弘明寺(ぐみょうじ)駅は、関内から市営地下鉄に乗って約十分。自宅から会社まで、ドアTOドアで三十分が理想と考えた私が選んだ駅だ。
最初私は、こうみょうじと駅名を間違えて読んでいた。駅に降り立った時に、駅名が書かれた看板のアルファベットを見て正しい読みに気が付いた。
弘明寺駅は、昔ながらの商店街があり人情味あふれた雰囲気の街並が広がっている。大岡川という川もあり、その川沿いには桜の木が植えられ春になったらとても綺麗で、私の大好きな場所だ。
駅に降り立った私たち二人は、そのまま真っすぐに自宅に向かった。雨はずっと降り続いていて、足元を濡らしている。
時間は二十二時を過ぎた辺りだった。今日はまだ木曜日で明日も仕事。いつもなら、家に帰ってお風呂に入ってご飯を食べて寝る。そんな普通の毎日のはずだった。
見知らぬ男の子を拾って帰って来るなんて、私の人生では予定していない出来事だ。
隣を歩く彼は、弘明寺駅からの道も傘を差してくれている。まだ名前も聞いていない。もしかしたら、私の名前はさっき社員証を見せたからわかっているかも……。
電車に乗っている最中も、特に話すことはせずドアの近くに立って見慣れている景色をぼんやりと見ていた。
聞きたいことは沢山あるのだけれど、周りの人たちを気にして訊ねることができなかった。家に帰ってから、人心地付いた頃に色々聞いてみよう、そう景色を見ながら考えていた。
黙々と歩いていた私たちだったが、前方に私が住んでいるマンションが見えてきた。二階建てのマンションで、十世帯の規模でそんなに大きな建物ではない。
外観は白で、築年数は八年。それほど古い建物でもなく、中も綺麗に使われていて私は結構気に入っている。
「ここの二階の角部屋なんだ」
彼がマンションを見上げた。表情からは、どんな印象を持ってくれたのかはわからなかったけれど悪くはなさそうだ。
マンションの中に続くアーケードを通って、内部に入って行く。ガラスでできた扉開きの重いドアを開けて中に入ると、住居者のポストが目に入る。
一度、自分のポストを開けて何も入ってないことを確認して二階へ続く階段を上る。エレベーターもあるのだが、見た感じ一階にいなかったので降りて来るのを待つくらいなら階段で上がってしまった方が早い。
私の部屋は、二〇五号室。先ほども言ったけれど角部屋だ。何度か引っ越しをしているのだが、今度は絶対に角部屋がいいとずっと探していた。
玄関の前に着くと、私は自分の鞄から鍵を出して鍵穴に差す。いつも通り鍵を回した所で自分の部屋の状態を思う。
変な物とか出してないよね……。ってか、そもそも大人の女性の部屋とは言い難い部屋だけどいいかしら……。
「あのね、余り期待しないでね……。漫画とか本とか山積みな部屋だから……」
「あっ、はい」
彼がちょっと挙動不審になっている。もしかした、緊張しているのかも……。それはそうか……、いくら怪しくないって説明してもさっきが初対面な訳だし。
ドアを開けると、馴染みのある自分の部屋の玄関だった。単身者用の1LDKなので玄関は狭い。私が先に入ってちょっと待っていて貰った。
カバンをリビングに置くと、脱衣所に行ってタオル持って来る。いつもお風呂は、朝掃除をして帰って来るころには入れるように予約をしている。
だからもう、いつでも入れるようになっている。
「お待たせ。はい、タオル。お風呂沸いてるからそのままお風呂に直行ね」
「えっ? でも……」
彼は、戸惑いの表情を浮かべる。いきなりお風呂って言われてもびっくりするだろうが、びしょびしょなのだ、そのまま上がられても困る。
「だって君、びしょびしょなんだもん。お願い、お風呂入っちゃって」
私は、手を合わせてお願いする。それを見た彼は、自分を見て諦めてお風呂に入ることに決めた。大人しくタオルを受け取る。
「ギター拭いといてあげるから頂戴」
「すみません」
彼は、もう拒否するのを諦めたのか私の言うことに素直に従う。玄関で、びしょびしょになった靴下を脱いで上がって来た。私は、お風呂に案内して扉を閉める。
「ちょっと近くのコンビニに行って来るからゆっくり入ってね。しっかり温まるんだよ。あと、洗濯物は洗濯機に入れといて。乾燥もできるから明日の朝には乾いてるよ」
「はい」
ドア越しでも、私の声はちゃんと聞こえたみたいで返事が返って来る。よし大丈夫そうだなと確信した私は、ギターを拭いてリビングに置くと財布だけ持ってもう一度外に出た。
歩いて三分の場所にあるコンビニに行って、今日の夕飯と彼の下着やTシャツを買う。コンビニって本当に何でもあるから便利。
急いで戻ったので、まだお風呂からシャワーの音が聞こえた。自分の部屋からメンズの短パンを出して来て、さっき買った下着とTシャツを脱衣所に置く。
部屋着に大きめサイズを使う、私のこだわりが役に立って良かった。短パン、メンズサイズのMだけど多分彼なら大丈夫だろう。
「着替え、コンビニで買って来たから使ってねー」
蛇口をキュッと捻る音が聞こえて、シャワーの音が止まる。
「ありがとうございます」
ちゃんと返事が返ってくる。よし、大丈夫。彼だけラフな格好で、私がスーツだと違和感があるから着替えようと自分の部屋に向かった。
バタバタしていたからあまり気にしなったけど、私自身も結構濡れている。彼が、気を遣って私が濡れないように傘を差してくれていたけど、それでも二人で入っていれば濡れてしまう。
部屋着に着替えてリビングのソファーに座る。やっとちょっとホッとする。
そこで、この状態を改めて考える。私、あの子のことどうするつもりなんだろう……。何であそこにいたのか、訳を聞かないことには始まらないけれど……。
自分らしくないことをしているな自覚は多いにある。んー、どうしよ?
ガチャッ
彼がお風呂から上がったようで、リビングの扉を開けて入って来た。白Tシャツも短パンも問題なさそうだ。
「あのっ、着替えとか色々ありがとうございます」
律儀に、ちゃんと頭を下げている。会ってからここまで、ずっと謝罪とお礼の繰り返しだ。
「良かった。こっち来て座って。疲れたでしょ?」
私は、自分が座っていた三人掛けのソファーの隣を指さす。彼は言われた通りに、一人分の間を開けて隣に座った。
私は、さっき買ってきたコンビニの袋からペットボトルのお茶を取り出して彼の前に置いてあげた。
「どーぞ、飲んで。あっ、その前に名前教えて貰っていい?」
「すみません。名前も名乗っていませんでした。政本 幸知(まさもと ゆきと)っていいます」
「私の名前は、藤堂咲(とうどうさき)だよ。ふじに食堂とかのどう。さきは、花が咲くのさきだよ」
「さっき、社員証でちらっと見ました。俺は、政治のせいに本。幸福のこうに知識のちです」
「へー幸福のこうに知識のち。しあわせをしるって書くのか。めっちゃ格好良い名前だね」
「はぁー恰好よくなんかないですよ……。大げさ好きて恥ずかしい……」
幸知は、頭を抱えて俯いてしまう。恥ずかしいか? めちゃくちゃ恰好いいが。でも、だから遠回りするような漢字の教え方なんだ。笑っちゃいけないけど、笑っちゃう。
「ふふふ」
「ほらっ、やっぱり笑ってる」
幸知がちょっと怒っている。さっきよりも少し緊張が解けてきたのか良い傾向だ。
「違うよ。名前に笑ったんじゃなくて、隠そうとする幸知くんが面白かったんだよ。良い名前じゃん。人生をかけて幸せを知って欲しいってご両親の想いだね。かっこよ」
「そんなんじゃないですよ……」
恥ずかしいのか、ちょっと照れている。
「それより、どれくらいあそこにいたの? お腹空いたでしょ? ご飯にしよ。もう今日は作る気がなくてコンビニでごめんね」
私は、ガサゴソと袋から買って来たお惣菜やらおにぎりを出す。
「多分、五時間くらいです……」
幸知がボソッと口にする。
「五時間? 全く、何がどうしてそうなったの?」
私は、何を食べようかなと思いながらテーブルに出した物を見ながら訊ねる。
「話すと長くなるんですが……。すみません、遠慮なく頂きます」
幸知は、目の前に置いてあげたペットボトルに手を伸ばした。蓋を開けてゴクゴクと勢いよく飲んでいる。そうとう喉が渇いていたらしい。
そして、静かに話し出した。
私は、テーブルの上に無造作に置かれた食べ物の中からシーザーサラダを取って封を開ける。さっき、おにぎりを二個食べちゃったから野菜を食べたいと思ったのだ。
幸知は、おにぎりを選んで袋を開けている。
「食べながらでいいから、話聞かせて」
私は話を促す。明日のこともあるし、ある程度のことは聞いておきたい。幸知は、おにぎりをほおばって飲み込んでから口を開いた。
「俺、大学三年生で二十歳なんですけど……ってかもうすぐ二十一なんですが……」
「二十歳……若いとは思っていたけど思ってたより若い……。10個下か……」
幸知は、ペットボトルのお茶をぐびぐび飲んでいる。改めてじっくり見る彼は、お風呂から上がってさっぱりしたからか美男子っぷりが上がっている。
目はくりっとしていて、人懐っこい印象を受ける。鼻筋がすっとしていて、それが整った顔立ちを際立たせていた。
しかも、短く整った髪がまだ濡れているからか、色気をほんのり醸している。見ていたら、変にドギマギしてくる……。
そんな私をよそに、幸知は説明を続けた。
「で、そろそろ本格的に就職のことを考えないといけなくて……。うち父親が経営者で、その後を継ぐように言われて育ったんです」
「ふーん。なるほど」
私は、レタスにフォークを突き刺してもぐもぐとサラダを食べ進める。
「でも俺、シンガーソングライターになりたくて……。それを親に言ったら喧嘩になったと言うか……」
「よくあるやつだね」
「なんかちょっと馬鹿にしてます?」
幸知が、ムッとしている。別に私は馬鹿にしたとかではなく、言葉そのままの意味だった。
「してないよ。大学生にありがちなことって思っただけだよ。夢があっていいじゃん。二十歳なんて何やってもいいと思う。まー、親御さんの気持ちは、また別だろうけどね」
私は、サラダが入っているプラのカップを手に持って残っている野菜にドレッシングを絡める。コンビニのサラダって、美味しいし手軽に野菜が取れるから結構買ってしまう。
隣の幸知は、まだ納得がいかないのかジトっとした目で私を見ている。
「そんな怒らない。ほら、お腹空いてるでしょ? どんどん食べて」
私は、テーブルの上の食べ物を進める。不機嫌になっても仕方ないと思ったのか、今度はホットドックに手を伸ばしている。
「俺、わりと今まで親の言うこと聞いて真面目にやってきたんです。高校の時に音楽と出会って、受験だったから一回封印してたんですけど……。大学に無事に合格してからは、解放されたって言うか……。歌ってるのが楽しくて、それ以外はどうでもよくなっちゃって」
幸知は、今の自分を客観的に振り返っているのかどこか遠くを見ているみたいだ。
「いいね。私さ、漫画とか小説とか読むことが好きってだけなのよ。何かを学ぶとか、練習するとか毎日やり続けなきゃいけないってことが苦手なの。唯一、読むことだけが私の好きなことなんだよね。だから、歌ってるのが好きっていいと思うよ」
「でもそれは、所詮趣味の範囲ではって前置きが入りますよね? 仕事としてシンガーソングライターなんて無理だって、親を始めみんなから言われます」
幸知は、自分が言った言葉に落ち込み出した。私はそんな彼を見て、二十代前半らしく生きてるなって感じる。
夢があるけど、周りに認めてもらえなくて、でも諦めきれなくてもがいている。将来、自分がどう生きたいのか考えて、悩んで、傷ついて、でも答えが出なくて悶々とする日々。
「私はさ、親でもないし友達でもないから正直に言うけど。どうしても諦められないなら、夢に向かって行動してもいいと思うよ。むしろ、した方が良いと思う。幸知くんはさ、シンガーソングライターになるために何かしてることはあるの?」
私は、ちょっと真剣な顔で話す。こんな年だけ食っているお姉さんだけど、一応先輩として言えることはある。
「大学で軽音部に入ってて、そこで活動してます」
幸知は、真顔になって答える。
「なるほど、具体的にはどんな活動なの? ライブやったりして、実際にお客さんの前でやるの?」
私は、さらに質問を続ける。
「えっと、お客さんの前でやったのは文化祭の時の二回だけです」
幸知は、お客さんという単語に敏感に反応した気がする。なぜか、さっきとは違って自信がなさそうだ。
「それ以外は、部活時間に練習してるってこと? シンガーソングライターって、作詞作曲もするの?」
「そうです。講義の空き時間はほとんど部室にいて、ギター弾いてることが多いですね。自分で曲作りもやります」
幸知の答えを聞きながら、私はどうしたものかと頭を悩ませる。聞いた感じ、これじゃー親御さんも趣味に留めろと言いたくなるのもわかる気がした。
「そっかっそっか。幸知くんのファンとかもいたりするのかな?」
「多少は……。大学の軽音部って大きな括りでは、好きな子たくさんいますけど。そもそも、お客さんの前でやったのも二回しかないですし」
「ちなみに、その時はオリジナル曲を歌ったりしたの?」
私からは、質問ばかりが浮かぶ。
「その時は、カバー曲だけです。だってまだ、お客さんの前で歌えるほど完成度の高い曲なんてできないですもん」
幸知が、自分の拘りを見せる。んー、何を聞いてもプロになれるよ、頑張ってって言えそうな話が出てこない。
さっきの路地で見た、絶対に譲れないという意地みたいな顔を浮かべていた人と同一人物に思えない。
「えーと、ちょっと話は戻るけど、で、何でギター持ってあそこにいたの? 親と喧嘩したって、どんな感じに?」
「父親に、シンガーソングライターになりたいって言ったらそんなの無理に決まってるだろう! って怒鳴られて……。趣味にできないならギターなんて捨ててやるって言われて折られそうになって、許せなくてギターだけ持って家を飛び出てきたんです。急いでたから、何も持ってなくて……。駅に着く間際に何も持って来なかったって気づいて、仕方なくあそこに座っていたって感じです……」
幸知は、父親のことを思い出したのか落ち着いていたはずの気持ちが再燃している。
「なるほど」
小説や漫画でよくある描写だなと、口には出さなかったけれどそれが素直な感想だった。お父さんも極端過ぎるけど、彼のこの甘い感じを知っているのなら大人として納得してしまう。
でもそれを、彼のような若さをもった子に言ってもわからないだろう。
「ん-。お父さんさ、夢があるなら叶える努力っていうか、姿勢っていうかそういう本気さが見たいのかもよ。幸知くんの話だけ聞いてると、シンガーソングライターになりたいのはわかるけどそれに向かって実際に動いてないよね。練習だけしてても、家で曲作ってても世に出してなきゃ人に聞いてもらってなきゃ、シンガーソングライターに近づかないよ」
私は、慎重に言葉を選んで幸知に伝えた。夢を持っているってことは、素敵なことだ。だけど、将来を決めるこの大切な時に想いだけ持っていても駄目だって知って欲しかった。
幸知を見ると、肩を落として落ち込んでいる。
「ごめん。言い過ぎたかな? でも私、反対してる訳じゃないからね」
幸知が、顔を上げて私を見る。
「俺、自分でもわかってて……。父親にああ言われたの、ただ図星で悔しかっただけなのかもしれないです。藤堂さんに、ズバッと言ってもらえてスッキリしました」
幸知が、複雑な想いを抱えながらもちょっとだけ表情が明るくなっている。このくらいの年の子が、一度は通る想いだ。
私だって、幸知ぐらいの年の頃は将来どうやって生きていくのか漠然とした不安があった。
少しは頭の整理ができて落ち着けたかなと、私は訊ねた。
「とりあえず、今日は帰る? 雨にうたれて少しは冷静になった?」
人に話して少しスッキリしたなら、帰るって言うかなと淡い期待をしたけれど……。
「えっ、泊めてくれるんじゃないんですか?」
幸知が、裏切られたように悲しそうな顔で私を見る。だって、生死に関わるような大事じゃなかったし帰ろうと思えばまだ帰れる。まあ、本人も落ち着いたみたいだし良かったけれど……。
「遅いからね、今日は泊めてあげるよ。でもさ、明日はちゃんと学校は行かなきゃ駄目だよ。それは約束して。学校だってタダじゃないんだから」
私は、それだけは幸知に約束させる。幸知も渋々それには頷いていた。
翌朝、私はいつも通りの朝を迎える。遅くまで幸知としゃべっていたので眠い。ベッドから起き出して、リビングに行くとソファーで眠る幸知が目に入った。
夏だから、タオルケットがあればいいということでソファーで眠ってもらったのだ。
私は、キッチンに入ると朝ごはんを作り始めた。ご飯は炊いてないから、今日はパンだなとトースターに食パンを二枚入れた。
フライパンを出して、冷蔵庫からベーコンと卵を二個取り出す。火にかけたフライパンに、油を引いてベーコンをしきその上に卵を割り入れる。
塩コショウをしてから、少量の水を入れてフライパンの蓋をして焼く。タイマーは5分。そこまでやってから、トースターのスイッチを捩じる。
これで、パンと目玉焼きが同時に焼き上がる。
焼いている間に、レタスをちぎって皿に盛りミニトマトを水で洗った。するとピピピっと五分のタイマーが鳴った。
フライパンの火を止めて、レタスとミニトマトの横に目玉焼きを盛り付ける。パンも焼けたので、お皿に移す。
ダイニングテーブルの上にお皿を置き、パンに付けるバターやジャムそれとフォークも持ってきて準備が完了する。
「幸知くん、朝だよー」
幸知に声をかけると、タオルケットの中でもぞもぞと動いた。その間にも、私は食器棚からコップを二つだして作り置きしている麦茶を注ぐ。
コップ二つを手に持って、ダイニングテーブルに歩いて行くと幸知が起きたのか、ソファーに座ってタオルケットを畳んでいた。
「おはよー。ちゃんと寝られた?」
「おはようございます。はい、眠れました。これ、ありがとうございます」
幸知は、畳んだタオルケットをソファーに置いている。
「なら良かった。朝ごはんできたから、食べよう」
私は、ダイニングテーブルの椅子に座った。
「朝ご飯まですみません」
幸知は申し訳なさそうにしながらも、席についた。
「超簡単な朝ごはんでごめんね。では、いただきましょう」
私は食パンを手に持って、ブルーべリージャムを塗り始める。
「朝ごはん、食べられると思ってなかったので嬉しいです。いただきます」
幸知は、ちゃんと手を合わせてから食べ始めた。私は、そんな幸知の様子を見ながら礼儀正しい子だなと感心する。
「今日は、どうするの? ちゃんと家に帰る?」
私は、一晩たった彼の考えを聞く。悩みを人に話して、一晩寝たので頭がクリアになっているといいのだけれど……。
「一度帰ってから、その後大学に行きます」
幸知は、何かを決心したかのように昨日とは違ってスッキリした表情をしていた。
「なら、良かった。表情もスッキリしているし、自分の考えがまとまったのかな?」
「考えがまとまったって言うか……。昨日、藤堂さんに言われたようにもっと具体的に色々動いてみたいと思います。本当にやりたいなら、動かないと駄目だって。想ってるだけじゃ駄目だって思いました。とりあえず、家に帰ります。本当にありがとうございました」
幸知がぺこりと頭を下げた。
「じゃー、あと三十分もしたら出るからね」
私がそう言うと、幸知は頷いて朝食を食べ進めた。
*********
会社に行く準備を整えた私は、幸知に声をかける。
「そろそろ行くけど、大丈夫ー?」
「はい。今行きます」
玄関にいた私のところに、幸知がギターを持って歩いて来る。
「忘れ物はないよね?」
「ギターしか持って来てないので大丈夫です」
幸知は、照れ笑いを浮かべる。
「ふふふ。それもそうか」
私も一緒に笑い、そして玄関を出る。今日は、昨日の雨が嘘みたいに青い空が広がっていた。暑くなりそうな夏の匂いがする。そして、二人で並んで弘明寺駅へと歩きだす。
「関内からそれほど離れていないのに、のどかな街ですね」
幸知が、周りの風景を見ながら話す。昨日は、夜で真っ暗だったし雨も降っていたので景色を見る余裕なんてなかったのだろう。
「そうだねー。騒々しくないし、適度に開けているし住みやすい街かな」
私も、幸知の意見に賛成だ。この街に越してきて今年で二年目。ちょっとずつ探検して、お気に入りの場所を増やしている最中だ。
「あの……。ちゃんとお金返しに来ます」
幸知は、私の顔を見て言った。
「別にいいよ。そんな大した金額じゃないし。わざわざ面倒臭いでしょ?」
私の正直な気持ちだった。幸知は、スマホも持っていなかったので連絡先も交換できない。私の番号を教えておけばいいだけなのだけど……。
でも、なんとなくこの出逢いはこれで終わりでいいのでは? と私は思う。私の気まぐれが起こした出会い。特に交わる必要のなかった二人だ。
「そんな寂しいこと言わないで下さい。俺、話聞いてもらえて凄く嬉しかったです。俺の周りって、否定的なこと言う人ばかりでまともに取り合ってくれないから……。藤堂さんみたいな人って初めてです」
幸知が、私の頭上からとびきりの笑顔を溢す。何て言うか……普通に格好いいのよこの子……。話すと真面目で爽やかなのに、昨日の雨に打たれていた時の顔が本当に別人で不思議だ。
「幸知君から見たら、ただのおばさんだよ。楽しい二十代を送りなよ。体力も気力も有り余ってるでしょ? 色々な経験をしたらいいよ」
私も、幸知の笑顔につられたのかふふふと笑みを溢す。
「おばさんなんかじゃないです。本当ですよ? あの……咲さんって呼んでもいいですか?」
幸知は、嫌がられないか不安そうに私の顔を覗きこむ。朝から止めて欲しい。年下の男の子が可愛くて心の中で悶えてしまう。
「ありがとう。そう言ってくれるなら嬉しいです」
私は、顔に出さないように心の中で「平常心」と何度も唱える。そして私たちは、関内駅につくと駅の入口で別れを告げた。
「じゃあね。頑張ってね」
「はい。咲さん、色々ありがとうございました。俺、ちゃんと頑張ってみます」
結局、連絡先は交換しなかった。
幸知と別れた日に、駅まで一緒にいたところを隣の席の鈴木さんに見られていて会社に着いた時に揶揄われてしまった。
「藤堂って、あんなに若いのと付き合ってんの? どこで知り合うの?」
席に座った私に、ボソッと小声で訊ねてきた。
「違います。彼氏ではありません。拾っただけです」
「は? 拾ったって? 何々? 面白そうなんだけど」
鈴木さんが、興味津々に食いついてきたけれど私はクールに流す。
「教えませーん。ほら鈴木さん、営業会議始まりますよ!」
私がそう言うと、鈴木さんは渋々席を立って会議室へと歩いて行った。まさか見られていたと思わなくて内心ではびっくりだ。
でも、仕事が始まれば鈴木さんのことだ、きっと忘れるだろう。そして私自身も、いつもの生活に戻れば幸知とのことを忘れていく。
いつもの生活を送る中で私の中にあったのは、三十代をどう生きていくかということ。二十代は、若さと時間がたっぷりあってその時の楽しさの為だけに生活していた。
だけど三十代を迎えた私は、この節目の年に大多数が通るだろう結婚についていつも頭を悩ませていた。
誰からも何も言われない一般的な生き方を選ぶなら、好きな人と結婚して子供を産んで家族を作る。でもそれって一人でできることじゃなくて、相手が必要だから自分の思い通りにことが運ぶなんてことはない。
じゃあ、このまま独身で一生を終わらせるのかと聞かれてもそんな勇気は私にはない。というか、結婚はしてみたい。それが正直な気持ち。
実家に帰ると、お決まりの「結婚しないの?」という質問が母親から飛んでくる。結婚したいと思っている私でさえ、この質問には堪えるものがある。
今はもう、結婚しない選択肢が珍しくはない。だけど母親世代は、わかってはいるのだろうが魂に刻み込まれているのか「結婚して当たり前」が抜けきれない。
顔を合わせる度に言われるのは辛い。そんな出会いが私にはなかったんだから仕方なくない? っていつもむくれてしまう。
特別可愛いとか美人ではない私は、俗にいうモブ的存在だと思う。どんな子だった? ってのちに質問されたら、普通? かな? って言われてそう。
肩よりちょっと長い髪色は、地毛のままの黒。だって、一度染めると小まめに染め直さなくちゃいけなくて面倒臭いし……。
服の趣味も、無難な物を購入しがち。特別おしゃれが好きで、洋服に拘りがある訳でもない。うちの会社は、私服だけどカジュアル過ぎにならなければ煩く言われない。
だから外見だけみたら、きっと印象に残らない。そうなってくると、お付き合いするってなるにはある程度の交流期間があって、私って人を知ってもらうしかないのだ。中身を好きになったってやつ。
外見で優位に立てないと、好きになってもらうまでのスパンが必要。二十代は、彼氏欲しさに合コンや飲み会に積極的に参加していた……。
残念ながら選ばれる女にはなれなかった。可愛いを演出できない私に、問題があるのはわかっているけれど……。自分には似合わないと思ってしまう。
そんな悩みを抱えている日々。代り映えのしない毎日を積み重ねていたら、段々と幸知のことも記憶から薄れ始めていた。
お金を返しに来ると言っていたけれど、何の音沙汰もない。だけど私は、別にそれでいいと特に気にもしていなかった。
そんなある日、一通のメッセージが届く。
『元気? ウェイクボード振り。秋は、BBQとかどう?』
去年、合コンで知り合った湊さんからのお誘いだった。湊さんはバスの運転手さんで、私よりも年上。最初は三対三で会って、カップル成立ってことにはならなかった。
だけど、友達になってたまにこうやって遊びに誘ってくれる。色んな遊びを知っていて、私たちも楽しいから友達としての付合いを続けている。
なんせバスの運転手さんだから、大型の車は運転できるしこの前の船の免許も持っていてレンタルしてくれた。冬はスノボーも楽しいと言われていて、結構楽しみにしていたりする。
この年になると、遊びに誘ってくれる人も限られてくるのでとても貴重な存在なのだ。
『七菜香たちにも聞いてみまーす』
そう私は返事を返した。七菜香と蘭は、大学時代の友達で今も仲良くしている。大体遊びに行くとなると、この三人でってことになる。
『了解』というバスのスタンプが帰ってきた。
今日の夜にでも、連絡してみようとその時はスマホを閉じた。
会社から帰って来て、夕飯もお風呂も終えた後いつものグループにメッセージを流す。
『湊さんから、BBQのお誘い来たよー。どうする?』
暫くすると、ティコンッとメッセージが帰って来る。
『行きたーい。七菜香』
『行く。蘭』
時間差で二人から、行きたいという返事が届く。二人には月一くらいで会って、ランチをしたり映画を見たり、時には三人で旅行に行ったりする。
付合いが長いので、お互いの恋愛遍歴も知り尽くしている。蘭には今彼氏がいて、七菜香の方は別れたばかり。
七菜香にしては順調にいっているように見えたので、結婚するのかなと思っていたので蘭と二人で驚いた。
七菜香は、服飾系の会社の本部で働いている。入社当時は、販売部門にいたのだけれど出世して企画の仕事をするようになった。
服の会社に勤めるだけあって、とてもお洒落に敏感で年より若く見える。明るく元気でコミュニケーション力に長けていてとても魅力的な女性だ。
蘭は、家具を取り扱う会社の秘書をしている。彼女も、事務から少しずつ評価されて年を追うごとにステップアップしていった。七菜香とは正反対で、落ち着きのある大人の女性。
明るく楽しい七菜香と落ち着きのある蘭、そして別段特徴のない私。なぜかうまい具合に気が合って、もう10年くらいの仲になる。
三人仲良く、年取っていければ楽しいなといつも思っている。
土曜日の朝は、いつもよりも少しだけ遅く起きて朝食を食べる。朝もちゃんと野菜を食べようと思ってはいるのだが、どうしても簡単にトーストとインスタントのスープで済ませてしまう。
料理は嫌いではないのだが、自分だけの為に作る気になれない。朝食を食べた後は、掃除と洗濯だ。
洗濯はできるだけ溜めないように心掛けているが、残業で遅くなってしまう日が多いとどうしても週末にまとめて洗うことになってしまう。
今週も、溜まった洗濯物を一気に洗ってベランダに干す。残暑で今日も暑いから、出掛ける前に乾くはず。
今日は、この前連絡した流れで七菜香と蘭の三人で夕飯を食べに行くことになっている。17時にみなとみらい駅に集合だ。
弘明寺駅からは大体三十分くらい。乗換が一回あるが、アクセスは良い。三人で会う時は、いつも横浜近辺になる。
午前中の家事が終わると、夕方まで何をしようかと悩む。時計を見ると十一時になるところだった。
――――ピーンポーン
玄関のチャイムが鳴った。私のマンションは、特に入口にセキュリティーがある訳ではないので来客は玄関前まで来ることができる。
特に何か頼んだ覚えはないけれど、宅急便屋さんかな? とインターホンのカメラを見た。すると、見覚えのある男の子がカメラに向かって笑顔を向けていた。
え? 幸知くん?
私は、驚きながらインターホンのカメラのスイッチを押して声を出した。
「はい」
「一ヵ月ほど前にお世話になった政本幸知です」
「ちょっと待ってね。今開ける」
まさか、家に来るなんて全く考えていなかったので驚く。何となく、お金を返しに来るなら会社の近くで待っていたりするのではと考えていた。わざわざ、家に来るなんて想定外だ。
玄関のドアを開けて「どうしたの?」と訊ねてしまう。
「この前、借りたお金とお礼を持って来ました」
幸知が、買って持って来たのか手に提げていた紙袋を私に見せる。わざわざ来てもらったのに、玄関先で受け取って帰すのも忍びなくて私は部屋に上がってもらった。
「わざわざありがとう。折角だから上がって」
私がそう言うと、幸知はパッと顔を輝かせて嬉しそうに「おじゃまします」と言った。幸知をリビングに通すと、改めて私にお礼をしてくれた。
「これ、この前借りた電車代と夕飯や朝ご飯に使ったお金です。あと、これはお礼に買ってきた焼き菓子です。先日は本当にお世話になりました」
幸知は、紙袋に入れていた封筒を出して焼き菓子が入っている箱と一緒に私に渡してくれた。
「ありがとう。じゃー遠慮なくいただくね」
私は、幸知から封筒と手土産を受け取る。
「お茶淹れるから座って」
幸知は、この前来た時に寝ていたソファーにちょこんと腰かける。
「コーヒーか紅茶どっちがいい?」
「コーヒーでお願いします」
私は、やかんに水を入れてお湯を沸かす。沸かしている間に、コーヒードリッパーを二人分出してマグカップに装着した。
幸知が持ってきてくれた焼き菓子も折角だから一緒に食べようと、箱の包み紙を丁寧に開ける。箱を開くと、色んな種類の焼き菓子がたくさん入っていた。
中の豪華さに結構なお値段なのでは? と心配になる。かえって気を遣わせてしまったようだ。
私は、食器棚の奥から来客時にしか使わない菓子器を出して焼き菓子を並べる。やかんからふつふつと音がし出したので、火を止めてドリップに注いだ。
すると、コーヒーの良い匂いがリビングに広がる。幸知を見ると、大人しくソファーに座っているままだった。
トレイに乗せて、コーヒーと焼き菓子を運んだ。
「幸知くんは、ミルクと砂糖入れる?」
「いえ、このままで大丈夫です」
私は、テーブルの上にコーヒーと焼き菓子を置く。
「焼き菓子ありがとう。沢山入ってたから一緒に食べよう」
私は、ソファーには座らずにカーペットの上に腰を下ろす。マグカップに手を伸ばして一口口にした。幸知も「いただきます」と言ってコーヒーを飲んだ。
「あの後、大丈夫だった? 一晩帰らなくて心配されたでしょ?」
私は、ずっと気になっていたことを訊ねる。段々忘れかけていたといえ、やはりそれなりに気にはなっていた。
「……そうですね……。母親が寝られなかったらしくて、帰ったらホッとしていました」
幸知は、気まずげにそう教えてくれた。見るからに真面目そうな青年だ。今日は、この前と違って服装もきちんとした格好をしている。今まで、無断外泊なんてしたことなかったのかも。
「そっか、怒られなかったのなら良かったね」
「はい。父親の方は冷戦状態なんですが……。俺、あの後自分なりにも色々考えて、両方頑張ることにしました」
「両方って?」
私は、幸知が言う意味がいまいちつかめない。
「夢を追うことも諦めないし、就職活動もちゃんとするってことです」
「へー、この前は就職なんてしたくないって感じだったけど、どういう心境の変化?」
「咲さんが言ってくれたから、何をしても良いって。だから、どっちか一方を選択するなんて勿体ないかもって思い始めて。俺、今まで親の言うこと聞いて一生懸命勉強してきて、それを全部無しにする必要ないなって。就職は就職で、夢は夢でそれぞれ別個のものとして実現させたいって」
幸知の瞳から、意思の力強さを感じる。きっとこう考えるまでに、一杯考えたのだろう。だからこの考え方が良いとか悪いとかじゃなくて、やってみたら良いって純粋に思えた。
「うん。良いと思う。やれるところまで頑張ったらいいよ。後で、何であの時にって後悔は絶対にないと思う。私も応援するよ」
私は、目を輝かせて語る幸知が年の離れた弟のようで可愛さを感じる。キラキラしていて微笑ましい。
私には、こんなにキラキラした瞬間ってきっとなかった。だからかな、できるだけ応援したいって思う。
「ありがとうございます。咲さんに応援して貰えたら、俺きっと頑張れます! だから、連絡先交換して下さい」
そう言って、幸知は自分の鞄からスマホを取り出した。え? と私は驚く。幸知の顔は、さっきまでの淡々とした感じから一転緊張した面持ちをしている。
こんな風に真っ直ぐに聞かれて、断れる人がいるだろか? 私には、到底無理だ。
「しょうがないか……」
私は、ダイニングテーブルの上に置いていたスマホを取ってくると幸知と連絡先を交換した。この時はまだ、この後に様々なことが起こるなんて思いもよらず……。
「二十歳?! それ大丈夫なの?」
七菜香がびっくりして大きな声を出す。
「声が大きい!」
七菜香の声が店内に響き渡っている。近くの席に座っているお客さんに、チラチラとこちらを気にされた。
「ごめんごめん。だってさ、咲っていっつもダメンズばっかり見つけてくるからさ……」
「なんで男の子なんか拾っちゃったの? そんな勇気どこからくる訳?」
七菜香が失礼なことを言って、蘭が冷静なツッコミを入れる。そう言われたら確かにそうなのだが……。
「わかんないけど、何となく? 真面目そうだったし、危険な感じはなかったし」
私は、あの時の幸知のことを思い出しながら蘭の問いに答えた。
「だからっていきなり自分の家に連れていくかね……」
七菜香が、自分の前に置いてあったグラスを手に持ち呆れている。
「だって、時間遅かったし雨降ってたんだもん。何も持ってなくてかわいそうだったの」
「かわいそうって……結果として何もなかったからいいけど、危ないからね! 今の時代、外見なんて当てにできないんだから……」
蘭が、口調は抑えているが心配して怒ってくれている。
「うん。わかってる」
「本当にわかってんの?」
七菜香が、私の顔を覗き込んできた。
私たち三人は、予定通り十七時にみなとみらい駅で落ち合って予約していたお店に向かった。注文を終えて料理が来るまでの間、この一か月の出来事を報告しあっていた。
二人は、特に大きな出来事はなかったようですぐに話が途切れる。私の番になったので、きっと面白がってくれるだろうと幸知のことを話した。
面白がってくれたのはいいが、思いのほか二人の食いつきがよくてちょっと引いている。
「わかってる。でもさ、本当にいい子なんだってば」
私は、心配する二人に説明した。
「咲のいい人は当てにできない。だって、元カレとかクズだったし」
七菜香は、昔を思い出しているのか顔が怒っている。
「確かに、そんなこともあるけどさ……」
全てを知っている二人には、言い訳が通用しない。
「しょうがないって。咲はさ、男の趣味が悪いんだから。信用なくても仕方ない」
蘭は、相変わらず毒舌が過ぎる。
「否定できないところが辛いんだけど……」
私は、段々と居心地が悪くなってくる。こんなはずじゃなかったのだけど。二人とも面白がってくれるかなと思って話したのに、段々と違う方向に話が進んでいる。
でも、確かに私の男性遍歴を知っている二人としては言いたいのもわからなくはない。
というのも、私の男運は最悪だ。三十歳にもなれば、それなりに男性と付き合った経験がある。だけど、二人が言うようにいい思い出がない。
私は本気で付き合っていたのに、相手にとっては完全に遊びだったり。付き合う前までは、連絡とかマメだったのに、付き合った途端放置で会うのは彼の都合のいい場所ばかり。付き合っているはずなのに、大切にされている感が全くない人だった。
あとは浮気されて、最終的に私が捨てられたパターンなんてのもある。簡単に振り返ってみるだけでもこんな私の恋愛遍歴。男と聞いて心配しない方が無理なのかも……。
でも言い訳をさせてもらえるなら、私は人見知りが激しいのだ。だからコミュニケーションが上手な人を好きになりがちなところがある。
優しくされると、コロッと勘違いしてしまうチョロインなのだ。自分でもそれはわかっている、だけど決してダメンズが好きってわけではない。それはわかって欲しい。
「で、その二十歳くんとは何もなかったの?」
七菜香が、身を乗り出して聞いてくる。
「何かって何よ? あるわけないでしょーが! 連絡先は交換したけれど……」
「しっかり連絡先交換してんじゃんよ」
七菜香が、じとーっとした目で私を見る。
「って言うかさ、そもそもなんで声かけたの? 咲が知らない人に声かけるなんて絶対しないじゃん」
蘭は、なんでそんなことをしたのか疑問だったみたいだ。
「雨降っていたし、長時間そこにいるの気づいちゃったし……。ただ、本当に何となくなんだよね。気になっちゃって……」
私も、幸知と別れてからそれは考えたけれど辿り着く理由はそれだった。彼氏いない歴三年になろうとしていて、恋じゃなくても刺激が欲しかったのはある。
二十歳と知ってしまった今は、さすがに恋に発展するとは思えないけれど。
「ふーん。イケメンなの?」
蘭が、聞く。
「それ、気になるんだ?」
「そりゃ、そーでしょうよ」
二人とも首を大きく立てに振っている。
「んー。格好いいと思う。礼儀正しいし、モテると思う」
幸知を思い出しながら私は返答する。今日もわざわざ、菓子折り持ってお礼に来てくれたのだ。あの年頃の子にしては、きちんとしている。
「「へー」」
二人が、やれやれと言った顔をしている。きっと二人は、また怪しいのに引っかかっていると呆れているのかも。
「もう、心配するようなことにはならないから大丈夫だよ! それよりも、バーベキューの話しようよ」
私は、二人の視線に耐えられなくて話題を変える。すると丁度、頼んだ料理が運ばれてきた。
私が頼んだのは、本日のパスタ。季節の野菜を使ったパスタでとても美味しそう。ディナーセットになっているので、スープとサラダも付いてくる。
外食の時は、できるだけ野菜の種類を多くとるように心がけている。家だと、面倒臭くて外食で出てくるような何種類も野菜が入ったサラダなんて作れない。
みんなのテーブルの前に料理がそろったので、「いただきます」の挨拶をして各自食べ始める。三人とも、違う料理を頼んだのでテーブルの上は綺麗に盛り付けられたお皿で一杯だ。
「あっ、このパスタ美味しい。当たりだな」
七菜香が、サーモンとほうれん草のパスタをフォークとスプーンを使って食べている。かなり気に入ったのか、顔がほころんでいて幸せそうだ。
「私のやつもなかなか美味しいよ」
蘭が頼んだのは、ナスとひき肉のボロネーゼ。実は、私も迷ったパスタだった。ナスが油と合わさってつやつやしていて美味しそうだ。
そんな二人を見つつ、私も自分のパスタを口に運ぶ。
「美味しいー。幸せ」
アスパラときのこが入ったクリームパスタ。新鮮だからか、アスパラの味が濃くてとても美味しい。美味しいものって、人を簡単に幸せにしてくれる。
「咲は、大げさなんだから」
七菜香は、パスタを食べ進めながらそう言う。
「いいじゃん。幸せーって口に出すと良いって、この前テレビで言ってたもん。」
「咲ってわりと幸せになるのが上手だよね。楽観的って言うのかもだけど。変な男に引っかかっても、立ち直り早いもんね」
蘭が、またしても毒舌を吐く。
「それって褒めているってことでいいんだよね?」
いつものことだから、私はつっかからずスルーする。
「うん。私が咲を尊敬するところだよ」
蘭が、真剣に返してきたのでちょっとびっくりする。蘭って、毒舌吐いたと思うと、フォローしたりバランスが絶秒なのだ。
「それはどうも。あっ、そうだ、さっきの続きだけどバーベキュー蘭は今回彼氏どうするの?」
湊さんたちに誘ってもらうイベントは、最初こそ出会いの場だったのだけど今では普通にお友達になっている。
誰かに彼氏や彼女ができると、本人たちが良ければ普通に一緒に遊ぶ。その方が、彼氏や彼女が安心して遊べるから。
やっぱり、恋人がいたって集団でみんなでワイワイ遊ぶのは別で楽しい。湊さんたちも、うるさく言わないし変に絡んでこないのでとても居心地のいいグループなのだ。
ちなみに湊さんは、私たちよりも年上で三十五歳の独身。今彼女はいないみたいだけど、いつも楽しそうにしている。
「今回は予定が合わないから行かないってさ」
蘭が、答えてくれる。
「ふーん。珍しいね。湊さんたちと遊ぶ時は、必ず来るのに」
七菜香が、不思議そうに聞いてくる。
「もう何回も遊んでるし、なんか個人的に湊さんと仲良くしているみたいで問題ないって思ってくれたのかも。あのグループで遊ぶの楽しいから、良かったよ」
蘭が、嬉しそうに話す。
「へー、湊さんと仲良くなったんだ。湊さんってさ、凄いよね。誰とでも仲良くなっちゃうんだもん。今だから言うけど、てっきり咲は湊さんのこと好きなのかな? とか思ったもん。でも、特にそんなアクションは起こさなかったから違うのかって。まー、だから今もみんなで仲良く遊べているんだけど」
七菜香が、爆弾発言をする。湊さんたちと出会ったのは、合コンの席だった。だから最初は、恋愛関係に発展するという期待があったのは事実。
でもその合コンのすぐ後に、蘭にも七菜香にも別の出会いで彼氏ができちゃったから、私一人そこに踏み込むことができなかったのだ。
湊さんたちとは、お付合いという形ではなく友達としての付合いが始まっていてそれが楽しくて壊したくなかった。
だから、二人には言わなかったけれど湊さんがいいなと思った時期もある。でも何度もイベントに呼んでもらって仲良くなっても、そういう雰囲気になったことは一度もない。
きっと、湊さんのタイプじゃないのだろうと諦め、いいなと思う気持ちは封印した。でも一緒に遊ぶのは楽しいし、今のところ特に不満はない。湊さんに対して、私のこと好きになって貰えなくて辛いといった状態にもない。
だから私は、これは恋ではないのだと片づけていた。
「湊さんたちとは、お友達の方が楽しいじゃん。それに私って、しょせんモブだからそういう風に見られないじゃん?」
「モブって何よ? そんなことないでしょーが! そのうち、咲にだって素敵な人が現れるよ。その時に咲が逃さないか、私は心配だよ」
蘭が、私が言った言葉に不機嫌になる。卑屈っぽくなってしまったと反省する。
「そうだね。今度いいと思ったら、ちゃんと二人に相談します。ってか、いつも相談しているけどね」
私は笑って答える。
「じゃー、今度のバーベキューは久々にこの三人で参加ってことですね」
七菜香も、笑顔で話す。
「楽しみだねバーベキュー。 お肉とか一杯食べたい」
私がそう言うと、二人とも同じように笑顔にな
パソコンに向かって、発注の入力処理を黙々と行っている。月曜日は朝来ると、注文書が溜まっていることが多いので午前中一杯かかってしまう。
ミスがないように、紙に印刷したものを確認しながら進める。納期のあるものは、日付を間違えると大変なことになるので尚一層注意深く入力作業を行う。
新人の時に間違えたことがあり、とんでもないことになった経験からこの作業には人一倍気を使っている。
最後の注文書を入力し終わって、時計を見ると丁度お昼の時間になろうというところだった。そこで初めて、今日のお昼は何を食べようかと考える。
誰かに誘われることがない限り大体コンビニで済ませるのだが、今日は誘われる気配がない……。
時計の針が十二時を指すと、室内にいた人たちがバタバタと立ち上がり昼休憩に入っていく。私も自分の席から立ちあがって、机の引き出しを開けて財布を取りだした。
オフィスを出て、駅の方面に向かう。コンビニにしようかと思ったが、外に出て気分が変わり行き先を変更した。
駅まで足を延ばして、駅ビルに入っているお店のテイクアウトにしてちょっと贅沢をしようと思ったのだ。何にしようかなと考えながら歩いていると、背の高い男の人が目に入る。
もしかしたら、幸知じゃないだろうか……。私は、少し速足で歩いてその男性との距離を縮めた。横顔が見えるところまで来ると、やはり幸知だとわかる。
「幸知くん」
私は、思い切って声をかけた。幸知が、立ち止まって後ろを振り返る。
「あっ、咲さん……」
あれ? 何となく元気がないような?
「どうかしたの? なんか元気ない?」
私は、幸知の顔を下から覗き込む。すると、ちょっとびっくりしたみたいなリアクションがあった。
「ん? 当たり?」
私は、さらに幸知に問いただす。幸知は、見るからに肩を落として「ちょっと……」と言葉を濁した。
「時間ある? あるなら一緒にお昼食べない? 私一人で寂しかったの」
私は、できるだけ明るい声を心がけた。
「時間は大丈夫ですけど……、お昼はもう食べちゃってて……」
「そしたら、幸知くんはデザートでも食べたらいいよ。私はお昼食べるけど。どう?」
私は、首を傾げて幸知に尋ねる。
「それだったら……」
幸知が、了承の返事をくれたので私は頭の中でお店をピックアップする。デザートが充実していて、お昼もしっかり摂れるところはどこだろう……。
いくつか候補が頭の中に浮かんだので、幸知に確認を取る。
「私が決めちゃってもいいかな?」
「はい。もちろんです」
私は、ちょっと駅からは歩くけれど比較的空いている喫茶店に決めた。
「じゃあ、ちょっと歩くけどついて来て」
私は、指で行く方向を示すと速足で歩き出す。会社のお昼休憩中なので時間は限られてしまう。ゆっくり話を聞いてあげるなら、少し急いだ方がいい。
だけど、こういう時に限ってちょっとヒールの高いパンプスを履いていた。急いでいた私は、小石に気付かずにヒールで踏んでしまい、バランスを崩してしまう。
「――――危ない!!」
転びそうになる私を、咄嗟に幸知が支えてくれた。背が高い彼に、後ろから腰を支えられて包み込まれてしまう。
「大丈夫ですか?」
幸知に耳元で囁かれる。助けてもらったとはいえ、密着度が高すぎて胸の鼓動が煩い。
「ご、ごめん……。大丈夫、ありがとう」
私は、できるだけ冷静になって答えたつもりだった。
「あれ、咲さん顔赤い?」
「もう、早く離れて! そういうことをいちいち言わない」
「わかりましたよー」
そう言いながら、幸知は私から離れる。こんなことくらいで動揺する自分が憎らしい。だけど、私にはイケメン耐性はないのだ……。
「お昼が終わっちゃうから急ぐよ!」
私は、今度は慎重に速足で歩き出す。幸知も黙ってついて来てくれた。
目的の場所は、ビルの地下にあって結構急な階段を下がっていく。下がりきった踊り場から店内の様子がドア越しに見えた。
思っていた通り、混雑している様子はない。透明のドアを開けて中に入ると、店員さんに「お好きな席にどうぞ」と声をかけられた。
私は、店内の端っこにあるベンチシートになっている四人席へと足を進める。私が腰を下ろすと、向かい側に幸知も座った。
席に着くと、店員がすぐにお水とお手拭きを持って来てくれて「ご注文が決まりましたらお呼びください」と下がって行った。
この喫茶店は、軽食が豊富でスイーツも種類がたくさんある。友達と一緒に食べに来た時などは、時間があるとデザートにビッグパフェを頼んでしまう。
細長いグラスに盛られたソフトクリームの上に、チョコクリームが上から下に幾筋も乗っている。ソフトクリームの下には、シリアルが敷き詰められていてサイドにはバナナが盛られている魅惑的なデザートなのだ。
最初に見た時は、かなりの大きさにびっくりしたものだけど今では私の大好きなパフェ。
「ここ、スイーツのメニュー多いから迷っちゃうんだよね。私は、お腹空いたからピザトーストとコーンポタージュにしまーす」
メニューをざっと見た私は、さっさと決めて幸知の顔を伺う。彼もメニューを見てどれにするか選んでいた。
「じゃー、俺はコーヒーゼリーにします」
「それだけでいいの? コービーゼリーも美味しいけどさ」
「はい。あまりお腹空いてないんで」
無理強いするのは良くないので、私は店員さんを呼んで注文をした。そして、改めて幸知と向き合う。
「同じ駅を使っているのに、会ったのって初めてだねー。びっくりしちゃった」
私は、お水を一口飲んだ。
「ですね。行動時間が違うからですかね……。いつもはこんな時間になんて、駅にいることないですから。たまたまなんです」
「そっかそっか。で、どうしたの? 落ち込んでいるみたいだけど」
私は、時間をかけずに本題に入る。なんせ、あまり時間がないので巻いていきたいのだ。
「あーはい……」
幸知は、言いたくないのかはっきりしない。ここで無理やりに聞き出してもしょうがないかと、私は作戦を変更することにした。
「ねーこのお店、幸知くん知ってた? 一人でも入りやすいし、私結構好きなんだよね」
そう声をかると、幸知は顔を上げて周囲を見回した。
「俺、駅のこっち側ってあまり来たことなくて初めて来ました。メニューも豊富だしコスパもいいですよね。今度お腹が空いている時にまた来たいです」
少し気分を変えることができたのか、表情がさっきよりも明るくなっている。
「でしょ。穴場だから良ければ使ってね」
私は、ニコニコ顔で相槌を打つ。そんな風にたわいもない話をしていたのだけれど、意を決した幸知は重い口を開き始めた。
「俺、この前咲さんに言われてから自分なりに歌で活動を始めたんです。顔は出さない形でWEBにアップして公開したりして……。でも思うように閲覧数が伸びなくて……。なんでか俺、それなりに根拠のない自信みたいのがあって。でも実際は全然駄目で、俺、歌の才能なかったんだって突き付けられたっていうか……」
幸知は、そこまで言うともう言うことがなくなったのか黙ってしまった。私は、テーブルに頬杖をついて幸知を見る。
彼は、自分の告白が恥ずかしいのか目線を下げていた。
「なるほど。でも、ちゃんと動いたって凄いね。誰かに言われたからって、すぐに動けるもんじゃないから」
「でも、結果出てないので意味なかったです」
幸知が、すっかりしょげ返っている。
「意味がないってことは無いと思うけど。私、詳しくないからよくわからないんだけど、一回WEBに上げたくらいですぐにそんなに結果出るもんなの? みんな何度も投稿して、少しずつファンを増やしたり技術上げたりするんじゃないの?」
私は、純粋な疑問を口にする。普通に考えてそんなにすぐに結果が出たら、誰もが歌手になれる気がする。
「それはそうですけど……。本当に全く、閲覧数が伸びずコメントも来ずで……。こんなはずじゃなかったって気持ちが大きくて……」
自分の気持ちを言葉にするたびに、幸知がどんどん小さくなっていくように沈んでいる。見ていて、幸知には申し訳ないけれどなんか面白い。若いなーいいなーって三十歳になった私は思ってしまう。
でもこれは、三十歳になったから見える景色だ。幸知にそれを言っても、きっとわからないだろうし面白くないはずだ。
私は、なんて声をかけようかと熟考する。
「じゃー諦める? 私さ、今の幸知くんの歌での立ち位置がわかって良かったと思うんだけど。これじゃ駄目だともっと努力するのか。やっぱり、趣味に留めて自分が楽しめればそれで満足なのか。期待していたようにいかなかったのって、ショックだと思うけど割と普通のことだと思うし」
私は、手元にあったお水のグラスを持ってくるくると氷を回す。厳しいことを言っている自覚があって、幸知の顔をみるのはちょっと気まずい。
「咲さんって、結構ずばずば遠慮ないですよね」
幸知は、気持ちのない笑いを浮かべる。
「ごめん。んっとね、就職のこととか夢のことで迷ったり落ち込んだりするのって普通なのよ。自分の思い通り、人生ほいほい歩んで行く人なんていないよ。いたら怒るよ。それこそズルいって。だから、チャレンジしないよりも当たって砕けた方が良いでしょ?」
「咲さんも、迷ったりしましたか?」
幸知がそう訊ねたところで、店員さんが注文した料理を持って来てくれた。手際よくテーブルに置くと、注文が書かれた伝票を透明の筒にさすと下がって行った。
「もちろんだよって言いたいところだけれど……。迷うというよりは、ショックの方が多かったかな。とりあえず、来たから食べよう。いただきます」
私は、半分に切ってあるピザトーストを手で持って齧り付く。ピーマンとベーコンそしてチーズが乗ったトーストは、シンプルな味だけど美味しい。変に凝ってない感じが私は好き。
それと、このピザトーストには少しだけどサラダも付いてくる。栄養バランスも満点で、このお店が好きな理由の一つでもある。
幸知を見ると、コーヒーゼリーをスプーンですくって食べている。美味しいようで、顔がほころんでいる。
「美味しい?」
私は、たまらず聞いてしまう。
「はい。コーヒーが苦すぎず丁度いい感じですね」
「なら、良かった」
私は、ちょっと急いでピザトーストを食べ進める。中途半端になってしまったので、もうちょっと話をしたかった。
ピザトーストをお水で流し込んで、口が空いたので先ほどの続きを話す。
「私の場合はさ、漠然と事務がいいなって思っていて業界とかは特に希望もなくて。結構、就職も厳しい時代だったから、あらゆる業界の事務受けたの。でも、片っ端から落ちまくって。私が、頭良くなかったってのもあるんだけど……。だから、社会に必要とされてないんだってよく落ち込んでたよ。今、考えると大げさなんだけど」
私は、あの頃のことを思い出してちょっと笑う。
「どれくらい受けたんですか?」
「んー、四十社とか五十社とかかな? あの時代は、それが普通だったの。大変だと思わない?」
私は、ふふふと笑みをこぼす。
「五十社……」
幸知は、驚いたのか言葉を失っている。
「そっ。だからさ、自分の思い通りにいかなくてショックを受けるってありがちなことよ。じゃーどうしようかな? って考える方が大事ってことね」
「なんか不思議と咲さんの言葉って説得力がある」
幸知は、不思議そうに私を見ている。
「そう? 多分、相談したら幸知くんのご両親も同じようなこと言ってくれると思うよ」
「そうですか? でも、親に言われたらなんかムカつく気がします」
「あはは。やっぱ、親って近すぎるのかね。私も、親から言われるお小言は苦手だな」
「咲さんでも、親から何か言われることってあるんですか?」
「そりゃーあるよ。ありまくりです。でも、知り合いのお姉さんやお兄さんの話の方が、聞きやすいってのはあるかもね。あっ、バーベキューやるんだけど幸知くんも来る? 一杯お兄さんお姉さんいるから、いろんな話聞けるかもよ」
私は、湊さんや七菜香や蘭のことを思い出して提案する。きっと彼らの方が、私なんかよりも上手にアドバイスできるような気がする。
「俺がいきなり参加してもいいんですか?」
幸知は、不安そうな顔をする。
「大丈夫だよ。わりと、初めましての人いたりするから。予定が合えば気分転換にどう?」
私は、自分の腕時計を見て時間が迫っていることに気づく。
「ごめん。私、そろそろ行かないとだ。夜にでも連絡する」
私は、伝票を透明の筒から抜き取って立ち上がる。
「あっ、お金払います」
幸知が立ち上がって慌てている。
「いいよ。今日は、私が誘ったんだし。これくらいお姉さんにおごらせて」
「すみません。話を聞いてもらったのは、俺なのに」
「幸知くんに会えて嬉しかったよ。んじゃ、またね」
私は、レジに向かい手早くお会計を済ませたのだった。
最近は風が強い日が多くて、今日の天気が心配だったのだけれど無事に爽やかな青空が広がっている。風もなく、日差しが優しい秋特有の空だった。
バーベキューに最適な天気でとても楽しみだ。
いつもなら、誰かが私たち三人を駅で拾ってくれて現地に連れて行ってくれるのだが……。今日は、幸知がいたので私は別で行くことにした。
初めて車をレンタルして、幸知を弘明寺駅で拾って現地に向かう。
車を運転するのが久しぶりだからか、今日はなんだか自分でも浮かれている。幸知とばったり会ったあの日の夜に、湊さんに連絡して一人男の子を連れて行っても良いか許可をもらった。
私が誰かを連れて行くなんて初めてだったので、「ついに咲ちゃんにも彼氏できちゃったの?」とびっくりされた。
私は苦笑いを浮かべつつ、そんな関係ではなく将来について迷える若者だと説明した。湊さんは、「そうなんだー」と笑って快く参加を了承してくれた。
どちらかと言うと、七菜香と蘭に報告した方が大変だった。
七菜香なんて、変に興奮しちゃって「例の二十歳くんに会えるの?」とか言っていたし。蘭は、「よし。お姉さんがしっかり見てあげるから!」とやる気になっていた。
私は、そういう関係じゃないから本当に普通にしててと何度も説明する羽目に。将来のことで迷っていて、大人の話を聞くのもありだと思ったから連れて行くのだと言ったら渋々わかってくれた。
それでも最後に七菜香は、「咲が、良い男に育てるってのもアリだと思う」としつこく恋愛にもっていこうとしていたけれど……。
私は、もう無視することにした。流石に、私だって十歳も下の子をそんな目で見られない……。そもそも私は、どちらかというと年上の方が好きなのだ。頼れる人に靡いてしまう。
私は少し早めに家を出て、カーシェアリングができるコインパーキングに歩いて向かった。
レンタカーを調べてみると、歩いて行ける範囲にカーシェアリングができるコインパーキングを発見したのだ。
しかも、実家で乗っていた車種と同じ車が置いてあって運がいい。当日は、特に私たちは何も持って行く必要がなかったのでとても気楽。
いつも湊さんが全部采配してくれるので、今度、何かお礼をしたいよねって三人で話している。
今日借りた車は、特に違和感なく運転することができた。本当は、車を運転するのが好きなので自分で持っていたいくらいなのだが……。
やはり車は、駐車場代など維持費が結構かかってしまう。でも、簡単にカーシェアリングできるってことがわかったので、たまにこうやって借りるのもいいかもしれない。
弘明寺駅は、車が止まれる場所がないのでちょっと離れた場所に停めて幸知を待つ。スマホを確認すると、まだ待ち合わせ時間にはなっていなかったがすでに着いて待っていますというメッセージが入っていた。
私は、スマホを取り出して幸知に電話をかける。待つことなく、すぐに幸知が電話に出た。
「はい」
「あっ、おはよー。私も着いたんだけど車止められるところがなくて、ちょっと離れた場所に停めたの。案内するから来てもらってもいい?」
「おはようございます。大丈夫です。どっちに向かえばいいですか?」
私は弘明寺駅の風景を思い出して、今いる場所に誘導するにはなんて説明すればわかりやすいか頭に思い浮かべた。
目印になる建物を探して、それを幸知に伝えた。一度、電話を切って幸知が来るのを待つ。あんな説明でわかっただろうかと、心配になるが待つしかない。
フロントガラス越しに、駅方面から歩いてくる人はいないか目を凝らしてずっと見ていた。
すると、幸知らしき人物が当たりをきょろきょろ見回しながら歩いているのを見つける。私は、車から出て声をかけた。
「幸知君、こっちー」
私の声が聞こえたのか、まっすぐに幸知はこちらに走って来る。
「おはようございます」
今日も爽やかな笑顔を振りまく幸知にちょっと臆する。本日の幸知は、ジーパンにTシャツというカジュアルなコーデだ。
やっぱり普通に格好いい。絶対、七菜香がまた煩いよ……。
「すぐに見つけてくれて良かった。さっそく乗ってー」
私は、運転席のドアを開けてすぐに乗り込む。幸知も、助手席側に歩いて行くと躊躇うことなくすぐに乗り込んで来た。
助手席に誰かを乗せるのは初めてではないが……。もしかしたら、男性を乗っけたのは初めてかもしれない。なんかちょっと緊張する。
「車出してもらってすみません。本当なら、俺が格好よく迎えに行きたかったんですが……」
「幸知君も運転できるの?」
「はい。免許は一応持ってます。でも車は持ってないんで……」
「学生だもん、しょうがないよ。私も今日はレンタルなんだー。久しぶりに車運転するからワクワクしてる。では、出発しまーす」
私は、パーキングからドライブにギアを入れ、サイドブレーキを下ろすとアクセルを踏んだ。
本日の目的地は、公園の中にあるバーベキュー場。綺麗な施設で、予約して頼むと食材もコンロも全部用意してくれる。
頼むと火もおこしてくれて、後始末も全部やってくれる有難い場所。今日は好きな物を食べたいから、食材だけは湊さんたちが買って持って来てくれる手はずになっている。
弘明寺駅から、車で一時間ぐらいの場所にある。ドライブだと思えばちょうどいい場所だった。
「いきなりだったけど、今日大丈夫だった? 後で、強引過ぎたかなって心配したんだけど」
私は、隣に座る幸知を伺いながら質問をした。
「全然大丈夫です。家にいてもすることないですし。就職活動は、土日は合同説明会とかだけなので」
幸知が進行方向を見ながら答えてくれた。その後に、何かをゴソゴソと出している。
「これ、買って来たので飲んで下さいね」
幸知が、コンビニの袋からチルドカップに入ったカフェオレを出してくれた。
「わぁーありがとう。嬉しい」
幸知は、ご丁寧にカップに付いていたストローを取って透明の袋から出すと蓋の上から刺してくれた。それを、助手席と運転席の真ん中にあるドリンクホルダーに置いてくれる。
「お菓子も買って来たので、食べたかったら言って下さい」
幸知が、袋から出して私に見せてくれる。ポテトチップスやじゃがりこを買って来てくれたみたいだ。
「ふふふ。なんか旅行に行くみたいだね」
私は楽しくなって笑ってしまう。いつも、助手席側の立場だったのでこんな風にしてもらったのは初めてでちょっとくすぐったい。
「まさか、車で連れて行ってくれるなんて思わなかったのでびっくりでした。こういうの初めてなので新鮮です」
幸知は、ニコニコしていて楽しそうだ。
「そっか、初めてか……。ってか、そもそもなんだけど彼女とか大丈夫?」
私は、根本的なことが抜けていたと自分でもびっくりする。初めて会ったときに、いきなり自分の部屋に連れていってしまったので何となく彼女はいない体で考えていた。
でも、よく考えたらこんなに格好良くていないわけがないような……。
「彼女は、今はいないんで大丈夫です。いたらさすがに、遠慮しますよ」
さらっとそう返事されたけど、今って言った。ってことは、いたのだね……最近までは……。
「そっかそっか。一応言っとくと、私もいないので……。それはわかるか……」
自分で言ってて恥ずかしくなってくる。これでいたら、それはそれで問題だ。
「咲さんもいないんですね。実はちょっと大丈夫なのかな? って心配してたので良かったです」
幸知は、ホッとしたように笑顔でそう答えた。
「今日の集まりはどんな関係なんですか?」
幸知が、疑問を口にする。そう言えば、詳しい説明はしていなかった……。私は、湊さんたちのことをどう説明するべきか迷う。
素直に、合コンで知り合った人だよって言ったら引かれるだろうか……。
「あれ? 聞いちゃいけなかったやつですか?」
私が返答に困っているのを見て幸知が焦っている。
「んーん。別にそんなことないんだけど……。正直に話して引かれないかちょっと心配してた。まっ、いっか。あのね、元々は去年の今頃に合コンで知り合った人なの。付き合うとかはなかったんだけど、仲良くしてくれてイベントによく呼んでくれるの。男性は三人で、私よりも年上の人たちだよ」
反応がちょっと気になるけれど、運転中なので返答を待った。
「咲さんも合コンとか行くんですね」
「あっ、そこ気になっちゃうか」
私は、あははと苦笑いだ。さらーっと流してくれて良かったのだけど……。
「そりゃー彼氏欲しいですから。結婚願望もあるし。幸知くんは、合コンとかする? する必要なさそうだけど……」
最後の方は、もはや独り言みたいになってしまう。
「そうですね……呼ばれることはありますけど。実際に参加したことはないですね。合コンで出会って付き合うって、実際あるんですか?」
素直に合コンで出会ったなんて言わなければ良かったと後悔してくる。だけど、まあこういうのも聞く機会ないならしょうがないか……。
「無いこともないけど、少ないかもね」
「そうなんだ。やる意味あるんですか?」
「しょうがないでしょ。この年になると、待っているだけじゃ出会わないの。きっかけ作りをしてるようなもん!」
私は、ちょっと言葉が強くなってしまった。だってあまりにも、酷いことを言うから。イケメンに、出会いがない辛さはわからないはずだ。
「なんか、すみません……」
「わかったならよろしい。で、女の子の方はあと二人なんだけど、私の大学時代からの友人で七菜香と蘭ね。明るくて煩いのが七菜香で、大人っぽくてクールなのが蘭だから。多分、みたらすぐに分かると思う」
その後も、今日来るメンバーの説明と向かっているバーベキュー場の説明をした。運転中もずっとしゃべっていたので、あっという間の一時間だった。
幸知と会ったのは三回目なのだが、お互いだいぶ慣れたのか遠慮なく話せるようになっている。
年下の男の子と、プライベートで仲良くなるなんて初めてだからとても新鮮だ。お姉さんぶれるのもちょっと楽しい。
バーベキュー場に到着すると、すでに湊さんや七菜香たちは着いていて準備を始めていた。きちんと椅子やテーブルが常設されていて、雨が降ってきても大丈夫なように屋根もきちんと付いている。
グループごとに使うテーブルが10個あって、真ん中には水道施設があり使い勝手がいい配置になっている。七菜香たちは、テーブルに食材などを出していた。
「こんにちはー。遅くなっちゃってごめんなさい」
私の声を聞いたみんなが、顔をこちらに一斉に向けた。
「咲ちゃん久しぶりだねー。こっちも今来たばかりだらか大丈夫だよー」
湊さんが、代表して返事をくれた。七菜香や蘭は、早く話したそうにうずうずしているのがわかる。
「えっと、こちらが初参加の政本幸知くんです。皆さんよろしくお願いします」
私が幸知をみんなに紹介する。すると幸知も「政本幸知です」とぺこりとお辞儀をした。
「えー、何ーめっちゃイケメンじゃーん。七菜香って言いますよろしくねー」
「こら、いきなりそんなことを言わない! 幸知くん、気にしなくて大丈夫だからね。蘭って言いますよろしくね」
蘭が、七菜香を窘めている。幸知の顔をみるとちょっと引いている。怖がらなくて大丈夫だからねーと心の中でつぶやく。
「なんかそれって、いつもイケメンがいないみたいなんだけど。酷くない七菜香ちゃん」
湊さんが、七菜香にツッコミを入れる。
「あははー。年齢層高めなだけでそんなことないですよー」
「あっ、またディスってるし」
七菜香と湊さんが、いつものように楽しそうに言い合っている。この二人は、いつもこんな感じでお互い遠慮がない。これはこれで、仲がいいのだ。
「この二人は放っておいて大丈夫だから、どんどん準備始めよう。ほら咲、野菜切って。焼きそばやるんだって」
蘭が、いつもの感じで場を仕切ってくれる。私は、さっそく手を洗ってから湊さんたちが買って来てくれた野菜たちを切り始めた。
男性たちは、大きな青いクーラーボックスから飲み物を取り出して飲み始めている。運転手以外の人は飲めるので、お酒もたくさん買って来たみたいだ。
コンロにはすでに火が入っていて、湊さんがお肉を焼き始めた。
私は、キャベツ、にんじん、しいたけ、玉ねぎを切る。幸知を見ると七菜香に捕まっていた。余計なことを言っていないか心配だったけれど、楽しそうに会話をしているので大丈夫そうだ。
七菜香は、騒がしい子だけれどちゃんとした大人なのでそこはわきまえている。人見知りなどは一切しないので、幸知が浮かないように上手にみんなに溶け込ませている。
そういうのは、私なんかよりも七菜香の方が上手なのでお任せした。
私は、私ができることをしようと黙々と野菜を切り焼きそばを作る。
「はい、咲ちゃん。どれがいい?」
湊さんが、クーラーボックスから飲み物を持ってきて私に差し出してくれた。オレンジジュースと炭酸飲料とお茶。ちゃんと選ばせてくれるのが、湊さんらしい。
「ありがとうございます。では、お茶をいただきますね」
私は、湊さんからお茶のペットボトルを受け取った。火元にいるからちょっと暑くて、顔が火照っていたのだ。ペットボトルを顔につけると、ひんやりして気持ちがいい。
「ここ暑いよね。あんまり暑いようなら、誰かと交換すればいいから」
「はい。ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
私は、湊さんに笑顔で答える。今日は、湊さん以外にも佐々木さんと倉田さんがいる。二人とも、器用になんでも熟すので言えば変わってくれるだろうが、今は幸知と仲良くなって欲しい。
「ねえ、咲ちゃん。若いって言ってたけど、彼いくつなの? 思ってたより若くてびっくりしたよ」
湊さんが、私に顔を寄せてこそっと訪ねてくる。そんな彼のしぐさに、ちょっとドキッとしてしまう私……。
「あはは。ですよねー。幸知くんは、二十歳です。キラキラしてません?」
私も、ちょっとだけ顔を寄せてこそっと湊さんに答える。すると、湊さんは眉を上げて驚いたリアクションをした。
「二十歳の男の子と、咲ちゃんがどんな出会いをしたのかおじさん気になっちゃうなー」
湊さんが、にやりと冗談交じりに笑った。