羽を持っているから、ここではそれが普通なんだ。キリクの言う通り、傷付くことのない素敵な街で……」
「……私のことよりも!」

 俯いたまま発せられるクロルの言葉を遮り、

「……私のことよりも、クロル。あなたのことを教えてよ。私、あなたのこと……ちゃんと知りたい」

 リリアは、泣きそうに顔を歪ませます。
 クロルはようやく振り返り、その瞳を見つめ、

「……君が『この街に住む』って言ってくれるまで待ちたかったけど……そうだね。もう時間もないし、ここいらが潮時だ。……いいよ。本当の僕を教えてあげる」

 悲しげに笑いながら、言いました。
 そして、ずうっと背負っていた大きな革のリュックを、その肩から外し……


「……ごめんね。僕は、最初から――――君に、嘘をついていたんだ」

 
 ――その光景に。
 リリアは、潤んだ瞳を大きく見開きました。

 そこに映るのは、一対の羽。
 クロルの背中から生えた、リリアのものとよく似た羽です。

 しかし、リリアのものとは、明らかに違いました。
 何故なら、その色は…………

 
 夜の闇にも似た、深い深い、黒色だったのです。