車を発進させた望月さんは、再びサングラスをかける。
「西日はキツイなあ」
「まぶしいですね」
この後、太陽に向かってひたすら車を走らせることになる辛い時間が続く。
「そうだ、雨宮さん、夜も大丈夫?」
ふいに夜のお誘いを受けて、「大丈夫ですよ」と余裕をもって返事をした。
理絵ちゃんのおかげで何とかなりましたから、と心の中で付け足す。
「よかった。
この後イタリアンのお店にご飯食べに行ってから、レインボーブリッジとか東京の夜景を見よう」
「今回は秘密にしないんですね」
「まあね。
どうせ勘のいい誰かさんには、バレるから」
そう言いつつ、左手で私の右手を握る。
「いい気づきだと思いますよ」
したり顔で私は答えた。
今日一日でだいぶ望月さんとのスキンシップには慣れた。
何とか一日が終わるまで心臓が持ちそうだとひと安心する。
でも、こんな日も今日だけなんだと思うと、ぐっと胃の奥が痛くなる。
時が経てば自動的に終わってしまう。
あと数時間でシンデレラの魔法は解けてしまうのだ。
私は、一秒でも多く見ていようと、運転する望月さんの横顔を、本人に気づかれないようそっと見つめる。
西日に照らされる鼻筋から顎のラインが、この世のものとは思えないくらい完璧な輪郭で、それをこんな間近なところから眺めることのできる幸せに感謝した。
徐々に陽が沈んでいき、西日もまぶしくなくなったころ、空が水色からピンク色、そして紫色にかけての繊細なグラデーションを描いていた。
ちょうど車は、海の上に差しかかかっていた。
三百六十度すべての景色がそのグラデーションに覆われ、自分の今いる場所は楽園かと見まがうほどだった。
「わあ、綺麗な夕焼け……」
「ほんとだ」
サングラスを外しながら望月さんも言う。
彼が車を少し減速させる。
普段は夕焼けなんて気にしたことがなかった。
こんなに綺麗で、こんなに切ないものだったなんて。
生まれて間もない赤ん坊でも黄昏泣きをする理由がよく分かる。
このノスタルジックな感情は理屈じゃないのだ。
私は、今日望月さんの横で眺めたこの夕焼けの色を一生忘れない。
「夕焼けの色が綺麗だから、写真撮ってもいいですか?」
「どうぞ。ついでに俺も撮って」
「ついでの意味が分かりません」
笑ってそう言いながらも、夕焼けと、夕焼けをバックに運転する望月さんの横顔の写真をスマホで撮った。
この写真は永久保存しよう。
「この空の色だったら、ご飯に行くよりも先にレインボーブリッジを見に行った方がいいかもね。
予定を変更しようか」
彼はそう言って、予約していたイタリアンのお店に電話をし、時間を変更する。
望月さんのスマホと車内のスピーカーはブルートゥースで接続されていて、ハンズフリーで通話する。
こちらのマイクは車内全体の音を拾うので、物音を立てないよう緊張しながら身体を固くした。
レインボーブリッジが良く見える公園の駐車場に到着する。
園内に入ると、この黄昏時(マジックアワーと言うのだそうだ)の景色をカメラに収めようとする写真愛好家や美しい景色を一目見ようとやって来た恋人たちであふれていた。
人が多いのはさておき、恋人たちが多いことに気後れしてしまい、私は再び重い足取りになる。
「どうしたの?」
「いえ、人が多くて」
「また気になる?
大丈夫だよ。
ここは、みんな自分の世界に入っている人ばかりだから」
望月さんは恋人の多さに臆することなく、私の手を繋ぎ、手慣れた様子でどんどん歩みを進める。
やっぱりこういう場所に来慣れているんだろうなと冷静に考えながら、彼の後ろをついていった。
展望デッキに辿り着く。
たくさんの人が手すりのところにずらりと横一列に並んでいた。
私たちも並んでいる人たちの隙間を埋めるように手すりに近づき、横に並ぶ。
潮の香りがして風がそよいでいる。
日中よりは多少暑さは和らいだが、それでも熱風なのは変わらず、むわりとした暑さが押し寄せてくる。
海の向こう岸は東京のビル街が並び、そのライティングがキラキラ煌めいていた。
レインボーブリッジは水色から紫色にかけてのグラデーションの中に圧倒的な存在感で浮かび上がっている。
遠くに赤オレンジ色の東京タワーも見えていた。
「綺麗ですね」
再びスマホを取り出し、その景色を写真に撮った。
しばらく二人で黙ったまま、マジックアワーの空と人工物の織り成すベストバランスの景色を眺める。
隣で望月さんが落ち着かない素振りを見せていた。
「雨宮さん」
「はい」
「こないだ会ったとき一緒にいた男の子は、彼氏じゃないんだよね?」
突然あの花火大会の日の話をされ、軽く混乱しながら、「違いますよ!」と全力で否定した。
「あの、じゃあ」
望月さんが私に向き直り、手を伸ばして手すりにもたれかかっていた私の身体の向きをそっと変える。
彼の顔を見上げた。
望月さんが真剣な目をしてこちらを見ていたので、つられて私も真顔になる。
「俺と付き合ってください」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
目の前の景色も、音も、すべてがスローモーションのように感じた。
「はい」
聞き返すのは良くない気がして、ぼんやり聞こえた言葉を頼りに返事をする。
ああ、衝撃的な瞬間って、嬉しいときもそうでないときも、記憶が曖昧になるんだなと頭の片隅で考えた。
次の瞬間、望月さんに強い力でぎゅっと抱きしめられた。
彼のとんでもなくいい香りに包まれて何も考えられなくなる。
身体から力が抜けて、危うくハンドバッグを落としそうになった。
「ありがとう」
彼が耳元で囁いた。
くすぐったい感情が内側からあふれてくる。
優しい瞳で見つめられながら、ゆっくり頭を撫でられる。
望月さんのはにかむような表情がたまらなく可愛くて、女として負けたなと思うけど悔しくはなかった。
もとより自分も、一体今どんな顔をしているのかまったく分からない。
顔じゅうの筋肉が緩んでいるのかもしれない。
「車に戻ろっか」
再び手を繋がれる。
来たときとは違い、指と指が絡むような繋ぎ方に変わっていた。
望月さんと付き合うことになったことを実感する。
駐車場に向かう途中でマジックアワーは終わりを迎え、世界が深い青に包まれていくその様子を歩きながら目撃する。
空の低い位置で、大きくて赤い月が笑っていた。
「西日はキツイなあ」
「まぶしいですね」
この後、太陽に向かってひたすら車を走らせることになる辛い時間が続く。
「そうだ、雨宮さん、夜も大丈夫?」
ふいに夜のお誘いを受けて、「大丈夫ですよ」と余裕をもって返事をした。
理絵ちゃんのおかげで何とかなりましたから、と心の中で付け足す。
「よかった。
この後イタリアンのお店にご飯食べに行ってから、レインボーブリッジとか東京の夜景を見よう」
「今回は秘密にしないんですね」
「まあね。
どうせ勘のいい誰かさんには、バレるから」
そう言いつつ、左手で私の右手を握る。
「いい気づきだと思いますよ」
したり顔で私は答えた。
今日一日でだいぶ望月さんとのスキンシップには慣れた。
何とか一日が終わるまで心臓が持ちそうだとひと安心する。
でも、こんな日も今日だけなんだと思うと、ぐっと胃の奥が痛くなる。
時が経てば自動的に終わってしまう。
あと数時間でシンデレラの魔法は解けてしまうのだ。
私は、一秒でも多く見ていようと、運転する望月さんの横顔を、本人に気づかれないようそっと見つめる。
西日に照らされる鼻筋から顎のラインが、この世のものとは思えないくらい完璧な輪郭で、それをこんな間近なところから眺めることのできる幸せに感謝した。
徐々に陽が沈んでいき、西日もまぶしくなくなったころ、空が水色からピンク色、そして紫色にかけての繊細なグラデーションを描いていた。
ちょうど車は、海の上に差しかかかっていた。
三百六十度すべての景色がそのグラデーションに覆われ、自分の今いる場所は楽園かと見まがうほどだった。
「わあ、綺麗な夕焼け……」
「ほんとだ」
サングラスを外しながら望月さんも言う。
彼が車を少し減速させる。
普段は夕焼けなんて気にしたことがなかった。
こんなに綺麗で、こんなに切ないものだったなんて。
生まれて間もない赤ん坊でも黄昏泣きをする理由がよく分かる。
このノスタルジックな感情は理屈じゃないのだ。
私は、今日望月さんの横で眺めたこの夕焼けの色を一生忘れない。
「夕焼けの色が綺麗だから、写真撮ってもいいですか?」
「どうぞ。ついでに俺も撮って」
「ついでの意味が分かりません」
笑ってそう言いながらも、夕焼けと、夕焼けをバックに運転する望月さんの横顔の写真をスマホで撮った。
この写真は永久保存しよう。
「この空の色だったら、ご飯に行くよりも先にレインボーブリッジを見に行った方がいいかもね。
予定を変更しようか」
彼はそう言って、予約していたイタリアンのお店に電話をし、時間を変更する。
望月さんのスマホと車内のスピーカーはブルートゥースで接続されていて、ハンズフリーで通話する。
こちらのマイクは車内全体の音を拾うので、物音を立てないよう緊張しながら身体を固くした。
レインボーブリッジが良く見える公園の駐車場に到着する。
園内に入ると、この黄昏時(マジックアワーと言うのだそうだ)の景色をカメラに収めようとする写真愛好家や美しい景色を一目見ようとやって来た恋人たちであふれていた。
人が多いのはさておき、恋人たちが多いことに気後れしてしまい、私は再び重い足取りになる。
「どうしたの?」
「いえ、人が多くて」
「また気になる?
大丈夫だよ。
ここは、みんな自分の世界に入っている人ばかりだから」
望月さんは恋人の多さに臆することなく、私の手を繋ぎ、手慣れた様子でどんどん歩みを進める。
やっぱりこういう場所に来慣れているんだろうなと冷静に考えながら、彼の後ろをついていった。
展望デッキに辿り着く。
たくさんの人が手すりのところにずらりと横一列に並んでいた。
私たちも並んでいる人たちの隙間を埋めるように手すりに近づき、横に並ぶ。
潮の香りがして風がそよいでいる。
日中よりは多少暑さは和らいだが、それでも熱風なのは変わらず、むわりとした暑さが押し寄せてくる。
海の向こう岸は東京のビル街が並び、そのライティングがキラキラ煌めいていた。
レインボーブリッジは水色から紫色にかけてのグラデーションの中に圧倒的な存在感で浮かび上がっている。
遠くに赤オレンジ色の東京タワーも見えていた。
「綺麗ですね」
再びスマホを取り出し、その景色を写真に撮った。
しばらく二人で黙ったまま、マジックアワーの空と人工物の織り成すベストバランスの景色を眺める。
隣で望月さんが落ち着かない素振りを見せていた。
「雨宮さん」
「はい」
「こないだ会ったとき一緒にいた男の子は、彼氏じゃないんだよね?」
突然あの花火大会の日の話をされ、軽く混乱しながら、「違いますよ!」と全力で否定した。
「あの、じゃあ」
望月さんが私に向き直り、手を伸ばして手すりにもたれかかっていた私の身体の向きをそっと変える。
彼の顔を見上げた。
望月さんが真剣な目をしてこちらを見ていたので、つられて私も真顔になる。
「俺と付き合ってください」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
目の前の景色も、音も、すべてがスローモーションのように感じた。
「はい」
聞き返すのは良くない気がして、ぼんやり聞こえた言葉を頼りに返事をする。
ああ、衝撃的な瞬間って、嬉しいときもそうでないときも、記憶が曖昧になるんだなと頭の片隅で考えた。
次の瞬間、望月さんに強い力でぎゅっと抱きしめられた。
彼のとんでもなくいい香りに包まれて何も考えられなくなる。
身体から力が抜けて、危うくハンドバッグを落としそうになった。
「ありがとう」
彼が耳元で囁いた。
くすぐったい感情が内側からあふれてくる。
優しい瞳で見つめられながら、ゆっくり頭を撫でられる。
望月さんのはにかむような表情がたまらなく可愛くて、女として負けたなと思うけど悔しくはなかった。
もとより自分も、一体今どんな顔をしているのかまったく分からない。
顔じゅうの筋肉が緩んでいるのかもしれない。
「車に戻ろっか」
再び手を繋がれる。
来たときとは違い、指と指が絡むような繋ぎ方に変わっていた。
望月さんと付き合うことになったことを実感する。
駐車場に向かう途中でマジックアワーは終わりを迎え、世界が深い青に包まれていくその様子を歩きながら目撃する。
空の低い位置で、大きくて赤い月が笑っていた。