探偵と別れた圭一郎(けいいちろう)は、会社に戻る気になれずそのまま帰路についた。一応その旨を秘書に電話したら、怒らずにいたわって運転手をよこしてくれた。
 
 圭一郎の落ち込みようは電話からでも伝わったのだろう、秘書がなんと言ったかは知らないが運転手の早川(はやかわ)はえびす顔を殊更えびすにして迎えにきてくれた。

「旦那様、自信を持って強く生きるんですよ」

 涙ぐみながらそんなことを言われて、一体何を吹き込まれたのか気になったけれども、圭一郎は余計なお喋りはしたくなかった。車内は終始無言のままで屋敷に到着した。

「坊っちゃま、食堂にお越しください」

 玄関に入るなり、執事の富澤(とみざわ)がその大きな顔をずいと近づけて迫った。もの凄い迫力だった。

「いや……悪いけど食欲が……」

「食堂にお越しください!」

「その前に着替えを……」

「いいえ、お食事が先です!」

 いつにない強引さに、拒否する気力もない圭一郎は言われるままに食堂に向かった。
 まだ夕食には早い時間だったけれど、食卓がすっかり整えられていた。
 
 圭一郎が座ると給仕の松尾(まつお)が水を一杯グラスに注ぐ。冷たくてハーブの香りがほのかに漂い、圭一郎は少しリラックスした。

 コック長の長田(おさだ)がメインの皿を運ぶ。圭一郎の目の前にはハンバーグと、白米をよそった腕が並べられた。

「うん?」

 圭一郎は少しの違和感に首を捻る。ハンバーグは圭一郎の好物だ、長田の作ったものなら尚更。何度も食べたので彼の作るハンバーグがどんなものかは知り尽くしている。
 
 だが、今、目の前にあるハンバーグは何かが違った。ソースなどは同じように見えるが、形が少しいびつで端が少し焦げている。

 なんだろう。指摘してもいいのだろうか。
 それとも長田は熱でもあるのか。

 圭一郎が戸惑っていると、富澤が耳打ちする。
 それを聞いて圭一郎は椅子から落ちそうなくらい驚いた。

(もも)が作ったァ!?」

「左様でございます」

 富澤は澄ましているが、圭一郎は途端に挙動不審になって周りを見回した。
 すると厨房の奥、桃がこっそり顔半分だけ出してこちらを窺っているのが見えた。

「……!」

 圭一郎の視線を感じて、サッと身を隠した様のなんと可愛いことよ。

 桃ぉ……

 もしもこの部屋に富澤もコック長や給仕もいなかったら、圭一郎はどうなっていたかわからない。

「さ、坊っちゃま。冷めないうちにお召し上がりください」

「あ、ああ……そうだな!」

 圭一郎は箸でハンバーグを切って口に運んだ。

 うん、肉が固い。おいしい!

 もう一口、食べた。

 うん、玉ねぎがシャキシャキする。おいしい!

 どこを食べても幸せの味だ。圭一郎は涙を堪えながらあっという間に食べ終える。

「もうないのか?」

 するとコック長は困ったような顔で答えた。

「あ、もう材料がございませんので……」

 なるほど。数十個作ったうちの、これが奇跡の一個と言うわけだ。

「残念だ。とても美味しかった。いくらでも食べられそうだったのに」

「何よりでございます」

 長田は一礼した後皿を下げていった。圭一郎はその背中が向かう先に注目する。
 桃はまだ厨房にいるのかな?懸命に首を伸ばして見たけれど、その姿は確認出来なかった。

「坊っちゃま、お部屋にお戻りください」

 富澤がゆったりした声で言う。それで圭一郎には全ての察しがついた。
 桃は部屋で待っていると言うことだろう。

「わかった。ご馳走様」

 そうして圭一郎はスキップ踏んで自室へと戻る。途中の廊下で遭遇した使用人達の奇異な視線をものともせずに。




「もーもぉ!」

 圭一郎が喜び勇んでドアを開けると、桃は少し澄ました顔で一礼した。

「お、お帰りなさいませ」

 あぶねえ。喜びのあまり距離感がおかしくなる所だった。
 圭一郎は急遽ブレーキを踏んで、形だけでも落ち着いて見せた。

「う、うん、ただいま……」

 ハンバーグの件はどう伝えたらいいのだろう。圭一郎は躊躇ってしまった。
 桃も「私が作ったんです」とか言わないし。さりげなく言った方がいいのだろうか。

「お、お食事は……されたんですか」

 見てたくせに! 白々しいな、この子は!
 そうか、照れくさいのか。ならさりげなく言う作戦だな、と圭一郎は桃のその一言で全てを悟る。

「うん。食堂で食べてきた。今日は大好物のハンバーグだったんだが残念なことにお代わりできなくてな」

「あ、あう……」

 桃は視線をキョロキョロさせていた。なんて可愛い反応。お前がさりげなさを望んだんだぞ。

「是非また食べたいものだ。あんな美味しいハンバーグは初めて食べた」

「そ、それは……ようございました」

 桃はこちらに顔を見せずに背広を整えていた。だが耳が真っ赤になっているのが圭一郎にはよく分かった。
 今日は最高の日だ。

 いや待て。最高の日になるかはこれから次第だ。

「桃」

 圭一郎は意を決して桃の背中に語りかけた。

「今日のお使いは、つつがなく済んだか?」