人垣の向こうに、いつもバイト先で見るあの明るい跳ねた茶髪が見える。ただ髪型のせいじゃなく、それはいま、彼が奏でる旋律に合わせるように揺れている。
「シャリンバイの、コンテストテンペスト!」
イントロのギターだけでわかってしまうほど有名なその曲を、僕とそう変わらないであろう彼は、まるですご腕のミュージシャンのように弾き始める。有名バンド・シャリンバイのギターを彷彿とさせる、なんてありきたりの言葉だけでは足らない、きらめく何かが彼の中にある。
そしてそれは、確実に僕の感情をあおっていく。唄えよ、さあ、と言うように。
駅前のターミナルいっぱいに響くギターの音がどんどん大きくなっていき、足を止めるお客さんが増えていく。彼を取り囲むように眺めているお客さん達の視線の多さを肌で感じつつも、僕は、うずうずとするものを感じずにはいられない。
(――彼のギターで、唄いたい)
陰キャで、4年前の中二のあの日から、人前なんかでもう決して唄わないと決めていたはずの僕の胸を叩き、急かすようにどんどんこの曲特有のメロディラインを奏でていく。
(――唄いたい、いま、ここで)
そう強く願った瞬間、僕は一歩前の踏み出し、そして歌声をつむぐべく口を開いて深呼吸していた。
その夜のセッションが、僕らのすべての始まるになるなんて、知りもしないで。
「あー……またダメか……」
バイト先のコンビニのレジカウンター内で、僕はスマホを取り出し溜め息をつく。いまはちょうどひと気がないので休憩も兼ねている。
眺めているのは動画投稿サイト・MITE。世界中のあらゆる動画が投稿されるSNSサイトの一つで、その中でも音楽系の動画が多いのが特徴だ。
『【歌ってみた】コンテストテンペスト/ナイトシンガー vol.8(再生回数:24)』
僕もまた、そのあまたいるMITEへの投稿者の一人であり、そして、底辺配信者とも言える。視聴者数や視聴再生回数が極端に少ないからそう呼ばれると聞いたことがある。
絵を描くことやダンス、トーク、文章にして綴る。この世には様々な自己表現がある中で、僕が選んだのは唄うことだ。
理由は単純に唄うことが好きで、幼い頃は合唱団に入っていた程唄うことが好きだ。
歌手になりたい、と思ったわけではないけれど、唄うことで、普段は無口で影の薄い僕が主役になれるような気さえする快感が好きで、僕の自己表現は唄うこととも言えた。
「さすが、上手いな、葉一!」
「そうでもないよ」
「そうでもあるって。葉一の歌う声、俺、好きだもん」
小6の頃に友達になった深谷は、どちらかと言うと陽キャな感じだったのに、僕によく話しかけてくれて、仲良くしていて、二人でよく連れ立ってカラオケに行った。
カラオケに行くと、流行りの歌を好きなように唄えて、合唱の時とは違う楽しさがある。しかも、カラオケに行くたびに彼が褒めてくれて、そんな風に言ってくれる。それが何より嬉しかった。
その内に、彼の言う「好き」が、まるで僕自身にまで向けられているように思い始めて、彼そのものに惹かれ始めるのに時間はかからなかった。
ひょろりと無駄に背が高く細い体いっぱいを使って響かせる歌声を、合唱の先生だけでなく、彼にも褒められることが誇らしく、しあわせだと思ったりもしたのだけれど――
「葉一ってさ、合唱やってるってマジ?」
「ウソ、歌ガチ勢なの? ウケる」
「だから一人張り切っていつも唄ってんだ」
中学二年の合唱コンクールの練習中、クラスの中でも陽キャであり、且つ、スクールカースト上位であるやつらからそんな言葉を投げかけられたのだ。
陽キャから目を付けられるだけでも学校生活では致命傷なのに、当時の僕は更に大きな傷を負った。
そのグループの中にいつの間にか深谷も混じるようになっていて、段々と僕よりも彼らと遊ぶ脳になっていた頃だった。
当時僕は声変わりが始まってもなお合唱は続けていたし、唄うことは変わらず楽しかった。合唱コンクールの練習も、確かに他の生徒に比べたら、張り切って見えるほどに大きな声を出していたかもしれない。
だけどきっと、彼らが言いたいのは、そういう点じゃなく、“陰キャでスクールカースト底辺な夜野葉一が、自分たちの退屈しのぎのネタになるようなことをやっている”、ということだったんだろう。
もし僕が、スクールカーストでも真ん中くらいのポジションにいる奴だったなら、話は違っていたかもしれない。
でも、世の中はそんな都合よく出来ていない。
「ホント、マジきもッ」
あんなに、上手いねって、好きだなって言ってくれていたのに――
グループの中にいた彼が、僕を嗤ってそう言ったのが聞こえ――その日どうやって僕は学校から帰ったのかわからないくらいショックを受けた。
そうしてそれ以来、僕は唄うことも、誰かを好きになることも諦めることにした。密かにとは言え、好きな人にキモいと嗤われて、好きでい続けることも一緒に過ごすことも、死ぬほどツラかったから。
瞬く間に、クラスはもとより、学年中に“歌ガチ勢の陰キャ”として僕は有名になり、合唱コンクールの練習以外にも、音楽の授業で唄うだけでもくすくす笑われるようになってしまったことも悲しかった。
「夜野くんの歌声は素晴らしいじゃない! 物笑いにしてはいけないわよ!」
僕を気の毒がってのフォローだったのだろうけれど、当時の音楽教師である通称・柳のおばばこと、高柳先生という高齢の女性教師の言葉が、一層陽キャたちを調子づかせたのは言うまでもない。
その影響で、当然僕は合唱も辞め、それ以降中学卒業までの間殆ど登校することはなかった。お陰で内申点は最悪で、どうにか受験できたのは入試問題が作文だけの通信制の高校だけだった。
幸いなのは学校行事に合唱コンクールのない高校であることで、芸術の授業も音楽は避け、カラオケに誘われても絶対に断り、鼻唄さえも人前では唄わないようになっていった。あの言葉が、いつまでもべったりと人前で唄うことに、二の足を踏ませる苦い経験の影を落とし続けていたからだ。
そんな僕が、何故いま唄ってみた動画なんて投稿するようになったのか。
それは、半年前にたまたま見かけた投稿動画がきっかけだった。
「お兄、この人さ、いますっごい唄上手いってバズってるんだよ。聴いてみない?」
三歳下の妹の芽衣が、バイトから帰って来て遅い晩ごはんを食べている僕に、スマホを差し出し、ある動画を見せてきたのだ。
その動画はいわゆる“歌ってみた動画”と呼ばれる、音楽系の投稿動画の一つだった。投稿者が自宅などで、既存の好きな曲やリクエスト曲をカバーして唄い、その歌声を披露するというものだ。
バズっている、つまり、流行っているというその動画の歌声を聴いたのだけれど、僕はたちまちに動画再生を停めてしまった。
「なにすんのよぉ! これからサビなのに!」
「サビまで聴かなくても、こいつがどの程度なのかもうわかった」
「ウソだぁ。この人すっごいバズってて、再生回数ヤバいんだよ」
「バズってるから、上手いってわけじゃないよ。こういうのは、映像と音声の編集が上手いから、騙されるんだよ」
すべての歌唱系の投稿者がそうであるわけではないだろうけれど、歌ってみた、というからには地声で勝負したらどうだ、と、僕は持論のようなものがあった。それはやはり、自分の歌声をバカにされた悔しさが、ずっと心のどこかにあったのかもしれない。
中二のあの秋以降、僕は唄うこと自体封印していたから、唄っても笑われない環境にある上に、評価もされている人たちを妬ましく思っていたのだろう。その流行りだと言う歌声を聞かされて、つい、妬みに火がついたのだ。
芽衣は僕の言葉にあからさまに不機嫌な顔をし、こうも反論してきた。
「そんなに言うなら、お兄が唄って投稿しなよ、編集とかしない声で」
「はあ? なんで僕が唄わなきゃなんだよ。第一、投稿とかしたことないのに」
「だって、お兄はこの人より上手いって思ってるから、あたしのこと騙されてるとか言うんでしょ!」
「僕は事実を言っただけだよ」
「じゃあそれ、証明してみせてよ」
ぐうの音も出ない言葉に、僕が口をつぐんでいると、芽衣は畳みかけるように更にこう言った。
「あたし、唄ってるお兄、結構いいなって思ってたよ。合唱やってた時とか。全然今みたいな超陰キャじゃなかったし」
「……悪かったな、超陰キャで。これが僕の素だよ」
「べつに陽キャになれって言わないからさ、せめて、夜型な生活の陰キャなんて身にも心にも不健康だから、どうにかしなよ」
通信制とは言えとりあえず高校に入りはしたものの、不規則シフトのバイトのせいで夜型気味の生活になったことも手伝って、僕の陰キャぶりは加速している自覚はある。元来外見にこだわらないので髪は伸び放題だし、真っ黒だし、日に当たらないから色もめちゃくちゃ白い。
きっと芽衣が母さん達からどうにかしろなんて言われたんだろうと、反発したい気持ちが一瞬湧いた。
しかし同時に、いつまでも中学の頃のバカな奴らの一言に囚われて、初めて好きになった人を思い続けることすら諦めさせられただけでなく、大好きだった歌うことを封印し続けているのもバカバカしいと言う気持ちもあの頃からずっとあったのも確かだ。なんで、僕が逃げなきゃなんだろう、と。
「……そんな、簡単に唄ってみろとか言うなよな」
その時はそれだけを返して部屋に戻ったのだけれど、ベッドに寝転がりながらスマホで漁った、歌ってみた動画を片端から聞いてみては、何かが違うなと思いもしていた。僕なら、もっとこうするのに、とか、こんな歌い方じゃないだろう、とか。
――それなら、僕が唄ってみればいいんだ。
辿り着いた言葉は芽衣からの言葉と全く同じで、翌日、僕はバイト代をはたいて録音機材を買いに隣町の家電量販店に向かっていた。
そして、投稿し続けてかれこれ半年近く。投稿した動画はいまのところ8本。バズる気配どころか、視聴者数や再生回数が3桁になることすらない。
「っかしいなぁ……今度は結構うまく唄えてたはずなのに」
最初の頃こそただ歌ったものだけを動画に撮って投稿していたけれど、それだけでは全く見向きもされないとわかった。地声で唄っているという証明にならないからだ。だからいまでは逆光のシルエットで唄っている姿ごと撮影した動画を投稿しているのだけれど……あまり、効果はないようだ。
まったくの手探りで動画を撮影したり歌声を録音したりしているし、芽衣にああ言ってしまった手前、編集もろくにできないため、これ以上どうしたらいいのかがわからないのが現状だ。
「……マジ、詰んでるな」
「詰むのは勝手だけどさ、勤務中にスマホってどうなんだよ。仕事しろよ」
溜め息をつきながらカウンター内でしゃがみ込んでいると、上からエラそうに覗き込んでくる声がした。
透けるような明るい茶髪をハネさせた、僕よりも背が低いであろう癖に、気の強そうな目が僕をにらんでいる。
慌てて立ち上がり、「いらっしゃいませ!」と、飛び上がりそうになりながら言って、すぐに僕は舌打ちしたい気持ちにかられる。声をかけてきた相手が、見るからに忌々しい典型的な陽キャだったからだ。
しかもそいつは、僕はこうなる前に目指していた高校の制服――深緑のブレザーにレモンイエローのネクタイ、灰色のスラックス――を着崩しながら身に着けていたのが余計に腹立たしかった。
「……休憩兼ねてたんで」
こいつは、近所のライブハウスによく来る高校生バンドマンの一人だ。いつも店に来るときに制服姿で黒いギターケースを背負っていたり、同じバンドのメンバー(多分彼よりも年上の人ばかりだ)と思われる人たちとも来たりするので、そのバンドでギターをやっているんだろう。こいつは特にうるさくしているので、いやでも顔を覚えてしまった。
「んだよ、客に口答えするのか? カスタマーセンターにクレーム入れるぞ?」
「用件、なんすか」
「オリチキ1個くれよ」
エラそうで威張っていて、陰キャな僕を明らかに見下している感が満載な陽キャ。しかも僕が言ったかもしれない高校のバンドマン。僕と真逆なタイプにもほどがあるだろう。
見るほどに、あの中学の頃に僕をバカにしたやつらを思い出して腹立たしい。
「258円です」
僕がお会計を告げると、彼は黙ってスマホを差し出してきた。何だろうかと首を傾げていると、彼はあからさまに僕をバカにしたように溜め息をつく。
「ペイ払い。俺の話聞いてた?」
ムッとした顔は隠しきれなかったけれど、一言も口にしていないだろうが!! と、怒鳴らなかった僕が大人だと褒めて欲しい。
どうにか支払いを済ませたギタリストらしき彼は、チキンを片手に、「じゃあな」と言って店を出ていく。その後ろ姿に舌でも出してやりたいのを堪えながら、僕は相変わらず再生回数が伸びない自分の動画の管理画面に目を戻すのだった。
「ナギ、クレームつけてただろ」
「大野さーん! なんでそんな笑うんすかぁ! 俺、別にクレーマーじゃないっすよぉ!」
ナギ、と呼ばれたさっきの彼がガラス戸越しでも聞こえるほどの大声で、店の外にいたメンバーと喋っている。騒音だってこっちこそクレームつけてやろうか……と思うほど、あいつは絵に描いたような陽キャだ。そろそろ夜になってくるのに大声で魅せの前で騒いで……これだから陽キャは苦手なんだ。
「……あいつ、ナギっていうのか」
顔ばかりか名前まで覚えてしまうほどに、忌々しい存在。僕と何もかもが真逆だ。
大柄な大人たちに囲まれながらもナギは負けずに大声を張り上げ、笑っている。そのタフさがいっそ羨ましいなんて思ってしまう。
その内にナギたちは笑いながら去って行き、店の前は静かな夕暮れに包まれ始めた。
ナイトシンガーの動画を投稿するのは大体月に2~3本。選曲して、練習をし、撮影しつつ歌って、それを最低限の編集をして投稿する。
言葉にすると簡単そうなのだけれど、「選曲して、練習して、撮影」までが10日ほどかかるし、その間にも高校の課題や通学、バイトもあるし、実家暮らしなので夜中に唄って収録することは出来ないので、やれる時間が限られている。
そうなるとスケジュールが割とタイトで、他の投稿者に比べると投稿数も多くないし、その上数字も良くないので全くチャンネル登録者も伸びない。
固定で見てくれる人が少ないので新規の閲覧者も増えない。だから、ますますその他大勢に埋もれていく……という、悪循環に陥っているのが現状だ。
「だからって流行りを唄えばいい、ってもんじゃないみたいだしなぁ……」
僕の音域で唄いやすく、且つ、流行りも抑えている曲、となると選択肢が狭まってくる。唄えそうな曲は思いつく限り唄って投稿しては見たものの、結果に結びついていない。
市場調査をしろ、と言う話なんだろうけれど、僕なりに流行りを抑えているつもりなのに、何が違うんだろうか?
「それがわかってりゃ苦労しないか……」
珍しく客足が途絶えた夜の七時過ぎ、僕は廃棄の弁当などをチェックしながらひとりつぶやく。その上、誰もいないのを良いことに、少しだけ唄ってみたりもする。こういう隙間時間も貴重な練習時間だ。今日は90年代の邦楽で流行った懐かしい曲を歌いたい気分だ。
最近の曲に比べて言葉数に余裕があって、詰め込みすぎていない感じが僕は唄い易くて好きだ。
好きな曲がちょうど店内BGMで流れてきたこともあって、それに合わせて小声より少し大きな声で唄ってみる。
女性ボーカルのも曲も僕はものによっては唄えるので、ハイトーンを口ずさもうと大きくブレスをしたその時、「どういうことだよ!!」と、怒鳴り声がどこからともなく聞こえてきた。
実は店内に人がいたのかと僕は慌ててレジの方を振り返る。しかし人影はなく、一応店内をぐるりと見る限り、僕しかいないようだ。
近くを酔っ払いが通ったんだろうか、と、再び廃棄チェックに戻ろうとした時、またしても声が響く。
「なんで俺が抜けなきゃなんだよ!」
今度ははっきりと店のすぐ近く、だけど中ではない、ガラス越しのくぐもった声が聞こえた。
どこか聞き覚えがある声だな、と思いながら声のした方へ顔を覗かせ、僕はその先に見えた光景に、思わず、「あれ、あいつ……」と呟く。
「……って言ってたじゃんかよ! だからってなんで、俺が!」
店のすぐ外で、見覚えのある茶髪のハネ髪と黒いギターケースに深緑のブレザー……ナギだ、と思っていたら、そいつが持っていたなにかを地面にたたきつける仕草をした。
俯くナギに、向き合っている背の高い、タバコを咥えている青い髪の大人だろう男の人が何か言っている。ナギは、全く納得している感じではないけれど。
まだ何か言おうとナギが口を開きかけた時、その青い髪の男の人は背を向け、傍らにいた他の同じ年ぐらいの男たちと去って行った。みんな、明らかにナギよりも年上そうだった。
残された背中は、背負っているギターよりも小さく頼りなく見え、僕はつい、見入ってしまう。
ナギは少し俯いていたけれど、やがてとぼとぼと歩いて店の中に入り、ジュース類の並ぶ冷蔵庫を覗き、それからスナック菓子の棚の前に佇む。それから、いま並べ終えた弁当とかもどんどんカゴに入れていく。
やけ食いでもするのかな……と、引き続き目で追っていると、ナギが僕の視線に気づいたようで、こちらを振り返りかけ、僕は慌ててレジに入る。
ナギは山のようなスナック菓子やジュース、それから僕にホットスナックをいくつも注文しながらカウンターにカゴをどかりと置いた。
その顔は目の周りが真っ赤で濡れていて、鼻もすすっていて、いかにも今しがたまで泣いていました、という感じが拭えない。まるで幼い迷子みたいだ。
それでなくとも、ナギは下手すると僕よりも下に、中二である僕の妹の芽衣くらいにも見える。
だから、中学生が、さっきどう見ても音内見えた人たちから何かされたのかと心配になって、「あの、なんかされたの? 大丈夫?」と、つい口にしていた。
すると、途端にさっきまで半泣きに見えた顔が、瞬く間に怒りとわかる色で染まっていき、いつも以上にデカくてイライラする声で怒鳴りつけてくる。
「お前まで俺をガキだって言うのかよ! ふざけんなよな、どいつもこいつも!」
「いやだって泣いてるじゃ……」
「泣いてねーし!」
べつに僕は彼をガキ臭いなんて思ったわけではなく、常連と言える彼の様子が心配で声をかけただけだ。それなのに……ナギは真っ赤な顔をして、それまで以上に泣きそうな顔をしてカウンターに突っ伏した。
背負っているギターがカウンターの中に入り込んで邪魔だな、と思いつつも、そんなにショックなことをさっき言われたのか、という同情の気持ちも湧いて、邪険にできず黙っていた。
「……あの、大丈夫?」
「……ごめん。八つ当たりした……」
「いや、こっちこそ、余計なこと言って……」
「俺さ、一応これでも高三なんだ。ほら」
そう言いながらナギは身分証明書として、ブレザーのポケットから学生証を差し出す。
“日川渚 200X年4月18日生まれ”
ナギ、って渚、ってことなのか……学生証を見ながら感心したのは、彼が本当に十八歳の高校三年生であることよりも、呼び名の方だった。明るくて、こんな僕にも懐っこい顔を向けてくる彼の雰囲気にぴったりな名前で、かわいい呼び名だなと思った。
(……かわいい? ほんのついさっきまで、陽キャで相容れないって思っていたのに?)
学生証の証明写真のナギは、実物よりも真面目腐った顔で無表情で、そっちの方が年相応に見える気がして不思議だ。
「んじゃな。あんたもいつもお疲れ」
「あ、うん……ありがとうございました」
大きなビニール袋を抱えて帰るナギの背中は、やっぱり迷子のように頼りなく、ちゃんと家に帰れるか心配になるほどだ。
陽キャでもあんな風に泣いたるするんだ……そんな当たり前を今更に気付かされ、僕は陽キャと言えどそれぞれに色々あるものなんだろうか、なんて考えながら、頼りなく夜の街に消えていく背中を見送った。
「なんで俺が抜けなきゃなんだよ!」
……って、ナギは言っていたな、と、翌日のバイトの帰り道、思い返していた。
ナギと話合いをしていた相手は、顔は見えなかったけれど、たぶん、同じバンドのメンバーだったと思う。ずいぶん歳が上の人のように見えたけれど、ああいう人たちの中でナギはやっていたんだろうか。
抜けるのどうのと言う話をしていたってことは、ナギは、バンドを脱退させられたってことなんだろうか? あのあと大量にお菓子やらを買って帰ったり、僕に八つ当たりしたりしていたから、穏やかな理由じゃなかったんだろう。
気の毒だな、という想いもありはするものの、八つ当たりされた忌々しさを思い出して、昨日ほど同情はできない。
だけど、この先ナギがどうするのかは、気になりはする。バンドの脱退が事実なら、彼はひとりになるのだから。
MITEでもギターを弾くだけの動画を投稿している人もいるけれど、そのバズっている多くがプロだし、視聴者数で言うと、やはり歌ものの方が数字は跳ねやすい気がする。高校生のギターなんて、正直たかが知れているような者だろう。自分のことを棚いあげてそんなエラそうなことまで考えてしまう。
「……なんで僕があいつなんかのことを心配してるんだ? べつに、関係ないのに」
そう呟いて、バイト先のコンビニと自宅の間にある駅のコンコースにふと立ち止まると、どこからかギターの音色が聞こえてくる。きっと、誰かが路上ライブをしているのだろう。
僕が住むこの街は、首都圏のベッドタウンということもあって人通りが多く、駅前のコンコースをはじめ、昔からギターやバンドなど、いろいろな路上ライブが割と盛んにおこなわれる地域でもある。昔この辺りで路上ライブをしていたり、地元の老舗ライブハウスでライブをしていたりしたバンドがメジャーデビューしたとかで、バンドキッズが多く、いわゆる聖地のようになっているせいもあるだろう。
路上ライブをするには、集客できる人ほどいい場所を暗黙の了解で獲れるようになっているようで、馴染みの場所にはなじみのアーティストの卵が演奏している。
だけど、その音色はそう言った客がよく集まるような場所ではないところから聞こえていたのだ。しかも、いつもここを夜のシフトの日に通りかかって聞く音色とは、少し違っている。
コンコースで一番スペースの広いところにも人は集まっていたけれど、その音はそこからではなく、もっと端の、高架橋の下からだ。
「結構上手いな……誰だろ。しかもアコギで、歌がない。インスト曲かな」
いわゆるインスト曲で路上ライブをしていると言うのだろうか。それで端の方で集客しようなんてかなり度胸あるな……と思いながら、音のする方へと歩いて行くと、僕は見慣れた茶髪のハネ髪が見えて足を停めた。
アコースティックギターをアンプラグドで奏でているからか、演奏曲はポップスと言うよりも映画のサントラのような曲が多い気がする。それでも、通りすがりの人が何人か足を停めて聞き入っていて、演奏する彼の前でふたを開けているギターのハードケースには小銭が何枚か投げ込まれている。
(ナギ、こういうギター弾くんだ……)
初めて聞く、エラそうな口調だけでない、彼の言葉とも言える音に、僕もまた聞き入っていた。
映画のサントラばかりかと思っていたけれど、ナギは邦楽だけに留まらず、新旧問わず様々な洋邦様々な曲を弾き倒す。高校生のギターだから、と馬鹿にしたものではない気がする。
その上、いまはアコースティックギターだからわかりにくいけれど、もしかしたら、ナギはエレキギターの方が得意かもしれないな……そんなことを思わせる、彼の髪型のようにハネるギターの音色だ。どこかジョージハリソンを感じさせるような、唄いたくなるギターだ。
数曲ほど弾いて拍手をぱらぱらともらったナギは、嬉しそうに微笑み、やがてとある曲の印象的なイントロを弾き始めた。
(――コンテストテンペストだ)
最近僕が歌ってみた動画で投稿したけれど、反応がいまいちだった曲であり、この街出身のバンド・シャリンバイの代表曲でもある。
地元のバンドであるシャリンバイの代表曲が始まったとあって、足を止める人は増え始め、ギャラリーが増えていく。正直、僕の動画の視聴者数より多い気がする。
(……このギターに合わせて、唄いたい)
ナギのギターは傍で聴いているだけでも歌心を煽られる。しかも今はアコースティックステージにも関わらず、まるでエレキギターで焚きつけられているようだ。
唄えよ、ほら。そう、急き立てられるように口が開く。聴くほどに体の奥の方からふつふつとそんな感情が湧いてくるのを感じ――気づけば僕は、一歩前に踏み出して口を開いてコンテストテンペストの歌詞を口ずさんでいた。
いま演奏されているのが、AメロなのかBメロなのかも確認をよくしないで飛込んで唄い始めた僕に、ナギはほんの一瞬戸惑ったように演奏の手を停める。でも、それは本当に一瞬で、すぐに僕が唄う歌詞が譜面のどの辺りなのかを把握し、ちゃんと音源と同じようにフレーズを奏で始めた。
(こいつ、すぐに歌いだしの場所を把握した。メロディが身体に入ってるんだ)
コンテストテンペストは、投稿動画ではバズることはなかったけれど、僕としては割と得意なジャンルの曲だと思っている(だから余計に、再生回数が振るわなかったのがショックではあったのだけれど)。
歌詞の言葉数を詰め込んだ早口になる中盤が見せどころで、そこでギターとどう絡んでいくかが見せ場と言える。
いま初めて聞いた相手のギターでどれだけそれが出来るかわからない。失敗する可能性の方が高いかもしれない。
でも、僕はナギとギターでなら、不可能はない気がしたんだ。
「“許せ 許せない どっちでもいい このコンテスト すべてを投げ出して
てっぺんに立ちたいだけ ただそこに辿り着きたいだけ
コンテストテンペスト 星より高く舞い上がれ 星より熱く燃え尽きろ”」
ナギを見ていたお客さんの目が、一斉に僕に注がれる。僕の身体中の熱が一気に跳ね上がり、カッと熱くなっていく。恥ずかしい、という気持ちが一瞬湧き、ちらりと中学の頃のあの瞬間が甦る。
だけど、その次の瞬間、一瞬だけ僕が唄い出した驚きで停まっていたナギのギターがまた始まり、僕らはコンテストテンペストのセッションを続ける。
(――ナギのギター、気持ちがいい。ずっと唄っていたいぐらい、すごく気持ちがいい)
唄いながらちらりと見たナギもまたこちらを見ている。その目は、「お前、やるな」というニヤリとしたもので、イタズラっぽくもこなれたギタリストの風情が漂っている。一見意地悪そうに煽るような笑みに、僕の感情がまんまと煽られて音を立てる。でもきっとそれは、彼が意図した煽られ方ではない気がした。それが一層、僕を興奮させ、ナギのギターと共鳴する。
(楽しい。唄うって、誰かと合わせるってこんなに楽しいんだ――)
終盤のアウトロと呼ばれる辺りはバンドならセッションをするものなのだろう。いまはギターが一本しかないので、僕がアドリブで「ラララ」と口ずさみ、メロディを飾る。
自然と手拍子が湧き上がり、ナギのギターが一層ハネて盛り上がっていく。
楽しい、もっと、楽しい……唄うことを再開して、初めてそんな気分になった瞬間だった。
「お前、見た目によらず、なかなか歌上手いんだな!」
ナギの路上ライブに飛び入りでシャリンバイのコンテストテンペストの歌を唄ったことで、ナギはもとより僕にまで観客たちから拍手をもらうことができた。
ライブと合わせてナギはギターケースのふたを開けて投げ銭をしてもらっていたらしく、今日は僕の歌が入ったお陰でなかなか稼げたという。それでも、総計で2000円いくかどうかの額だったけれど。
ライブの撤収もなんとなく僕も手伝い、二人でコンコース近くの公園のベンチに座る。ナギが缶コーヒーを奢ってくれて、どうやらそれがギャラ代わりのようだ。
「どっかで歌とかやってんの? やっぱボーカル?」
「や、えっと……まあ……でも、バンドはやってない、けど……」
「えー、もったいねえなあ。何歳? もしかして大学?」
「18。一応、高三……」
「マジか! あのコンビニでバイトしてるから大学生かと思ってたわ」
普段立寄るコンビニの店員と気づいても、ナギは店で見る時よりも気安い感じで話しかけてくる。距離のつめ方が早くて、近くて、そのスピードに僕は戸惑ってしまう。さすが、見るからに陽キャな奴はコミュ力が違う……
僕からはほとんど聞いていないのに、ナギはひとりで路上ライブをするに至った経緯などを話してくれた。
やっぱりナギは、先日バンドを脱退させられたんだそうだ。「音楽性の不一致ってやつかな」と、彼は苦笑していたけれど、その横顔はそれが真相でないことを隠すように笑っている。
「だからさ、俺ギター一本でやってこうかなーって思って、先週から路上ライブ始めたんだけどさ、やっぱ歌がねーと聞いてもらえないんだな。さっき葉一が飛び入りしてくれたらマジで全然違ったもん」
「そ、そう?」
「ま、俺のギターの腕があったっていうのが大前提だろうけどな」
「……ふーん」
路上ライブを終え、なんとなく気づいたのは、ナギは自分のギターの腕にかなりの……絶対的というほどの自信を持っているらしいこと。確かに、さっき聞いた限りだけれど、ナギのギターは高校生ということを抜きにしても、僕がいままで聞いた中で一番と言えるほど上手いと思う。まあ、僕は全くの素人だからちゃんと違いがわかっているかと言うと、自信はないけれど。
ギターがすごく好きなんだろうな、というのは、演奏をしていなくても常にギターに触れているし、移動中もフレーズを口ずさみながら歩いたりしていたこと、なにより、ギターの話をすると水を得た魚のように生き生きとしていることだ。
楽しそうに嬉しそうに音楽やギターの話をしているナギの横顔は、いままでひとりでやって来たぼくから見ると眩しいくらいにきらきらしていて、その明るさに中てられて僕の中までキラキラしてくる気がする。
こういうやつ、いままで絶対に話が合わないって思っていのに、そうでもないのかもしれない。ふと、そんなことを感じる。
光と闇、なんて単純に人は分けられないんだな、と当り前のことに気付かされた。
「あのさ、ナギは、メジャーデビューとか考えてるの?」
ギター一本でやっていく、というからには、もともとメジャーデビュー願望があるということなんだろうか。バンドでやっていけないとわかっても尚、それは変わらないのだろうか。
確認するつもりで訊いたら、ナギは途端に目を輝かせ、「そうなんだよ!!」と、公園中にも外にも聞こえるような大きな声をあげた。
よくぞ聞いてくれた! とばかりに身を乗り出し、ナギは僕の方を向いてこう提案してきた。
「それ! それなんだけどさ、葉一、俺と一緒に音楽やろうぜ!」
「え、一緒、に?!」
「俺のギターの腕と、お前の声があれば絶対イケる! な、やろう!」
「で、でも……」
「葉一、いまフリーなんだろ? ちょうどいいじゃん!」
「そうだけど……」
ヒトから歌声を誉められたことなんて、合唱のレッスンの時と音楽の授業でおばばに褒められた時、そして、初恋相手の深谷くらいで、それ以外の同世代からはバカにされた記憶しかない。
だからこそ、見返してやりたくて人知れず歌ってみた動画を投稿しているのだけれど、それに手応えがあるのかと聞かれれば、まったくないというしかない。
だけど自分の歌声がメジャーデビューに通じるかと言うと……正直わからない。何より、今日はうっかり路上ライブで唄ってしまったけれど、同じようなことをまたできるかと言うと、わからない、としか言いようがないし、実際未知数でしかないと思う。
「なあ、やろうぜ、葉一」
断ろうかという考えはあるのに、強く圧力を加えるように迫ってくるナギの目力の強さに、僕は明らかに負けている。心なしか体ごと気圧されて、ベンチの背もたれに押し付けられるようになっていく。
もしここで僕がイヤだ、やらない、と言ってしまったらどうなるんだろう。ナギは簡単に諦めるだろうか? でもそれなら、いまこうやって食い下がるように迫ってこない気がする。万一でもバイト先なんかに現れてまで一緒にやろうと迫られたら……そう思うと、僕は胃がきゅっと締め付けられるように痛む。僕のような日陰者タイプに、ナギのような陽キャなタイプに言い返すすべなんてあるわけがない。
だけど同時に、ナギとさっき創り出したあの空間のような心地よさに、これっきりで彼と関わらなくなることが惜しい気持ちもある。離れがたい、それが率直な想いだ。
だからなのか、僕はその想いの正体も理由もわからないままうなずいていた。
「……わかった、やるよ」
うなずいた瞬間、ナギは夜中にもかかわらず、デカい声で、「っしゃー!」と両手を挙げて叫び、僕が慌てて立ち上がってその口を塞ぎにかかる。
その手をナギはつかみ、ずいずいと顔を近づけながら改めてこう言ってきた。きらきらとした小さな無垢な子どものような瞳に、事態の展開についていけず怯えたような顔をしている僕が映し出されている。あまりに情けなくて、思わず背けそうになったけれど、それはナギに手を掴まれて許されなかった。
「絶対、俺ら成功するからな!!」
どうやったらそんな、根拠の出どころのわからないような、自信に満ち溢れたことが言えるんだろう。陽キャな奴は本当に未知の生物だ……というのが僕のナギへの第一印象とも言える。
(でもなんでだろう……いままで出会ってきた似たような奴らから覚える、嫌悪感みたいなのは、ないんだよな、ナギには)
陽キャな彼にぐいぐい押し切られている形ではあるけれど、それを完全拒絶するまでもなく受け入れようとしている自分がいる。いままでにない感情は、なんとなくどこかほのかに甘い気がした。
こうして僕は、ナギという、自分とはおおよそタイプが似ても似つかないやつと音楽活動をやっていく羽目になった。
「やってくってなったら、やっぱ活動計画とか目標とか立てないとな!」
「……で、なんで僕の家に来ることになるの?」
路上ライブの翌日、早速ナギが僕の家に昼過ぎにやってきて、「ミーティングするぞ!!」と、バイトが休みなので昼まで寝ていた僕を叩き起こしてきた。両親は仕事で、芽衣は学校なのがせめてもの救いだ。
まだ頭が半分寝ている僕が不機嫌を隠さずに言っても、ナギはバシバシと肩や背中を叩きつつ呆れた顔でこう答える。
「だーから、ミーティングだって! 公園とかじゃ落ち着いて話せないだろ」
「……ファミレスで良くない?」
「ファミレスは金がかかるじゃんか」
だからって僕の家はドリンクバーではないんだが……と、思いつつも、いちいち言い返すのも面倒なので、黙って部屋着に着替える。
着替えている間、ナギは遠慮なく僕の部屋を見て回り、勝手にあれこれ触っている。まるで好奇心を抑えられない小さな子どもみたいだ。
(そう言えば、ナギは脱退させられた時に、“お前まで俺をガキだって言うのかよ!”って怒っていたけれど……これはまあ、納得だな……)
そう思いながら僕は部屋を出て、一応ナギは客なので、顔を洗いに洗面所に向かい、癪だけれど、ついでに飲み物を用意して部屋に戻った。
コーヒーでいいか……と思いながらカップ二つと、僕の朝食も兼ねている菓子パンを持って部屋に戻ったのだが、あまりのことにカップとかを取りこぼしそうになったほどだ。
「なっ……! なに勝手なことしてんだよ!!」
「え? ああ、やっぱこのマイクいいんだなーって思って。中古?」
慌てて勉強机にカップとパンを置き、急いで僕の機材の中でも一番大事なマイクの前に立つナギを突き放す。
僕はすぐさま、ナギの手垢がついていないか、つばが飛んでいないかをチェックする。
大丈夫そうだとわかって安堵する僕に、ナギがあからさまにムッとしているが、構うものか。
「何だよ、人をバイ菌みたいに。てか、葉一ってやっぱ歌い手なんじゃん。バンドはやってないんだろ?」
「やってないけど、それがなに?」
「いや、趣味で唄う、にしては機材がガチだからさ。カラオケで気が済んでる感じじゃねーもんな、どう見ても」
鋭い指摘に僕が黙り込み、床に座ってコーヒーをすすりながらパンの封を切ってかじり出すと、ナギはその前にあぐらをかいて座り、ニヤニヤと笑っている。
ナギが何を言わんとしているのかが読めなくて、僕が視線をそらしながら無心にパンをかじっているふりをしていると、「決まりだな」と、ナギが言うのだ。
「決まりって、何が」
「ん? 来週もう一回路上ライブすること」
「……ふーん? 頑張ってね」
「なに他人事なんだよ。お前も一緒にやるんだよ」
「はあ?!」
あまりの勝手な発案に、僕は思わず食べていたパンを吹き出すかと思ったほどだ。
確かに、昨日のライブは大盛況の部類だっただろう。僕の動画もこれくらい盛り上がってバズってくれたらな、と思ったのも正直なところだ。
ナギもきっと、ソロでやり始めて観客を増やしたいという考えがあるから、一つの成功例とも言えるものを体験したら、こうすればいいんだ、と思うんだろう。
そこから来た発案なのは、なんとなくわかる。その相手に僕を選び、誘ったのも、まあ、わかる。
だからって、またライブをやるかどうかを、僕の気持ちも聞かずに決めてしまうのは、いくらなんでも勝手が過ぎるだろう。
僕は頬張ったパンを咀嚼しながらそこまでを考え、コーヒーで飲み下してから、こう返した。
「いや、あのさ……来週って……それはちょっと、急すぎない? 僕にだって都合があるし……」
「そうか? 鉄は熱いうちに打てって言うだろ。善は急げとかさ」
やっぱり陽キャという生き物は、相手の都合を自分の都合の良いように解釈するものなのか? 確かにそういう言葉もあるし、そういう事もある。でも、それが僕にも当てはまるとは限らない、とは想像しないんだろうか?
……していないから、僕の返事に首を傾げているのだろうけれど。
「だ、だってさ、路上ライブするにも、僕とナギはコンテストテンペストしか合わせたことがないじゃんか。しかもあれはたまたまだったし。なによりライブとかやるならレパートリー増やさなきゃだし、ちゃんと唄えて合わせられえるようにならなきゃ、お客さんはまた来てくれないんじゃない?」
おずおずと僕が言い訳をすると、ナギはコーヒーを手に、なるほど、と言うようにうなずく。
納得してもらえたかと思って僕は安堵し、これで僕と路上ライブをするなんて言い出さないだろうと考えていた。
だけど、そんな一言であっさり引き下がるなら、脱退を元メンバーたちに突き付けられて、あんなに吠えるように僕の前で取り乱すことはないだろう。そして何より、彼はこちらの都合を自分の良いように解釈するのだから。
自己中なんだよな……これだから陽キャは……などとかなり偏見の強いことばかりを脳内にオンパレードしていたら、それまで何かを考えている風であったナギが顔をあげて答える。
「んー……そうかもしれないけどさぁ、やっぱさぁ、来週じゃなくてもいいから、なるべく早めにやりたいんだよなぁ、ライブ。だってさ、もたもたしてたら客が離れそうじゃん」
「それは、まあ、そうだね……」
想っていたより一理あるナギの言葉に納得しかけ、僕は慌てて首を横に振る。違う違う。こいつのペースに巻き込まれてはいけないんだ、と言い聞かせるように。
しかし、これ以上どうナギを説得すればいいんだろう……と、少し音楽を一緒にする、とうなずいてしまったことを後悔し始めていた時、部屋のドアがこんこんとノックされた。
ノックに返事をすると、開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは、制服姿の芽衣だった。
芽衣は僕の部屋に来客――ナギがいることに大袈裟なほど目を丸くして驚き、軽く会釈をしてよそ行きの顔をして笑いかける。
「こんにちは。妹の芽衣です」
「こんちわー。俺は、葉一の相方の渚。ナギって呼んで」
「相方? お兄、お笑いやるの?」
「……しないよ、そんなこと」
「じゃあなに? もしかして、動画に出てもらうの?」
余計な一言を芽衣が口にした瞬間、それまで愛想よくへらへらと笑っていたナギの目が光り、期待のこもった眼差しを向けてきた。
彼が言わんとしていることがなんとなく察せられた僕は、ナギに期待させるようなことを言った芽衣を忌々しく思いながらにらみつけると、芽衣は芽衣でムッとした顔をする。
そんな僕と芽衣の様子なんて気付いていないのか、ナギは期待を隠さない目をしたまま僕に訊いてきた。
「葉一、もしかして配信とかやってる? 歌動画っていうやつとか」
「それは、その……」
「兄は、ナイトシンガーって名前で歌ってみた動画をMITEに投稿してるんですよ、ナギさん!」
「マジで! じゃあ話早いじゃん! やっぱり来週ライブしようぜ、葉一!」
「お兄、ライブするの?!」
「実はもう1回やってんだよー。それがすっげぇ盛り上がってさぁ。俺がギターで、葉一が歌でさ。だから、またやろうって言ってるとこ」
「すごーい! どこで? 何日?」
「勝手に決めるな! 僕はまだ、ライブそのものをやるとは言ってない!!」
あまりにポンポン二人で話を進めていこうとするので、普段は感情をむき出しにしない僕なのに、つい、カッとなって大声をあげてしまった。僕の声に、二人はあからさまにムッとした顔をして、口をつぐむ。
なんだか僕のせいで部屋の空気が悪くなり、気まずい沈黙が訪れ、なにか言いたげにナギが僕の方を見てくるのが鬱陶しい。
なんだよ、その目は……僕は何も悪くないだろ、と言いかけた時、「じゃあ、お兄、何でナギさんのギターで唄ったりしたの?」と、芽衣が訊ねてきた。
「そもそも、どこでナギさんと知り合ったの? お兄、全然音楽の友達とかいなかったじゃん。なのに、いきなりライブで唄ったって、どういうこと?」
「……芽衣には関係ないだろ」
「駅前のロータリーで俺が路上ライブしててさ、それに飛び入りしてきたんだよ、葉一の方から」
今度はナギが余計なことを口にし、僕がにらみつけても全くこたえた様子はない。むしろ、俺は良いこと言ってやったぞ、みたいな顔をしている。
ナギの言葉を聞いた芽衣は、口元を両手で抑えるようにして大袈裟に驚き、「ウソ! めっちゃ見たかったぁ!」なんて言うのだ。
「でも、葉一は、ライブやりたくないみたいでねぇ……芽衣ちゃんから説得してくれない?」
「お兄! いいじゃん、路上ライブの動画投稿に切り替えてさ、pv数稼ぎなよ! お兄なら絶対バズる!」
「だから、なんでふたりで勝手に決めるんだよ! 唄うのは僕なんだぞ」
「あ、唄ってくれるのは確定でいいんだな、葉一」
「それは! その……」
音楽を一緒にやっていくことにうなずいてしまった手前、唄わない、とは言えないだろう。
だけど、どこでどうやって歌うかくらい、僕が決めたい。それは僕に一番関わることだから、誰かに勝手に決められたくない。
だから僕は、思い切って口にしてみた。
「で、でも……僕がどこでどう歌うかは、決めたい。僕に唄え、って言うなら、そこは、決めさせて欲しい」
誰かに意見して、自己主張を歌以外でするなんて、いままであっただろうか。合唱でさえも指導の先生の言うとおりにしていた、良くも悪くもいい子ちゃんだった僕なのに。僕のそういう所は、妹の芽衣が一番よく知っているので、先ほどとは違った、本気の驚いた目で僕を見ていた。
そしてナギは、エラそうに腕組みをして考え込んでいて、やがて一人うんうんうなずいて懐っこい笑みをこちらに向けてこう言った。
「そうだな、葉一が上手く唄えなきゃ、俺のギターがあっても意味ないもんな。折角ライブするんだったら、上手くいく方がいいし!」
結局のところ、ナギはやっぱり、自分のギターがどう聴かれるかにしか関心がないんじゃないか? と思ったけれど、それでも路上ライブを強行されそうだった先程までよりはマシだ。
とは言え、どういう風にすれば僕が心置きなく唄えて、且つ、ライブができるのだろうか。
路上ライブを生配信しよう! なんてことは僕にはとてもハードルが高いし、顔をさらす気もさらさらない。歌は聞いて欲しいけれど、ビジュアルまで見て欲しいわけではないから。
そんな僕の意見をぽつぽつと言うと、「じゃあさ、」と、いつの間にか当たり前のように部屋の中に入ってきて、僕とナギの輪に加わっていた芽衣が口を開く。
「じゃあさ、まずは顔出ししないで、お兄がナギさんのギターで唄う動画を投稿してみたらいいんじゃない?」
「葉一の歌ってみた動画を、俺のギター演奏で、ってこと?」
「うん。で、慣れてきたら、部屋から生配信! とか。どうかな、ナギさん、お兄」
芽衣の提案に、ナギはもう既に目を輝かせて前のめりで、僕の承諾を期待する目を向けてくる。提案してきた芽衣もまた、これならいいだろう、と言いたげな顔をしている。
「なあ、やろうよ、葉一。物は試しってやつでさ」
「……試し、って言うなら」
「じゃ、決まりー!」
僕のおずおずと返事に、いつの間にか仲良くなった様子のナギと芽衣がハイタッチをしている。
なんとなく押されるがまま、ナギと動画を作って投稿することが決まってしまった。
ナギのギターのレベルが結構高いのは先日の路上ライブでなんとなくではあるけれど知っているけれど、だからと言って、これから彼と上手くやっていけるのかは未知数すぎて自信がない。しかも、ナギはメジャーデビューを視野に入れているみたいだし……不安だけが膨らんでいく。
そんな僕の気持ちが顔に出ていたのか、ナギがまたバシバシと肩を叩いて、こう言ってきた。
「葉一、お前なんて情けない顔してんだよ。俺らは音楽界に風穴あけに行くんだからな!」
風穴をあける、その言葉から、僕は自分たちの音楽が弾丸のように世の中を突き抜け、ナギの言うように音楽業界に風穴を開けに行くような景色が浮かんだ。
弾丸、という単語が気になり、僕は咄嗟にスマホでそれを英訳してみる。
「……バレット」
「え? パレット?」
「いや、バレット。英語で、弾丸とか銃弾って意味があるんだって」
「それが?」
「いや、ほら、ナギが“音楽業界に風穴あける”みたいなこと言うから……その……」
おずおずと提案する僕に、ナギは更に強く僕の背中や肩を叩き、嬉しさを表しているらしい。
手荒い、だけど今まで経験したことがない近い距離に感じる、身内以外のぬくもりに胸が騒めく。それが嬉しいのか、落ち着かないだけなのか、まだよくわからない。でも、不快ではないのは確かだ。
「いーじゃん、葉一! 案外センスあるな、お前。よし、俺らの名前、“バレット”にしようぜ。めっちゃデカい風穴あけようぜ! 芽衣ちゃんもそう思うでしょ?」
ナギに呼びかけられ、芽衣もうなずき、「いいとも思う!」とサムズアップして答えたので、僕とナギのユニット名は、こうしてバレットになった。
バイトが休みで時間があるので、早速バレットとして最初の動画を撮影することにした。
選んだ曲は、先日初めてやった曲、シャリンバイの「コンテストテンペスト」をリベンジだ。
ナギは当たり前のようにエレキギターを今日も背負ってきていて、部屋に来てからは傍らに置いていた。いまはそれをケースから取り出し、チューニングをしている。
チューニングをしているナギのすぐ傍で、僕はマイクを用意し、録音機材と録画のカメラをセットする。絶妙に顔が映らない角度を捜し、音の確認。
「ナギ、軽くでいいから何か弾ける?」
サウンドチェックのために僕がそう言うと、ナギはコンテストテンペストのサビのフレーズを弾き始めた。全体的にテンポの速い曲で、その中でもサビはギターの速弾きが特徴的だ。
それを、かなりあっさりとナギは弾きこなしている。バンドをやっていただけあって、有名曲であればつかえることなく空で弾けるものなのかもしれない。
つい、聴き惚れてしまってぼうっとしていると、ナギが弾くのをやめてニヤリと笑った目とかち合ってドキリと音を胸が音を立てる。
「すげーだろ、俺」
「すごーい! ナギさんってプロなの? ねえ、お兄、すごいよねぇ」
「……まあ、うん。音はいいよ」
得意げにしているナギに、何故か芽衣の方がはしゃいでいて、なんだか腹立たしい。べつに僕は、ナギの何でもない、知り合って間もない関係でしかないのに。
「素直じゃねえなあ、お前は。芽衣ちゃんを見習えよ」
芽衣が大げさでリップサービスが上手いだけだよ、と言わなかっただけ有難いと思えよな……と、思いつつも、もう少し褒めても良かったかな、とも思う。確かにナギのギターをすごいと感動したからこうしているのに。
そんな感じでなんとかサウンドチェックは終えられたので、軽く音合わせとカメラのリハーサルもして、いよいよ本番となった。
録音と録画のスイッチは芽衣に押してもらうことにし、僕らは歌とギターに集中する。
ナギとアイコンタクトでタイミングを計り、僕が芽衣に合図を送り、録音と録画がスタートし、ギターの音が始まる。
そして僕は、聞こえ始めたフレーズをヘッドホンで聞きながら、最初の歌詞をつむぐべく口を開いた。
「コンテストテンペスト」自体が色々な歌い手にカバーされる有名曲であるせいか、早速先日投稿した動画は僕史上最高記録の120ほどの再生回数を叩き出した。
3桁なんて初めてなので、目にした時僕は思わず、「おおッ」なんて言ってしまったんだけれど、その報告をしてもナギは全く喜んでいない。
「何だよその数字。しょぼすぎだろ。シャリンバイだぞ? しかも、コンテストテンペスト。せめて500くらい行くもんじゃねーの、フツー」
フツーじゃなくて悪かったね、と悪態をつく代わりに黙ってにらみ返すと、ナギは一層苛立った感じで僕をにらみ返す。
僕のバイト前、夕方のファミレスでミーティングと称してナギと顔を合わせたのだけれど、正直、ハラスメントをするおじさんような、ナギの横柄な態度が腹立たしくて仕方ない。なんで彼はこんなに自信たっぷりなんだろうか?
でも、僕がそれに対して何か意見できるなら、きっともっと早く歌うことを再開させていただろうし、もしかしたらあの時をきっかけにやめることもなかったかもしれない。要するに、ただ言われるがままになっていたのだ。
「なあ、聞いてる?」
「……聞いてるよ、一応」
ささやかな反論として、「一応」なんて言ってみたのだけれど、ナギには全く聞こえていなかったのか、「聞いてるならリアクションしろよな」と言っただけで、またひとりギターの話を始める。
ナギはデビットボウイとかレッド・ツェッペリンとかも聴くし、場合によってはパンテラなんかも聴いたりするという。雑食なの? と、さっき言ったら、「多才だと言えよな」と、ムッとされてしまった。
「ナギってさ、落ち込んだりするの?」
あまりに自分に良いように物事を解釈していくので、少しイライラしながらそう言ってやると、ナギは食べかけていたポテトを摘まむ手を停め、僕をまたにらむ。
「お前さ、俺を何だと思ってんだよ?」
やばい、人でなしみたいに言っていると思われただろうか。確かにいまの言い方はそう取られても仕方ないだろう。なにより、いくらポジティブな陽キャのナギとは言え、先日脱退させられたところを目撃していたのだから、それは言わずもがなだ。
ちょっと露骨な嫌味を言いすぎた……と、僕が慌てて謝ろうとしたら、ナギは停めていた手を動かしてポテトを口に放り込み、咀嚼しながら片頬をあげた。
「シャリンバイのギター再来なんて言われてんだぞ? 落ち込むなんて時間の無駄なことはもうしないんだよ」
「…………」
やっぱりこいつは根拠のない自信家なんだな……と、ムッとして思いかけた時、ふと、その言葉が気になった。「落ち込むなんて時間の無駄なことは“もう”しない」ということだ。
“もう”ってことは、いままでには落ち込んだこともあったってことなんだろか?
「“もう”ってことは、前はしてたの?」
「まあな。にんげんだもの」
それはやはり、あの脱退の件が絡んでいるんだろうかと確かめようと口を開こうとしたら、ナギはポテトを支持棒のように摘まんで僕を指し、小さな子に言い聞かせるように言った。
「つーかさ、この俺がギターやってやったのに、その再生回数とかありえねーだろ。葉一、ちゃんと宣伝したのか?」
「し、したよ……一応」
「お前、MITEのフォロワー何人だよ」
「……3人」
「は? それ、芽衣ちゃんとか抜いてか?」
「芽衣が僕の動画のチャンネルフォローしてるかは知らないよ……」
「いや、どう考えても身内しか登録してねーだろ、それ」
「うるさいなぁ。僕は友達いないんだよ」
ナギは呆れた顔をしてポテトを何本も頬張り、「参ったな……思ったより手こずりそうだな」なんて、聞こえよがしに呟いている。
そっちから押し切るように誘っておきながら、その言い草はないんじゃないのか? と、言い返したかったけれど、動画を公開したチャンネルが僕のところなので、目の前の現実の責任の半分は僕にもあるだろう。
そうは言っても、やはり言い方というものがあるんじゃないだろうか。まだ僕らは、出会って一週間くらいしか経っていないのに。
「動画がバズらないのは、悪いと思ってるけど……でも、それ全部僕のせいじゃないだろ」
「そうは言っても、フォロワーがいないと話にならないだろ。まず葉一のフォロワーからじゃなきゃ広がっていかないんだからさ」
一理あるけど、すべてじゃないだろう、というナギの言い分に、思わず、「そんなに言うなら、ナギもなんか考えてよ。ナギだってメンバーなんだから」と、言い返してしまう。ナギは頬杖をついて少しバツが悪そうな顔をし、「わかってるよ」と、呟いているのが少しおかしく思った。
ナギは思ったことをそのままに言うし、感情的にものを言いがちなタイプだけれど、拗ねつつも素直に非を認めるあたり、根は悪い奴じゃないんだろうなと感じる。そういう、子どもみたいな無垢なところがあるからこそ、ああいうギタープレイができるんだろうか。素直な性格で、いいな、と思ってしまう。羨ましい、とはまた少し違う感じで。
「そもそもさ、フォロワーが少ない僕のところからいきなりバズるわけないじゃん。それにさ、ナイトシンガーのチャンネルだと、動画は僕名義になっちゃうから、バレット名義のチャンネル作った方が良くない? 見る方だって、その方がわかりやすいんじゃないかな」
「んー……じゃあ、この前の動画、バレットのチャンネル作って、そっちにあげ直すか?」
MITEのアカウント自体は割とすぐ作れるのと、僕が動画を編集するので、バレットのアカウントはひとまず僕が管理することになった。
そしてさっそく、先日の動画をバレットのチャンネルの方に投稿してみる。まあ、公開してすぐに再生のカウンターが回ることはないだろうけれど。
バレットとして最初の活動をした僕らは、なんとなく顔を見合わせ微笑んでしまう。その笑みが、きゅっと僕の胸を甘く締め付ける。何だろう、この感触は。
とは言え、カバー曲を1本だけ投稿してもバレットとしての活動としてはあまりに寂しい。これからどうしていくかを、今日ここで話し合うのだ。
「これからどうしていくか、だけどさ、その前にどうなっていきたいか、だよな」
「まあ、そうだね」
「俺は、絶対メジャーデビュー! んで、ドームとかアリーナとかのツアーやりたい!」
「……二人で?」
「そういうバンドはいっぱいいるだろ。ゆずとか、B‘zとか」
「まあ、そうだけど。って言うか、音楽性が真逆の二組出されても」
あまりにビッグネームのアーティストを引き合いに出され、引きつりそうに愛想笑いすらできない僕は、正直ナギの大きすぎる野望とも言える目標に尻込みしている。いくら風穴あけたいとは言え、そんな風に僕なんかがなれるわけがないし、そもそも、メジャーデビューそのものが僕らに可能かさえもわからないのだから。
夢が大きく、野望であることが悪いわけじゃないのだけれど、身の程を知っておいた方が、のちのちにくじけて落ち込まなくていい気がするし、何より、僕自身がそうなることをあまり望んでいないのだ。
「葉一はどうなりたいんだよ?」
「僕? 僕は……昔みたいに、楽しく唄えたら、それで……」
本心をつい、包み隠さず吐露した僕を、ナギは眉をあげた顔で見つめ、大袈裟に溜め息をつかれる。あまりに遠慮なくがっかりされた様が腹正しく、さすがの僕もムッとする。
「何その溜め息。僕の本音を言っただけなのに」
「お前さぁ……いつまで中学の時の話引きずってんだよ。もうそんなの忘れてさ、俺はメジャーに出る! くらい言えないのか?」
言える性格なら、僕が中学のあの時のあの言葉に落ち込んで、傷ついて、唄うことをやめることなんてなかっただろうに。忘れることさえできず、それでも悔しさから半年ほど前から動画投稿を始めた話を、先日の撮影の時にナギに掻い摘んで話したのが、そもそも間違いだった。やっぱり、陽キャな奴に僕のような人間の胸の痛みなんてわかりはしないんだ。
だから僕のほうも大袈裟に溜め息をつき、言い返す。
「そういう、ヒトの古傷に遠慮なく振れるようなことするから、バンド追い出されたんじゃないの?」
「んだと?! あれは、そういう話じゃねーんだよ。俺の尊厳にかかわる話なんだよ」
「尊厳って、ナギが子どもっぽいかどうかって話? それこそ引きずる方が悪い話じゃないの?」
図星だったのか、ナギは感情のままに一瞬立ち上がりかけ、むすっとしたまま席に着く。
僕としては、まさか勢いで言い返せるなんて思えなかったので、内心かなり驚いていたけれど、悟られまいと澄ましていたけれど、罪悪感もあって胸中がぐるぐるする。
悪いことしちゃったかな……でも、ナギだって、僕の気にしていることをあんな風に言うし……そう考えながらちらりとナギの方を窺うと、ナギもまた同じように叱られた子どもみたいな目をして僕を見ていた。だからついおかしくて、僕らはまた笑ってしまった。
「そうやって、笑えるようになれよ」
「そうは言うけどさぁ……」
「大丈夫、葉一ならなれる」
ナギに心の弱いところをつつかれつつ、慰められるようなことを思いがけず言われ、胸がドキリとする。何だろう、このギャップ。飴とムチだろうか?
すると、ナギは「あのさ」と、何か思いついたようにこちらを向く。その目は何か期待のこもった色をしている。
「……なに?」
「俺、良いこと思いついた」
「そういうのって、コケるフラグ立ってる気が……」
「やる前からコケるとか言うなよ、葉一」
「内容によるよ」
僕が溜め息交じりに苦笑すると、ナギはパチンと指を鳴らし、「それなんだよ」と言う。
どういうことだろうか、と首を傾げつつナギを見やると、ナギは先程作った、バレットのアカウントの映し出されているスマホの画面をつついてこう提案してきた。
「ライブ配信、してみねえ?」
「生配信ってこと?」
そんなの無理、と即答で断ろうとした僕に、ナギは更に「メジャーでやってくんだったら、リアタイでライブできた方が良くない?」、と、畳みかけて迫ってくる。
言葉はやわらかいが圧の強い眼差しを向けられ、正直鬱陶しいのと面倒臭いのと、そして同じくらい納得の想い、と、これから始まる新しいことへの期待もあって、僕は力強くうなずく。
それでも、まったく不安がないわけではない。
「でもさ、今すぐは、無理じゃない? だって、ナギはこの視聴回数じゃ不満なんでしょ?」
「当然だろ。俺らをもっと大勢に見てもらわなきゃなんだからさ。もっとレパートリー増やさねえとな」
「じゃあ、目標立てる? 再生回数500いったら、とか」
「1000だな」
「1000?! いきなり無謀じゃない?」
「1本の動画の、じゃなくて、コンテストテンペストの他にもいくつか投稿して、そのトータルで、の話。色々な引出しある、って思われた方が良くない?」
無謀な数字をただ挙げたのではなく、ナギなりに根拠があっての意見のようなので、僕は少しホッとし、そして、また唄えること、それも彼のギターで叶う事が素直に嬉しいと思えていた。
何のかんの言いつつも、また歌を唄える機会があると思えるのは、いままでひとりだけでやみくもにやっていた時よりも歩くべき道がはっきりしていて、しかも明るい気がする。
だけど、ナギの目標をそのまますんなり受け入れられるほど、僕に自信があるわけではない。
「じゃあ、また、動画作る? でも、見てもらえるかなぁ」
「見てもらえるかなぁ、じゃなくて、見てもらう、見ろ! って感じにアピってくんだよ。俺らは風穴あけてくんだぞ」
「う、うん……でもさ、やっぱ僕にできるかな……」
「大丈夫、俺がいるんだし、葉一の歌だって悪くないし、俺は好きだな」
ナギが発した“好き”という言葉に、大きく胸が音を立てて高鳴る。僕に対してではなく、歌声に対して尚はわかりきっているのに、先ほどの気のせいと済ませた時以上に痛いほど音を立ててドキドキしている。
(この感じ、知ってる……中学の時に諦めたあの感じと似ている……でも、もう誰にもそんな気持ちにならないって決めたのに……)
なんでいま、彼に……そんな後ろめたさにも似た小さな罪悪感を覚えながら、懐っこい笑みで僕にライブ配信の内容を語っているナギの言葉を聞き、彼を見つめていた。
懐かしくも甘く切ない痛みと胸の高鳴りは、僕の意思とは裏腹にどんどん早くなっていくばかりだった。
バレットを始動させて一ヶ月半。その間に投稿した動画は3本で、いずれもカバー曲だ。僕は英語の発音に自信がないので、選曲は邦楽からで、みんなが知っている有名な曲を選ぶようにしている。
僕のチョイスと、ナギのチョイスを比べて決めるのだけれど、いまのところ3曲中2曲はナギが選んだ曲だ。そのせいか、歌メインと言うよりも、ギターが目立つ曲に偏っている気もするが、まだ3曲なので何とも言えない。
歌ってみた動画を投稿しているので、あまりギターの方が目立つのはどうなんだろう、とも考える。考えつつも、じわじわと動画再生数やチャンネル登録者数が増え始めている現状があるので、それが悪いとも言えない気がする。
そう、悶々としながら、僕はバイトの休憩中にチャンネルの管理画面を眺めてばかりだ。
もう少し、僕にナギに強く言えるだけの自信があれば……そんな、歌とは関係ないところでくよくよしてしまう。
「でも、ナギとやるようになってから、格段に唄うことが楽しくなっているのは確かなんだよな……」
それは単純に、同じように音楽を志す仲間ができた嬉しさが大いにあるのだろうけれど、ただそれだけではない気もするのは、やっぱり気のせいではないんだろうか。
顔を合わせればナギの子どもっぽく我の強めなところにイラっとしたりもするのに、一緒に練習する日は楽しいし、そわそわと気持ちが落ち着かない。
この気持ちには名前があるのを、僕はやっぱり経験上知っている。そしてそれに気付いてしまったら、きっとまた同じ痛みを受けることになるのに。
だから、いまは気付いていないふりをするんだ。
「次さ、アクアマリンの『かがやき』とかどう?」
3本目の動画を投稿してから一週間近くたったある日、そろそろ新しい曲を録音したいなとメッセージアプリで言い合ったのち、数日ぶりにナギと顔を合わせた。
待ち合わせの夕方の公園で、挨拶もそこそこに、ナギからそう切り出される。
アクアマリンは、シャリンバイほどではないが、結構長くメジャーシーンで活躍しているバンドで、しかも、二人組だ。
なかでも『かがやき』という曲は、ギタープレイが冴えると評判でもあるけれど、Bメロの歌詞が泣けると評判で、僕も結構好きな曲でもある。
「いいんじゃない。僕好きだよ、その曲」
「じゃあ、やってみるか」
そう言うが早いか、ナギは当たり前のように背負っていたギターケースからエレキギターを取り出し、アンプラグドで弾き始める。
公園にはいまほぼ誰もいないので、僕はナギのギターに合わせて軽く唄ってみることにした。
「“きらきらひかる ひかって弾ける 胸のなか 夢のなか
きらきらひかる ひかって消える 暗いcry 夜のなか
くらいクライくらい まっくらくらに 散っていく”」
『かがやき』はテンポが速く、歌詞の言葉数も割と多い曲だ。唄うのはかなり大変だけれど、上手く唄えるとスカッとして気持ちがいい。歌詞の遊び心あるところも好きなのだけれど、曲のそういう感じも僕は好きだ。
ナギもまたギターがノッてきたのか、アンプラグドなのになかなか迫力ある演奏をしている。それにつられるように、僕の声も大きくなっていく。
リズムを取るように体を揺らして、とうとうフルコーラス歌いあげてしまった。
「よし、結構いいかもな。いつ録る?」
「明後日なら、バイト休みだから昼に唄えるよ」
「んじゃ、明後日の昼な。あとさ、葉一、お前、顔出ししないの?」
いままで僕はナイトシンガーとしてシルエットのみで歌ってみた動画を撮影し、それを登録してきた。それはやはり、昔の僕を知る誰かが僕の歌声と正体を一致させ、何かを言ってくるのを恐れてのことだ。
僕の古傷のような過去の話はナギも知っているはずなのに……無神経だな、とムッとしていると、突然ナギが僕の長い前髪をかき上げてずいっと顔を近づけ覗き込んでくる。
「な、なにすんだよ!」
「葉一ってさぁ、結構……いや、かなり顔キレイ系だよなーって思って」
「……女の子みたいだって言うの?」
小さい頃はよく女の子に間違われていたこともあるし、大人しすぎる性格や気配のなさから男らしくないってからかわれることもよくあった。雄々しくない陰キャなんて、陽キャからすれば玩具にしていい物だと思っているんじゃないか? なんて、思えてくる。
だけどナギは、僕の返した言葉をきっぱりと「そうじゃねーよ」と、きっぱり否定した。
「もったいない、って話。メジャーに出るってことはさ、それなりに見た目も大事じゃんか。そういうののさ、葉一は下手にいじらないでもいいもん持ってるってこと」
「そ、それはどーも」
「何怒ってんだよ。きれいだって褒めてるのに」
想定外の至近距離で誉め言葉を連発され、平常心でいられるわけがない。しかもナギは前髪をかき上げたまま、至近距離にずっといるし。心臓がやたら痛いほど早打ちしている。
近い、近い……と、振り払えないナギの手から気持ちだけでも身を引きながら小さくもがいていると、「じゃあ、キャラに唄わせるとかは?」と、提案された。
「それってバーチャルシンガーってこと?」
「そ。だって、葉一、顔出したくないんだろ? そんなら、いちいち逆光映像撮影するんじゃなくて、なんかアニメのキャラみたいなの作って唄わせたらよくない?」
そういう形も、一つの手かもしれない。それならば今後、ネット上で活動していく方向に切り替えていくこともできるかもしれないのだから。
でも――と、僕は思考する頭を停めて、思い返す。僕がこれまで目にしてきたバーチャルシンガーたちは、ほとんど歌声を加工しているように聞こえていた気がする事だ。
すべての歌い手がそうとは限らないだろうけれど、過去に自分の歌声をバカにされた過去がある僕としては、バーチャルな歌声にしてしまうのは“逃げ”のように思えてしまうのだ。自分の歌声への信頼や期待を放棄したような、そんな“逃げ”に。
「そうはしたくない。僕は、僕の声で唄いたい」
「それはやっぱ、あの中学の時のことが関係してるのか? 顔出さないとか言ってるのに?」
「……そうだけど。あと、芽衣にもそのままで唄いなよって言われてるし」
いつまでもみみっちいやつめと言うのだろう。妹の言いなりで情けない、とか。
それを言うなら、お前のような陽キャに、僕のようなみみっちい人間の気持ちなんてわかるわけがないと言いたい。人を軽い気持ちで嗤って、傷つけたことさえ無関心な奴に、僕の気持ちなんて――
「そっか……んじゃ、まあ、バーチャルシンガーはナシでいくか」
「え?」
思いの外あっさりと撤回されて面食らっていると、ナギはきょとんとした顔で、「え? って……だって嫌なんだろ? 昔のことがあるから、葉一は自分の声で唄いたいんだろ?」
「う、うん。そうだよ」
「じゃあ、そうするか、って。それに、芽衣ちゃんとの約束なら仕方ないな」
「あ、ああ、うん……」
芽衣が絡んだからそう言ってくれたのか、それとも気を遣ってくれたのか。ひとまずありがとう、と言うべきなのかな、と一瞬迷っていたら、そんな気持ちも吹き飛ばすような提案をナギが新たにしてきた。
「顔出しは、いまはしなくていいけどさ、その代わり、いつかは路上ライブとか人前で歌うってことは意識しといたほうがよくないか? そういうのに慣れるためにも、まずは配信で、ネットでもいいから誰かの前で唄えるようになろうよ、葉一」
「で、でも……」
「お前だって、誰かに聴いてもらいたいから、歌動画を投稿してたんだろ? 聞いてくれてる人のことを少し意識してみなきゃ、伝えたいものも伝わらねえぞ」
意外過ぎと思ってしまうほどまっとうな言葉を言われ、ポカンとしている僕に、ナギは、それでも人前で歌うことに抵抗感があるのか? と言いたげな目を向けてくる。まだ何か文句があるのか、とでも言うように。
そんなつもりはなかったけれど、若干僕の考えと違っているところがあったので、おずおずと口にしてみた。
「それはそうかもだけど……そもそも、そんなに聴いてくれてる人なんていないんじゃ……」
「あのな、いまは1本につき10数人とかだけど、確実に見てくれている人はいるんだよ。そういう人を、いないとか言うな。リアルで考えてみろよ。最初の路上ライブ、見てくれた人、動画よりも少しは多かっただろ」
「確かに……」
「な。だから、まずは、配信で唄ってみろよ。俺と葉一なら最強なんだからさ」
「ナギ……」
「俺のギターも、葉一の歌も、みんなに聴いてもらいたいし、いい! って言われたいじゃん。俺はもういいなってわかってるし、信じてるから」
僕が考えている以上に、ナギは僕の歌声に信頼を置いてくれている。それが、すごく嬉しくて頬が緩んでいくのが止まらない。そして同じくらい胸の奥がくすぐったくてあたたかい。
その感触は、さっき僕の髪をかき上げてきた彼の指先の感触にも似ていて、ドキドキしながらももっと触れていて欲しかったなと思ってしまう。髪以外に、頬とか、なんて考えてしまう。
そんな感情を一瞬でも覚えてしまう自分に、僕は戸惑い、その要因が放つ懐かしくも切ない痛みを見ないように感じないように努める。そんなことしても、気付いている時点で無駄な抵抗なのに。
そんな話をしながら、バレットの歌ってみた動画の配信を行うことが決まった。曲はアクアマリンの『かがやき』を、ナギのギター一本で唄う。収録場所は、僕の部屋。
決まったことをスマホにメモしていく僕に対し、ナギはどこからか取り出した手帳に書きこんでいる。アナログなんだね、と思わず言うと、電子は信用ならないからな、とナギは言う。
「電子に裏切られたみたいな言い方だね」
「バンドで、曲のデータを送ったのに消えたことがあったんだよ。ちゃんと朝一送ったはずなのに、ないって言われてさ……だから、絶対大事なことはアナログで残すようにしてる」
本能のままに生きているような感じなのに、案外慎重なところがあるんだな、とナギの意外な一面に驚きつつ感心し、また胸がきゅっとなる。
クセのある丸い字で記された配信ライブの予定は来月の7日の午後8時。それまでに僕らは個人練習と二人での練習を重ねなくてはいけない。
「目指せ、1000pvだからな」
「わかってるよ」
そう言って拳を差し出してくるナギのそれに、僕は恐る恐るこつりと合わせ、僕らは初めて二人組の仲間らしいことをした。
グータッチした拳の表面はナギと別れた後もほんのりあたたかく、いつまでもナギの肌が触れているようだ。その感触を味わうように僕はそこを撫で、小さく笑みをこぼした。
「こんばんわー、バレットのギターナギと、」
「……よ、葉一です」
配信ライブ当日、最初なので撮影は芽衣に手伝ってもらいながら、僕らはライブに専念させてもらうことにした。
ギタリストとは言え、ナギはこれまでも何度もライブ自体やってきた経験があるからか、カメラの前でも観客を意識しつつ上手いこと喋ることができる。
対する僕は、普段の投稿は歌だけのこともあって、気の利いた言葉が出てこずおどおどしてしまう。俯いたり、何かを言おうとして口を開きかけたりと、何とも情けない。
そんな僕を不甲斐なく思っているのか、撮影を担当している芽衣が何か言いたげな目を向けてくる。それにリアクションすることもできない僕の肩を抱くように組んできて、急激に密着する。
突然のことに動揺する僕に構わず、ナギがこう切り出した。
「ナ、ナギ……?!」
「んじゃまあ、早速1曲目行きますか。な、葉一」
「え、あ、うん」
喋れないなら唄うしかない。僕はナギの言葉にどきまぎしながらうなずき、マイクを用意する。やがてナギが1曲目の「コンテストテンペスト」のイントロを弾き始め、それまで緊張で落ち着かなかった気持ちが穏やかに静かになっていくのを感じた。
昔から、ナギの密着に関係はなく、僕は本番前ひどく緊張する性質だ。合唱を始めたばかりの頃は、合唱団内の発表会でさえ緊張で泣いてしまうほどだった。初めて大きなステージ――確か、市民会館か何かの文化祭だったと思う――に立ったときは、舞台袖で小鹿のように震えてもいた。
(そう言えば、小学校最後の合唱の発表の前にも、緊張していると言ったら、あの人が、「葉一ならできる、大丈夫」と言ってくれたんだっけな――)
不意に思い出したほろ苦い記憶に、胸が痛んで言葉に詰まりそうになる。
だけど同時に、場数を踏むごとに、ステージ上特有の照明の熱さや、会場中の視線が注がれる視線の圧力に少しは慣れていけたことも思い出す。
(いまは、慣れるまでの練習だと思えばいいんだ……何せ、本当のお客さんは、画面の向こうで、僕一人ではない)
いま目の前にいるのはカメラを操作している妹の芽衣だけ。それに、唄うのは僕だけれど、動画に映されるのは僕だけではない。隣には、誰よりも僕の歌声を信じてくれているナギと、彼のギターがある。
大丈夫、出来る――深呼吸をひとつし、僕は「コンテストテンペスト」の最初の歌詞を口にした。
「まずまずってとこなんじゃない?」
配信ライブは全5曲やったのだけれど、肝心の視聴者数は目標の1000には届かなかった。
それでも、日頃多くても300程度だった視聴回数が、今回は多い瞬間で700はあったと芽衣が言っていた。
僕としてもかなりいい数字ではないかと思うのだけれど、上昇志向が強いからか、ナギは満足している感じではない。
「まずまずじゃダメなんだよなぁ……ガッツリ爪痕残せないとさぁ、風穴あけるんだし」
「爪痕だの風穴だの言うけど、僕らは結成してまだ一ヶ月くらいだし、活動の場はまだネットの数本くらいしかない無名なんだからさ、それ考えとかなり良いんじゃないかと思うよ」
「そう言われりゃそうだけどさぁ……俺にだってもう少しファンはいたと思ってたのに……」
「そうかもしれないけど……ファンのすべてが推しの活動のすべてを追ってくれるとは限らないし、あのバンドにいたナギが好きだった、ってファンもいなくはないんじゃない?」
「あー、まあ、そうかもしれないけどさあ……」
いままで応援してくれていると思った人たちが、まるで幻だったような感覚とでも言うのか、そういうのってすんなり受け入れられないものなんだろう。僕にはそんなファンみたいな人を身近に感じたことがないからわからないけど、離れてしまったかもしれないと考えたら、やはりショックではあるのかもしれない。
こういう時、どう言えばナギは現状を受け入れてくれるだろうか……と、思案していると、僕らのやり取りを見ていた芽衣が「でもあたし、今日の配信すごくカッコ良かったって思うよ、ナギさん」と、言うと、ナギはぱあっと顔を輝かせる。
「マジで?! 芽衣ちゃんがそう言ってくれるなら、そんなに悪くなかったのかもなー。やっぱ俺のギターテクがあるからなぁ」
「…………」
「何だよ、葉一、その目は」
「……べつに」
メンバーの僕よりも、妹の芽衣の言葉の方を信用するナギの態度に軽く腹が立ちながらも、とりあえずナギの不満が治まったようなので良しとしよう。……全然腑に落ちないけれど。
機嫌がよくなったナギは、定期的に配信ライブをする事を提案してくる。僕も今回のことでまあまあ自信がついたので、またやってもいいと思えた。
そうやって回数を踏んで、合唱の時のように緊張に慣れていけば、その内路上に立って歌うこともできるかもしれない。そう考えると、今日の本番前に憂鬱ささえ感じていたのが、嘘のように晴れていく。
「次はいつにするかな」
「来月とかどう?」
僕から提案したのが意外だったのか、ナギは一瞬目を丸くし、「いいじゃん」と、ニヤリと笑う。その笑みにつられるように僕も片頬をあげて笑い、僕らは初めてより距離が縮まってきた気がした。肩を組まれて密着するのもいいけれど、こういうのも悪くはない。
何か小さな垣根のようなものを越えた感覚があったこの日以降、僕からも少しずつナギにバレットの活動について提案していくようになった。配信に使う曲とか、カメラのアングルとか。僕だけ、もしくはナギだけで決めていくよりもそれらはうんと広がりを見せるようになった気がする。
それに比例するように、じわじわとだけれど、動画の視聴回数やチャンネル登録者数も増え始めている。ある一定のフォロワー数になると、配信者としてのランクがMITEの中でプレミアムランクになるとかで、長時間のライブ配信ができるようになるらしい。でもその数はフォロワー数1000以上だったかで、まだまだ道は遠い。
「やっぱ、チャンネル登録者数伸ばさないとだよなぁ」
3回目になる配信ライブの反省会を、撮影をした僕の部屋でそのまましている時、ナギが独り言ともつかないボリュームで呟く。
「プレミアムランクになりたいってこと?」
「そー。やっぱさ、15分くらいのライブじゃやれる曲の数が限られるし、路上ライブを今後するにも宣伝できないだろ」
「宣伝は通知欄で良くない?」
「みんながみんな通知欄ちゃんと読むと思うか?」
「それは、そうかもね……」
「それにさ、プレミアムランクになると投げ銭してもらえるようになるんだぜ」
「え、そうなの?」
投げ銭とは聴いてくれている人の気持ちで、チップみたいにお金をワンクリックでもらえるシステムだ。推しのアーティストやタレントに貢ぎたい人は万単位で投げ銭をすると聞いたこともある。
さすがに僕らのような無名も無名なバンドに、そんなに投げ銭するような人はいないだろうけれど、もし、配信とかが上手くいけば、多少なりとも期待できるかもしれない。
「路上での投げ銭より気軽だって言うなら、出来るようになりたいね」
「だろ? んでさ、金貯めて、音源リリースしたり、ライブハウス借りてライブやったりとかしたいよな」
「じゃあ、路上ライブは投げ銭を期待するって言うより、配信の宣伝的な位置づけになるのか」
「あー、そうなるのかな? 路上で人気出てもデビューはしやすいだろうけど」
ナギはあくまでメジャーシーンでのデビューと活躍を目標としているので、路上ライブや配信で知名度が上がり、あわよくばデビューに繋がればと思っているのかもしれない。
僕だって知名度が上がって、動画がたくさん見られるようになったらなとは思ってはいる。だけど、それにメジャーシーンで活躍するアーティスト級の知名度まで欲しいとは思わない。そこまでのし上がらなくとも、そこそこの知名度で好きなように唄えたらそれで充分だと思うからだ。
その僕とナギの考えの違いが、時々小さく軋んだ音を立てる。食い違いから生じる隙間が、まるで僕の油断するところを狙っているみたいで、心許なくてそわそわする。
「でもさ、メジャーでやりたいなら、オリジナル曲がなくちゃなんじゃない? ナギ、曲作れるの?」
いままで既存曲のカバー演奏しているところしか見たことがなかったので、ふと気になって訊いてみた。ナギは、ギターを抱きしめるようにあぐらをかいた足の間に立てながら、考え込む。
「曲らしい曲ってあんま作った事ねえんだよなぁ……バンドで1~2曲は作った事あるけど、それきり。採用もされなかったし。それに俺、詞は全然書けないんだよな」
「それじゃあ、インスト曲で勝負するとか?」
「いや、葉一唄うんだろ? つーかさ、葉一は作詞とか出来ねーの?」
「え? 僕? なんで?」
「だって葉一が唄うんだからさ、お前が唄いやすいように作詞すればよくない?」
「いや、唄うのは確かに僕だけど、メロディがない事には……」
「でもさ、ボーカルが作詞してるって結構あるし、歌詞から曲作るってこともあるじゃん」
「そうだけど……」
だからと言って、僕ができるとは限らないんだけれど……と、言い逃れしようと思ったのだけれど、ナギはもう既に一人でギターを弾いてフレーズを考え始めている。
まさか本気で言っているんだろうか……と、一抹の不安を覚えていると、ナギは満面の笑みでこう言った。
「いつかは俺らの曲やるってのも目標にしようぜ。なんたってメジャーで一緒にやってくんだからさ!」
「一緒にやっていく」その言葉が、僕の挫けそうな心を引き上げてくれる。
それに、目標が大きくてわかりやすく、しっかりとしているナギの言葉の方が力強く、僕をうなずかせる。強引と言えば強引かもしれないけれど、彼のそういう振る舞いがなかったら、僕だけではライブ配信をしていたなんて思えない。ましてや、オリジナルの楽曲をやろう、と僕から言うなんて。
少しずつ、僕の中で何かが変わり始めているのがわかる。ぐいぐいと強く牽いていくナギの言動が、引っ込み思案で立ち止まりがちな僕を引っ張ってくれる。伴奏というよりも先導に近いけれど、無理強いされているわけではないから、心地よくもある。
まったく戸惑いがないと言えば嘘になるけれど、ひとりで模索していた頃よりも違う場所にいるのは確かだ。ただその行き着く先が、メジャーシーンなのかどうかは、まだ定まらないのだけれど。
「とりあえず、次の配信くらいまでにはワンコーラスくらいは出来ていたいよな」
目標を立てるのが好きなのか、ナギはもう早速新たな目標を口にし、買ってきていたコーラを煽るように飲んでいた。
一緒にメジャーで。その言葉はとても嬉しい。先導されているより並走している感じがして、そのままどこまでも走っていける気さえする。
(だけど……いつまでもこのまま何も決めていないわけにはいかないよね……)
いまはまだ僕もナギも高校生で、子どもだけれど、その時間も残り少ない。自分が歩く道を、歩きたい道を決めなくてはいけない。
(ナギが歩く隣に、僕がいれたら……って、言いたい。でも、僕はメジャーでやっていける自信なんてない……)
どうしたらいいのかわからない不安がふつふつと湧くのを感じながらも、僕はナギと次の配信に何をするかを話し合っていた。