「コンテストテンペスト」自体が色々な歌い手にカバーされる有名曲であるせいか、早速先日投稿した動画は僕史上最高記録の120ほどの再生回数を叩き出した。
3桁なんて初めてなので、目にした時僕は思わず、「おおッ」なんて言ってしまったんだけれど、その報告をしてもナギは全く喜んでいない。
「何だよその数字。しょぼすぎだろ。シャリンバイだぞ? しかも、コンテストテンペスト。せめて500くらい行くもんじゃねーの、フツー」
フツーじゃなくて悪かったね、と悪態をつく代わりに黙ってにらみ返すと、ナギは一層苛立った感じで僕をにらみ返す。
僕のバイト前、夕方のファミレスでミーティングと称してナギと顔を合わせたのだけれど、正直、ハラスメントをするおじさんような、ナギの横柄な態度が腹立たしくて仕方ない。なんで彼はこんなに自信たっぷりなんだろうか?
でも、僕がそれに対して何か意見できるなら、きっともっと早く歌うことを再開させていただろうし、もしかしたらあの時をきっかけにやめることもなかったかもしれない。要するに、ただ言われるがままになっていたのだ。
「なあ、聞いてる?」
「……聞いてるよ、一応」
ささやかな反論として、「一応」なんて言ってみたのだけれど、ナギには全く聞こえていなかったのか、「聞いてるならリアクションしろよな」と言っただけで、またひとりギターの話を始める。
ナギはデビットボウイとかレッド・ツェッペリンとかも聴くし、場合によってはパンテラなんかも聴いたりするという。雑食なの? と、さっき言ったら、「多才だと言えよな」と、ムッとされてしまった。
「ナギってさ、落ち込んだりするの?」
あまりに自分に良いように物事を解釈していくので、少しイライラしながらそう言ってやると、ナギは食べかけていたポテトを摘まむ手を停め、僕をまたにらむ。
「お前さ、俺を何だと思ってんだよ?」
やばい、人でなしみたいに言っていると思われただろうか。確かにいまの言い方はそう取られても仕方ないだろう。なにより、いくらポジティブな陽キャのナギとは言え、先日脱退させられたところを目撃していたのだから、それは言わずもがなだ。
ちょっと露骨な嫌味を言いすぎた……と、僕が慌てて謝ろうとしたら、ナギは停めていた手を動かしてポテトを口に放り込み、咀嚼しながら片頬をあげた。
「シャリンバイのギター再来なんて言われてんだぞ? 落ち込むなんて時間の無駄なことはもうしないんだよ」
「…………」
やっぱりこいつは根拠のない自信家なんだな……と、ムッとして思いかけた時、ふと、その言葉が気になった。「落ち込むなんて時間の無駄なことは“もう”しない」ということだ。
“もう”ってことは、いままでには落ち込んだこともあったってことなんだろか?
「“もう”ってことは、前はしてたの?」
「まあな。にんげんだもの」
それはやはり、あの脱退の件が絡んでいるんだろうかと確かめようと口を開こうとしたら、ナギはポテトを支持棒のように摘まんで僕を指し、小さな子に言い聞かせるように言った。
「つーかさ、この俺がギターやってやったのに、その再生回数とかありえねーだろ。葉一、ちゃんと宣伝したのか?」
「し、したよ……一応」
「お前、MITEのフォロワー何人だよ」
「……3人」
「は? それ、芽衣ちゃんとか抜いてか?」
「芽衣が僕の動画のチャンネルフォローしてるかは知らないよ……」
「いや、どう考えても身内しか登録してねーだろ、それ」
「うるさいなぁ。僕は友達いないんだよ」
ナギは呆れた顔をしてポテトを何本も頬張り、「参ったな……思ったより手こずりそうだな」なんて、聞こえよがしに呟いている。
そっちから押し切るように誘っておきながら、その言い草はないんじゃないのか? と、言い返したかったけれど、動画を公開したチャンネルが僕のところなので、目の前の現実の責任の半分は僕にもあるだろう。
そうは言っても、やはり言い方というものがあるんじゃないだろうか。まだ僕らは、出会って一週間くらいしか経っていないのに。
「動画がバズらないのは、悪いと思ってるけど……でも、それ全部僕のせいじゃないだろ」
「そうは言っても、フォロワーがいないと話にならないだろ。まず葉一のフォロワーからじゃなきゃ広がっていかないんだからさ」
一理あるけど、すべてじゃないだろう、というナギの言い分に、思わず、「そんなに言うなら、ナギもなんか考えてよ。ナギだってメンバーなんだから」と、言い返してしまう。ナギは頬杖をついて少しバツが悪そうな顔をし、「わかってるよ」と、呟いているのが少しおかしく思った。
ナギは思ったことをそのままに言うし、感情的にものを言いがちなタイプだけれど、拗ねつつも素直に非を認めるあたり、根は悪い奴じゃないんだろうなと感じる。そういう、子どもみたいな無垢なところがあるからこそ、ああいうギタープレイができるんだろうか。素直な性格で、いいな、と思ってしまう。羨ましい、とはまた少し違う感じで。
「そもそもさ、フォロワーが少ない僕のところからいきなりバズるわけないじゃん。それにさ、ナイトシンガーのチャンネルだと、動画は僕名義になっちゃうから、バレット名義のチャンネル作った方が良くない? 見る方だって、その方がわかりやすいんじゃないかな」
「んー……じゃあ、この前の動画、バレットのチャンネル作って、そっちにあげ直すか?」
MITEのアカウント自体は割とすぐ作れるのと、僕が動画を編集するので、バレットのアカウントはひとまず僕が管理することになった。
そしてさっそく、先日の動画をバレットのチャンネルの方に投稿してみる。まあ、公開してすぐに再生のカウンターが回ることはないだろうけれど。
バレットとして最初の活動をした僕らは、なんとなく顔を見合わせ微笑んでしまう。その笑みが、きゅっと僕の胸を甘く締め付ける。何だろう、この感触は。
とは言え、カバー曲を1本だけ投稿してもバレットとしての活動としてはあまりに寂しい。これからどうしていくかを、今日ここで話し合うのだ。
「これからどうしていくか、だけどさ、その前にどうなっていきたいか、だよな」
「まあ、そうだね」
「俺は、絶対メジャーデビュー! んで、ドームとかアリーナとかのツアーやりたい!」
「……二人で?」
「そういうバンドはいっぱいいるだろ。ゆずとか、B‘zとか」
「まあ、そうだけど。って言うか、音楽性が真逆の二組出されても」
あまりにビッグネームのアーティストを引き合いに出され、引きつりそうに愛想笑いすらできない僕は、正直ナギの大きすぎる野望とも言える目標に尻込みしている。いくら風穴あけたいとは言え、そんな風に僕なんかがなれるわけがないし、そもそも、メジャーデビューそのものが僕らに可能かさえもわからないのだから。
夢が大きく、野望であることが悪いわけじゃないのだけれど、身の程を知っておいた方が、のちのちにくじけて落ち込まなくていい気がするし、何より、僕自身がそうなることをあまり望んでいないのだ。
「葉一はどうなりたいんだよ?」
「僕? 僕は……昔みたいに、楽しく唄えたら、それで……」
本心をつい、包み隠さず吐露した僕を、ナギは眉をあげた顔で見つめ、大袈裟に溜め息をつかれる。あまりに遠慮なくがっかりされた様が腹正しく、さすがの僕もムッとする。
「何その溜め息。僕の本音を言っただけなのに」
「お前さぁ……いつまで中学の時の話引きずってんだよ。もうそんなの忘れてさ、俺はメジャーに出る! くらい言えないのか?」
言える性格なら、僕が中学のあの時のあの言葉に落ち込んで、傷ついて、唄うことをやめることなんてなかっただろうに。忘れることさえできず、それでも悔しさから半年ほど前から動画投稿を始めた話を、先日の撮影の時にナギに掻い摘んで話したのが、そもそも間違いだった。やっぱり、陽キャな奴に僕のような人間の胸の痛みなんてわかりはしないんだ。
だから僕のほうも大袈裟に溜め息をつき、言い返す。
「そういう、ヒトの古傷に遠慮なく振れるようなことするから、バンド追い出されたんじゃないの?」
「んだと?! あれは、そういう話じゃねーんだよ。俺の尊厳にかかわる話なんだよ」
「尊厳って、ナギが子どもっぽいかどうかって話? それこそ引きずる方が悪い話じゃないの?」
図星だったのか、ナギは感情のままに一瞬立ち上がりかけ、むすっとしたまま席に着く。
僕としては、まさか勢いで言い返せるなんて思えなかったので、内心かなり驚いていたけれど、悟られまいと澄ましていたけれど、罪悪感もあって胸中がぐるぐるする。
悪いことしちゃったかな……でも、ナギだって、僕の気にしていることをあんな風に言うし……そう考えながらちらりとナギの方を窺うと、ナギもまた同じように叱られた子どもみたいな目をして僕を見ていた。だからついおかしくて、僕らはまた笑ってしまった。
「そうやって、笑えるようになれよ」
「そうは言うけどさぁ……」
「大丈夫、葉一ならなれる」
ナギに心の弱いところをつつかれつつ、慰められるようなことを思いがけず言われ、胸がドキリとする。何だろう、このギャップ。飴とムチだろうか?
すると、ナギは「あのさ」と、何か思いついたようにこちらを向く。その目は何か期待のこもった色をしている。
「……なに?」
「俺、良いこと思いついた」
「そういうのって、コケるフラグ立ってる気が……」
「やる前からコケるとか言うなよ、葉一」
「内容によるよ」
僕が溜め息交じりに苦笑すると、ナギはパチンと指を鳴らし、「それなんだよ」と言う。
どういうことだろうか、と首を傾げつつナギを見やると、ナギは先程作った、バレットのアカウントの映し出されているスマホの画面をつついてこう提案してきた。
「ライブ配信、してみねえ?」
「生配信ってこと?」
そんなの無理、と即答で断ろうとした僕に、ナギは更に「メジャーでやってくんだったら、リアタイでライブできた方が良くない?」、と、畳みかけて迫ってくる。
言葉はやわらかいが圧の強い眼差しを向けられ、正直鬱陶しいのと面倒臭いのと、そして同じくらい納得の想い、と、これから始まる新しいことへの期待もあって、僕は力強くうなずく。
それでも、まったく不安がないわけではない。
「でもさ、今すぐは、無理じゃない? だって、ナギはこの視聴回数じゃ不満なんでしょ?」
「当然だろ。俺らをもっと大勢に見てもらわなきゃなんだからさ。もっとレパートリー増やさねえとな」
「じゃあ、目標立てる? 再生回数500いったら、とか」
「1000だな」
「1000?! いきなり無謀じゃない?」
「1本の動画の、じゃなくて、コンテストテンペストの他にもいくつか投稿して、そのトータルで、の話。色々な引出しある、って思われた方が良くない?」
無謀な数字をただ挙げたのではなく、ナギなりに根拠があっての意見のようなので、僕は少しホッとし、そして、また唄えること、それも彼のギターで叶う事が素直に嬉しいと思えていた。
何のかんの言いつつも、また歌を唄える機会があると思えるのは、いままでひとりだけでやみくもにやっていた時よりも歩くべき道がはっきりしていて、しかも明るい気がする。
だけど、ナギの目標をそのまますんなり受け入れられるほど、僕に自信があるわけではない。
「じゃあ、また、動画作る? でも、見てもらえるかなぁ」
「見てもらえるかなぁ、じゃなくて、見てもらう、見ろ! って感じにアピってくんだよ。俺らは風穴あけてくんだぞ」
「う、うん……でもさ、やっぱ僕にできるかな……」
「大丈夫、俺がいるんだし、葉一の歌だって悪くないし、俺は好きだな」
ナギが発した“好き”という言葉に、大きく胸が音を立てて高鳴る。僕に対してではなく、歌声に対して尚はわかりきっているのに、先ほどの気のせいと済ませた時以上に痛いほど音を立ててドキドキしている。
(この感じ、知ってる……中学の時に諦めたあの感じと似ている……でも、もう誰にもそんな気持ちにならないって決めたのに……)
なんでいま、彼に……そんな後ろめたさにも似た小さな罪悪感を覚えながら、懐っこい笑みで僕にライブ配信の内容を語っているナギの言葉を聞き、彼を見つめていた。
懐かしくも甘く切ない痛みと胸の高鳴りは、僕の意思とは裏腹にどんどん早くなっていくばかりだった。
バレットを始動させて一ヶ月半。その間に投稿した動画は3本で、いずれもカバー曲だ。僕は英語の発音に自信がないので、選曲は邦楽からで、みんなが知っている有名な曲を選ぶようにしている。
僕のチョイスと、ナギのチョイスを比べて決めるのだけれど、いまのところ3曲中2曲はナギが選んだ曲だ。そのせいか、歌メインと言うよりも、ギターが目立つ曲に偏っている気もするが、まだ3曲なので何とも言えない。
歌ってみた動画を投稿しているので、あまりギターの方が目立つのはどうなんだろう、とも考える。考えつつも、じわじわと動画再生数やチャンネル登録者数が増え始めている現状があるので、それが悪いとも言えない気がする。
そう、悶々としながら、僕はバイトの休憩中にチャンネルの管理画面を眺めてばかりだ。
もう少し、僕にナギに強く言えるだけの自信があれば……そんな、歌とは関係ないところでくよくよしてしまう。
「でも、ナギとやるようになってから、格段に唄うことが楽しくなっているのは確かなんだよな……」
それは単純に、同じように音楽を志す仲間ができた嬉しさが大いにあるのだろうけれど、ただそれだけではない気もするのは、やっぱり気のせいではないんだろうか。
顔を合わせればナギの子どもっぽく我の強めなところにイラっとしたりもするのに、一緒に練習する日は楽しいし、そわそわと気持ちが落ち着かない。
この気持ちには名前があるのを、僕はやっぱり経験上知っている。そしてそれに気付いてしまったら、きっとまた同じ痛みを受けることになるのに。
だから、いまは気付いていないふりをするんだ。
「次さ、アクアマリンの『かがやき』とかどう?」
3本目の動画を投稿してから一週間近くたったある日、そろそろ新しい曲を録音したいなとメッセージアプリで言い合ったのち、数日ぶりにナギと顔を合わせた。
待ち合わせの夕方の公園で、挨拶もそこそこに、ナギからそう切り出される。
アクアマリンは、シャリンバイほどではないが、結構長くメジャーシーンで活躍しているバンドで、しかも、二人組だ。
なかでも『かがやき』という曲は、ギタープレイが冴えると評判でもあるけれど、Bメロの歌詞が泣けると評判で、僕も結構好きな曲でもある。
「いいんじゃない。僕好きだよ、その曲」
「じゃあ、やってみるか」
そう言うが早いか、ナギは当たり前のように背負っていたギターケースからエレキギターを取り出し、アンプラグドで弾き始める。
公園にはいまほぼ誰もいないので、僕はナギのギターに合わせて軽く唄ってみることにした。
「“きらきらひかる ひかって弾ける 胸のなか 夢のなか
きらきらひかる ひかって消える 暗いcry 夜のなか
くらいクライくらい まっくらくらに 散っていく”」
『かがやき』はテンポが速く、歌詞の言葉数も割と多い曲だ。唄うのはかなり大変だけれど、上手く唄えるとスカッとして気持ちがいい。歌詞の遊び心あるところも好きなのだけれど、曲のそういう感じも僕は好きだ。
ナギもまたギターがノッてきたのか、アンプラグドなのになかなか迫力ある演奏をしている。それにつられるように、僕の声も大きくなっていく。
リズムを取るように体を揺らして、とうとうフルコーラス歌いあげてしまった。
「よし、結構いいかもな。いつ録る?」
「明後日なら、バイト休みだから昼に唄えるよ」
「んじゃ、明後日の昼な。あとさ、葉一、お前、顔出ししないの?」
いままで僕はナイトシンガーとしてシルエットのみで歌ってみた動画を撮影し、それを登録してきた。それはやはり、昔の僕を知る誰かが僕の歌声と正体を一致させ、何かを言ってくるのを恐れてのことだ。
僕の古傷のような過去の話はナギも知っているはずなのに……無神経だな、とムッとしていると、突然ナギが僕の長い前髪をかき上げてずいっと顔を近づけ覗き込んでくる。
「な、なにすんだよ!」
「葉一ってさぁ、結構……いや、かなり顔キレイ系だよなーって思って」
「……女の子みたいだって言うの?」
小さい頃はよく女の子に間違われていたこともあるし、大人しすぎる性格や気配のなさから男らしくないってからかわれることもよくあった。雄々しくない陰キャなんて、陽キャからすれば玩具にしていい物だと思っているんじゃないか? なんて、思えてくる。
だけどナギは、僕の返した言葉をきっぱりと「そうじゃねーよ」と、きっぱり否定した。
「もったいない、って話。メジャーに出るってことはさ、それなりに見た目も大事じゃんか。そういうののさ、葉一は下手にいじらないでもいいもん持ってるってこと」
「そ、それはどーも」
「何怒ってんだよ。きれいだって褒めてるのに」
想定外の至近距離で誉め言葉を連発され、平常心でいられるわけがない。しかもナギは前髪をかき上げたまま、至近距離にずっといるし。心臓がやたら痛いほど早打ちしている。
近い、近い……と、振り払えないナギの手から気持ちだけでも身を引きながら小さくもがいていると、「じゃあ、キャラに唄わせるとかは?」と、提案された。
「それってバーチャルシンガーってこと?」
「そ。だって、葉一、顔出したくないんだろ? そんなら、いちいち逆光映像撮影するんじゃなくて、なんかアニメのキャラみたいなの作って唄わせたらよくない?」
そういう形も、一つの手かもしれない。それならば今後、ネット上で活動していく方向に切り替えていくこともできるかもしれないのだから。
でも――と、僕は思考する頭を停めて、思い返す。僕がこれまで目にしてきたバーチャルシンガーたちは、ほとんど歌声を加工しているように聞こえていた気がする事だ。
すべての歌い手がそうとは限らないだろうけれど、過去に自分の歌声をバカにされた過去がある僕としては、バーチャルな歌声にしてしまうのは“逃げ”のように思えてしまうのだ。自分の歌声への信頼や期待を放棄したような、そんな“逃げ”に。
「そうはしたくない。僕は、僕の声で唄いたい」
「それはやっぱ、あの中学の時のことが関係してるのか? 顔出さないとか言ってるのに?」
「……そうだけど。あと、芽衣にもそのままで唄いなよって言われてるし」
いつまでもみみっちいやつめと言うのだろう。妹の言いなりで情けない、とか。
それを言うなら、お前のような陽キャに、僕のようなみみっちい人間の気持ちなんてわかるわけがないと言いたい。人を軽い気持ちで嗤って、傷つけたことさえ無関心な奴に、僕の気持ちなんて――
「そっか……んじゃ、まあ、バーチャルシンガーはナシでいくか」
「え?」
思いの外あっさりと撤回されて面食らっていると、ナギはきょとんとした顔で、「え? って……だって嫌なんだろ? 昔のことがあるから、葉一は自分の声で唄いたいんだろ?」
「う、うん。そうだよ」
「じゃあ、そうするか、って。それに、芽衣ちゃんとの約束なら仕方ないな」
「あ、ああ、うん……」
芽衣が絡んだからそう言ってくれたのか、それとも気を遣ってくれたのか。ひとまずありがとう、と言うべきなのかな、と一瞬迷っていたら、そんな気持ちも吹き飛ばすような提案をナギが新たにしてきた。
「顔出しは、いまはしなくていいけどさ、その代わり、いつかは路上ライブとか人前で歌うってことは意識しといたほうがよくないか? そういうのに慣れるためにも、まずは配信で、ネットでもいいから誰かの前で唄えるようになろうよ、葉一」
「で、でも……」
「お前だって、誰かに聴いてもらいたいから、歌動画を投稿してたんだろ? 聞いてくれてる人のことを少し意識してみなきゃ、伝えたいものも伝わらねえぞ」
意外過ぎと思ってしまうほどまっとうな言葉を言われ、ポカンとしている僕に、ナギは、それでも人前で歌うことに抵抗感があるのか? と言いたげな目を向けてくる。まだ何か文句があるのか、とでも言うように。
そんなつもりはなかったけれど、若干僕の考えと違っているところがあったので、おずおずと口にしてみた。
「それはそうかもだけど……そもそも、そんなに聴いてくれてる人なんていないんじゃ……」
「あのな、いまは1本につき10数人とかだけど、確実に見てくれている人はいるんだよ。そういう人を、いないとか言うな。リアルで考えてみろよ。最初の路上ライブ、見てくれた人、動画よりも少しは多かっただろ」
「確かに……」
「な。だから、まずは、配信で唄ってみろよ。俺と葉一なら最強なんだからさ」
「ナギ……」
「俺のギターも、葉一の歌も、みんなに聴いてもらいたいし、いい! って言われたいじゃん。俺はもういいなってわかってるし、信じてるから」
僕が考えている以上に、ナギは僕の歌声に信頼を置いてくれている。それが、すごく嬉しくて頬が緩んでいくのが止まらない。そして同じくらい胸の奥がくすぐったくてあたたかい。
その感触は、さっき僕の髪をかき上げてきた彼の指先の感触にも似ていて、ドキドキしながらももっと触れていて欲しかったなと思ってしまう。髪以外に、頬とか、なんて考えてしまう。
そんな感情を一瞬でも覚えてしまう自分に、僕は戸惑い、その要因が放つ懐かしくも切ない痛みを見ないように感じないように努める。そんなことしても、気付いている時点で無駄な抵抗なのに。
そんな話をしながら、バレットの歌ってみた動画の配信を行うことが決まった。曲はアクアマリンの『かがやき』を、ナギのギター一本で唄う。収録場所は、僕の部屋。
決まったことをスマホにメモしていく僕に対し、ナギはどこからか取り出した手帳に書きこんでいる。アナログなんだね、と思わず言うと、電子は信用ならないからな、とナギは言う。
「電子に裏切られたみたいな言い方だね」
「バンドで、曲のデータを送ったのに消えたことがあったんだよ。ちゃんと朝一送ったはずなのに、ないって言われてさ……だから、絶対大事なことはアナログで残すようにしてる」
本能のままに生きているような感じなのに、案外慎重なところがあるんだな、とナギの意外な一面に驚きつつ感心し、また胸がきゅっとなる。
クセのある丸い字で記された配信ライブの予定は来月の7日の午後8時。それまでに僕らは個人練習と二人での練習を重ねなくてはいけない。
「目指せ、1000pvだからな」
「わかってるよ」
そう言って拳を差し出してくるナギのそれに、僕は恐る恐るこつりと合わせ、僕らは初めて二人組の仲間らしいことをした。
グータッチした拳の表面はナギと別れた後もほんのりあたたかく、いつまでもナギの肌が触れているようだ。その感触を味わうように僕はそこを撫で、小さく笑みをこぼした。
「こんばんわー、バレットのギターナギと、」
「……よ、葉一です」
配信ライブ当日、最初なので撮影は芽衣に手伝ってもらいながら、僕らはライブに専念させてもらうことにした。
ギタリストとは言え、ナギはこれまでも何度もライブ自体やってきた経験があるからか、カメラの前でも観客を意識しつつ上手いこと喋ることができる。
対する僕は、普段の投稿は歌だけのこともあって、気の利いた言葉が出てこずおどおどしてしまう。俯いたり、何かを言おうとして口を開きかけたりと、何とも情けない。
そんな僕を不甲斐なく思っているのか、撮影を担当している芽衣が何か言いたげな目を向けてくる。それにリアクションすることもできない僕の肩を抱くように組んできて、急激に密着する。
突然のことに動揺する僕に構わず、ナギがこう切り出した。
「ナ、ナギ……?!」
「んじゃまあ、早速1曲目行きますか。な、葉一」
「え、あ、うん」
喋れないなら唄うしかない。僕はナギの言葉にどきまぎしながらうなずき、マイクを用意する。やがてナギが1曲目の「コンテストテンペスト」のイントロを弾き始め、それまで緊張で落ち着かなかった気持ちが穏やかに静かになっていくのを感じた。
昔から、ナギの密着に関係はなく、僕は本番前ひどく緊張する性質だ。合唱を始めたばかりの頃は、合唱団内の発表会でさえ緊張で泣いてしまうほどだった。初めて大きなステージ――確か、市民会館か何かの文化祭だったと思う――に立ったときは、舞台袖で小鹿のように震えてもいた。
(そう言えば、小学校最後の合唱の発表の前にも、緊張していると言ったら、あの人が、「葉一ならできる、大丈夫」と言ってくれたんだっけな――)
不意に思い出したほろ苦い記憶に、胸が痛んで言葉に詰まりそうになる。
だけど同時に、場数を踏むごとに、ステージ上特有の照明の熱さや、会場中の視線が注がれる視線の圧力に少しは慣れていけたことも思い出す。
(いまは、慣れるまでの練習だと思えばいいんだ……何せ、本当のお客さんは、画面の向こうで、僕一人ではない)
いま目の前にいるのはカメラを操作している妹の芽衣だけ。それに、唄うのは僕だけれど、動画に映されるのは僕だけではない。隣には、誰よりも僕の歌声を信じてくれているナギと、彼のギターがある。
大丈夫、出来る――深呼吸をひとつし、僕は「コンテストテンペスト」の最初の歌詞を口にした。
「まずまずってとこなんじゃない?」
配信ライブは全5曲やったのだけれど、肝心の視聴者数は目標の1000には届かなかった。
それでも、日頃多くても300程度だった視聴回数が、今回は多い瞬間で700はあったと芽衣が言っていた。
僕としてもかなりいい数字ではないかと思うのだけれど、上昇志向が強いからか、ナギは満足している感じではない。
「まずまずじゃダメなんだよなぁ……ガッツリ爪痕残せないとさぁ、風穴あけるんだし」
「爪痕だの風穴だの言うけど、僕らは結成してまだ一ヶ月くらいだし、活動の場はまだネットの数本くらいしかない無名なんだからさ、それ考えとかなり良いんじゃないかと思うよ」
「そう言われりゃそうだけどさぁ……俺にだってもう少しファンはいたと思ってたのに……」
「そうかもしれないけど……ファンのすべてが推しの活動のすべてを追ってくれるとは限らないし、あのバンドにいたナギが好きだった、ってファンもいなくはないんじゃない?」
「あー、まあ、そうかもしれないけどさあ……」
いままで応援してくれていると思った人たちが、まるで幻だったような感覚とでも言うのか、そういうのってすんなり受け入れられないものなんだろう。僕にはそんなファンみたいな人を身近に感じたことがないからわからないけど、離れてしまったかもしれないと考えたら、やはりショックではあるのかもしれない。
こういう時、どう言えばナギは現状を受け入れてくれるだろうか……と、思案していると、僕らのやり取りを見ていた芽衣が「でもあたし、今日の配信すごくカッコ良かったって思うよ、ナギさん」と、言うと、ナギはぱあっと顔を輝かせる。
「マジで?! 芽衣ちゃんがそう言ってくれるなら、そんなに悪くなかったのかもなー。やっぱ俺のギターテクがあるからなぁ」
「…………」
「何だよ、葉一、その目は」
「……べつに」
メンバーの僕よりも、妹の芽衣の言葉の方を信用するナギの態度に軽く腹が立ちながらも、とりあえずナギの不満が治まったようなので良しとしよう。……全然腑に落ちないけれど。
機嫌がよくなったナギは、定期的に配信ライブをする事を提案してくる。僕も今回のことでまあまあ自信がついたので、またやってもいいと思えた。
そうやって回数を踏んで、合唱の時のように緊張に慣れていけば、その内路上に立って歌うこともできるかもしれない。そう考えると、今日の本番前に憂鬱ささえ感じていたのが、嘘のように晴れていく。
「次はいつにするかな」
「来月とかどう?」
僕から提案したのが意外だったのか、ナギは一瞬目を丸くし、「いいじゃん」と、ニヤリと笑う。その笑みにつられるように僕も片頬をあげて笑い、僕らは初めてより距離が縮まってきた気がした。肩を組まれて密着するのもいいけれど、こういうのも悪くはない。
何か小さな垣根のようなものを越えた感覚があったこの日以降、僕からも少しずつナギにバレットの活動について提案していくようになった。配信に使う曲とか、カメラのアングルとか。僕だけ、もしくはナギだけで決めていくよりもそれらはうんと広がりを見せるようになった気がする。
それに比例するように、じわじわとだけれど、動画の視聴回数やチャンネル登録者数も増え始めている。ある一定のフォロワー数になると、配信者としてのランクがMITEの中でプレミアムランクになるとかで、長時間のライブ配信ができるようになるらしい。でもその数はフォロワー数1000以上だったかで、まだまだ道は遠い。
「やっぱ、チャンネル登録者数伸ばさないとだよなぁ」
3回目になる配信ライブの反省会を、撮影をした僕の部屋でそのまましている時、ナギが独り言ともつかないボリュームで呟く。
「プレミアムランクになりたいってこと?」
「そー。やっぱさ、15分くらいのライブじゃやれる曲の数が限られるし、路上ライブを今後するにも宣伝できないだろ」
「宣伝は通知欄で良くない?」
「みんながみんな通知欄ちゃんと読むと思うか?」
「それは、そうかもね……」
「それにさ、プレミアムランクになると投げ銭してもらえるようになるんだぜ」
「え、そうなの?」
投げ銭とは聴いてくれている人の気持ちで、チップみたいにお金をワンクリックでもらえるシステムだ。推しのアーティストやタレントに貢ぎたい人は万単位で投げ銭をすると聞いたこともある。
さすがに僕らのような無名も無名なバンドに、そんなに投げ銭するような人はいないだろうけれど、もし、配信とかが上手くいけば、多少なりとも期待できるかもしれない。
「路上での投げ銭より気軽だって言うなら、出来るようになりたいね」
「だろ? んでさ、金貯めて、音源リリースしたり、ライブハウス借りてライブやったりとかしたいよな」
「じゃあ、路上ライブは投げ銭を期待するって言うより、配信の宣伝的な位置づけになるのか」
「あー、そうなるのかな? 路上で人気出てもデビューはしやすいだろうけど」
ナギはあくまでメジャーシーンでのデビューと活躍を目標としているので、路上ライブや配信で知名度が上がり、あわよくばデビューに繋がればと思っているのかもしれない。
僕だって知名度が上がって、動画がたくさん見られるようになったらなとは思ってはいる。だけど、それにメジャーシーンで活躍するアーティスト級の知名度まで欲しいとは思わない。そこまでのし上がらなくとも、そこそこの知名度で好きなように唄えたらそれで充分だと思うからだ。
その僕とナギの考えの違いが、時々小さく軋んだ音を立てる。食い違いから生じる隙間が、まるで僕の油断するところを狙っているみたいで、心許なくてそわそわする。
「でもさ、メジャーでやりたいなら、オリジナル曲がなくちゃなんじゃない? ナギ、曲作れるの?」
いままで既存曲のカバー演奏しているところしか見たことがなかったので、ふと気になって訊いてみた。ナギは、ギターを抱きしめるようにあぐらをかいた足の間に立てながら、考え込む。
「曲らしい曲ってあんま作った事ねえんだよなぁ……バンドで1~2曲は作った事あるけど、それきり。採用もされなかったし。それに俺、詞は全然書けないんだよな」
「それじゃあ、インスト曲で勝負するとか?」
「いや、葉一唄うんだろ? つーかさ、葉一は作詞とか出来ねーの?」
「え? 僕? なんで?」
「だって葉一が唄うんだからさ、お前が唄いやすいように作詞すればよくない?」
「いや、唄うのは確かに僕だけど、メロディがない事には……」
「でもさ、ボーカルが作詞してるって結構あるし、歌詞から曲作るってこともあるじゃん」
「そうだけど……」
だからと言って、僕ができるとは限らないんだけれど……と、言い逃れしようと思ったのだけれど、ナギはもう既に一人でギターを弾いてフレーズを考え始めている。
まさか本気で言っているんだろうか……と、一抹の不安を覚えていると、ナギは満面の笑みでこう言った。
「いつかは俺らの曲やるってのも目標にしようぜ。なんたってメジャーで一緒にやってくんだからさ!」
「一緒にやっていく」その言葉が、僕の挫けそうな心を引き上げてくれる。
それに、目標が大きくてわかりやすく、しっかりとしているナギの言葉の方が力強く、僕をうなずかせる。強引と言えば強引かもしれないけれど、彼のそういう振る舞いがなかったら、僕だけではライブ配信をしていたなんて思えない。ましてや、オリジナルの楽曲をやろう、と僕から言うなんて。
少しずつ、僕の中で何かが変わり始めているのがわかる。ぐいぐいと強く牽いていくナギの言動が、引っ込み思案で立ち止まりがちな僕を引っ張ってくれる。伴奏というよりも先導に近いけれど、無理強いされているわけではないから、心地よくもある。
まったく戸惑いがないと言えば嘘になるけれど、ひとりで模索していた頃よりも違う場所にいるのは確かだ。ただその行き着く先が、メジャーシーンなのかどうかは、まだ定まらないのだけれど。
「とりあえず、次の配信くらいまでにはワンコーラスくらいは出来ていたいよな」
目標を立てるのが好きなのか、ナギはもう早速新たな目標を口にし、買ってきていたコーラを煽るように飲んでいた。
一緒にメジャーで。その言葉はとても嬉しい。先導されているより並走している感じがして、そのままどこまでも走っていける気さえする。
(だけど……いつまでもこのまま何も決めていないわけにはいかないよね……)
いまはまだ僕もナギも高校生で、子どもだけれど、その時間も残り少ない。自分が歩く道を、歩きたい道を決めなくてはいけない。
(ナギが歩く隣に、僕がいれたら……って、言いたい。でも、僕はメジャーでやっていける自信なんてない……)
どうしたらいいのかわからない不安がふつふつと湧くのを感じながらも、僕はナギと次の配信に何をするかを話し合っていた。
オリジナルの曲を作るのと並行して、バレットとして僕らは路上ライブも始めた。
最初こそ僕はガチガチに緊張していたけれど、気負うほどお客さんが立ち止まることがなく、それはそれでがっかりしたのだけれど、ある意味吹っ切れた気がする。ほぼ誰も目の前にいないなら、練習と思えばいいや、と。
シャリンバイのカバーをやると、反応がいいので毎回1曲はやるようにして、あとは数曲ずつポップスを中心としたカバー曲をやっている。
「曲、それっぽいの出来たんだけどさ、聴く?」
今月に入って二度目の路上ライブの夕方、ライブの準備をしながらナギからそう訊かれた。メッセージアプリで昨日の夜に歌詞が出来上がったことを伝えていたので、それを踏まえての言葉だろう。
曲作りは、二人で共通のテーマを設けて、それに対してまず僕が歌詞を書き、サビやメロの部分を出来上がり次第ナギに伝えつつ曲を作ってもらう形にした。
本当は目の前で僕が唄いながら、ナギがギターを弾きながら併せつつ作れればいいのだろうけれど、僕もナギもそれぞれ学校やバイトがあったりして忙しく、予定が合わせにくいので、主にデータをやり取りしたり、音声チャットやビデオ通話で合わせたり、という感じが主になっていた。
僕の歌詞のカケラと、軽くイメージして付けたフレーズの片鱗なんかを音声データで送ったものを、ナギが肉付けしていく感じとも言えるのだけれど、どうやらその形が一応できたと言うのだ。
僕の答えを待たずに、この前完成した歌詞を見ながら、早速ナギがギターを取り出してメロディを弾き出す。
普段エラそうで、特にギターに関しては自信たっぷりなことを言っているだけあって、ナギのギターはかなり上手いんだろう。誰も知らないはずの曲なのに、数人がゆるゆると足を停めてこちらを気に掛けるように見ている。
それにナギは気付いているのか、心なしか得意げな顔をしている。
「――って感じなんだけど、良くない?」
「いいと思う。うん、すっごくいい」
「だろ? 俺が作った曲だからな」
「これなら次のライブの時にできそ……」
「いや、今日、いますぐやろう」
思ってもいなかったことを提案され、僕は目を丸くする。何をまた無茶なことを、とちょっと内心呆れもしながら。
でも、その一方でいま聴いてみていいなと思ったのは確かだし、それなら早いうちに人に聴いてもらって、知ってもらった方がいい。鉄は熱いうちに打て、ということだ。
「いいよ、やろう」
僕の言葉にナギは嬉しそうに笑い、また拳を突き出してくる。ナギはこういう、いわゆる青春っぽいことをとよくするし、僕にもするように促してくる。
ライブ後にハイタッチなんて当然としてやってくるけれど、正直恥ずかしいし、僕のガラじゃないんだけれど、やると心なしか気持ちがすっきりしてしまう。悪くないな、なんて思い始めている自分もいて、少し戸惑ってもいるのだけれど、その実、嬉しく思ってもいる。ナギと触れ合える貴重なチャンスに喜ぶ気持ちが、確かに僕の中に芽吹いているからだ。ごまかすことができないぐらいにはっきりとここにある。
(どうしよう……こんなこと、良くないってわかっているのに……ナギとグータッチとかするのが嬉しくて仕方ないのも事実なんだよな……)
言葉にしてしまうのが怖いくらいに強い想いが存在を大きくし始めている。僕はそれと、ナギと、どう向き合っていけばいいんだろう。
わからないままに、今日もぼくは彼のギターで唄う。
それからそれぞれのパートを確認したり、軽くふたりで合わせたりしながら準備をする事30分弱。辺りは薄暗く暮れていて、帰宅する人たちでごった返している。
「葉一、いいか?」
「いつでもどうぞ」
その言葉を交わしたのを合図に、僕らは、僕らで初めて作った曲、『リラックス・ハイテンション』のイントロが始まる。
タイトルにあるように、リラックスを誘うようなスローなギターのメロディのイントロなのだけれど、僕が唄い出すと共に、徐々に、それこそテンションが上がるように速くなっていく。まるで気持ちとメロディを混ぜて加速していくように。
曲のテーマとして決めたのは、「自分にとって音楽をすることとは」で、僕らそれぞれにとって音楽とはなんだろうという原点を考える曲を最初に作ろうと考えたのだ。
僕にとって、音楽とは唄うことで、ナギにとってのそれは、ギターを奏でること。そしてそれぞれの中にある想いに命を吹き込んでいくことが楽しくて仕方ない。ナギは、更にそれを世の中に届けたいと思っている。
そういう、音楽をこの先やっていくということが僕らにとってどうであるのか、どうあっていきたいのか。それを、それぞれ曲に込めたのがこの『リラックス・ハイテンション』だ。
「“――だから、この先も 僕は 君のために唄うんだよ”」
最後のフレーズを歌いあげたのだけれど、僕らの曲を聴いていてくれたのはたった3人で、そのうち1人は明らかに待ち合わせ場所に僕らがいただけのようで、曲が終わると同時に待ち合わせの相手に出会って去って行った。
ぱらぱらとした拍手はもらえたものの、投げ銭はなく、その立った二人のお客さんもすぐになくなってしまった。
「こんなもんなのかな、オリジナル曲の反応って」
「俺のギターは悪くなかったと思うんだけどなぁ」
「……悪かったね、ヘンな歌詞で」
「え? 何怒ってんの?」
ナギは無意識に自分を優位に置こうとするのか、さらりと腹の立つことを言ったりする。それでなくとも、常日頃から自信家なところがあるから、余計に鼻につく。
何かナギを黙らせるようなことを言いたいのだけれど、僕は元来口下手だし、作詞だってつい最近始めたばかりの素人だから、バンド経験者で、その上色々な曲を知っているだろうナギと比べてもきっと分が悪い。要するに、言い返せるだけの度胸も自信もない。
「怒ってなんかない」
「まあ、ドンマイってことだよ、葉一」
「…………」
僕だってバレットのメンバーなのに、情けない。何のかんの言いつつも、結局はナギに頼りきりな感じなのが一層悔しい。もっと、二人で音楽をやっている感じにしたいのに……そう、ムスッとしたまま水分補給をしていると、「いま演奏していたのは、オリジナル曲?」と声をかけられた。
僕とナギが顔を向けると、明るい髪色の短髪の若いようなおじさんのような、男の人が僕らの方をにこにこ見て立っている。
「は、はい! そうです! 俺が曲作って、こいつが歌詞書きました!」
僕がうなずくより早く、ナギが大きな声でそう答え、男の人は感心したようにうなずく。
もしかしてレコード会社の人だったりするのかな……なんて、僕がドキドキしているように、きっとナギも期待しているのだろう。いまにも飛びつかんばかりに前のめりだ。
「そうかぁ、どこか聞き覚えのある感じだったけれど、オリジナルなんだね」
「そうっす! クラプトンとか意識してて、タイトルは『リラックス・ハイテンション』って言って……」
「ああ、そうなんだ。じゃ、これからも頑張ってね」
ナギが曲のタイトルを告げ終わるか終わらないかの内に、その人は軽く手を挙げて駅前のネオン街へと消えてしまい、あまりに自然に、あっさりと去られたもんだから、僕もナギも呼び止めることもできず呆然としていた。
「なんだ、ただの冷やかしかよ……。俺らが高校生だからってバカにしやがって」
「でもさ、なんか、引っ掛かった感じじゃなかった?」
「あんなおっさんに引っ掛かってもしょうがねーだろ。俺は、メジャーにいきたいんだよ!」
それはそうだろうけれど、だからってあからさまなそういう態度もどうかと思うけど……と、僕は言いたかったけれど、角が立つ気がして黙っていた。
僕としては、少しでも僕らが作った曲に興味を持ってもらえたことが嬉しかった。なにせ、いまやった曲は、世界中今日いまここで初めて披露したのだから。それに興味を一瞬でも持ってもらうってすごいことだと思うんだけれど……ナギは、それくらいでは彼の上昇志向は満足しないようだ。
それからカバー曲を数曲やって、その日はライブを終えた。シャリンバイのカバー曲をやると足を停めてくれる人は多く、投げ銭も少しだけれどあったりする。
だから、もう一度最後に『リラックス・ハイテンション』をやってみたんだけれど……さっきの男の人のように興味を持ってくれる人さえいなかった。
「ライブの場所、変えてみるかなぁ」
ライブを終えての帰り道、独り言にしては大きく、会話にするには一方的な声で、ナギがそんなことを呟いていた。
ナギってせっかちなところあるよなぁ……と、僕はこっそり溜め息をつき、努めて落ち着いた感じでこう言ってみる。
「まあ、まだ今日は初日だもん。今度はもっと聴いてくれるお客さんが来るかもしれないじゃん。配信でもどんどんやっていけばいいじゃん」
「…………」
「……なんだよ」
「葉一のくせに、ポジティブなこと言ってる」
「僕だって、言うことだってあるよ……悪かったね、デフォがネガティブで」
基本がネガティブだと言うのが僕だと言うならば、ナギは軽率なポジティブ陽キャだろう! と、叫び返さなかっただけ、僕は大人なんだと思う。こんな、ナギみたいに言いたいことを脳みそも介さずにポンポン言っちゃうんじゃなくて、まだ理性がある、と。
ムッとして黙々と歩いていると、ナギはなんで僕がムッとしているのかがわからないと言う様子で、首を傾げている。
「いや、結構まともなことだから、そうだなって思ったんだけど?」
「……え?」
「葉一って、すげー真面目だし、落ち着いてるよな。俺ら同い年なのに」
それはナギが高校生なのに小学生みたいで落ち着きがないからでは……と、言いそうになっている僕に、ナギは構うことなく、にっこりと満面の笑みでこう言った。
「葉一のさ、そういうとこ、俺、良いなって思うよ」
あまりにストレートな誉め言葉を投げつけられて唖然として立ち止まりナギを見つめる。でもナギは僕を置いて、「じゃあな!」と言って、駅の向こうにあるらしい家へ帰っていく。人ごみに紛れていくギターケースを背負った背中を、僕は呆然と見つめながら、投げつけられた言葉をいつまでも手に取ったまま唖然と見送る。
「葉一のさ、そういうとこ、俺、良いなって思うよ」その言葉は、駅前のネオンライトよりも明るく僕の胸の中できらめいていて、夜道を変える僕の胸の奥をやさしく照らしてくれる。嬉しくてうれしく、ニヤニヤしたまま夜道を歩いた。
『リラックス・ハイテンション』は、ライブ配信でも披露するようになった。
オリジナル曲をやります、と言った途端に視聴をやめてしまう人もいて、やりながら内心かなり焦ったけれど、好意的に見てくれる人も意外に何人もいた。
何より意外だったのは、ナギが視聴者数にあまり振り回されていないことだ。だから、思わず配信を終えてからアーカイブを振り返っている時に、「視聴者数とか気にならないの?」と、訊いてしまった。
ナギはコーラを飲みながら首を傾げ、「そうだなぁ……」と呟く。
「最初の頃は気になってたけど、ライブハウスとかで、対バンライブしてる感じと似てるなーって思えてきたから、そんなに、かなぁ」
「そ、そうなの?」
「意外、って思っただろ、葉一」
「……ごめん」
普段路上ライブのお客さんが立ち止まる人数とか割と気にしているのに……と、思っていたから聞いたのに、そうでもないと言う。それが、対バンとどう関係あると言うんだろうか。
ライブハウスでの演奏経験も、他の誰かと競演したこともないから、ナギの例えにピンとこないのが正直なところだ。そんなに、バンドでライブをするって大変なんだろうか。
それが顔に出ていたのかもしれない。ナギはコーラを飲み干してから甘いゲップをし、それから苦笑して教えてくれた。
「対バンイベントってさ、お目当てのバンド以外ってお客さんにしてみれば、どーでもいい感じだったりするんだよね、結構。だからさ、ひどいとあからさまに自分のお目当て以外の時は聴いてないって言うか……会場出て行ってたりするもんな」
「え、そうなの?! ひどい……」
「考えてみろよ、金払ったのに、聴きたくもないバンドの歌とか聴かされるって」
ライブに行く人はバンドというものの音楽が好きなんだと思っていたけれど、そんなに世の中は甘くもないらしい。自分の世間知らずさを思い知らされ、恥ずかしくなる。
でも考えてみればそうだ。僕のナイトシンガーの動画も、興味を持たれなかったから視聴者数が伸びなかったし、チャンネル登録者数も少なかった。それが、ライブだと目の前に突き付けられるのだ。
「……残酷」
「まあな。だから、“今日の対バン相手の客取ってやろうぜ!”って気合が入るって言えばそうなんだけどな」
「だけどさ、ナギ、いつも路上ライブのお客さんの反応とか結構気にしてない?」
「まあ、気にはなるよ。目の前にいるんだし、特にこの街の路上ライブは、同じ場所で色んな奴らがやってて対バンのようであって、ワンマンの要素もあるからな。ワンマンは、自分たちの責任だから」
「なるほど……ナギって、結構色々考えてるんだね」
「なんだよ、ヒトが普段何も考えてないみたいな言い方だな」
口調は怒っている感じだったけれど、ナギの顔は嬉しそうにほころんでいる。怒っているわけじゃない、とわかった事よりも、ナギとの距離がより縮まっている感じして、僕も嬉しい。不純な動機が入り混じっている気がするけれど、気持ちは純粋な想いだ。
二人顔を見合わせて笑い、再び動画の管理画面に目をやると、「あれ、これってさ」と、ナギが画面を指す。指した先には、“ウッディ”というアカウント名の人からのコメントがあった。
「“この前聞いた時より緊張していなくていい感じでした。サビのところをもっと盛り上げられたらいいんじゃないかな”……なんだこいつ」
「この前聞いたって言ってるってことはさ、路上にも来てくれてるってことかな?」
「……だとしたらかなりガチな奴だな」
「固定ファンがついった、ってことかな」
「まあ、この人以外にも最近必ずって感じで来てくれる人何人かいるよな。ライブの日程聴いてきたりとかさ」
有難いことに、まだそんなにたくさんではないけれど、最近、路上ライブをすれば顔を出して声をかけてくれたり(もちろん投げ銭もしてくれる)、ライブ配信も見てくれたりしてくれるような、所謂“固定ファン”みたいな人が出てき始めている。
元々ナギのファンだった人もいるみたいで、ナギと仲良さそうに話している人が殆どなんだけれど、たまに、僕にも声をかけてくれたりすることもある。まだ全然、気の利いたことを僕は言えないんだけれど。
「このウッディって人もそういう人なのかな?」
「ん~……って言うより、アドバイスおじさんみたいなやつじゃね?」
「まだおじさんとは限らないじゃんか」
「いーや、こういうのはモテない独身おっさんなんだよ」
すごい偏見だな……と、僕は呆れながら、配信画像のアーカイブを作成し、投稿する。アーカイブも僕らのところに辿り着いてくれた人が見てくれることもあるようだ。
ナギはウッディという人のコメントに、懐疑的というか否定的だけれど、僕としては有難い客観的視点だと思っている。
これまで自分の歌に、からかいや悪口でない、フラットな視点でのコメントさえももらったことがない僕にとって、このウッディという人、そして路上ライブに時々来てくれているあのおじさんの言葉が、嬉しいし有難い。
少しずつ、自分なりの解釈で、なんだけれど、僕なりにアドバイスを参考にしてあれこれ試行錯誤しているところでもある。
「あのおじさんとか、このウッディさんとかの話聞いてたら、僕、上手くいく気がする」
つい、そうこぼすと、ナギは呆れたように溜め息をついて首を横に振り、「葉一はチョロ過ぎんだよ」と言うのだ。
さっき褒めたこと、前言撤回しようかな……軽くイライラしながらそう考えていると、ナギが「ウソだろ?」と、低い声で呟いたのだ。
普段なら些細なことでもオーバーリアクションをするのに、と思って振り返ると、ナギの顔が暗く曇っている。目は虚ろで心なしか潤んでさえ見える。
こんな、覇気のないナギは見たことがない……あまりのことが起きたのだろうかと、恐る恐る、「どうしたの?」と訊くと、ナギはカラカラに嗄れた声で答えた。
「……マネキアが、メジャーデビューしてる」
「マネキア?」
聞き覚えがある名前を訊き返すと、ナギは、いましがた彼の覇気を奪った画像を指してこう言った。
「俺が、まだ高校生だから、って……ガキだからって脱退させられた、バンド」
「え……」
ナギがバンドを脱退させられたのは、僕もあの夜目撃したことから知ってはいたけれど、まさか先にメジャーシーンに出てしまうなんて。まるでメジャーに行くためにはナギの存在が邪魔だったと言わんばかりの展開に、何と言葉をかければいいのだろう。
はっきり言葉にはしていなかったけれど、ナギはこのマネキアのメンバーを見返すためにも、バレットでメジャーデビューしようと言っている気が僕にはしている。悔しさをばねにして、ハングリー精神というやつで伸し上がっていこうとしているんだろうな、と普段の言動の端々から感じていたからだ。
だけど、それがいま、大人と子どもという決定的な差を見せつけられ、敵わない現実を突きつけられてしまった。
視聴者数がようやく1000を超えるかというバレットに対し、相手は近々大きな有名ライブハウスでデビュー記念ライブを敢行するらしい。その広告画像が出ていたのだ。
ナギは、いまどんな気持ちなんだろう……僕は、どう慰めれば……気の利いたことなんて一切言えない僕が、こんな一大事を目の当たりにした相方を慰められるわけがない。
でも、やらなくては――そう、意を決し、声をかけようと口を開きかけた時、ナギはこちらを振り返り、突然僕に抱き着いてきた。肩に熱いもの――きっと涙に濡れている目許とか、口許とか当たっていて、確実にいまナギが泣いているのがわかる。わかっているからこそ、何を言えばいいかわからなかった。
その代わりに剥き出しの首をそっと撫でていたら、ナギがうめくように呟く。
「絶対、メジャーデビューするぞ。そんで、ドームツアー毎年やるようなバンドになるからな……」
圧力の強い言葉と食い込むような熱いナギの体温に、僕は気圧されてうなずくしかなく、「うん、そうだね」とだけ返せなかった。
僕としては、ドームでのライブとか全然望んでいないし、考えたこともない。ただ、唄っていければいい。誰からもバカにされることなく、好きな歌を好きなように。例えば、歌ってみた動画みたいなのでちょっとバズる程度に。そう、僕は思っているだけなのに……この出来事は、ナギの中の野望により焚きつけてしまったようだ。
「頑張ろうな、葉一」
「……う、うん」
いま僕の前にいる、誰よりも傷ついている彼を否定するような事なんて言えないし、出来ない。
でもそれは、僕自身の考えや望みとは違うものを受け入れることになってしまう気がする。
だとしても、僕は――やっぱり、ナギのギターで唄うことを選んでしまうんだろうか。この先に何が待ち受けているなんて全くわかっていないのに。
路上ライブを初めて半年以上が過ぎ、ライブ配信を見て興味を持ってくれたお客さんも足を運んでくれるようになった。
僕らはバーチャルシンガーのつもりはなかったけれど、ライブ配信しているバンドがリアルで、しかも路上でライブをしているとなると、一度見てみようかとなるらしい。
「リアルも上手いんですねー! 配信シングルとかないんですか?」
「あー、そういうのはまだ全然……曲もまだ数曲しかないし」
「もったいなーい。あたし絶対買うのにぃ」
「ははは、ありがとうございまーす」
営業トークは主にナギに任せているのだけれど、僕に対するような俺様な感じじゃないので、結構会話が弾んでいる。最近じゃサインが欲しいなんて言われることも出てきて、二人して有名人気取りなことをしている。
ナギが馴染みのお客さんと喋っている時、「キミ、葉一君?」と、声をかけられた。
振り返ると、そこにはどこか見覚えのある男の人が立っている。若いようなおじさんのような……
「ええ、はい、そうですけど……」
「いつもライブ観させてもらってるよ。配信も、路上も。オリジナル曲が増えてきたんだね。良い感じだね」
「あ、ありがとうございます! えっとあの、配信見てくれてるってことは、あの……」
「ああ、“ウッディ”と言えばわかるかな?」
「え! ああ! いつもありがとうございます!」
まさかのウッディさんの登場に、僕の声が思わず大きくなり、ナギも、ナギと話していたお客さんもこちらに振り替える。
僕がどれほどウッディさんのコメントを有難く思っているか、伝えようと思えば思うほど言葉が上滑りし、あわあわしてしまう。
泡喰っている僕の隣にナギが歩み寄ってきて、「どうした?」と、訊いてくる。
「こ、この人、あの、う、ウッディさん……」
「え? マジで?」
ナギは日頃ウッディさんのコメントに懐疑的なので、突然のご本人登場に気まずそうな顔をしている。
しかし、ウッディさんはろくに話もできない僕と、バツが悪そうな顔をしているナギの様子を意に介することもなく、ジャケットのポケットからなんかを差し出してきた。
「“株式会社 ムジカレコード マネージャー 木暮直樹”」
「……え? ムジカレコードって、あの、ムジカ?」
差し出された小さな紙切れのようなものは、ウッディさん改め、木暮さんの名刺で、差し出されるまま手に取った僕は、ぼうっとした声でそれを読み上げた。
ナギもまた、懐疑的に見ていた相手の正体が、まさか自分が焦がれていたメジャーのレコード会社の人だとは思わなかったのだろう。ぽかんと口を半開きにしたまま僕と揃って木暮さんを見ている。
木暮さんは、そういうリアクションには慣れているのか、苦笑して、「どうも、いつも楽しませてもらってるよ」と言った。
レコード会社の人だから、バレットの曲とか、ライブのやり方にアドバイスをくれることが多かったんだろう。しかもそれらはいつも的確で、「もっと声を張って、曲に込めた思いを伝えないと」とか、「配信ではカメラの向こうにお客さんがいると思って喋ってみて」とか、具体的なコメント……いまにして思えば、僕らの曲やパフォーマンスが良くなるアドバイスをしてくれていたのだ。
僕らの曲が、メジャーシーンの人に届いていた……それは大きな驚きであり、同時の大きな成果とも言える。
僕とナギは顔を見合わせるも、その表情は全く違っていた。僕はどうしよう、という戸惑いの色で、メジャーを目指しているナギは、当然期待に満ちた輝く目をしている。
「どうだろう。キミたち、バレットは、メジャーシーンで音楽活動をやっていくことに興味はないかな?」
「あります! 大ありです!」
木暮さんの言葉に食いつかんばかりにナギは答え、受け取った名刺を宝物のように大切そうに自分のパスケースに仕舞う。
ナギにしてみれば、自分を切り捨てたかつての仲間にも先を越され、焦りを覚えていた矢先の木暮さんというメジャーにいる人の登場だ。地獄に仏とさえ思っているかもしれない気がする。
勢いの良いナギの反応に木暮さんは、そうかそうかと言うようにうなずきつつ、僕の方を見て、「キミは、どう?」と、声をかけてくる。
「え、や、えっと、僕は……」
「葉一、メジャーでやってくっていうのが俺らの目標だろ?」
「あ、う、うん、えっと……」
イエスなのかノーなのかもはっきりしない僕の返事に、ナギはイライラしたように溜め息をついたものの、木暮さんは特に気が急いている様子もなく、穏やかにこう言ってくれた。
「葉一君、だっけ? 突然でびっくりしているんだよね? 今日のところは連絡先を教えておくから、いつでも返事をくれないかな」
「あ、はい……」
「じゃあ、また次のライブも楽しみにしているよ」
木暮さんは僕にいますぐ返事を出すことを急かさず、それと連絡先の記された僕の分の名刺を手渡して、駅の方に歩いて行ってしまった。
「あざーっす!」と、元気よくナギは言って頭を深く下げていたけれど、僕は名刺を手にしたままぼんやりと立ち尽くしていた。
僕はただ、楽しく唄えたらそれでいい。そりゃ、歌で食べていければいいんだろうけれど、メジャーでやっていくって大変だと言うし、そもそも僕にそんな自信なんてない。ナギみたいに自信たっぷりなら違うのだろうけれど……そんなものが僕にあるなら、そもそもナギと組んだりなんてしていないだろう。
好きな歌を楽しく歌って、投稿して、ほんの時々バズるくらいでいい――それが、僕にとっての“成功の形”だ。
だけど、それは決して僕の相方であるナギには受け入れられるものではない。
「なぁんではっきり、“俺もメジャー行きたいんです!”とか言わねえんだよ、葉一。折角のチャンスだぞ? お前まさかムジカレコードがどれだけすごいのか知らねえのか?」
「あのシャリンバイの後輩分のバンド、セラータを輩出したところでしょ? それくらい僕だって知ってるよ」
「じゃあ何であんな煮え切らない態度取ってんだよ。木暮さん、呆れてたぞ」
「そうとも限らないじゃん。返事はいつでもいいって言ってくれたんだし」
「そんなの社交辞令に決まってるだろ! こういうのは、つかんだもの勝ちなんだよ! 目の前にチャンスがあるのに、葉一みたいにグズグズしてたら、ものになるものもならねーぞ」
薄々自分でも感じていたことをズバリ言われてしまうと、ヒトはかなりカチンとくるものだ。しかもナギは言葉を選ぶということをしないので、より角が立つし、腹も立つ。要するに、図星を指されたのだ。
僕もまたあからさまにムッとした顔で見返すと、ナギはストローを咥えた姿で頬杖をついて僕を呆れた目で見ている。
深夜に近いファストフードは僕らのような路上ライブ帰りのやつらが多く、あちこちで音楽談議が盛り上がっている。
だけど、僕らのテーブルだけは気まずい雰囲気に包まれていた。
「バレットで唄ってるのは僕だ」
「曲を作ってるのは俺だけどな。それに、葉一が唄えてるのは俺のギターあってのことだろ」
「それはそうだけど……でも、僕は別に、メジャーとか……」
「どうでもいい、とか言うなよ。この名刺をもらえて、声をかけられることがどれだけすごいことで大変なことか、葉一はわかってるのか?」
わかっているつもりだ。この街だけでも、数えきれないほどの路上ライブをするアーティストの卵たちがいて、僕らはその中でも新参者の部類と言えるだろう。何年も路上ライブをしていて、固定客もいるのに、スカウトの目にかからない人なんてざらにいる。そういう話はナギからいやというほど聴かされてきた。
だからこそ余計に、なんで僕らなんかに声がかかったのかが、僕にはわからないのだ。
ナギは、それは自分のギターの腕が確かだからだ、と言えるのかもしれない。だって彼には確固たる自信があるのだから。
じゃあ、僕は? ただ昔バカにされたことを見返したいだけで、それも、ただ好きに歌いながらそうしたいだけで、特にこの路上ライブのステージよりさらに大きな所へ行こうなんて考えたこともない。配信にしても、動画投稿にしても、毎回バズるほどのヒットするわけがない。そんな奇跡が、自分に起こるわけがないと思っているからだ。良くも悪くも、僕は身の程をわきまえて生きていくしかない。ナギにはそれがわかってもらえない。
それなのに、いま、その奇跡の光が僕にも当たろうとしている。ナギのようになにがなんでもと渇望していたわけじゃない、僕に。
それって、許されるんだろうか? そんな、生半可さでメジャーという舞台に立つ権利を得てしまって、いいのだろうか? 僕より強く望むナギだけに声がかかるならまだしも、大した向上心のない僕にまでなんて、虫が好すぎやしないだろうか?
「わかってるよ……でも、僕にはできるかわからない」
だから僕の中にある気持ちを、精一杯の言葉で伝えてみたのだけれど、ナギは呆れたように「あー、そうかよ」溜め息をついて、自分の分のトレイを持って立ち上がる。
「わからない、じゃなくて、考えたくない、の間違いなんじゃないのか、葉一。ぬるま湯に浸かったまま、美味しいとこだけ味わえてりゃいいっていう。そういう事だろ」
ナギはそう言い、ギターを背負ったまま席を立って去って行く。
ひとり残された僕は、まさに言われたくない言葉を探り当てられて、言い返すことができないままうつむいていた。
僕は確かに、メジャーでやっていく自信もないし、評価されたり、成果を数字で突きつけられたりするのが怖くて仕方ない。
だけどそれは、ナギから見たらぬるま湯に浸かっているように見えるだろうし、実際ナギのすご腕のギターに頼り切っての活動をしているのは事実だ。
(だから……そうじゃないようにするにはどうしたらいいんだろうって……相談できたら良かったんだけど……)
僕の懸念が解消されて、且つ、ナギの夢がかなう方法。そんな相反することを叶えてしまえる魔法なんて存在するんだろうか?
「僕が子どもで知らないだけで、世の中にはあるのかな……それとも、僕の考えが甘いだけなのかな……」
騒がしい夜のファストフードの中、僕の席だけ切り取られたように空気が重く沈んでいく。
答えのない問いかけは、騒がしい店内BGMと客の声に消えていった。
木暮さんに名刺をもらって、その日の帰りにナギと言い合いみたいになって以降、バレットの動画の更新は止まったままだ。
一応、あの日の前に収録した動画が数本あるのだけれど、僕が編集する気になれていない。バレットの動画――特にナギのギターの音や彼の姿を見聞きしているだけで、胸がどうしようもなく苦しくて痛くて、とても編集なんて出来ないからだ。
病気かと一瞬思いもしたけれど、心当たりはばっちりあるので、その線は違う。
「お兄、最近バレット活動してるの? 路上ライブの予定は? 練習しなくていいの?」
バイトが休みの日、部屋でぼんやりと珍しく学校の課題をやっていたら、芽衣が突然部屋に張ってきてそんな小言を言ってきた。
バレットの最初の動画配信を手伝ってもらったことを、いつまでも芽衣は恩に着せてきて、毎度路上ライブのスケジュールを訊いてきてはクラスメイトなんかに宣伝して回っているらしい。
だからいまの小言も、そのついでのように僕が最近ナギとあってすらいないことを指摘しているのだろう。なんにしても、お節介の何者でもないのは確かだ。
「うるさいなぁ。芽衣に言われなくてもやるって」
「その割に、もう一週間もナギさんウチに来てないじゃん」
「……別にフツーだろ」
「えー? だって前は毎日ってくらいでウチにきたり、お兄が出かけたりしてたじゃん。最近バイトと学校だけじゃない?」
「学校に帰りに行ってる、とかは思わないわけ?」
「だってレコーダー置いていってるもん」
「……練習だから、スマホでいいんだよ」
「ふぅん……じゃあ、そのスマホで録ったの聴かせてよ」
芽衣の鋭い観察眼をかわすためについた嘘が見透かされてバレてしまうのを恐れ、僕は芽衣に奪われそうになったスマホを寸でのところでつかみ取る。芽衣は忌々しそうに僕をにらむ。
べつに、芽衣にバレットのことをとやかく言われようとも、ここ最近ナギとあってさえいないことがバレようとも、僕には何の影響もないはずなのに……何故か、それを芽衣には知られたくないと思ってしまう自分がいる。
「お兄、観念しなよ。ナギさんと何があったの? あ、もしかして痴話げんか?」
「は?! ち、痴話げんかってなんだよ……僕もナギも、男だぞ……」
「何マジになってんの? べつに男同士だっていいじゃん。それよかさ、ホントにナギさんとなんかあったの?」
「……なんにもないよ」
「じゃあ、一つだけ訊いていい?」
「……なんだよ」
「この前の配信の終わりに、“次の配信では新曲披露します”って言ってたの、あれ、どうなったの?」
ナギと気まずくなる数日前のライブ配信の頃、バレットは5曲目となるオリジナル曲の制作の真っ最中だった。僕がいつものように作詞を担当し、ナギがそれに曲をつける。
だいたいの全体像は出来上がっていて、あとは音源や配信用として録音するのと、その練習を繰り返すだけになっていたのだけれど……あの一件以来、それもまた停まったままだ。
実は、最新のライブ配信のアーカイブのコメントにも、「新曲いつお披露目ですか?」「次の路上はいつですか?」というような問い合わせの内容がなくはない。あれ以来ちゃんとナギと顔を合わせていないこともあって、僕の独断でそれらに答えるわけにはいかず、コメントへの返事さえも出来ていない。その事を、芽衣は言っているのだろう。
「……いまは、僕もナギも忙しいんだよ」
「それでもちゃんとコメント返ししなよ。ちゃんと返事しないのって感じ悪いよ」
「わかってるよ。その内やる」
「その内、じゃなくて、せめてこの後すぐやりなよ! 折角のファンが離れていっちゃうよ!」
「うるさいな! 僕らのことに口出しするな!」
「……なにそれ。マジで感じ悪。ナギさんに何やっちゃったか知らないけど、ちゃんと謝りなよ」
「なんで僕が悪いってことになるんだよ!」
「じゃあなんでそんなに怒ってるのよ。お兄が悪くないなら怒らなくたっていいじゃな……」
「うるさいな!! 芽衣には関係ないだろ! 出てけよ!」
一方的に僕が悪者にされた上、チクチク言われる正論に苛立ちが勝ってしまって、冷静に適当に聞き流せなかった。だからついカッとなって怒鳴ってしまったら、芽衣は凍り付いたような顔をして、それからふいっと顔を背けて部屋のドアを荒々しく閉めて出ていった。
僕は溜め息をつきながら片手で顔を覆い、それから先日木暮さんから言われたことを思い出し、また溜め息をつく。
『バレットはこの先どうしていきたいのか、はっきり二人で決めているのかな? 僕が見る限りだけど、ナギ君が主導的だよね、二人の、そのー……力関係みたいなものが。葉一君的には、それでいいからそうしてるの?』
やはり、たくさんのアーティストの卵や、アーティストそのものを見て来た人の目は鋭い。
バレットの音楽のことをコメントしてくる人は木暮さんの他にもいなくはなかったけれど、僕らの関係性にまで踏み込んできたのは、やはりその道のプロだからだろうか。
バレットという二人組ユニットのバンドをやっていく上で、作詞の上では僕が主導権を握りことはあっても、曲の作り方や動画の企画、路上ライブのスケジュールなんかも、殆どナギが主体となって決めていた。
それは単純にバレットを組んだ当時、僕がライブをやっていくことなどにあまりに無知だったこともあって、ナギに任せていたらいつの間にかナギが主導権を握っていたのだ。
それでなくとも、ナギは主張が結構強いタイプで、所謂陽キャで、僕とは真逆のタイプだ。そういうこともあって、僕から意見するとかがなかなか出来ないままでいたら、バレットの顔がボーカルである僕よりもナギになっている感じがある。
『二人組だから、どちらがリーダーで、どちらがサブで、なんて扱いはしない方がいいと思うんだけれど、片方が主導権を握った方がやりやすいとか、それがキミたちのやり方なのかな?』
先日声をかけられての返事を――僕としては、メジャーでやっていける自信がないことを――ひとまずしようと木暮さんのメッセージアプリにメッセージを送ったのだけれど、そう立て続けにバレットの在り方について訊かれたのだ。
もしこれに対して、「僕はメジャーでやっていく自信がない」と返したら、もしかしたら、木暮さんは僕らが仲たがいしたとか、もめたとか思ってしまうだろうし、それはナギが渇望していたメジャーへのチャンスを潰しかねない。そんなことをして、ナギの悲願を潰すような権利は僕にはない。それは絶対にやってはいけない。
でもだからって、嘘をついてしまったら、僕はこの先、嘘をつきながら音楽をやっていかなくてはならなくなるだろう。
――そんなのは、いやだ。自分に嘘をつき続けてまで、ずっとやり続ける根性なんて僕にはない。それだけは、はっきりとしている。だけど、僕もナギも納得の行く答えがわからない。
『僕は、業界のことでわからないことが多いし、その……あまり自信もないから、ナギに任せているんです』
さんざん悩んだ末にそう返信をしたのだけれど、それが正解だったのかは今でもわからない。寧ろ、印象が悪くなってしまったかもしれない。もっとうまい言い回しがあったのかもしれないけれど、生憎僕には思つかなかった。
やり取りが数分途絶えたのち、木暮さんはこう返してきて、メッセージは終わってしまった。
『二人が納得しているなら僕は何も言わないけれど、片方が片方に頼りきりなのはあまり健全な関係とは言えない気がするよ。音楽にもそれは現れてしまうからね』
プロの目は、僕らがまだ遠くに見ていることさえ知っている。だからこそ、この先に起こりうる、いいも悪いも交じり合った出来事のことを考えて、最善をいまから対策しておけと言うのだろう。
二人の関係性が、音楽に現れる――だから、あれ以来、新曲は出来上がりを目前にして停まっているし、ナギと音を合わせることもできていないのかもしれない。体はずっと、意識よりも正直だ。
考え方も思い描く“成功の形”も違うナギと、僕は意見をぶつけ合って説き伏せるようなことができる気がしない。説き伏せるなんてことをしたところで、ナギがあの夜のように背を向けてしまうことには変わりないんじゃないだろうか。それは、あまりに苦しくて、つらい。そんなやり方は健全じゃない。
じゃあ、それなら……もう僕は、ナギと音楽をやっていけないんだろうか? ナギに僕はもう必要ないんだろうか? そんな想いが、あの夜以来ぐるぐると渦巻いている。
僕は、僕らは、どうしていったらいいんだろう。僕が単純にメジャーに行きたいとナギにも木暮さんにも伝えれば、それで万事が解決して丸く収まる気がしないのは、どうしてだろう。それだけじゃない深い感情が、事態の根っこに絡み付いている気がするし、それは僕がずっと目を背け続けてきた何かである気がする。
このままじゃダメだ。それはわかっているのに……じゃあ、それを打開するには何をどうしたらいいのかがわからない。それが、苦しくて痛くて仕方ない。
わからないまま、僕は真っ白なレポート用紙を見つめ、もう何日もナギのギターを聴いていないことに気づく。あんなに浴びるように聴いていたのに、あの夜以来まったく聴けていない。
真っ白なままのレポート用紙が、責めるように僕を見つめていたナギを彷彿とさせ、僕は胸を抑えて蹲った。
それから数日経っても、僕からもナギからも路上ライブの練習をしようと声をかけたり、新曲の進み具合を訊いたりするようなことはなかった。
もしかしたら、お互いの出方を窺い合っているんじゃないかと思うけれど、本当のところはわからない。相手が気になるけれど、自分から声をかけるのは癪だなっていう意地の張り合い。小さな子どものケンカじゃないかと言われればそうなのだけれど、気が進まないものをどうにかして推し進められるほどに、僕もナギも大人になり切れていない。
だからと言って、子どもであることに甘んじて、いつまでもこのままで良いわけがない。木暮さんもいつまでも待っていてくれるほど暇なわけでもないし、ナギだって煮え切らない僕に愛想を尽かせ、自分だけで動き出しているかもしれない。
それならそれで、あきらめがつくものなのかな……と、ちらりと考えの方向性を傾けてみるも、何かがしっくりとしない。しっくりしないのだけれど、それが何故なのか、何なのかがよくわからない。
考えれば考えるほど、胸が痛んで切なくて仕方ない。だけど、この痛みに名前があることに、僕はもう気付いてしまっている。ダメだと思うほどに痛みは強まり、もはや呼吸さえ苦しい。
「夜野くん、あがっていいよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
コンビニのバイト明けの7時過ぎ、入れ替わりの夜の人に挨拶をし、退勤の打刻をして裏口から外に出ると――
「よお、おつかれ」
「ナギ……?」
路上ライブの予定もないこんな時間に、わざわざ家から少し距離のあるようなこのコンビニに彼がいるということは、単なる気まぐれではないのだろう。
何かあるのかな、という察しくらいはつくものの、その詳細はわからない。
ナギはびっくりしている僕の方に数歩歩み寄って、にこりともしない顔でこう言った。
「あのさ、ちょっと話していい?」
断る隙のない口調に、僕はいつものように気圧されてうなずく。僕が断れないのを知っているくせに、今日のナギはいつも以上に僕に断る選択肢をくれなかった。
僕とナギは黙って連れ立って駅のコンコースを横切り、いつも路上ライブのあとに反省会のようなダメ出し会のようなことする公園へと向かう。誰もいない公園は、夜の静けさに覆われて異空間のようだ。
「話って?」
公園に着き、ベンチに並んで座ってすぐに、僕はそう訊ねた。来るまでの間、何も言わなかったナギの横顔の真剣さから、もしかしたら彼から口火を切り難いんじゃないかと思ったからだ。つまり、話の内容は、恐らくバレットのことに関する何かだろう、と。
数秒の間を置いて、ナギは手の中の何かの鍵をもてあそびながら口を開く。
「昨日……夜なんだけど、木暮さんから電話があったんだよ」
「木暮さんから?」
僕がナギの方を振り返ったけれど、ナギは前を向いたままで、視線は手許の鍵に向けられている。
カチャカチャとせわしなく音を立てるそれに僕も視線を落としながら、ナギの次の言葉を待つ。
「俺がさ、絶対メジャーに行きたいって話、してるじゃん。その話をさ、木暮さんから、“それは本気なのか?”って訊かれたんだよ」
「……本気だって答えたんでしょ?」
僕らの間では当たり前になっているナギの目標である、メジャーデビューの夢。それをわざわざ確認したということは、木暮さん的に何か思う所があるということなんだろうか?
ナギは僕の言葉にうなずき、それから更にこう続ける。
「俺は本気なのはわかったけれど、葉一はそうじゃないみたいだけど、って言われてさ」
「……それは、その……」
「俺に気ぃ遣わなくていいからさ、葉一は、やっぱ、メジャーでやっていく気はない?」
何と答えればいいだろう。確かに僕はメジャーの話が出ると気配を消すほど、木暮さんとナギがそういう話をしていると、その話に加わろうとしてこなかった。でもだからと言って、正面切って「僕はメジャーを目指さない!」と、二人に明言しているわけでもなく、好きに歌えたらいい、とか、たまにバズることができればいい、とか、そんな風に遠回しには言ってきたつもりだったのだけれど、それで伝わり切れていなかった。だから、ナギはそれをいま確認しているのだろう。
確認して、それからどうするのだろう? 木暮さんに、「葉一はメジャーでやる気がないから、俺だけどうにかしてくれ」みたいなことをお願いしたりするつもりなんだろうか。
(それってつまり、僕を見限って、他の人にしてくれって自分から言えって仕向けられているってこと?)
頭の中に浮かんだ言葉に、手足がずんと冷たく重たくなっていく、僕とナギが別れる、それが急激に現実味を帯びて目の前に突き付けられたからだ。
メジャーでやっていかない、と考えている奴に、わざわざプロが目をかけることは通常ないと言える。そんなよほどの才能が僕にあるとは思えない。それを、木暮さんに伝えろというんだろうか。そんな残酷なことをしろ、と。
確かにナギは、僕に比べればはるかにやる気も実力も兼ね備えている。可能性だって僕よりもきっと。
じゃあ、もうこのまま、バレットは止めに……つまり、解散するしかないのか? 過ぎる考えに、体が凍り付く。
「……僕に、メジャーでやっていけるだけの実力も、自信も、全然ないよ」
「じゃあ、木暮さんには、葉一はやらないって言って良いのか?」
「やらないって言うか……その……やれない、気がする……」
「やってもいないのに?」
やってもいないのに、僕はその舞台に立つことを拒んでいる。それはどうなんだ、とナギは言いたいんだろう。木暮さんからの話に後ろ向きであることを以前怒っていたように、僕の姿勢に疑問を持っていると言うか、理解ができないと言いたいのかもしれない。
でも、僕にだってナギの姿勢に疑問がないわけではない。責めるように見つめてくるナギの眼差しに、僕は苛立ちを覚え始めている。遠回しとは言え、僕なりに想いを伝えてきていたのに、なんで気付いてくれないんだ、という怒りだ。
「だ、だって……メジャーって絶対売れなきゃじゃんか。売れなかったら契約切られたりするってざらだっていうじゃん」
「売れるように頑張るんだよ」
「頑張れなかったら? 頑張ってもダメだったら? なんでそんなにナギは自信たっぷりなの?」
「だから、なんでやってもいないのに葉一はそんなことがわかった風に言うわけ? べつに俺だって全部に自信があるわけじゃねーよ」
「でも、ナギはメジャーでやっていきたい、ってずっと言えるくらいの実力があると思ってるから、そんなこと言えるんだろ。……僕にはないよ」
「じゃあ、葉一は、俺のギターで唄っていたの、いやだった?」
「え……?」
僕の姿勢を問うような言葉が続いた後、不意にそんなナギとのこれまでを問うような言葉を突きつけられ、僕は咄嗟に返事ができなかった。まるで、僕らの、バレットでやった来たすべてが間違いだったとでも言いたげな言葉に、返す言葉が出てこなかったのだ。
そういう事を言いたかったわけじゃない。僕が言いたかったのは、ナギのギターの腕前がすごくて可能性が大きくあることであって、そんなナギに対して僕なんかは取るに足らないということ、だけど、それでもナギから見限られることがイヤだと思っている身勝手さが、ないまぜになっていることだ。何にしても、現状、メジャーデビューを拒むやつは、彼の足枷にしかならないんじゃないか、と。
それなのに、まるで僕がナギを捨てるかのような言い草に、驚きと動揺が隠せない。あまりに僕の考えとナギの言葉が違いすぎる。
なんて返せばナギにこれ以上誤解されずに済むのか考えあぐねていると、ナギは溜め息交じりに言葉を続ける。
「木暮さんから、“葉一が唄いたくないと言うなら、他の人を紹介するよ。それでデビューしてみる?”って言われたんだよ、この前」
「え……僕、なしでって……じゃあ、僕はバレットを脱退させられるってこと?」
「たぶん、そういうことなんだと思う」
煮え切らない、中途半端な態度を取っていたら、木暮さんの方から、僕より先にナギへ打診されていたことを知り、僕はとてもショックを受けた。僕の知らないところで、僕の処遇が決まろうとしていたからだ。
確かに僕はメジャーでやっていく自信がないとぐじぐじ言っている。でもそれが、ナギと音楽をやっていきたくないということとイコールではない。それははっきりしているし、だからこそ悩んでいるんだ。バレットの形を変えて、僕らの関係を解消してしまって良いと思っているのなら、少なくとも僕は、ナギと“成功の形”が違うことで頭を悩ませたり、気まずい思いをしたりなんかしない。
だけどそれは、傍から見れば全く動いていないことに繋がってしまうのかもしれない。
じゃあ、なんて言えばナギに、木暮さんに、僕の考えを理解してもらえるのだろう。それがわかっていたら、いまこんな事態になっていない。
「それ、いつまでに返事しなきゃなの?」
「たぶん、なるべく早くって言われたから……まあ、今週中かな」
今日は金曜日だから、残り2~3日ではっきりさせなくてはいけないということだ。返答しだいで、僕だけでなく、ナギのこれからも決まってしまうかもしれない……そのプレッシャーが、重く僕の肩にのしかかる。
僕の歌声をバカにしたやつらを、僕の歌声で見返したい。それが、僕がナイトシンガーとして再び唄い出したきっかけだった。そしてその目標は、ナギとバレットを組んである程度の知名度を得たことで、達成できた気がする。
だけど、ナギの夢は? かつて所属していたバンドを脱退させられてもなお強く望み、努力し続けてきた彼の望みである、“メジャーシーンでやっていきたい”というものは、僕の言動で、奪ってしまって良いものなんだろうか。僕の言動でナギの夢を奪ったり潰したりして良いわけがない。
だから、僕はためらうことなく答えた。
「べつに、僕じゃなくても、もっといい歌い手の人がいるんじゃない? 木暮さんならきっと、いい人見つけてくれるよ」
「じゃあ訊くけど、葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
思えるよ、と一瞬口を開きかけたけれど、僕は言葉が出てこなかった。あるかもしれない未来を、知らない誰かに奪われるのは、ナギだけじゃなくて、僕もかもしれない――そう、ナギは言うのだろうか。そんな、夢物語のような“もしも”を。
でも、そんな夢のような“もしも”を信じられるほど、僕は楽観的に物事を考えられない。だって僕は、ナギとは違って、クラスのすみっこにいるような陰キャなんだから。
やっぱり、僕らは陰キャと陽キャで相容れない、わかり合えないままなだろうか。
「そんな“もしも”、わかんないよ。僕のせいで、売れないかもしれないのに」
力なく呟くように言った僕に、ナギは溜め息もつかず、じっと数秒間僕を見つめ、やがて背を向けた。
その背に、僕はなんと言葉を返したらいいのかわからない。拒まれているのが明らかな背中を、もう一度振り向かせられる、魔法のような言葉なんて、知らない。
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
そう言い置いて去って行く背中を見つめながら、僕は滲んで滴る視界を停められず、うつむく。それはそのまま零れ落ち、地面を濡らしていく。
何が正しい答えなんだろう。僕は何をすべきで、何を言うべきで、ナギに答えればよかったんだろう。
何を言っても今更で、言い訳で、もう遅いとしか思えないのに。
「……わからないよ、そんなこと、なにも」
情けなく呟いた言葉が、小さく雫と共に地面に染み入っていく。月の光が、家々の灯りが、それをかき消すように照らしていた。
ナギとは、これきりになるかもしれない――そう考えた途端、指先から力が抜けて冷たくなっていく。まるで体の一部が抉られたように痛くて、ぽっかりと大きな穴が開いたような感じさえする。なんだか中学のあの時に感じた失恋のような痛みとからっぽな感じだ。
――失恋……その感触に、僕はハッとし、それをそのまま言葉にして呟く。
「……そうか、僕……ナギが、好きだったんだ。仲間としても、好きな人としても、すごく」
もうしない、抱かないと思っていた恋心は、存在をようやく認めたところで終わらなくてはいけなくなってしまった。……いや、自分から終わらせたんだ。やっぱり、僕なんかに恋はできないのだろうか。
「好きだって、やっと気づけたのにな……」
月明かりに溶かされそうなほど小さな呟きは、もう彼には届かない。僕にその資格がないとわかってしまったのだから。
バイト終わりにそんなことをナギから言われた帰り道、どうやって家までたどり着いたのか、それからどうしたのかが思い出せない。気づいたら僕は、自分の部屋のベッドの上に寝ころびぼうっと天井を見上げていた。
「葉一は、そうなって俺がいまのバレットとは全く違う形のバレットを汲んでメジャーに出て、売れても、ああよかったな、なんて思えるのか? そこに、自分がいたかもしれないのに?」
「――それでも俺は、葉一となら最強だと思っているし、やれるって思ってるから」
ナギから投げかけられた言葉と、それを覆うように膨らんでいくナギへの想いが、胸の奥に食い込むように刺さって、すごく痛い。
僕とならやれる、最強だと思う――そう、ナギは言っていた。それは、ナギにとっての僕の存在の大きさとか重要性がかなり大きいことを意味していると、そんな期待を持つようなことを考えてもいいのだろうか。
その上で、バレットのメンバーを変えてしまうことを、僕が納得できるのか、というのだろうか。
僕のことを好きとかどうとかではなく、自分がかつて似たようなことをされたから、ナギは親身になっているんじゃないだろうか。だから、僕の存在の大きさが彼にとってどうであるかはあまり関係がないんだ。好きだどうとかなんてもっと関係ない。
「じゃあなんで、僕に、納得できるのか? とか、一緒にやれると思う、なんて言うんだろう……僕じゃない人の方が、上手くいくかもしれない可能性は考えないのかな」
呟く自分の言葉が、ずっしりと圧し掛かる。ナギにとっての僕と、僕にとってのナギ。ただ単に一緒に音楽をやって来た、それだけの仲……と、切り捨てるように断じてしまうには、音楽という、いままで誰とも分かち合えなかったものを本気で分かち合った初めての相手であり、そして、ようやく好きでいたいと思える大切な相手でもある。その存在の希少さは、僕にだってわかっている。まだたった一年にも満たない関係だけれど、家族よりも濃い時間を過ごし、心を許してきたのは明らかだから。
そんな相手を、ただ思い描くものが違うから、というだけで離れてしまっていいのだろうか。この先、僕にそんな人が現れる保障はないし、もう二度といないかもしれない。それを、いま手放すか否かという瀬戸際に立たされている。
「でもだからって……僕に、メジャーでやっていけるほどの実力があるなんて思えないし……そもそも、ナギは僕を好きなわけがないし……」
メジャーに行ければ、あのバカにしたやつらを見返すには絶好の機会になるだろう。これ以上にない成果だろう。
だけど、それだけの想いだけで乗り切れるほど、メジャーシーンが甘くないことも僕なりに知っているつもりだ。その一つが、実力であり、自信だ。それが、僕には壊滅的にない。その上失恋までしてしまったら、いよいよ僕は生きていける気がしない。
そもそも、いくらバレットとしてそこそこの知名度や評価を得始めていても、僕は所詮は趣味の延長上。そのつもりでプロの世界に入ってしまったら、きっと痛い目を見るどころでは済まない。そこに恋情が絡んでしまっていたら、ちゃんとまともに音楽やっていけるんだろうか。それが、僕は怖くて仕方ない。
「……ナギは、そういうの考えたりして怖くならないのかな」
ナギが僕を好きかどうかがわからないから、立ち位置が違いすぎるか……聞きたいけれど聞けない、答えがわからない疑問は、白く見慣れた天井に昇って吸い込まれていった。
ナギと会った日から三日後、木暮さんから連絡が入り、都内のファミレスで会おうと言われた。
地元から小一時間ほどかけてムジカレコードの近くらしいファミレスに行くと、既に木暮さんが来ていて、その向かいにはナギが座っている。
まさかあれから会う羽目になるなんて考えてもいなかったから、お互いにバツが悪い顔をして思わず背ける。
しかし木暮さんは気にしていないのか、にこにこと手招きをする。
「葉一君、こっちだよ」
あからさまに気まずい顔をして佇んでいると、「まあ、気まずいだろうけれど、いまだけは隣同士で座ってくれないかな」と言われてしまったので、軽くうなずいて僕はナギの隣に座ってちらりと横目でナギの方を窺う。ナギは頬杖をついて、先に頼んでいたらしいドリンクバーのメロンソーダをストローでかき混ぜていた。
どうやら僕が来るまでに僕らの間で何があったのかをナギが話したらしく、それはそれで恥ずかしくなる。
「じゃあ、揃ったから本題を早速話させてもらうよ」と、木暮さんは切り出し、取り出したタブレットに何かを表示する。
「“(仮)バレット初ワンマンライブ inメロディア”……ワンマンライブ? 俺らがっすか?」
タブレット画面をナギと覗き込み、そこに映し出されている文字をナギが読み上げて問うと、木暮さんは大きくうなずいて涼し気な笑みを浮かべて更にこう言った。
「動員数は100人。もちろんできるならそれ以上でもいいけれど、最低でも、100人」
「ひゃ、100人?! 僕らだけでですか?!」
「そうだよ。ワンマンライブなんだから」
「で、でも……正直、路上でも50くらいが最高で……」
「でも、配信なら100は軽く行くようになっただろう?」
「そう、ですけど……」
その配信も、路上ライブでさえも、ここ数カ月近くほとんどできていない。もしかしたら今はもっとファンや視聴者数が減っているかもしれない。そんな中で、100人を動員するワンマンライブをやろうと言うのだ。
無理ですよ、と僕が言い返そうとした時、「あの、」と、それまで黙っていたナギが口を開いた。
「あの、いま、バレットにワンマンをさせるってことは、木暮さんたちなりに何か考えがあるからってことなんすか?」
確かにそうだ。活動が停滞しているいま、これまでにやったことがない大きなことを仕掛けようと言うのは、ただの思いつきだけではないだろう。
ナギの指摘に木暮さんはまたしてもうなずき、それまで浮かべていた柔和な笑みから、真剣な面持ちに切り替わる。その鋭い視線に、僕らは背筋を伸ばす。
「僕はね、バレットの音楽を世の中に届けたいと思っている。二人の飾らない歌詞とメロディがきっと世間の、特に同世代にウケると思うんだ。その魅力をより知ってもらうためにも、じっくり二人のライブをたくさんの人たちに見てもらおうかと思ってね」
「それって、あの、ライブにかかるお金って、どうなるんですか?」
「こちらが企画したことではあるから、こちらが持つことになる。だからこそ、キミたちには頑張ってお客さんを集めてもらいたい」
要するに、先行投資みたいなものだろう。無名の新人のワンマンライブを企画してお金を出す代わりに、この先売れなくてはいけないというやつだ。
これがメジャーの洗礼なのか……と、僕がさっそく怖気づきそうになり、「……できるかな」と、呟いてしまった。それに、木暮さんは耳ざとく反応し、こう言葉を続ける。
「最近、バレットは活動が停滞しているようだね。それも、二人の方向性の違いで」
「……それは、その……」
既にナギから先日の件を聞いているらしい木暮さんは、困ったように苦笑している。大事な時に何やっているんだ、と言いたげだ。
(でもまさか、この上僕がナギのことを好きで悶々としている……なんて知ったら、ナギはもとより、木暮さん、なんて言うだろう……)
額に背中に冷や汗が浮かび、血の気が引く思いで僕はうつむいて木暮さんの言葉を待った。
「まあ、人と人が組んでやるんだ。そういうぶつかり合いは、多かれ少なかれあるもんだよ。ただね、キミたちだけの都合でバレットの音楽をなし崩しにしてしまうのは、あまりにもったいない」
「でも、僕は……メジャーでやっていけるかなんて、全然……」
「だからだよ」
「え?」
木暮さんの言葉に思わず俯きかけていた顔をあげると、まるでわがままを言う小さな子どもを諭すような顔をしていて、僕は口をつぐんでしまう。
「メジャーで最初からやっていけるってわかっているような人は誰もいない。やっていけるって思って意気揚々と乗り込んでくる人だって挫けることだって充分にある。だからこそ、こうやって規模の小さなイベントをやってみて、現状を知ることから始めるんだ」
「現状……それって、どれだけバレットを見に来てくれる人がいるか、っていう、実力を知るみたいなもんすか?」
「それもあるけれど、いまのキミたちには、いま自分たちがどういう状況に置かれているのかを知る必要もある。そのための企画でもある、と僕は思っている」
「バレットの、現状……」
「このライブの成果を見てから、バレットをこの先どうしていくかを決めてもいいんじゃないかな? どうだろう」
メロディアは地元でも老舗のライブハウスで、路上ライブで集客が多くなった人の多くが、初めてワンマンをやる登竜門的な場所でもある。きっと、ナギが所属していたマネキアも、ここでライブをやってからデビューしたと考えられる。
ナギとしては、ここでライブをやる、の一択しかないのだろう。食い入るようにタブレットの画面を見つめ、鼻息が荒くなっているから。
対する僕は……正直、迷っていた。こんな今までにない規模のライブをやろうとして、失敗したらどうしよう、とか、成功したとして、その先をどうしよう、とか、想像の及ばないことに不安いなって言葉が出ない。何より、ナギに対して気持ちや考えをどう言えばいいのだろう。
だけど、と、考える。いっそこれを最初で最後のバレットのライブにして、ナギには別の人と組んでもらうように決めてもらう判断材料にしてもらってもいいんじゃないかとも思えた。よりメジャーに行くために、中途半端な考えの僕なんかより、ずっといい人が必要だと気付かせるいい機会かもしれない。ああ、こいつはやっぱり駄目だ、ってナギが思ったなら、それでいいんじゃないか、と。
そうすれば、この恋もきっと諦めることができる――そうでないといけないんだ。
「どうする? やりたいなら明後日の企画会議に出してみるんだけれど」
念を押すように木暮さんに言われ、僕とナギは顔をあげ、そして申し合わせたかのように互いを見てうなずき、揃って口を開いた。
「ワンマン、やります。やらせてください」
声まで揃った僕らの返事に木暮さんは目を丸くして、やがて吹き出して笑い、「わかったよ」と言った。
タブレットを指して、木暮さんは改まった調子で僕らに確認を取る。
「じゃあ、バレットの100人ワンマンライブの企画、会議に掛けさせてもらうね」
「はい、よろしくお願いします!」
二人そろって頭を下げた僕らは、きっとそれぞれ違う考えのもと、最初で最後になるかもしれない、自分たちのワンマンライブを開催と、ナギへの想いの行方をどうするかを決めたのだった。