後宮のモブ転生妃による皇帝肉体改造計画

 浩国の右隣に雄力がひょこっと顔を出してきた。

「金賢妃様! 長旅お疲れ様でございました! ぜひぜひ陛下とご一緒してくださいませ!」

 暑苦しい彼の声が耳の鼓膜を揺らしそうになるが、春蘭は不快さを抱く事無くはい! と答える。

「では決まりだな。夕食を取った後、外で雄力からの稽古を受ける」
「最近陛下にやる気が出てきた事は何よりでございますなあ! 将軍の身としても嬉しい限りでございますとも!」

 がはは! と豪快に笑う雄力を浩国はにやっと笑いながら見つめていたのだった。

◇ ◇ ◇

 夕餉には肉を中心とした品々が並んだ。虎楼城の料理人が作ったものという事で春蘭達が作るものとはだいぶ雰囲気が違う。
 しかし肉と言っても主体は鍋料理である。

(料理人の人に浩国の好みを伝えておいてよかった)

 鍋の中にある豚肉は春蘭の指示通り、景色がほんのちょっぴり透けて見えるほど薄く切られており、浩国好みのものに仕上がっている。
 浩国は早速鍋料理から食べていった。

「うん、思ったよりも美味しいじゃないか」

 彼はそのまま、出された品々をむしゃむしゃと食べ進めていった。
 浩国の食事の様子を見ながら、春蘭も自身の分のお膳を頂いていく。

(うん、鍋系はやっぱり身体が温まって良いなあ)

 だが、ここで葉野菜と卵と肉の炒め物を食べていた雄力がん? と声を出す。

「おい、白米はないのか?」
(あ!)

 そう。ご飯が無いのである。そして春蘭と浩国はすっかりその事を頭の中から忘れ去っていたのだ。

(しまった!)

 白米が無い事に対しやや不満げな雄力は料理人になぜ白米が無いのか? と尋ねる。

「実は……もう底が尽きておりまして」
「何かあったのか?」
「馬族との戦闘及び略奪により白米が無くなった要所や集落などへ配った結果、こちらにはもう……」
「そうか。それなら仕方ない。民達が最優先であるからな。しかしながら主食が無いとこちらとしても力がつかぬ……これは困った」

 腕組みをして困った様子を見せる雄力を見た春蘭に、ある考えがよぎる。

「あの! 小麦粉はありますか? 麺を作る用の!」
「金賢妃様?! 小麦粉でございますか?!」
「はい、雄力さん! 白米が無ければ麺を食べればいいじゃない。って事を考えましたが……陛下、どうでしょうか?」
 春蘭と雄力、そして配下の者達や女官達が一斉に浩国へ視線を向けた。

「麺か。わかった。春蘭に任せる」
「陛下、ありがとうございます! という事で鍋の〆はうどんにしたいと思います! なのでまずは皆さん、ごゆっくりとお料理を召し上がってくださいませ……!」

 春蘭は何とかこの場を鎮める事に成功し、急いで自分のお膳を平らげた後、鍋を回収していき厨房へと持っていく。

「すみません、小麦粉と水ください! あと生地混ぜるボール……いや、入れ物も!」

 全ての材料が揃うと、春蘭は茶色い鉢の中に紙袋に入った小麦粉をどさっと入れ、その上からちょっとずつ水を足していく。

(こんな感じかな……? お母さんがほうとう作ってた時はこんな感じだった気がするけど……)

 花音だった頃。彼女の母親や祖母、親戚がたまにほうとう……正確に言えばほうとう風の麺を作っていた。出来上がった麺は鍋の中に入れたりそれこそほうとうにしたりして振舞っていたのである。

(親戚が一堂に揃った時とかよく作ってたような)

 何とか生地が出来上がると、調理台の上に木の板を乗せてそこに小麦粉をぱらぱらとかける。

 木の板の上に生地を置くと、料理人から貰った棒で生地を伸ばしていく。

「よいしょ……よいしょ……」

 ころころと棒を転がしたり、生地をちょっとつまんで取り分けたりして生地を丁度良いくらいの薄さまで広げると、四つ折りにして包丁で切っていく。

(それっぽくなってきた)

 完成した麺を回収していった鍋にそれぞれ入れて、強めの火で大体7分くらい茹でていく。

「うわ、危ない……」

 アクも取りながら煮込みつつ、一本掴んで硬さの確認を行った。

「こんなもんかな」

 麺が茹で上がると火を消して鍋を浩国達の元へと持っていく。

「お待たせいたしました。熱いのでお気を付けください」

 春蘭の言葉に雄力は、思いっきり息を吸う。

「ふむ、良い匂いが致しますなあ……! 陛下、匂いを嗅いでみてください」
「お前がそう言うのなら……うん、良いだしの香りがするな」
「そう仰っていただき光栄でございます。どうぞお召し上がりくださいませ。取り皿もどうぞ」

 白い陶磁器の取り皿も配り終えて着席した春蘭は、熱い蒸気を放つ鍋から麺と余っていた具材を取り皿に入れて冷ます。

(結構冷ましておかないと。これは絶対やけどするやつ)

 しかし雄力は待ちきれなかったのか、取り皿に麺を移すとすぐさま箸で掴んで口の中に入れ始めていく。

「雄力さん?!」

 春蘭は嘘でしょ?! と内心呟きながらも雄力を見る。だが彼は熱さを感じさせずにうまいっ! と麺を咀嚼しながら満足そうに叫んだ。

「いやあっうまいなあっ! もりもり食べれますぞ!」
「雄力さん! 熱くないんですか?!」
「武人ですから、早食いには慣れております! ご心配なく!」

 満面の笑みを浮かべながら料理を平らげていく雄力を、春蘭はぽかんと口を開けながら見つめていたのだった。

「春蘭。早く食べないと冷めてしまうぞ」
「あっ……陛下。失礼しました」

 すっかり冷え切った麺を頬張ると、もちもちとした食感に甘みとだしの優しい味わいが口の中で広がっていく。
(美味しい! 我ながら良い感じの出来かもしれない!)

 春蘭はもくもくと食べ進め、完食した後は少し休憩してから浩国と雄力、兵士達による武術の鍛錬を見学する事にした。

「陛下! 以前よりもきれいな体勢になりましたなあ!」
「うるさい……だが、進歩したというのは良い事だな。体力をつけていかねば……」

 ここで浩国が上着を全て脱ぎ、上半身裸の状態となった。スチルで見せていたような華奢で細い肉体よりも肉厚となり、腹筋も重厚感あふれるようなものと変化している。

(すごい。だいぶ変化してるじゃん! 計画通りっていうか、本人の努力の賜物でもあるよね)
「どうかしたか? 春蘭」
「あっいえ、その……すごく成長されたなって」
「俺自らやる気を出さねば変わるものも変わるまい」

 彼の真面目な部分を目の当たりにした春蘭は、改めて計画がうまく行っているのは自分よりも浩国の努力が大きい事を確認した。

(すごいなあ。まあゲームで良い子なのは知ってたけどここまでやる気になるなんて)

 春蘭の前で浩国は、まるでボクシングのように雄力が持つ黒い革性の緩衝材へ拳で突く攻撃を何度も見せた。

(浩国、かっこいいじゃん)


 すると、春蘭の心臓がどきっと跳ねる。病的なものではないのはすぐに理解できたが、それでもどういう事なのかまでは理解できなかった。
 春蘭の異変に気付く事無く浩国は息を切らし、流れる汗をぬぐう事無く雄力に真っ向勝負を挑んでいる。

「まだまだでございますな! その程度で音を上げられては困ります!」
「なら、これでどうだ!」
「良いですよ良いですよ! その調子でございます!」
「はあっ!」

 息も絶え絶えな浩国の拳が空気を切り裂いていく。その剛健ぶりに春蘭の瞳はいつしか吸い込まれそうになっていた。

(……すごい)

 その後。浩国は這いつくばるようにして夜遅くまで雄力や他の兵士と共に武術の稽古に励んだのである。
 汗にまみれた肉体を春蘭が我慢できずに凝視していると浩国はああ、そうだ。と口を開いた。

「春蘭、俺は今から湯浴みをする。背中を流してくれないか?」
「え」




 浩国の背中を流す事は即ち、彼の入浴……もとい裸の彼を見るという事になる。
 全てを理解した春蘭はいやいやいや! と顔を赤くさせながら両手を左右に振り続けた。

「ダメか?」
「えっとその……いやという訳では無いのですけれど」
「なら決まりだな」

 強引だな! と胸の中で悪態をつくも、春蘭に嫌という気分は無かったので、致し方なく彼の入浴に同行したのだった。
 浩国が乱雑に衣服を脱ぐ間、春蘭は顔を両手で覆う。

(くっそ恥ずかしい! 恥ずかしすぎて死にそう! いや死にたくないけどさ!)
「春蘭――。背中に湯をかけてくれ!」

 いつの間にか浴室に移動し、かけ湯をした浩国は小さな椅子に腰掛けて下腹部から太ももの辺りに厚手の手ぬぐいをかけ、春蘭にスチルよりもごつごつした背中を見せていた。春蘭は白い薄手の衣服に手早く着替えて浩国の元へと向かう。

(変わったな……)

 彼の背中をまじまじと見つめながら、木桶に湯を入れて彼の背中にゆっくりと掛ける。
 その間、浩国はもうひとつの手ぬぐいを湯で濡らし、石鹸を泡立てていた。

「頼む」

 浩国が振り返る事無く手ぬぐいを春蘭に渡した。受け取った春蘭は手ぬぐいを右手に持ち替え、浩国の右肩甲骨付近からぐっぐっと、擦る手前付近の力加減で洗っていく。
 
「痒い所はございませんか――?」

 美容師の真似事をするように春蘭は作り笑いを浮かべながら浩国に声をかけた。

「大丈夫だ」
(そっかあ……)
「か、かしこまりました。陛下……」
「……俺はまだまだのようだな」

 浩国の言葉に春蘭はいかがされました? と問う。

「さっきの鍛錬でも、途中で息が上がっていただろう。以前よりかは見違えるほど息が持続するようになったが、それでも雄力と比べたらすぐに……」

 拳を握りしめながら語る浩国の声音には、悔しさが滲み出ていた。

 ――そなたと俺は身体の作りが違う。それに身体を動かすと息が切れる。

 彼が以前語っていた言葉が春蘭の脳裏にぼんやりと浮かんだ。

(多分食生活を変えた事で貧血みたいなのは改善してるのかもしれない。となると、あとは……スタミナをつける事。それなら……)
「陛下。良い案がございます」

 春蘭は言い終わるのと同時に浩国の背中を拭い終え、浴槽からお湯を木桶で掬って彼の背中に駆けていく。

「なんだ?」
「走り込みしませんか?」
「走り込みだと?」
 走り込みは春蘭もとい花音の専売特許である。彼女が打ち込んできた走り込みには、毎日朝早くに起床してランニングしたり、スパートを掛ける練習として短い距離を全力ダッシュしたりといくつかの種類があるのだ。

(私がやってきた走り込みを浩国に伝えよう)

 春蘭は走り込みについて浩国に身振り手振りを交えながら伝えると、浩国は振り向きながらふむふむ。と首を縦に振った。

「やはり走り込みにはなるのか……」
「……苦手でございますか?」
「あまり良い印象は湧かんな」
(やっぱりそうなるか……)

 同級生が体育の授業で行われる持久走を嫌がっていた記憶を思い出した春蘭はわかるわあ……。と感じつつも浩国へ優しい視線を向けた。

「最初はあまり走れなくてもいいんです。徐々に慣らしていけば大丈夫ですから」
「……確かに春蘭の言う通りだな」

 浩国は春蘭から木桶を受け取り、浴槽の湯をバシャッと頭から被ると、下腹部を覆う手ぬぐいを腰に巻いて浴槽に入った。

「もう帰っていいぞ。助かった」
「いえ。満足いただけて何よりでございます」