「こんばんわー、バレットのギターナギと、」
「……よ、葉一です」

 配信ライブ当日、最初なので撮影は芽衣に手伝ってもらいながら、僕らはライブに専念させてもらうことにした。
 ギタリストとは言え、ナギはこれまでも何度もライブ自体やってきた経験があるからか、カメラの前でも観客を意識しつつ上手いこと喋ることができる。
 対する僕は、普段の投稿は歌だけのこともあって、気の利いた言葉が出てこずおどおどしてしまう。俯いたり、何かを言おうとして口を開きかけたりと、何とも情けない。
 そんな僕を不甲斐なく思っているのか、撮影を担当している芽衣が何か言いたげな目を向けてくる。それにリアクションすることもできない僕の肩を抱くように組んできて、急激に密着する。
 突然のことに動揺する僕に構わず、ナギがこう切り出した。

「ナ、ナギ……?!」
「んじゃまあ、早速1曲目行きますか。な、葉一」
「え、あ、うん」

 喋れないなら唄うしかない。僕はナギの言葉にどきまぎしながらうなずき、マイクを用意する。やがてナギが1曲目の「コンテストテンペスト」のイントロを弾き始め、それまで緊張で落ち着かなかった気持ちが穏やかに静かになっていくのを感じた。
 昔から、ナギの密着に関係はなく、僕は本番前ひどく緊張する性質(たち)だ。合唱を始めたばかりの頃は、合唱団内の発表会でさえ緊張で泣いてしまうほどだった。初めて大きなステージ――確か、市民会館か何かの文化祭だったと思う――に立ったときは、舞台袖で小鹿のように震えてもいた。

(そう言えば、小学校最後の合唱の発表の前にも、緊張していると言ったら、あの人が、「葉一ならできる、大丈夫」と言ってくれたんだっけな――)

 不意に思い出したほろ苦い記憶に、胸が痛んで言葉に詰まりそうになる。
 だけど同時に、場数を踏むごとに、ステージ上特有の照明の熱さや、会場中の視線が注がれる視線の圧力に少しは慣れていけたことも思い出す。

(いまは、慣れるまでの練習だと思えばいいんだ……何せ、本当のお客さんは、画面の向こうで、僕一人ではない)

 いま目の前にいるのはカメラを操作している妹の芽衣だけ。それに、唄うのは僕だけれど、動画に映されるのは僕だけではない。隣には、誰よりも僕の歌声を信じてくれているナギと、彼のギターがある。
 大丈夫、出来る――深呼吸をひとつし、僕は「コンテストテンペスト」の最初の歌詞を口にした。


「まずまずってとこなんじゃない?」

 配信ライブは全5曲やったのだけれど、肝心の視聴者数は目標の1000には届かなかった。
 それでも、日頃多くても300程度だった視聴回数が、今回は多い瞬間で700はあったと芽衣が言っていた。
 僕としてもかなりいい数字ではないかと思うのだけれど、上昇志向が強いからか、ナギは満足している感じではない。

「まずまずじゃダメなんだよなぁ……ガッツリ爪痕残せないとさぁ、風穴あけるんだし」
「爪痕だの風穴だの言うけど、僕らは結成してまだ一ヶ月くらいだし、活動の場はまだネットの数本くらいしかない無名なんだからさ、それ考えとかなり良いんじゃないかと思うよ」
「そう言われりゃそうだけどさぁ……俺にだってもう少しファンはいたと思ってたのに……」
「そうかもしれないけど……ファンのすべてが推しの活動のすべてを追ってくれるとは限らないし、あのバンドにいたナギが好きだった、ってファンもいなくはないんじゃない?」
「あー、まあ、そうかもしれないけどさあ……」

 いままで応援してくれていると思った人たちが、まるで幻だったような感覚とでも言うのか、そういうのってすんなり受け入れられないものなんだろう。僕にはそんなファンみたいな人を身近に感じたことがないからわからないけど、離れてしまったかもしれないと考えたら、やはりショックではあるのかもしれない。
 こういう時、どう言えばナギは現状を受け入れてくれるだろうか……と、思案していると、僕らのやり取りを見ていた芽衣が「でもあたし、今日の配信すごくカッコ良かったって思うよ、ナギさん」と、言うと、ナギはぱあっと顔を輝かせる。

「マジで?! 芽衣ちゃんがそう言ってくれるなら、そんなに悪くなかったのかもなー。やっぱ俺のギターテクがあるからなぁ」
「…………」
「何だよ、葉一、その目は」
「……べつに」

 メンバーの僕よりも、妹の芽衣の言葉の方を信用するナギの態度に軽く腹が立ちながらも、とりあえずナギの不満が治まったようなので良しとしよう。……全然腑に落ちないけれど。
 機嫌がよくなったナギは、定期的に配信ライブをする事を提案してくる。僕も今回のことでまあまあ自信がついたので、またやってもいいと思えた。
 そうやって回数を踏んで、合唱の時のように緊張に慣れていけば、その内路上に立って歌うこともできるかもしれない。そう考えると、今日の本番前に憂鬱ささえ感じていたのが、嘘のように晴れていく。

「次はいつにするかな」
「来月とかどう?」

 僕から提案したのが意外だったのか、ナギは一瞬目を丸くし、「いいじゃん」と、ニヤリと笑う。その笑みにつられるように僕も片頬をあげて笑い、僕らは初めてより距離が縮まってきた気がした。肩を組まれて密着するのもいいけれど、こういうのも悪くはない。
 何か小さな垣根のようなものを越えた感覚があったこの日以降、僕からも少しずつナギにバレットの活動について提案していくようになった。配信に使う曲とか、カメラのアングルとか。僕だけ、もしくはナギだけで決めていくよりもそれらはうんと広がりを見せるようになった気がする。
 それに比例するように、じわじわとだけれど、動画の視聴回数やチャンネル登録者数も増え始めている。ある一定のフォロワー数になると、配信者としてのランクがMITEの中でプレミアムランクになるとかで、長時間のライブ配信ができるようになるらしい。でもその数はフォロワー数1000以上だったかで、まだまだ道は遠い。


「やっぱ、チャンネル登録者数伸ばさないとだよなぁ」

 3回目になる配信ライブの反省会を、撮影をした僕の部屋でそのまましている時、ナギが独り言ともつかないボリュームで呟く。

「プレミアムランクになりたいってこと?」
「そー。やっぱさ、15分くらいのライブじゃやれる曲の数が限られるし、路上ライブを今後するにも宣伝できないだろ」
「宣伝は通知欄で良くない?」
「みんながみんな通知欄ちゃんと読むと思うか?」
「それは、そうかもね……」
「それにさ、プレミアムランクになると投げ銭してもらえるようになるんだぜ」
「え、そうなの?」

 投げ銭とは聴いてくれている人の気持ちで、チップみたいにお金をワンクリックでもらえるシステムだ。推しのアーティストやタレントに貢ぎたい人は万単位で投げ銭をすると聞いたこともある。
 さすがに僕らのような無名も無名なバンドに、そんなに投げ銭するような人はいないだろうけれど、もし、配信とかが上手くいけば、多少なりとも期待できるかもしれない。

「路上での投げ銭より気軽だって言うなら、出来るようになりたいね」
「だろ? んでさ、金貯めて、音源リリースしたり、ライブハウス借りてライブやったりとかしたいよな」
「じゃあ、路上ライブは投げ銭を期待するって言うより、配信の宣伝的な位置づけになるのか」
「あー、そうなるのかな? 路上で人気出てもデビューはしやすいだろうけど」

 ナギはあくまでメジャーシーンでのデビューと活躍を目標としているので、路上ライブや配信で知名度が上がり、あわよくばデビューに繋がればと思っているのかもしれない。
 僕だって知名度が上がって、動画がたくさん見られるようになったらなとは思ってはいる。だけど、それにメジャーシーンで活躍するアーティスト級の知名度まで欲しいとは思わない。そこまでのし上がらなくとも、そこそこの知名度で好きなように唄えたらそれで充分だと思うからだ。
 その僕とナギの考えの違いが、時々小さく軋んだ音を立てる。食い違いから生じる隙間が、まるで僕の油断するところを狙っているみたいで、心許なくてそわそわする。

「でもさ、メジャーでやりたいなら、オリジナル曲がなくちゃなんじゃない? ナギ、曲作れるの?」

 いままで既存曲のカバー演奏しているところしか見たことがなかったので、ふと気になって訊いてみた。ナギは、ギターを抱きしめるようにあぐらをかいた足の間に立てながら、考え込む。

「曲らしい曲ってあんま作った事ねえんだよなぁ……バンドで1~2曲は作った事あるけど、それきり。採用もされなかったし。それに俺、詞は全然書けないんだよな」
「それじゃあ、インスト曲で勝負するとか?」
「いや、葉一唄うんだろ? つーかさ、葉一は作詞とか出来ねーの?」
「え? 僕? なんで?」
「だって葉一が唄うんだからさ、お前が唄いやすいように作詞すればよくない?」
「いや、唄うのは確かに僕だけど、メロディがない事には……」
「でもさ、ボーカルが作詞してるって結構あるし、歌詞から曲作るってこともあるじゃん」
「そうだけど……」

 だからと言って、僕ができるとは限らないんだけれど……と、言い逃れしようと思ったのだけれど、ナギはもう既に一人でギターを弾いてフレーズを考え始めている。
 まさか本気で言っているんだろうか……と、一抹の不安を覚えていると、ナギは満面の笑みでこう言った。

「いつかは俺らの曲やるってのも目標にしようぜ。なんたってメジャーで一緒にやってくんだからさ!」

 「一緒にやっていく」その言葉が、僕の挫けそうな心を引き上げてくれる。
 それに、目標が大きくてわかりやすく、しっかりとしているナギの言葉の方が力強く、僕をうなずかせる。強引と言えば強引かもしれないけれど、彼のそういう振る舞いがなかったら、僕だけではライブ配信をしていたなんて思えない。ましてや、オリジナルの楽曲をやろう、と僕から言うなんて。
 少しずつ、僕の中で何かが変わり始めているのがわかる。ぐいぐいと強く牽いていくナギの言動が、引っ込み思案で立ち止まりがちな僕を引っ張ってくれる。伴奏というよりも先導に近いけれど、無理強いされているわけではないから、心地よくもある。
 まったく戸惑いがないと言えば嘘になるけれど、ひとりで模索していた頃よりも違う場所にいるのは確かだ。ただその行き着く先が、メジャーシーンなのかどうかは、まだ定まらないのだけれど。

「とりあえず、次の配信くらいまでにはワンコーラスくらいは出来ていたいよな」

 目標を立てるのが好きなのか、ナギはもう早速新たな目標を口にし、買ってきていたコーラを煽るように飲んでいた。
 一緒にメジャーで。その言葉はとても嬉しい。先導されているより並走している感じがして、そのままどこまでも走っていける気さえする。

(だけど……いつまでもこのまま何も決めていないわけにはいかないよね……)

 いまはまだ僕もナギも高校生で、子どもだけれど、その時間も残り少ない。自分が歩く道を、歩きたい道を決めなくてはいけない。

(ナギが歩く隣に、僕がいれたら……って、言いたい。でも、僕はメジャーでやっていける自信なんてない……)

 どうしたらいいのかわからない不安がふつふつと湧くのを感じながらも、僕はナギと次の配信に何をするかを話し合っていた。