四時近く、再び駅前へ戻った。北極はバスに乗る前までは異様なほどテンションが高かったのに、下りる頃にはなぜかしょぼくれていた。歩みも遅いので寮までなかなか歩き着かない。優斗は牛を牽く牧人のように北極を引っ張った。

「早くしろよ。門限に遅れたらどーすんだ」
「だって……」
「だってじゃねえよ。しっかりしろ!」
「はい……」

 帰りたくないらしい。北極も楽しかったのかと思うと、優斗はそれ以上怒れなかった。

「近所にあるんだから、また遊びに行けばいいだろ」
「えっ! また連れてってくれるんですか!?」

 優斗は苦笑した。自分をフッた相手と何度も遊びに行けるほど、心は強くなかった。

「オレじゃなくて、友達つくって自分で行け。おまえはもっと同学年と仲良くしろよ」
「…………」
「難しいなら、みんなで行けるようにセッティングしてやるから」

 思い返せば、優斗も最初のうち山本にあちこち連れだされた記憶がある。寮長引率・一年生買い物ツアー。初めは幼稚園児の遠足じゃあるまいしと思っていたが、そのうち瀬野が『ポンちゃんって意外とノリいいのなっ』とか言って来て、なんとなくほかの寮生とも会話するようになった。寮友会の役員になったのもそんな経験があるからだ。ひとには内申点のためだと言っているが、与えてもらったものを誰かに返ししたい気持ちが確かにあった。

 北極はとぼとぼと歩き始めたが、やがて「そうですよね」と呟いた。

「センパイはお仕事だから、オレにもこんな優しいんですもんね」
「あ……?」
「他の一年が困ってても、すぐカッコよく助けに行くし……」
「そんなの当たり前だろ。俺は先輩なんだから」
「…………」
「俺は俺の先輩からそうしてもらった。おまえもおまえの後輩にそうしろ。そうしないほうがおかしい」

 二人は歩道橋にいた。背後にはコンビニがあり、正面には寮の西壁が見えた。横に立つ北極の顔は逆光でよく見えなかった。日が落ちる。道沿いの街灯が一斉に灯った。足元の二車線道路を車が忙しなく行き来する。北極の声はエンジン音に紛れてしまいそうなほどか細かった。

「オレだけのセンパイなら良かったのに」

 優斗は聞き違いかと思った。そんなことを北極が言うのは明らかにおかしい。しかし聞き返すより先に目に飛び込んでくるものがあった。西門から寮の中を覗き込んでいる男女の二人組がいる。その出で立ちが見るからに怪しかった。

(なんだ? 観光客?)

 ダークグレーのジャケットにパンツスーツ、しかもサングラス。
 手に持ったアタッシュケースの角が、西日を反射して鈍い光を放っていた。

「えっ!?」

 北極の大声に、その二人はパッと顔を上げた。外したサングラスごと手を振って「(アキ)ちゃーん!」などと呼んでいる。北極は優斗と二人の顔を交互に見て「オレの兄ちゃんと姉ちゃんです」と説明した。

「仕事でこっちに来ることになったから、寄ってみたんだ」
「ギリギリまで黙ってることにしてた」
「そう、驚かそうと思って!」
「それでいざ電話してもアキちゃん全然出ないから」
「心配したよねー」
「いや私はぜんぜん心配してなかったよ! 日曜日だもん、友達と遊びに行くに決まってる」

 北極の兄と姉は双子らしかった。北極によく似たシベリアンハスキー顔で、お互いにお互いの言葉を補い合うような喋り方をするので、優斗は聞いていてめまいを覚えた。こちらをちらちらと伺う目は、北極と同じく薄青かった。北極はなんとなく優斗を肩で庇うようにしながら「スマホ見てなかった。ごめん」と謝った。しかし二人は弟が隠そうとすればするほど優斗のことが気になるらしい。飛びつくのをガマンする犬みたいに、目がわくわくしている。

「ねえ、お友達? ですか?」
「違う。センパイだよ……」
「やっぱり!」
「電話で言ってた子だ!」
「こんにちは!」
「ねえ挨拶してもいい? いいですか?」

 優斗は勢いに流されてうなずいてしまった。北極がしまったという顔になる。

「うわ」

 優斗は初めて挨拶のハグというものを受けた。アイコンタクトをとって肩の上に腕を回す。片側の頬同士を軽く触れさせ、それを反対側でもやる。兄とも姉とも同じようにして離れる。ほんの数秒のハグだ。優斗はどっと疲れたが、二人は嬉しそうだった。

「いやー本当に会えてよかった!」
「ねえ、佐々木さんだっけ? 中に入ったら会えるかな」
「ぬいぐるみの件について、一言言ってやりたいんだ」

 矢継ぎ早に話しかけられて優斗は立ちすくむ。北極は慌てて優斗から二人を引きはがした。

「それはいいよ、本当にやめたほうがいいよ!」
「そう?」
「そうだよ……来てくれたのは嬉しいけど……」
「でも、大丈夫?」
「大丈夫だよ!」

 弟の力強い一言に、兄と姉は顔を見合わせた。言葉なしで意思疎通できるらしい。小さくうなずきあうと「じゃあ帰るよ」とあっさり言った。二人が代わる代わる広げる腕に、北極は自然体で身を任せた。優斗は瞬いた。

(本当に子供の頃からの習慣なんだな)

 祖母はドイツ人だという。北極は日本語と簡単な英語しか喋れない男子高校生だが、容姿と習慣に血筋は残っている。北極家とはまったく無関係なはずの優斗もその余波を受けているのかと思うと、不思議だった。