「ち……」

 わたしはそんなこと考えていなかった。

 じゃあ何故話したの?

 どうせ無駄になるのに。

 一時の安寧を得るための自己満足?

 それとも本当は、あいつらが罰を受けて欲しいと望んでいた?

「…………」

「うん、その様子だときちんと出来たみたいだね、えらいよ」

 褒めてもらっても、ぜんぜん嬉しくない。

「あはっ。いっぱい褒めてあげるよ。だってそっちの方が……」

 夜見坂くんの笑みが、深くなる。

 瞳はより(くら)さを増して、ヘドロのように重苦しい空気が私にまとわりつく。

「嫌でしょ?」

 嫌だと分かっているのに、えらいえらいと言いながら私の頭を撫でてくる。

 やっぱり夜見坂くんは人でなしだった。

「君のおかげでもっともっと死ぬよ、ありがとう」

「……そう」

 興味がないと言えば嘘になるが、先ほど海星さんと別れた私にその話題は苦しかった。

 それこそ夜見坂くんが喜びそうなことなんだろうけど。

 私は早くこの話題を変えようと、新たな話題を探して記憶の底をさらう。

「私が、夜見坂くんの不利になることを話してたらどうするの?」

 結局、こんな話題しか見つからなかった。

 私は夜見坂くんのことはなにも知らない。

 知っていることは、1週間前に転校してきたことと名前くらいだった。

 あとは……人でなしの殺人鬼だということ。

「どうもしないよ。どうせ君は話せない」

 話さないじゃなく、話せない。

 信用ではなく、確信。

 なぜそんな断言ができるのだろう。

「何故って顔をしてるね」

 私の表情が変わったことに気づいたのだろう。

 夜見坂くんは顔を離すと、肩をすくめて得意げな表情を浮かべる。

「僕が君という人間をよく知っているからだよ」

「それって調べたから――」

「そうするまでもないからだよ。君のような人間の事は、自分のことのようによく知っているだけさ」

 なんで夜見坂くんは転校してきたのか。

 その前はいったいどんなところにいたのか。

 なんで私の味方をしてくれるのか。

 今の言葉で少しだけ理解できた気がする。

 夜見坂くんは、壊されたんだ。

 私と同じような経験をして、その結果ぐちゃぐちゃに心を壊されて……止まれなくなった。

 憎くて、憎くて、憎くて。

 人間が。

 クラスが。

 学校が。

 社会が。

 世界が。

 自分をこんな風にした全てが憎くてたまらないからこんな風になってしまったんだ。

 こんな、人殺しの怪物に。

「ああでも」

 ふっと、夜見坂くんの気配が軽薄なものに変わる。

「君の体重は知らないよ」

 余計なお世話だと思う。

 私も最近は怖くて体重計に乗っていないけれど。

「さて、じゃあ教室に行こうか」

「う、うん」

「あの襲い掛かって来た浮気相手ちゃんが居ないのが残念だなぁ」

 面白くなっただろうに、なんてごちる夜見坂くんは、ただ軽いだけの少年に戻っていた。

 夜見坂くんが先頭を歩き、女子トイレの入り口から出ようとしたその時――ドンっと私の胸の中心を強く押され、私はよろめいてトイレの床にしりもちをついてしまう。

 いったいなんで、と思ったのもつかの間、その原因であろう声が聞こえて来た。

「なんだ、お前こんなところに居たのかよ」

 この声は、聞き覚えがある。

 犯人探しをしようとした上良栄治に文句をつけた声だ。

「やあ、君は……えっと、針金くん!」

「誰だそれ」

 声は自分の名前を憶えられていなかったというのに、クククッと笑い声をあげる。

稲次(いなつぎ)浩太(こうた)だよ。変なあだ名付けんな」

「分かった、努力するよ」

 どうやら稲次浩太と夜見坂くんはそこそこに仲がいいらしい。

 こんなに機嫌のいい稲次浩太の声は初めて聴いた気がする。

 いつもクラスでは不機嫌そうで、よく苛立ちを他人にぶつけていた覚えがある。

 私だって何度怒鳴られたか分からないくらいだ。

 でも、なんでだろう。

 なんでふたりはこんなに仲良くなったのだろう。

 気になった私は、物音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、入り口横の壁に背中を張り付ける。

「で、どうかな?」

「どうって何がだよ?」

「聞くまでもないけど、うまくいっているかなって話だよ――」

 きっとわざとだろう。

 夜見坂くんは私が聞いていることを知っている。

 私に教えるために言ったんだ。

 なぜ仲良くしているのか、その答えを。

「君が犯した宮苗瑠璃殺害の罪を、他人に押し付ける工作は、さ」

 くはっと、稲次浩太は笑いをこぼす。

 愉しそうに。

 おかしくてたまらないとでも言うように。

 否定は、しなかった。

「おいおい、こんな場所で言うんじゃねえよ。誰かに聞かれたらどうすんだ」

「そこは確認済みだから大丈夫だよ」

 大丈夫なはずがない。

 こんなこと聞きたくなかった。

 わけがわからない。

 だって、夜見坂くんは言ったはずだ。

 色んな推理を披露して、湯川大陽だとかその浮気相手である中水美衣奈が怪しいと言っていたはずだ。

 だというのにそれらは全て嘘だった。

 ああそうだ。その可能性は考えるべきだった。

 なにせ夜見坂くんは嘘が服を着て歩いている様な存在なのだから。

 本当は最初から犯人を知っていて、意図的にそこからみんなの意識をずらすためにあんな適当なことを言っていたのだ。

「――――っ」

 漏れ出そうになった悲鳴を押し込めるために、私は両手で口を塞ぐ。

 それでも鼓動は高まり続けて耳朶を打ち、肺は無意味であるのにより多くの酸素を欲し始める。

 呼気の音が稲次浩太に聞こえてしまったら、私はなにをされるのだろうか。

 分からない。

 知りたくない。

 だから、バレちゃいけないのに――。

「んっ」

 私は、自分の親指を口の中に突っ込み、思いきり噛みついた。

 奥歯が爪を捻じ曲げ、犬歯が皮膚を裂いて肉にまで突き刺さる。

 鼻には鉄サビの臭いが突き抜け、口の中全体に塩辛い味が広がっていく。

 なによりも慣れ親しんだ激痛が脳の芯を直撃して…………。

「…………ふっ」

 大丈夫。

 音は、稲次浩太にも聞こえるほど大きな音は出していないはず。

 何度も念じることで、呼吸が少しずつ治まっていく。

 パニックに陥りかけた頭も、強い痛みによって少しずつ冷え始める。

 親指はじくじくと痛んだが、辛くも私は私自身の手綱を握ることに成功したのだった。

「で、どうかな?」

「はっ」

 夜見坂くんの再度の問いかけに対して、稲次浩太のものと思しき忍び笑いが聞こえてくる。

「お前のおかげで大成功だよ」

「その割には顔中傷だらけでボロボロだけど?」

「ああ、こんなもん。上良の野郎をボコせたからいいんだよ。てーかアイツ、あの様子だと思い込みだけで湯川をぶち殺しやがったんだろ。マジで笑えてくる」

 殺人犯同士通ずるものでもあるのだろうか。

 上良栄治が湯川大陽を殺したのかどうか、私にはまだ確信がない。

 でも、稲次浩太は上良栄治による殺人を確信している様な言い草だった。

 そこで、気付く。

 夜見坂くんも殺人鬼であったことを。

 彼の推理は確か殺人犯はふたりだった。

 なら、夜見坂くんも直接手を下したという推論も成り立つ。

 夜見坂くんと稲次浩太のふたりが共謀している理由も、それなら頷けた。

「ま、あまり暴れないでくれよ。それで尻尾を出されても困るんだ」

「分かってんよ」

 稲次浩太の声に、不機嫌そうな色が混じる。

「君はその短気が原因であの死体を作り出しちゃったんだからさ」

「分かってるって言ってんだろっ」

 声は潜められていたが、それでも苛立ちは隠せていない。

 稲次浩太は、果たしてここまで切れやすかっただろうか。

 人を殺してしまったことで、その短気な性格に拍車がかかったように思えてならなかった。

「分かっているならいいさ。バレても困るのは君だけだからね」

 夜見坂くんは、まるで私の心が読めているかのような言葉を口にする。

 いや、もしかしたら私に誤解されたくなかったのかもしれない。

 直接は手を下していないと、私には聞こえた。

「さて、それじゃあ次に君がするべき――」

「待て」

 夜見坂くんが口を閉ざすと、シンとした静寂が訪れる。

 物音ひとつ聞こえない。

 誰かが近づいてきたからだと思ったけれど、どうやら違う様だった。

 それならなんで――。

「一応、確認しねえとな。本当に誰も居ないか、よ」

 その一言で、私の心臓が跳ねあがった。