ムジカレコードが企画してくれるとは言え、集客は自分たちで行わないといけない。チラシを置かせてもらう店を捜してお願いしたり、チケットを買ってもらったり、そういう事で頭を下げる機会がすごく増えた。
 もちろん、宣伝を兼ねて配信動画も作ったり、ライブ配信も再開したりすることになり、必然的にナギと会う機会が増えてくる。
 再開を決めて、内容を詰めていく話合いはあえて顔を合わせるようにした。しかも、僕の部屋で。沈黙ばかりで、気まずいなんてものじゃない程重たい空気が初めの方は漂っていた。それでも、「曲、どうしようか」と、どちらかともなく言い始めてからは徐々に空気が動き始め、ぎこちなくだけど合わせて歌うことができた。

(やっぱり、ナギの隣で唄うの気持ちがいい。ギターも、すごく耳馴染みするし、僕の声としっくりくる)

 恐る恐ると言った感じでナギがカウントを取り、イントロを弾き始めてから僕が唄い出すと、自分たちでもわかるくらいに部屋の空気が変わった気がする。じっとりと重たかったのが、ふっと軽くなったのだ。
 1曲終え、次をどうしようかと楽曲リストを表示したスマホの画面をスクロールしていると、小さくナギが笑った気配がした。その笑みにつられるように振り返ると、ナギがスマホの画面を見つめたまま、「結構あるんだな」と呟く。

「何が?」
「俺らの曲」
「そうだね、思ったより、僕らの曲増えたよね」
「『コウモリ男』とか、歌詞に苦労してたよな」
「あー、そうだったねぇ」

 曲のタイトルを辿るだけで、僕らがともに作って来た楽曲の足跡がわかる。二人でああでもないこうでもないといい合いながら紡いできた音と言葉は、この一年弱で十数曲に昇る。もちろんそれは楽曲として披露してきたものだけの数で、未完成の楽曲を含めると40近くはあるんじゃないかと思う。
 歌詞に苦労した曲、メロディが二転三転した曲、転調にチャレンジしてみた曲……ひとつひとつの制作の経緯を話し出すと止まらなくなるくらいに、僕らは1曲1曲を作り上げてきた。
 それだけの時間と空間を、僕らは共有し、心を一つにしてきたんだ。その軌跡が、僕は愛しくて仕方ない。手に取れるならそっと包んでいつまでも眺めていたいくらいだ。

「……そっか、僕ら、結構頑張ってたんだね」

 だからつい、そう呟くと、「お前、今更気づいたのか?」と、呆れたように、だけど優しくナギが答える。その笑みがやさしくて、きゅっと胸が締め付けられて、どうしてもナギが好きだな、と思ってしまう。

「だって、自分じゃよくわからないじゃん、良いのか悪いのかなんて」
「そりゃまあ、自分の作品の良さなんて、わかんないもんだろうよ」
「でも、ナギはいつも“俺のギターはすごい!”みたいに言うじゃん」
「あー……まあ、そうなんだけどさ……」

 いつもなら、当たり前だろ! くらい言い返してくるのに、なんだか今日は歯切れが悪い。自信家で、怖いものなしなんだと思っていたのに、ナギがなんだか様子が違う。まるで、借りてきた猫……まではいかないけれど、あの自分の腕を信じて疑っていない感じよりはるかに大人しい。
 大人しいとは言え、喋らないわけではなく、トークの感じはいつもと変わらない。だけど、どこか控えめなのだ。

「ナギ、なんかあったの? なんか今日、ヘンじゃない? 具合悪いとか?」
「そんなんじゃねーよ……ただ……」
「ただ?」

 何が言いたいのだろうかと僕が首を傾げていると、ナギは子どものように唇を尖らせて顔を背け、恥ずかしいような、照れたような顔をして、ちいさく何かを呟く。

「え? なに?」
「……だな、って思っ……ああ、もういいよ、やろうぜ、とにかく」
「ナギ、気になるじゃん。言ってよ」
「いーんだよ、俺のことは! ほら、唄えよ、『リラックス・ハイテンション』!」

 『リラックス・ハイテンション』、それは僕らが初めて作ったオリジナル曲。イントロがスローなフレーズで始まり、曲が進むにつれてテンポが上がっていく。歌詞は僕が作ったのだけれど、それには“唄うこと”で僕が感じること、思うこと、喜びも苦しみもすべてを詰め込んだものになっている。

「“ねえ また聴いて 僕の歌を ねえ また唄うよ 僕の心を
 君にまた会えなくても 僕は唄うよ 唄い続けたいよ
 この混とんとした世の中で 唄うことだけが 僕のすべてだから”」

 作詞を作るのに、トータルで半月近くかかった。自分の想いを言葉にすること、その想いを唄いやすく綴っていくこと、その難しさを痛感し、教えられた曲でもある。
 バレットを語る上で欠かせない曲であることに間違いはないのだけれど、路上ライブでも配信でも、ナギは必ずこの曲をセットリストに入れたがる。

「ナギはさ、何で『リラックス・ハイテンション』をそんなにやりたがるの? 初期の曲だから思い入れあるのはわかるけど、正直、そんなに出来がいいわけでは……」
「だからだよ」
「どういうこと?」
「これさ、作るのにすっげー時間かかったじゃんか」
「初めてだったからね。でも、ナギは別にそんな大変じゃなかったんじゃ……」
「サビのフレーズ思いつくのに、俺、三日寝れなかったんだよ」
「え?! なんで?!」

 あの当時、サビの歌詞が先に出来上がり、それを元にナギがフレーズを練っていくという話になったのだけれど、まさかそこだけでそんなに苦労していたなんて知らなかった。
 だけど、それだけでこの曲を毎回チョイスする理由にはならない気がする。苦労して作った曲だから、というだけにしてはあまりに毎回選んでくるのが不思議なのだ。
 ナギの言いたいことがわからない、という顔をしている僕に、ナギは呆れたように溜め息をつく。

「何だその間抜け面は……折角俺が褒めてやってるのに」
「……どこが?」
「だーかーら、俺が、三日眠れないくらい頑張ってフレーズ考えなきゃいけないなって思うくらい、葉一の出してきた歌詞が良かったってことだよ!!」

 怒鳴るようにそう言って、ナギは僕に背を向けてギターの個人練に入ってしまい、僕はぽかんとその背を見つめる。
 そうならそうと素直に言えばいいのに……ものすごいわかりづらいたとえをするよな、ナギって……と、思って呆れていたら、その耳の端が真っ赤になっていくのが見えた。

(え、ナギ、照れている……? わ、すっごいかわいい……!)

 先程より明らかに照れているのがわかるナギの様子にを目の当たりにして、僕は驚きと嬉しさを隠せない。ここに来てこんなかわいい姿を見せられるなんて思っていなくて、そのギャップに心がかき乱されて、好きの感情が急上昇していく。
 背を向けているナギはそうとも知らず、ぼそりと呟く。

「……この俺を、そうさせられるんだから、葉一はメジャーでもやれると思うんだよ、絶対」

 ナギは、いままでほとんど僕を誉めたことなんてなかった。あったとしてもさっきみたいにすごくわかりにくい言い回しばかりで、僕が理解できなかったら怒りだしたりする。子どもっぽいし、わがままなんだけれど、でもいまこの瞬間、彼のそういう態度は、彼なりの感情表現の中でも最上級なのかもしれない、と思った。

(だから……なんで、いまになってそんなもっと好きになるような事ばっかり言うんだよ……!)

 プライドが高い自信家な陽キャで、僕みたいなやつとは相いれないし、しようともしてこないだろうと思っていたけれど……そうでもない、というか、結構人間味のあるやつなんだな、と改めて感じる。そして、ああやっぱり彼が好きで仕方ないと思うのだ。

「ナギって、結構いい奴だね」
「あ? なんだよ、なんか言ったか?」

 折角褒めたのに、ガラ悪く訊き返されて僕は顔をしかめ、「べつに……」と言いかける。いつもならそこで終わるんだろうけれど、あえて今日はこう言ってみた。

「うん。ナギって結構いいね、って」
「いいね、ってなんだよ。もっと褒めろよ」
「すぐ調子に乗る……そういうとこなんだよなぁ……」
「ああ? なんだと?」

 ケンカ腰で言い合っているのに、それさえも楽しくて仕方ない。ナギも同じ気持ちなのか、口調は悪いのに目は笑っている。
 ――ああ、ナギとこの先もずっと一緒にいて、音楽も色々な事も一緒にやっていけたらもっと楽しいんだろうにな。
 ふと過ぎった想いに、僕は胸の奥があたたかくなっていくのを感じる。まるで暗い中に明かりがひと筋射すようなささやかなそのぬくもりは、凝り固まってうつむいていた僕を上向かせていく。
 そして、こんな時にしか存在を信じてあてにしない神様に、小さく手を合わせて祈ってしまう。
 ――もう少しだけ、ナギと一緒にいさせてください、と。たとえ、この恋がもうすぐ終わりにしなくてはいけないかもしれなくても。

「葉一、次、何する?」

 曲のリストを指しながら訊ねてくるナギの表情は明るく、僕はこのやり取りをもっとずっと続けたいと強く思いつつ次の曲選ぶ。

「これとかどう?」
「お、いいね。やろう」

 視線を交わして笑い合える距離と時間が、このまま永遠に続けばいいのに。そんな叶うわけがないことを願ってしまう。
 むちゃくちゃなことを願いながら、僕はナギが弾き始めたギターに合わせて歌い始めた。