バラードを二曲カバーしたあと、少し休憩をしてからオリジナル曲を弾き語りした。
ふと時計を見ると、二十分経っていた。
わたしには、この二十分がちょうどいい。それ以上は長く歌えない事情がある。
立ち上がって聴いてくれた人たちに深く一礼し、わたしは「本日は、ありがとうございました」と感謝を伝えた。
「最高ー!めっちゃ良かったー!」
悠がそう言って拍手をすると、立ち止まって聴いてくれた人たちもあたたかく拍手をくれた。
こんなふうに大好きな音楽をやれて嬉しい。これもいつまでやれることやら、そんなことを考えながらギターを、ギターケースに片付けていると、悠が「今日も良かったよ、お疲れ様」と自販機で買った水を持ってきてくれた。
「ありがとう」とお礼をして、わたしは受け取ったペットボトルの蓋を開けて水を一口飲む。
すると、ひんやり冷たくてカラカラだった喉が一気に潤った。
「どう?喉は大丈夫?」と、悠がわたしを気遣う。
「うん。今日はけっこう調子良いみたい」
「そっか。それなら良かった」
やけに安心した表情をして悠がにこっと微笑んだ。
そして「今日も神社寄ってこうぜ」と、いつもの笑顔でわたしを誘った。
桜舞公園から少し歩くと神社がある。弾き語りのあと、わたしたちはいつも神社でおしゃべりをしてから帰るのだ。
「うん」
わたしは返事をしてから、ギターと鞄を持って立ち上がる。
すると同時に悠の手が伸びてきて、わたしの鞄を持っていった。
「俺が持つわ」
「わたしなんかに気を遣わなくっていいって」
鞄を奪い返そうとすると、悠はひょいっと鞄を反対方向の腕に持ち替えて、わたしから遠ざける。
うーっと、わたしが睨むと、悠が「じゃあ、ギターのほうを俺が持とうか?」とにししっと微笑む。
「ギターはいやっ!自分で持つもん」
「知ってる知ってる」
悠がわたしのことをわかったふうに、にやにやしているので「だって悠に持たすと壊しそうだし」と言って、わたしはお返しにベーっと舌を出す。
「うっわ。ひどー」と言って悠もベーっと舌を出してから、神社のほうに歩き出した。わたしはその彼のとなりを歩く。
「だって、悠っていろいろと雑じゃん」
本当はそんなことない。悠はわたしの物なら、自分の物以上に大切に扱ってくれることを知っている。
彼が最初からギターを持たなかったのも、ギターはわたしが自分で持ちたいということを知っていて、わたしの気持ちを尊重してくれているのだ。
こうやっていろいろ考えていると、ありがとう、と面と向かって伝えるのがなんかちょっと恥ずかしいときがある。
素直な悠のように、わたしもいつでも自分の気持ちをすっと伝えられたらいいのに。
自分のこういう素直になれないところが、本当はあまり好きではない。
わたしと悠の家は、桜舞公園から徒歩五分ほどのS区内。
わたしは実家暮らしだが、悠の実家はとなりの県のK市だ。
彼は高校を卒業して保育士専門学校に入学したタイミングで、名古屋市のS区にあるアパートでひとり暮らしを始めた。
なので、わたしたちの家は歩いて行けるほど近く、一緒に帰るときはいつも悠がわたしを家まで送ってくれる。
神社に着くと、入り口の石段にふたりで座った。
「あー、晴。空、見て。今日も月が綺麗だね」
悠がとなりで夜空を見上げて言った。
夏目漱石は、I Love youの和訳を「愛している」ではなく、「月が綺麗ですね」とロマンチックに訳したという有名な話がある。
もちろん悠がそんなことを知っているわけがない。そもそも、月が出るまで彼がわたしのとなりで愛をささやくことを我慢できるわけないか。
そう思うとロマンチックのかけらもなくて、でも、それが悠らしくてふふっと笑いが洩れる。
わたしも夜空を見上げると、雲間から笑っているかのような三日月と、きらきらと輝く星が見えた。
ふと夜空から目を落としたとき、月明かりに照らされた淡い青紫色の紫陽花が、石段の周りに何個も咲いていることにわたしは気がつく。
神社の雰囲気も相まって、とても幻想的だ。
「昔じいちゃんが、わしが死んだら星になって悠を空から見とるからなって言ってたの思い出した」
悠が夜空を見つめて静かな声で、思い出を引き出しから取り出すようにそう呟いた。
「空から絶対見てるよ」と、わたしは彼の肩に自分の頭をぽんと置いて呟く。
「そういうもんかねー」
「だって、悠ってほっとけないじゃん。能天気だし、すぐ忘れるし、遅刻するし、やること遅いし」
「あー、そういうこと!?だから見てるんだ」
悠がそう言って苦笑を浮かべた。
「そうだよ。きっとおじいちゃんもあの三日月みたいに笑ってるよ」
わたしのその言葉に、悠は半笑いしてこう言った。
「ていうか、死んだら魂は空に行くの?なんで?って思う。そんなわけないだろ」
なんだか、その言葉にむっとしてしまい「わたしは悠のおじいちゃんと一緒でそう思ってるの。いいじゃん。なんか見守られてるみたいで」と返した。
「なんだそりゃ。じゃあさ、晴は天国とか地獄とかもあるって思ってるの?」
悠は少し呆れた顔をしている。
「あったらいいなって思ってる。だってそのほうがお別れしてしまった人たちと、それで終わりじゃないって寂しくない気がするんだもん」
わたしは真剣に話しているのに、悠は「ふーん」と興味なさそうに相槌を打つ。
次に「そういえば話変わるけど、ちょっと小腹すかね?」と、悠が話を変えた。
「うん、そうだね」
わたしがそう答えると、悠が自分の鞄から保冷バッグを取り出す。
ずいぶん、らしくないものを持ってるなと見ていたら、中からもっと彼に似合わないものが出てきた。
それは『オーガニック人参ジュース』と書かれたパックのジュースだ。
「はい。晴のぶんもあるからあげる」
わたしは悠から人参ジュースを受け取ると、「ありがとう。でも、どうしたの?急に健康志向に目覚めたの?」と不思議に思って訊いた。
「まあね。ひとり暮らしだし」
「ふーん、だったらジュースじゃなくて、ちゃんと野菜食べたほうがいいよ。悠はすぐ料理をサボろうとするんだから」
もらった人参ジュースを飲むと、甘い人参の味が口の中に広がる。
「これ美味しい」
「だろー。また買っとくから飲もうぜ」
悠は嬉しそうに微笑んだ。
人参ジュースを飲んだあと、ふたりでお参りするために石段を登った。
悠がさっさと賽銭箱の方に行ってしまうので、「神社に入ったら手水舎でちゃんと手を清めるの。鳥居はお辞儀して。神様の通る道だから端っこ歩くの」と、わたしはまじめに参拝作法をやらない彼を注意する。
「はいはい。わかったわかった」と、悠は口ばっかり。
これも、いつものやりとりだ。
ふたりで賽銭箱に十円玉を入れて手を合わせる。
(神様、いつも石段を使わせてくれてありがとうございます。悠やわたしの大切な人たちみんなが健康でずっと幸せでいられますように)
わたしが願い事を終えて顔を上げると、悠はもう願い事を済ませていた。というより彼は元々神様をまったく信じていない。
そういうところは、つまらないやつだと思うのだけど、それには彼なりの理由がある。
でも、そんな神様を信じてない、悠が唯一、いつも決まってお願いすることがある。
「今日も晴の健康と幸せだけお願いしといた。俺、他に願いなんてなにもないし。帰ろっか」
そう言って手を差し出してくれたので、わたしはその手を握った。
とても、あたたかい手。
悠は手が大きいほうじゃないけれど、わたしは手が小さいのでちょうど包まれているような感じで、繋いでいるとなんだか安心する。
わたしも悠の幸せを祈りつづけている。もちろん本人には言わないけど。
「げ、雨降ってきたね」と、悠が手のひらを広げて空を見上げた。
「あ、本当だ」
ぽつぽつと冷たい雨が降ってきたことに、わたしは彼に言われてから気がついた。
「とりあえず、そこの木の下に避難しようぜ」
「うん」
わたしたちは神社の木の下で雨宿りすることにした。
「もうすぐ、うめあめだもんなー」
あまりにもさらっとそう言った悠に、わたしは一瞬ぽかんとしたが、それが冗談ではなくまちがえているのだと気がつく。
「それを言うなら梅雨ね。つ、ゆ!梅に雨と漢字で書いて梅雨と読むんだよ」
「えー、まじっ?つゆって言葉は聞いたことあったわ」
「ちょっと信じられないんだけど。もう大人なんだから気をつけてよね。恥ずかしいなぁ」
「ごめんごめん」と言ったものの、悠は気してなさそうに笑っている、わたしはそんな彼に呆れてしまう。
勉強ができるほうではなかったと本人から聞いていたけど、梅雨の読み方を知らなかったのはびっくりだ。
いや、これは一般常識か。
こういうところも悠らしいと言えば悠らしい。
でも、いつか彼自身が困ってしまうので、わたしは、なんとかしなくてはと密かに思っている。
さっきまで輝いていた三日月や星は、すっかり雨雲で隠れてしまった。
雨が弱まるかと期待をして、数分待っていたけれど、どうやら強くなるばかりだ。
大きい雨粒が振り込むので、この木の下もそろそろいられなくなってきた。
そのとき、わたしは日傘用の折り畳み傘が鞄に入っていることを思い出した。
「悠、わたし折り畳み傘持ってた」
「お、ラッキー。じゃあ歩いて晴んちすぐだし。もう行こうぜ」
わたしが相合傘をしようとすると、悠が「小さい傘だから、ふたりで入ると晴や大切なギターが濡れちゃうだろ。晴が使ってよ。俺、濡れるの気になんねーし」と言った。
「どうせギターは濡れるよ。でもケースに入ってるから大丈夫」
「じゃあ、晴が濡れるからいいや」
こういうとき、悠は自分の意見を曲げない頑固なところがある。
わたしの心配をしてくれているのだろうけど、わたしだって悠が心配だ。いい加減その気持ちにも気づいてほしい。
「じゃあ、ここで解散しよ。悠なら走れば五分もかからずに自分ちに着くでしょ」
「えー、送ってくよ。俺、濡れるの気になんないって言ってるじゃん」
「悠のわからず屋っ。じゃあ、わたしも傘ささない。濡れて帰るから」
そう言って、わたしがむっとした顔をすると、悠が慌てて「わかったわかった。ごめん。ふたりで相合傘して帰ろう」と折れて言った。
「晴はそんなに俺と相合傘して帰りたかったのかー。そんなに俺のことが好きなんだねー」
となりで、悠がにやにやして言ってくるので、「はいはい。そうそう」とあしらう。
小さい折り畳み傘なので、わたしたちは体を寄せ合わせ、それでも肩は半分以上濡れながら帰った。