**無職58日目(10月28日)**
心太朗は、久しぶりに姉の家族が帰ってくるという知らせを聞いて、内心で小さな喜びを抱いていた。姉は15年以上前に遠くへ嫁いで以来、年に一度か二度しか会わない。お盆や年末年始の慌ただしい時期に合わせて帰ってくるが、仕事に追われていた時代には、帰宅後の夜遅くにほんの数分しか会えなかった。だが、今は無職。日々の時間は無限に広がっていて、姉の帰省を心待ちにする気持ちは、少し懐かしいものでもあった。
澄麗と一緒に実家に向かうと、久しぶりに見た姉は相変わらずの元気な笑顔で、澄麗のお腹を見て「うふふ」と嬉しそうにしている。心太朗はその様子を見て、思わず微笑んだ。「こりゃまた色々と聞かれるな…」と、少々覚悟を決めたのは言うまでもない。
中学三年生の甥は、昼間に都心で食べ歩きを満喫していたらしく、今はぐっすり眠っているという。心太朗が甥を幼いころ、遊園地や動物園に連れて行ったことを思い出すと、ちょっとした懐かしさがこみ上げてくる。しかし、甥の身長は185センチに達しており、心太朗の180センチを軽く越えてしまった。甥が登場した瞬間、心太朗は「こいつ、マジでデカくなったな」と驚きの声を上げそうになったが、結局言葉にはしなかった。
甥は声変わりしていて、挨拶も軽く済ませると、スマホを手に持ってソファに直行。昔は「コタローおじちゃん!」と懐いていたあどけない少年は、今やただの「無口の青年」と化している。心太朗は、「ああ、俺も15歳の時はこんな感じだったな」と少し寂しい気持ちになる一方で、甥が成長するのを見守るのは嬉しいことでもある。ちょっとした寂しさを抱きながら、甥を無言で見守る心太朗だった。
夕食の席では、案の定、姉が「子供の名前はもう決めてるの?」と質問攻めを開始。実は心太朗と澄麗はすでに名前を決めていたが、その名はここでは秘密にすることにしていた。なぜなら、父が「産まれるまで楽しみにしておきたい」と言っていたからだ。「ロマンチストな親父だな」と心太朗は思いながらも、「後で言うからさ」と流しておくことにした。
が、母と姉は勝手に憶測を飛ばし始め、「キラキラネームは嫌だ」「読みやすい名前がいいよ」「やっぱり『ケンジ』とか『ケイイチ』みたいな素朴な名前がいいね」と口々に言う。心太朗と澄麗は、目を合わせて吹き出しそうになり、思わず笑ってしまった。「こうして名前の話題が続くと、なんだかオーディションみたいだな」と心太朗は思う。
食事が終わり、実家に帰りつくと、父がキッチンでひとり酒を傾けていた。姉が静かに「で、名前は?」と再び問いかけると、心太朗はついに口を開いた。「健一…だよ」と。
驚く姉と母。「今どきそんな古風な名前?」「今時あんまりいないんじゃない?」と意外そうな表情を浮かべるが、心太朗と澄麗にとっては、他にないぴったりの名前なのだ。この名前は澄麗が提案したもので、「健康第一」という、これ以上ないくらいシンプルな理由がある。いくつか候補はあったが、彼女がこの理由で自信満々に笑っていたのを見て、心太朗は自然と「これだな」と思った。
秘密の名前を知った姉は、「次に会う時は健一くんもいるのね」と微笑む。甥には受験頑張れよと軽く励まし、家族の別れを告げる心太朗。「次は健一と一緒に遊んでくれよな」と甥と約束し、実家を後にした。
その帰り道、心太朗はふと、愛おしい未来の一コマを思い描いていた。心太朗の心の中には、次の出会いへの期待と、少しの緊張感が渦巻いていた。次回会う時、甥は健一をどう思うのだろうか。それを考えると、心太朗の心はちょっと温かくなった。
こうして、心太朗の家族との夕食は、懐かしさと新たな期待が交錯する、心温まる一夜となったのだった。次は健一も一緒に、きっと楽しい時間を過ごすことができるだろう。心太朗は、「いい名前を付けたな」とニヤリと笑い、明るい未来を思い描きながら帰路についた。