「――リリアは、好きな動物っている?」

 朝七時。
 一両目のテーブルで、トーストとスクランブルエッグを食べながら、クロルは向かいに座るリリアに尋ねます。
 彼女は寝癖がついたままの頭を少し傾け、

「うーん……私、動物ってあまり見たことがないんだよね。犬とか猫くらいしか知らなくて」
「そっか。実は僕も、名前は知ってるけど、実物はほとんど見たことがないんだ。昔は世界中にいろんな動物がいたらしいけどね。キリンとかゾウとか……あんな大きな生き物、本当にいたのかなぁ」
「それ、図鑑で見たことある! 首や鼻がながぁーいやつでしょ? 不思議だよねぇ」

 二人はパンを齧るのも忘れ、しばらくお互いが知っている動物のことを話し合いました。

「……で、そんなことを聞いてくるってことは、次の街には動物がいるの?」
「そう。次の街は――」

 クロルは三百六十五箇所ある街の、それぞれの詳細が記されたガイドブックの、二百二十二ページ目を開き、言いました。

「――"猫の街"、だよ」


 ♢ ♢ ♢ ♢


 二百年前の、世界中を巻き込んだ戦争。
 そこでは様々な化学兵器や核兵器が使われ、数え切れないほどの尊い命が犠牲になりました。

 その中にはもちろん、人間以外の動物たちも含まれます。
 今はもう図鑑でしか見ることができない動物が、悲しいことに増えてしまったのです。

 その一方で、生き残った動物たちにも様々な変化が見られました。
 リリアのように、羽が生えた人間――有翼人もその一つです。

 とりわけ、大きな変化(進化、と呼ぶ人もいますが)を遂げたのが――

 ――猫、でした。


 ♢ ♢ ♢ ♢


「やぁやぁ、よく来たニャ。"猫の街"へようこそ! ゆっくりしていきニャ」
「くんくん。トーストのいい匂いがするニャー」
「ねぇねぇ! その羽動かしてよ! それ見てるとニャンだかムズムズするー」

 その街に降り立つなり、リリアとクロルは手厚い歓迎を受けていました。

 見渡す限りの、猫、猫、猫。
 数十匹の猫たちが、列車を降りた二人に、一斉に話しかけるのです。
 ――リリアたちと同じ、人間の言葉で。

「知らなかった……猫ってお喋りできるの?」
「いや、この街の猫が特別なんだよ」

 猫を踏みつけないよう気をつけながら、二人は街の中へと歩き出します。

「そうだよね。"映画の街"で会った猫は、人の言葉をわかっているようだったけど、喋ることはなかったもん」

 リリアはアジを巡って追いかけっこをした黒猫を思い出しながら、そこかしこでお喋りしている猫たちをキョロキョロと見回します。

 街のメイン通りへ来ると、そこにもたくさんの猫が行き交っていました。
 しかし猫だけでなく、その側に人がついていることもありました。
 道の両脇には移動式のワゴンのお店が並んでいますが、店員はやはり人間です。

「猫だけじゃなくて人もいるんだね。飼い主がちゃんといるんだ」

 よく見ると、どの猫にもきちんと首輪が付けられているようです。しかし、

「飼い主……っていうのとは、ちょっと違うかな」

 苦笑交じりのクロルの言葉に、リリアは首を傾げます。
 その直後、ちょうどすれ違った猫と人との会話が聞こえてきました。

「今日の晩ご飯はシャケが食べたいニャ!」
「かしこまりました。焼き加減はいかがいたしますか?」

 ……そんな会話に、

「……ん?」

 リリアは、違和感を覚えます。

 さらに周りを見てみると、猫と過ごす様々な人がいます。
 猫に美味しそうなご飯を食べさせている人。
 猫の毛を優しくブラッシングしている人。
 猫の肉球をマッサージしている人……などなど。
 
 一見、ただ飼い猫の世話をしているように見えますが、その会話はいずれも……
『人が猫を連れている』と言うよりは、『猫が人を引き連れている』、といった様子なのです。

「……なんか、思っていたのと違うような……」

 リリアは動物を飼ったことがありません。ですが、それでもその関係性が自分の知っているものとちょっと違うことを感じ取りました。
 その呟きに、クロルが頷き、

「そう。ここは"猫の街"……と言うよりは、"猫に尽くしたい人の街"なんだ」

 そう、補足しました。
 それに、リリアが聞き返そうとした――その時、


「その通り! ご飯もお風呂も寝床の支度も、ぜーんぶニンゲンがやってくれるニャ!」


 突然、そんな台詞が降ってきました。
 声の方を見ると、街灯の上に猫が一匹、仁王立ちになってこちらを見下ろしていました。

 艶やかなオレンジ色の毛並みに、左目の周りだけぐるっと墨で塗ったような黒い模様がある、立派な猫でした。
 赤い革製の首輪には、宝石をあしらった豪華なプレートが下げられています。

 その姿を見た周囲の猫が「ポックル様ニャ!」「我が街のボス!」「アニキー!」などと口々に言います。
 オレンジ色の猫は得意げに「ふふん」と鼻を鳴らし、尻尾をしならせ、

「おれの(ニャ)はポックル。この街を取り仕切るボス猫ニャ。旅人よ、よく来たニャ。街を代表し、我が屋敷へ招待しよう」

 クロルとリリアは顔を見合わせます。
 そして、無言のまま目配せし合い、

「じゃあ……お願いします」

 と、クロルがぺこりと頭を下げました。
 ポックルという名の猫は、満足気に頷き、

「うみゃ。着いてくるがいい!」

 意気揚々と歩き出しました。
 突然の申し出に、驚きっぱなしの二人でしたが、

「猫のお屋敷って、どんなだろう?」
「……お茶請けにマタタビが出てきたりしてね」

 などと、少しワクワクしながらついていくのでした。