その時、ちょうどお手伝いさんが「昼食はいかがいたしますか?」と部屋をノックしてきたので、話はそこで途切れました。
クロルとリリアも昼食をいただくことにし、再び部屋に二人と一匹だけになった時。
「――で。確認だけど、誰にも内緒で列車に乗る、っていうことでいいんだよね?」
運ばれてきた料理を食べる手を止め、クロルが尋ねます。
それに、白身魚のムニエルをがつがつと食べていたポックルも顔を上げて答えます。
「うみゃ。"猫の街"のボス猫がいニャくニャることニャんか、誰も許しちゃくれニャいだろう。特に、ニンゲンどもがニャ」
そのままグッ、と自身の首に付けられた赤い革の首輪に前足を掛け、
「この首輪がある限り、おれたちの居場所はニンゲン共に筒抜けニャ。このプレートの部分に発信機が付いていて、現在地を常に把握されている。無理に外そうとすると、ビリビリっとするニャ」
「ひぇ……」
電撃を想像したのか、リリアが怯えたような声を上げます。ポックルが続けます。
「……ニンゲン共はおれたちに尽くしているように見えるが、実際は違う。やつらは、猫を完全に管理をしたいだけ……自分たちの可愛がりたいものが、その手を離れニャいようにしているだけニャんだ。ニャに一つ、おれたちのためニャんかじゃニャい。おれたち猫は、自分の力で生きる自由を奪われたんだ」
ポックルは首輪を握る前足に、さらに力を込めます。
その姿を見たクロルは、落ち着いた声でこう尋ねます。
「つまり、クレイダーに乗ろうとしていることがバレたら、連れ戻されたり、閉じ込められたりする可能性がある、ってことだね」
「ああ」
「失敗したらさらに監視が厳しくなって、この先一生、この街から出る機会を失うかもしれないけれど……それでもいいの?」
「ハッ、愚問だニャ」
ポックルは、迷いなく答えます。
「この街に、おまえらみたいニャ猫好きじゃニャいニンゲンが来ること自体めずらしいんだ。このチャンスを逃せば、どっちにしろおれは一生このまま……だったら、リスクを冒してでも、おれはこの可能性に賭けるニャ」
縦長の瞳孔を持つその瞳には、強い決意が宿っていました。
クロルは、それをじっと見つめ……静かに頷きました。
「わかった。じゃあ……どうやって列車に乗り込むか、しっかり作戦を練ろう」
クロルは目の前のお皿を退かし、つなぎのポケットからメモ用紙とペンを取り出します。
「まず、位置を確認すると……ここがこの屋敷だとして、目の前にある大通りをほぼ直線的に進むと、クレイダーに乗れる」
クロルは確認しながら、紙に略地図を描いていきます。
「クレイダーの発車時刻は明日の午後五時。街の人たちに計画がバレないよう、時間ギリギリまでは普通に過ごす方がいいよね。それで、僕たちを見送るっていう名目で列車に近付いて、五時になった瞬間に飛び乗るっていうのはどう? そうすれば捕まらないはずだよ」
「私の時と同じだね」
リリアが相槌を打ち、クロルが頷きます。
「あとは……この計画が途中でバレた時のための逃走ルートを確認しておきたい。追っ手が来ても撒けるような、複雑な道がいいんだけど……ポックル、何か案はあるかな?」
クロルの質問に、ポックルは人間のように前足を組んで「うみゃ……」と考え込みます。
そして、やはり人間のような振る舞いで前足をポンと叩き、
「"猫の通り道"を使うのはどうかニャ? この街には猫が通るための塀や抜け穴がたくさんあるんだが、ニンゲンの大人が通れる幅ではニャい。だが、お前らみたいニャ子どもであれば、狭い塀の上や抜け穴を通ることができるはずニャ」
「それはいいね。もし大人に追われたら、そこでやり過ごして五時を待とう」
クロルは具体的な移動ルートをポックルから聞き出し、略地図に書き加えていきます。
それを、リリアは驚いたように見つめ、
「なんかクロル……こういうのに慣れているの? すごくテキパキしてる」
そう指摘するので、クロルは「ああ」と照れたように笑い、
「実は僕、いろんな街の地図を見て、あれこれ考えるのが好きなんだ。クレイダーは発車時刻厳守だから、時間までにあそこに行って、この店にも寄って……って、あらかじめ地図でルートを考えておくことが多くて。ここが工事中だったらこっち、人で混んでいたらこっち……なんて、必要のないルートまで考えちゃうんだけどね」
そう言われて、リリアは思い出します。
"麗しの街"でセントラルの出張所に行った時も、その後カフェで昼食を摂った時も、クレイダーに帰る時も、クロルは迷うことなく案内してくれました。
クレイダーの運転手が皆、全ての街の地図を把握しているわけではありません。地図を見るのが好きなクロルだからこそ、できたことだったのです。
"猫の通り道"の確認を終えると、クロルはタイムスケジュールの確認を始めます。
「この屋敷からクレイダーまで、最短ルートで歩いて十分。余裕を持って十五分と考えて、明日の午後四時四十五分にここを出発しよう」
「そんなにギリギリで大丈夫かな?」
「あまり早くに外へ出ると、人や猫が集まってきて動き辛くなるはずだよ。よそ者の僕たちや、ボス猫であるポックルは、みんなの注目を集めやすいからね。最低限の時間で行動したほうがいいだろう」
クロルの返答に、質問を投げかけたリリアは納得します。続けてポックルが、
「じゃあお前ら、今日はこのままここへ泊まっていくといい」
「えっ、いいの?」
「明日また落ち合って移動するよりは、一緒にここを出たほうが自然だろ。それに……協力してくれるお礼だニャ。部屋は余っているんだし、一晩だけでもゆっくりしていけ」
ぶっきら棒に言うポックルでしたが、照れ隠しなのかそっぽを向きます。
リリアはにんまりと笑って、ポックルの顎をゴロゴロとさすりながら、
「ありがとうポックル。いい子いい子」
「ニャ、馴れ馴れしくするニャ!」
「あはは。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「うむ、そうしろ。子どもなんだから、遠慮するニャ」
そう言って胸を張るポックルの姿は、頼もしいというよりは、やはり可愛らしく見えて。
クロルは笑いながら、「ありがとう」と言いました。
――昼食の後、ポックルが日課である街の見回りに出かけると言うので、クロルとリリアもそれについて行きました。
あらためて見る"猫の街"は、確かに猫が好んで通りそうな隙間や抜け穴や足場が多く、至る所に猫の姿があります。
明日に備えて"猫の通り道"の下見をし、ポックルを慕って声をかけてくる猫たちと話をしている内に、あっという間に日が暮れ……
再びポックルの屋敷に戻ったクロルとリリアは晩ご飯をご馳走になり、久しぶりにお風呂のお湯に浸かって、それぞれ割り当てられた客室の大きなベッドへ横になりました。
リリアは疲れが出たのか、ベッドに潜り込むなりすぐに眠ってしまいました。
しかし、その隣の部屋にいるクロルは……少し考え事をしていました。
窓の外に浮かぶ、半分に欠けた月。
クロルはベッドに腰掛け、それを見上げます。
リリアもポックルも、自分の意志で、生まれ育った街を離れる決意をしました。
「……それって、すごいことだよなぁ」
呟いてから、座っているベッドのシーツに手を触れます。
クレイダーの運転手になって、もうすぐ二年。
その間、列車のベッド以外で眠ることなどありませんでした。
硬くて狭くて、薄っぺらい自分の寝床。
それに比べて、この客室のベッドは、ふかふかであったかくて、三回寝返りしても落ちないくらいに広くて……
それでも、初めて眠るこのベッドは、なんだかしっくりきません。
どうしてだろうとしばらく考え……クロルは、初めて気が付きました。
毎晩横になるあの列車のベッドが、世界で一番落ち着いて眠れる場所になっていることに。
それはきっと、ポックルも同じです。
リリアもそうだったはずです。
世界中のみんなが、一番落ち着く"自分の寝床"を持っているのです。
それを捨ててまで、違う世界に飛び込んでいきたいという彼らの勇気と決意は……
「……本当に、すごいよ」
リリアもポックルも、純粋で、強くて、真っ直ぐで……そして――
とても、愚かだ。
「……何処へ行ったって、結局同じなのに」
クロルは、月を見上げながら悲しげに微笑んで――
ベッドに潜り込み、無理矢理瞼を閉じました。